「今日はやけに良い子だな。」
私が靴を履き替える彼女に話しかけると、フンと鼻を鳴らして笑った。
本来であれば、まだ練習時間ではない。彼女がここに来た理由は何か別にある。私はそう思った。
「なあ……。」
小さく彼女の唇が動く。
「オレはさ、良い女だったよな。」
「言葉遣いと振る舞いを除けば、良い女だったと思うよ。私が半世紀遅く生まれていたら、口説いたんだがね。」
彼女が良いウマ娘であったことは明らかなことだ。勝利することなど、願っても叶わないウマ娘が多く居るなかで、彼女はGⅠを2勝もした。素晴らしい才能は確かにあったのだ。
「そうかよ。」
軽口を返しても彼女は靴紐をいじりながら小さくつぶやくだけだった。蝶々結びをしては、それをほどき、また結び直す。それの繰り返しだった。
「これまで、迷惑かけたな。」
「これからも、の間違いだろう?」
「分かってるくせに。」
ため息混じりに彼女がつぶやく。わずかな微笑みを湛えた青い顔はとても見ていられるものではなかった。
情けない私と違い、彼女はまっすぐ私を見つめた。悲しみの痕を残しながら、落ち着いたその目は、私の知らない女性の目であった。
いつのまにか、こんなにも大きくなったんだな。私が知る幼い頃の彼女はもういない。ひとりのウマ娘として、いや、ひとりの
掴みどころがなく、自分を押し殺しながら、口角を上げて微笑むそれは、私を慈しんでいた。
なんと残酷で、なんと美しいものなのだろうか。
「すまない、シェイプ。」
私が、彼女をここに導いた。彼女の夢のため、良かれと思ったことが、今彼女を苦しめている。「仕方ない」と割り切ることなどできない。
「いいさ。」
深い絶望にありながら、その目は優しく笑う。
「みんなには、申し訳ないことをしたな。」
「誰も、責めたりはしないさ。」
「ミスターは、何て言うかな。」
「彼も、覚悟はしていたはずさ。」
「そうだと良いんだがな。あいつ、結構女々しいからさ。」
「そうなのかい?」
「ああ、実はな──。」
靴紐をいじりながら、ぽつり、ぽつりと彼との思い出を語り始める。
あのクリスマス会の後、ふたりでデートしたこと。彼の過去のこと。ミスターシービーのこと。
手放し難い思い出なのだろう。ひとつひとつを愛おしむように語る彼女の目は少しづつ潤み始めていた。
「いい男だな、彼は。」
私がそう言うと、彼女が照れたように笑う。
「私じゃ、届かなかった。」
「ハナから、オレのものじゃなかったんだよ。」
蝶々結びの靴紐がほどけていく。他の誰でもない、彼女自身の手によって。
「負けだな。」
「負けだよ負け!完敗だ!アハハッ!!」
彼女は大きな声で笑った。悲しみを振り切るように思い切り。
「だが、次は負けねえ。」
ひとしきり笑い、靴紐を結び直して彼女はこう言った。
「オレを、セントレジャーに出せ。」