日は高く昇り大空に浮かぶ。雲は無く、遮るものは何もない。けれども私がうんと伸びをしてもそこには指先さえ届かない。
誰にも触れられることはなく、これから太陽は沈んでいく。そしてそれにとって代わるかのように月が登っていくのだろう。
私はストレッチをしながら、彼女のことを考えていた。
ウマ娘の身体能力は『本格化』をもってピークを迎える。そして若干の上下を繰り返した後に、緩やかに衰退していく。
能力の衰退期に入れば、最前線で戦うことは難しい。ともすれば、引退というのも当然のことである。
太陽が昇る、沈む。そして月が出て、月も沈めば、また太陽が昇る。
私の夢も、いつかは終わる。だが、延々と繰り返される日常と同じように、私たちもまた世代交代を繰り返す。そうして脈々と想いを継承し、新たな歴史が創られていく。
今を駆ける私たちはその真っ只中に居た。別れを惜しむほどの猶予はない。ターフという世界は、その一瞬で塗り替わることさえある。
私はもう一度伸びをした。依然として、太陽に手は届かない。
「ストレッチはそのくらいでいいでしょう。」
ターフに立つ私におハナさんが話しかけてきた。
「一度走ってから、貴女の所感を伝えて。」
「はい。」
「仁川は甘くないわよ。」
その言葉を背に、私は芝を蹴り上げた。
宝塚記念が目前に迫り、私はスクーリングのために阪神レース場を訪れていた。阪神レース場は初めて赴くレース場である。
注意すべき点は阪神レース場が持つ独特な形状である。宝塚記念はスタンド前の直線を延長したようなポケットから発走し、緩い降りをもつ長い直線を進みゴール前の急坂を越えて1コーナーに入る。そこからは平坦な道を進み、3コーナーから直線にかけてまた緩やかに降りながら、最後にもう一度坂を越える。
第3-第4コーナーの中間は第1-第2コーナーの中間に比べて距離が長くコース全体がやや扇型に近い形状をしている。そのため、第3-第4コーナー中間は回る角度が緩く、全体スピードが上がればここが仕掛けどころとなる場合がある。
長く続く平坦な道のりとスピードの出やすいコーナー。ここまで聞けば、高速決着となると思うだろう。しかしながら、阪神2200mは特段速い時計が出るわけではない。
理由はこの下り坂にある。一歩、一歩と踏み込むたびに、私の体は意図に反して加速する。スピードが上がれば、どこかで息を入れなければスタミナが持たない。
コーナーに入った。ここで息を入れるのは得策ではない。角度のきついコーナーで一度位置を譲れば、前へ出られなくなる可能性がある。
向正面に入り、私は少しずつペースを緩める。平坦かつ見晴らしのいい直線。四大レース場*1のひとつに数えられる阪神は比較的道幅が広く、仕掛ける者が出ればすぐに察知することが出来る。
このポイントで流れは落ち着いてくる。その後に続くのは降りの高速コーナーと直線だ。
当然のことながら、ポケットから走る始めの直線とコーナーを抜けて走る最終直線とでは距離が異なる。後者のほうが短く、傾斜はコーナーから続いているためにスピードが増す。
先行勢は傾斜で勢いを増し、ライバルとのスタミナ勝負を強いられる。後方勢はそのスピードに追いつくだけの加速力と、その上で更なる伸びを求められる。
加速力や瞬発力に富み、後方から追い込むウマ娘よりも、前目につけ、長く良い脚を使えるウマ娘に分があるのだ。
直線の終わりが近くなってきた。3コーナーは目前にあり、すでに傾斜を足から感じることが出来る。芝を蹴る脚に力を込めれば、飛ぶように加速するだろう。
だがまだだ、最後の急坂で失速するわけにはいかない。
私の脚はストライドの長い大跳び*2である。このコースにも合っていると言えるだろう。しかし、その余裕こそ慢心につながる。
私を追う者に慢心も余裕もない。絶対を崩せる隙があるならば、必ずそこを突いてくる。たとえ張り詰めた生糸の上を渡るかのような瀬戸際でさえも、勝利のためならばと進むだろう。
その勝利の想いに不遜なレースをするわけにはいかないのだ。
3コーナーを抜け、緩やかなコーナー中間に入る。私は足に力を込め、思いきり芝を踏みつけた。
本番ならば、既にペースは上がっているだろう。勢いに任せて逃げ切ろうとするウマ娘や、早仕掛けで位置を上げようとするウマ娘も居るかもしれない。
体は飛ぶように加速する。すぐさま4コーナーが迫ってきた。
右足に体重を乗せれば、その勢いのまま直線に出る。
更なる加速を求めて、私は左足を前へと出した。
「ッ……!?」
私の視界がゆっくりと傾いていく。足下にあったはずの芝が目の前に迫り、次の瞬間には青空が見えた。
「ルドルフ!!」
怒号とも悲鳴とも取れる声でおハナさんが私の名前を呼んでいた。
私は仕掛けどころを間違えてしまったのだろうか。
もう一度走るだけの時間はあるだろうか。その前に、走った感想をおハナさんに伝えなければ。
思考は糸のように絡まり、うまくまとまらない。
確かなことは目の前に広がる青空と左脚に走る痛みだけだった。
後方からの追い込みで宝塚連覇したゴルシちゃんはマジモンのスタミナおばけ