誰もが私の名前を叫ぶ。何百人もの声がうなり上げてレース場を揺らす。
私はその声に応えるように前へ進んだ。
私は、私の名前を歴史に刻まなければならない。私を支えてくれた全ての存在へ敬意を込めて、このレースに勝たなくてはならない。
華々しい活躍もドンやミスター、そして名の知れぬ者たちの尽力がなければ成し得なかった。
わけも分からず仕込まれたキングスイングリッシュも、フランス料理の食べ方も、それは勝者としての振る舞いのためだった。殿下とその周りに従う皆に私が勝者足りうる器だと認められたという証左に他ならない。
ならば私は最大限の感謝として勝利を挙げよう。勝利のために努めよう。それがウマ娘として、
「くっ………。」
坂を越え、コーナーは目前にある。後続も仕掛けてくる頃だろう。地響きのように不気味に迫る音は私の恐怖を煽った。
後ろから聞こえる息遣いは肌に触れるほど近く、前から迫る風は未だ強い。観衆が私の名を呼ぶ度に足がすくむ。
私は大きく息を吐き出し、目を瞑る。
ほんの一瞬、1秒もいらない。
私は皆が思い描く最高の結末をなぞるだけでいい。
それだけでいいんだ。
大きく踏み込み、芝を蹴り上げた。
風は弱まり、砂利と芝が飛んでくる。
先頭はあと少し。ゴールまではまだ遠い。
皆の夢は私の勝利だ。
勝てばいいんだ。
勝ちさえすれば、誰もが笑ってくれる。
ドンに恩返しができる。
トレーナーもあんな顔をしなくて済む。
最終直線に入った。
ふと、レース前の光景が思い返される。
悲しみと苦しみ、それを併せ呑んだかのような表情で彼は私を見ていた。その目は冷たく、暗い冬のような目をしていた。
クラシックを共にしたパートナーを失ったんだ。それも当然のことだ。
そして私も、きっと同じ運命を辿る。
彼がウマ娘のことを想っているのは確かだ。
ただおまえはシービーのことを今でも想っているんだろう。
全部忘れさせてやる。シービーの無念も晴らしてやる。おまえは最高のトレーナーだと大声で叫んでやる。
あいつが立てなかったこの舞台で私は勝つ。私はあいつを超えてやる。
そうすれば、トレーナーは笑ってくれる。
私を見て、笑ってくれる。そのはずなんだ。
近い将来、きっとまた彼を悲しませてしまう。
ただ今だけは笑っていてほしい。
体に当たる砂利は消え、風がまた私に強く吹き付ける。
先頭だ。
大きな歓声が上がった。
開けた視界は私に勝利を実感させる。
息が上がる。だが、このままだ、このまま駆け抜ければいい。
「はぁっ……はぁっ………ッ!!」
上体が揺れ、フォームが崩れる。
それでもいい。あと少しなんだ。
あと少しで!!おまえは笑ってくれる!!
もう一度、歓声が上がった。
まだレースは終わっていない。
視界の端にはゆっくりと迫る黒い影がある。
永い時間だった。
観客たちの視線は、既に私には向いていない。
掴んだはずの希望が、指の間からすり抜けていく。
私を嘲笑うかのように、砂利がまた私の前に舞った。
どれだけの時間が経っただろうか。
私はただ、芝の上に立ち尽くしていた。
拍手と歓声が聞こえる。
勝者の名を場内アナウンスが高らかに謳う。
私の名を呼ぶ者は誰一人として居なかった。
もう早く終わらせたい