重く分厚い扉の奥からは、レースの実況中継の音が流れていた。
私はその扉を3回叩く。すると聞き慣れた、しかし力の抜けたような声で、入室の許可が降りた。
「おハナさん…!」
扉を開けると私の教え子、シンボリルドルフが驚いたように声を上げた。
「今日はどのような御用件ですか?呼び出して頂ければ、こちらから参りましたのに。」
「今から府中に呼び出しては、間に合わなくなるわ。」
「なるほど、そういうことでしたか。」
彼女は視線をテレビに移し、その画面をじっと見つめた。
時が過ぎるのはとても速く、瞬きをする暇もない。それは、これから繰り広げられる激戦も同じことだった。
本日は記念すべき日本ダービーの開催日である。
天皇賞・春が終わり、世間はダービー一色となった。そしてその注目の中心に居たのが、ルドルフと同じシンボリの名を持つウマ娘。シリウスシンボリだった。
彼女はパドックでくるくると踊り、観客を沸かせた。何事にも動じない精神力、シリウスシンボリの武器はそれだ。
一生に一度、世代の頂点を決めるこのレースでさえ、単なる足がかりであると言わんばかりの余裕があった。
シリウスシンボリが狙うのは世界の頂点。そして、そのオマケとしてルドルフの首を持ち帰るつもりなのだろう。ルドルフとシリウスは共に
これまで、数多のウマ娘が海外へと挑み、そして負けてきた。ある者が語るところでは日本と海外と技術面・トレーニング面において30年もの開きがあるとまで語られた。かのGⅠレース、ジャパンカップはそういった背景から海外で通用するウマ娘を育て上げるために創設された。
海外遠征を行うということは馬場、芝、そしてレース展開、全てが異なる環境で走ることになる。ルドルフでさえも苦戦を強いられるのは避けられないだろう。
だが負けられないのはどのレースも同じだった。ただ、ルドルフの夢を実現すると言うのであれば、この学園を改革し、
ルドルフは既に追われる立場にある。しかしそれは本人自身が理解しているかという点には疑問符が付く。
勝利の栄光は絶対のものである。ヒールもヒーローもない。それは正しい。しかし彼女はもうひとりの三冠ウマ娘、ミスターシービーにこだわりすぎていた。
世代こそひとつ違うが、互いに競い、そして互いの背を追いかけてきた。
ルドルフに皇帝たる輝きを与えたのは、ミスターシービーだった。それは憧れか、執念か、それとも夢か。ミスターシービーが得た三冠ウマ娘の栄光に呼応するかのように、彼女を仕留め、自らの夢を実現するためにルドルフもまた輝いた。
さながら、月と太陽というべきか。
いずれにせよシービーが残した軌跡を追いつつ、シービーに追われていたという奇妙な重ね合わせの中にルドルフは居た。
ミスターシービーという存在は大きかった。しかしミスターシービーは既に全盛期の脚を失った。そして彼女は既に終わりが近い。
ルドルフはもうチャレンジャーでは居られない。シンボリルドルフはシンボリルドルフとしての勝利が求められる。
絶対王者の首を獲らんとする者はもはやシービーやシリウスだけではないのだ。
「おハナさん、発走時刻です。」
「ええ。」
その言葉から間も無くして、ゲートが開いた。
ルドルフの夢は私の夢だ。その夢のためにどれだけ身を尽くせるだろうか。
握り込んだ手に汗が滲んだ。