最も不器用な三冠ウマ娘   作:Patch

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予兆

 アイシング用の氷嚢を4つ作り、シェイプに2つ手渡す。彼女はそれを自分の両腿に当て、俺は残ったふたつを彼女の首筋に当てた。

 シャワーを浴びたばかりの彼女の髪からはまだ水滴が垂れている。タオルを手に取り、それを拭き取ると不服そうな目でこちらを睨む。

 濡れた髪に触れると、どこか寂しさが想起される。

 

「余計なことすんな。」

 シェイプが小さく悪態をつく。

「風邪ひくだろ。」

 そう返すと彼女はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。そんな彼女の態度に反して、尻尾はゆらゆらと揺れていた。

 

「皆、集まったね。」

 ドンはティーカップに茶を注ぎながら俺たちに声をかける。茶が注ぎ終わると、スコーンをひとつづつ取り分け、皿に盛る。

 

「さて、大目標はシーツの復帰とシェイプの三冠達成だが、次走のKGⅥ(キングジョージ6世)&QES(クイーンエリザベスステークス)と次々走のB(ベンソン)&H(ヘッジズ)ゴールドカップはG1であることもそうだが、シニア級とクラシック路線の混合だ。依然として厳しいものになるだろう。ここでの結果がセントレジャーでの試金石になると言ってもいい。」

 

 ドンの言うことはもっともだった。

 英国三冠は年に1名しか生まれない。それはセントレジャーステークスがクラシック路線、ティアラ路線両方の最終戦に定められているためだ。シェイプにとっては経験したことのない14ハロン115ヤード(≒2900m)をこれまで対戦したことのない猛者達と走ることになる。

 セントレジャーはクラシック競争の中で最も歴史が古く、そしてもっとも過酷だと言われる。距離が長いことは、その昔に行われたヒート競争*1の影響もあるだろう。

 シェイプの適正は2400mを得意とするステイヤーである。勝ち目は十分にあると踏んでいたが、ドンの表情は険しい。

 

「余裕だろ、そんなもん。」

 シェイプは余裕綽々と言った表情で言葉を返す。たしかに、彼女の強さは世代の中でも頭ひとつぶん抜けている。オークスで鉄の女とも称されるアルターピースに5バ身もつけた華々しい勝利によって、それは皆の知るところになった。

 

「勝機はある。だが、余裕というほどでは無いだろう。よく食べ、良く眠ること。私からは以上だ。ミスター、君からは何かあるかね?。」

 

 ドンが口にしたものは講評とは言い難い薄い内容だった。俺はそれに違和感を覚えつつも、所感を言うことにした。

 

「いつもに比べて、なんとなくですが、良くも悪くも落ち着いているように思えました。機会があれば、一度時計を測らせていただけないでしょうか。普段との違いが明らかになるはずです。」

 

 

「……検討しておこう。以上で解散だ。」

 

 なんとも言い難い違和感を残したまま、ミーティングは終了する。シェイプとシーツは退室し、クラブハウスには俺とドンが残り、後片付けをすることになった。

 ティーカップを片づけていると、シェイプの紅茶がほとんど手をつけられていない状態で残されていることに気がついた。スコーンもそのまま残され、表面は乾燥している。

 

 

「ミスター……、悪いが、時計を測ることは許可できない。」

 

 後ろから、落ち着いた声が聞こえてくる。しかしながらその声は悲しみや悔しさをたたえているようにも思えた。

 

「いや、個人的に測ることは止めはしない。だが、それをシェイプには伝えないでくれ。」

 

 

「セントレジャーも、場合によっては回避を検討している。分かってくれるか。」

 

 

 英国では三冠に挑む者は少ない。中距離であれば中距離を突き詰め、長距離であれば長距離を突き詰めていくという技術の先鋭化がなされているためだ。

 三冠は達成こそすれば名誉のあるものという点に偽りはない。しかしアスリートとして道を極めるというのであれば、避けるべき道でもあった。

 シェイプは直線1マイルの1000ギニー、12ハロン6ヤードのオークスで勝ち星を上げた。しかし14ハロン115ヤードのセントレジャーは未知の領域だ。体に与えられる負担も比べものにならないだろう。

 

 そして、今の彼女の状態は机に置かれたティーカップが雄弁と語っていた。

 

 

 

 

「彼女の能力は既に尽きかけているんだ。」

 

 

 ドンはひとことそう言ってから、シェイプが残していったティーカップを手に取った。

 

 

 

 

 

 

*1
競争において、同一のウマ娘の組み合わせで複数回競争させる方式。1回の走行は1ヒートと呼ばれる。

 競争としてはアプリゲーム版ウマ娘プリティダービーの「Make a new track!! クライマックス開幕」シナリオにおける最終レース「トゥインクルスタークライマックス」や現実競馬のJRAが行うワールドオールスタージョッキーズに近い形態。しかし、ポイント制ではなく規定された回数の1着を先取した者が勝ちというシンプルかつ過酷なレース。着差が僅差であった場合はdead heat(無効レース)として扱われる。

 

 また、ヒート競争が行われていた時代では現代の長距離をはるかに凌駕する1ヒート4マイル(約6437m)から6マイル(約9656m)のレースが一般的だった。

 現実世界の競馬では衰退しており、一部地域を除いてほとんど行われていない。原因としては短期間に何度も走らせることは馬体に良くない影響を及ぼすこと、大番狂わせが発生し辛く、興行・ギャンブルとして旨味が少ない上に見ていて退屈なこと、レースに耐えうる競走馬を育成するのに長期間かかるため、費用対効果が薄いこと。(ヒート競争に出走する競走馬は成長期を終えた5歳以上が一般的。5歳未満の馬はコルト、5歳以上の馬がホースと呼ばれた。)などが挙げられる。

 その時代の中でセントレジャーステークスは誕生した。当時としては短距離かつ、一回のレースで勝敗が決まるダッシュ競争であった当レースは人気を博した。また、3歳限定という条件もあり、馬産の促進にも影響があったと考えられる。

 セントレジャーステークスの誕生によって、3000m未満であれば若駒の競走馬としての供用における悪影響が少ないこと、またダッシュ競争の興行としての優位性が周知され、のちにダービーステークスとオークスステークスが誕生することになる。

 

ちなみにトレセン学園の標語である“Eclipse first, the rest nowhere.”は4マイルのヒート競争によって生まれたもの。

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