最も不器用な三冠ウマ娘   作:Patch

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泡沫の夢

 目を開けると既に青空は無く、ただ無機質な白い光を放つ蛍光灯と私を取り囲むように貼られたカーテンが私を出迎えた。

 私はいつの間にか寝ていたようだ。しかしこの場所は私が知るものではない。

 私が身体を預けるベッドにはシミひとつない白いシーツがかけられていた。そして、清潔であることはわかるものの洗濯糊が効きすぎた肌触りの悪い布団。どこからか漂う消毒液の匂いと布団の下に収まった鈍く痛む脚が私に何が起きたのかを演繹的に知らせていた。

 

 

「起きたわね……。」

 

 

 私が横たわるベッドの傍らには、おハナさんが座っていた。

「あの、追い切りは……。」

 

 

「その脚では無理よ。」

 

 脈が速くなる。その脈に合わせるように、私の脚がまた鈍く痛む。

 夏の日差しが届かぬはずの部屋で汗がじわりと滲み出た。

 

 

 

 

「宝塚記念と、海外遠征は白紙に戻しましょう。」

 

 胸の奥が冷えていく。金縛りにあったかのように、指先さえ動かすことができない。

 

 

 

「私は……、走れます……。走らなくては……いけないんです……。」

 

 沈黙は長く続いた。ようやくのことで紡いだ私の言葉は、子供がこねる駄々のように幼稚で未熟なものだった。

 勝ちたい。そう願う無邪気な心は時に残酷である。だが私たちは、他人の涙を尻目に高らかに笑うことができるほど幼くはない。

 栄誉とは血と涙、そして夢の屍が累々と続く道の先にある。この道に足を踏み入れた以上、友の屍すらも足がかりにして踏み越えなければならない。

 

 私と私の友人、ミスターシービーは共に三冠ウマ娘となった。ふたりの三冠ウマ娘が誕生したことにより、トゥインクルシリーズはかつて存在したムーブメント*1ほどではないが、大いに盛り上がった。

 しかし、彼女はターフを去る。三冠ウマ娘同士の激闘を演じられぬまま、シンボリルドルフというウマ娘に敗れ続けたまま、ターフを去る。

 敗れたウマ娘は弱いウマ娘だろうか。最強と勝利だけに価値があるのだろうか。

 否である。

 あの日見た涙さえも越え、いつか抱いた夢が叶わなくとも、私たちは走る。 

 脚を止めるわけにはいかない。涙も怪我も敗北も、その全てが報われず、ただひっそりと幕を下ろす物語があろうとも、走らねばならない。

 

 少しだけ、わずかでいい。彼女たちに光あれと願うこの心は傲慢なのだろう。

 ただ、私が勝利を重ねることでこの世界に光がもたらされると言うので有れば、私は勝たねばならない。

 

 三冠は成し遂げた、だが本来であれば菊花賞ではなく、凱旋門賞に出場する予定だった。そして今一度、世界の栄冠に挑もうと言うときに私は転倒した。

 転倒したことは誰かが悪いわけではない。降り続いた雨と馬場の悪化により、芝が張り替えられたこと。運悪く、芝の定着が遅かったこと、そして私がその上で追い切りをしてしまったこと。全てが些細な出来事であった。

 ウマ娘の転倒は命に関わる場合さえある。その中で軽傷に留まったことは不幸中の幸いであったかもしれない。しかし私はその結果を認めるわけにはいかなかった。

 

 

「頭を冷やしなさい。」

 

 幼子に言い聞かせるような優しい口調で、おハナさんは言葉を発した。 

 

 

「目先の勝利だけが、あなたの夢かしら。」

 

 

「貴女を失えば、この学園が変わることはない。私や理事長の力を以ってしても、力は及ばない。」

 

 

「貴女がするべきことは何か、今一度考え直しなさい。」

 

 

 正しい言葉が並べられていた。しかし正しさとは誰もが理解しつつも成し得難いことばかりだ。

 私は情けなく泣いた。大声を上げて泣いた。おハナさんはその姿を静かに見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
ローカルシリーズから移籍してきたウマ娘がトゥインクルシリーズで連勝を重ね、クラシック第一戦である皐月賞を勝利したことで発生したブームのこと。クラシック二戦目である日本ダービーでは敗北するものの人気が衰えることはなかった。彼女の名前は連日メディアで報道され市井の人々にまで浸透し、マイナーな趣味であったトゥインクルシリーズ観戦は国民的エンターテイメントにまで発展した。

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