日は以前として高い。照りつける7月の日差しの中でシェイプが練習場を駆けてゆき、ドンとシーツは俺の隣でその様子を眺めていた。
俺の腕時計は3時前を指し示している。日本ではもうすぐ今日が終わる頃だ。
9時間先の未来であいつは何をしているだろうか。夜更かししていないだろうか、風邪をひいたりしていないだろうか。ふとそんなことを考えてしまうことがある。
それはトレーナーにあるまじき行いだ。トレーナーはその心血を捧げ、担当となったウマ娘の勝利に尽くさなくてはいけない。
心残りはある。だが俺が努めるべきはこのイギリスの地で担当ウマ娘を勝利に導くことだけだ。
幸いなことに、担当となったシェイプオブユーとビトウィーンシーツは重賞勝ちも経験した超一流ウマ娘だった。彼女たちの勝利で得られた知見は多い。
これから日本におけるウマ娘競争『トゥインクルシリーズ』は国際化の道を歩む。俺が得た知見をもとに馬場は改良され、トレーニングは更なる充実と先鋭化が行われるだろう。
世界で活躍する日本のウマ娘の姿が見られる日も近い。そして、日本にも世界中から強力なウマ娘が集まり、更なる賑わいがもたらされる。
それでよかったのだと自分に言い聞かせても、俺の中には言葉には表せないわだかまりが残る。
いや、それは事実とは異なる。言葉にはできるだろう。ただ俺は、その事実を言葉という形にすることを恐れていた。言葉にしてしまうことは、それを認めてしまうかのように思えて出来ずにいるだけだ。
認めてしまえば、多少心は安らぐのだろう。幸いにも、これは出世コースだ。出向さえ終われば、給料は増える。突き詰めれば、カネに困ることもなくなるだろう。耳障りのいい「世界を目指した改革」や「ウマ娘のため」という言葉を掛ければ、立派な為政者の出来上がりだ。
だが俺は簡単に開き直れるほど器用ではない。幼い頃から憧れてきたウマ娘たち。それを支えるトレーナーという職に誇りを持っていた。
「もういい、ここらで終わりにしておこう。シャワーを浴びてティーブレイクといこうじゃないか。」
3時を少し過ぎてドンが彼女に声をかけた。疲れているのか、間延びした返事が返ってくる。
すっかりと夏の日差しとなり、その中で走っていたのだ。疲れるのも当たり前だ。しかしながら次走まで時間があると言える状況にはない。
「ミスター、彼女にアイシングを用意してやってくれ。あと、この書類に目を通しておくように。」
手渡されたものはシェイプの次走である
当初出走を表明していたシンボリルドルフは怪我によって回避し、日本からはシリウスシンボリのみが出走登録されている。
ミスターシービーの名は無い。
分かっていた。彼女の引退の知らせはすでに受け取っていた。
紙に並ぶ機械の印字は冷徹だった。事実はただそこにで横たわり、当然のような顔をして居座っている。
手も足も出なかった。腹立たしかった。彼女の本当の想いに気づけなかった俺が、全てを台無しにしてしまったのだ。
書類を握る手に力が入り、左右の両端に皺が寄る。
ただそうして八つ当たりをすることだけが、俺ができる運命への抵抗だった。