雨は続く。
練習コースは設備保全と事故の危険性があるために使用が禁じられた。だが、このような天気ともなれば多くのウマ娘たちはプール練習やダンス、ボイストレーニングなどを行うのだろう。
春の雨と言えどアスリートにとっては善いものではない。風流ではあるかもしれないが、濡れて往くような数寄者は彼女ひとりで充分だ。
彼女はまた、雨に濡れながら走っているのだろうか。タオルを用意しておいたほうがいいだろうか。今ではライバルとなった彼女は、また以前のように生徒会室に訪れてくれるだろうか。そんなことを思いながら、私は手元の書類にペンを走らせた。
この夏、私は宝塚記念を経て海外へと赴く。阪神レース場のスクーリング日程も決まった。この期間、私は生徒会を留守にすることになる。生徒会の業務はただでさえ多忙を極める。生徒会の仲間たちは良く働いてくれているが、その間私の業務を押し付けるというのは些か忍びない。そのため、引き継ぎ用のマニュアルを作成し、現状でできる範囲の業務を片付けてしまおうと思い至ったのだった。
春から夏にかけては特に書類が溜まる。メイクデビューの時期にはチーム所属、及び移籍の届出、夏休み期間には合宿の参加申し込みと外泊届に帰省のための学割申請、そして学期末には退学届と転属願。そこに毎月の委員会報告書やクラスごとに提出される月間学級運営計画書が加わる。
不備があれば赤ペンで修正して再提出を求め、不備が無ければ生徒会の判を押す。単純なものではあるが量が多すぎればもちろんこちら側にもミスが出てくる。特に日付け・曜日と言った細やかな部分は要注意だ。
業務の要点をまとめながら、ひとつ判を押し、また別の書類を手に取る。その間、雨音だけが聴こえていた。
このような日は少しだけ手を止めてこうして雨に耳を傾ける。降りしきる雨が奏でる静寂の旋律は、草原が生み出すさざめきにも似ていた。
草原こそがウマ娘の原風景である。私たちの祖先は草原で生まれた。柵も観客さえも無いそこで、自由を踊るように、その命を謳うように駆けていたのだろう。
果たして、私たちは幸福と言えるのだろうか。
柵で隔てられた芝を人々は憧れ、眺めるばかりだ。その上に立つのはただ走るためだけに青春すらも投げうったウマ娘たち。
勝利という泡沫の夢を追い、走れなくなれば、その行く末は闇の中だ。しかし、初めから走らなければ、私たちが知り得ない自由を知ることができる。
街中の少女たちのように化粧をし、友人を作り、流行りの服を身に纏い、好きなだけファーストフードやケーキを口にする。私たちには叶わぬことだ。
勝利は絶対の栄光であることは変わらない。しかしそれほどまでに己を削ぎ落として追うべきものなのだろうか。
誰かに想いを寄せることすら知らず、切ないほどに己の勝利に焦がれるその姿は美しくもあり、醜くもあった。
限られた世界の中で、その命を燃やしながら走る。私たちは、そう在ることを選びここに居る。それが私たちの価値であり、私たちの生き様なのである。
雨が降る街を走ることなど、ほとんどのトレーナーは許さないだろう。
それは、私たちへの想いがあってこそのことだ。
だが私は、その姿に自由を見出した。嵐に揉まれながらも咲く花のような力強さと、どこまでも飛んでいける翼を持ったかような軽やかさで彼女は駆けていた。
どこからか遠雷が聴こえてきた。
私はもう一度ペンを手に取り机の書類をめくる。
雨はまだ止むことはない、依然として降り続くだろう。
「これは……。」
いくつかの書類を仕上げたところで、ひとつの書類に目が留まった。それは、競走ウマ娘の引退式にまつわるものだった。
競争ウマ娘が引退する際、規定された条件を満たせばレース開催日に引退式を開くことができる。
引退式はトゥインクルシリーズにおける最後の交流の場であり、ウマ娘はこれを機にターフに別れを告げる。
輝かしい成績を残した者のみ、推薦を受けトゥインクルシリーズの上位リーグである『ドリームトロフィーリーグ』に移籍することが可能ではあるが、故障や衰えによる引退も多いことから、ドリームトロフィーリーグに移籍する者はごくわずかだ。
引退式の日付けは10月3日。丁度東京レース場の開催日であり、日程に齟齬はない。戦績も規定を上回り、十分すぎるほどの活躍を残していた。
私はその書類に赤を入れられる部分がないか目を皿のようにして探した。しかしどこを見てもその書類に決定的な不備は見当たらなかった。
不備が無いのであれば、私はただ生徒会の判を押すことしかできない。提出された書類の内容を審議することはあれど、生徒会活動で得た情報を持ち出すことや、その情報をもとに個人を問い詰めることなど言語道断である。
幸か不幸か、その書類は資料も充実していた。審議の必要はないだろう。
私は書類を閉じた。表紙には温かみのない文字で「ミスターシービー引退式進行』と書かれている。
その文字が誤りであることを祈りながら、私は判を押した。