席についてしばらくすると、ブザーが鳴り、照明が落とされる。拍手とともにゆっくりと幕が上がり、槍を持った兵士と城壁が姿を現す。
『ハムレット』はウィリアム・シェイクスピアが残した戯曲であり、オセロー、リア王、マクベスとともに『4大悲劇』と称される歴史的傑作である。
物語は主人公であるデンマーク王子ハムレットが父である王の訃報を受け取り、留学先から帰国した後から始まる。
王位には叔父のクローディアスが即位しており、母のガートルードは叔父と再婚していた。父の死と母の変わり身の早さに憂い、悲嘆に暮れる中、父の亡霊が鎧を纏った姿で城壁に現れるという噂を耳にする。
ハムレットは自らその亡霊と話をし、父の死は現王クローディアスによる暗殺であると知る。そしてハムレットは狂気を装い、クローディアスへの復讐を誓う。
戯曲『ハムレット』は主人公ハムレットによる復讐劇であり、その復讐によって引き起こされる悲劇である。
恋人のオフィーリアはハムレットの変わり様から心を病み、発狂して死ぬ。学友であったローゼンクランツとギルテンスターンを謀殺し、母のガートルードは叔父の謀略の中で誤って毒杯を仰いで死ぬ。
そして、怒りに燃えるオフィーリアの兄、レアティーズとの剣術試合の最中クローディアスへの復讐を果たす。
しかしレアティーズの剣には毒が塗られており、全てを成し遂げたハムレットでさえも命を落とすことになる。
ハムレットの始めた復讐は、無辜のものたちも巻き添えにして終わる。しかしそれは確かに彼が望んだものの結末であった。
だからシェイプは、俺にこの物語を見せた。
シェイプはクラシック・フィリーズの終着点、セントレジャーステークスへの出走が決まった。だが、いまの彼女の状況であれば、回避するべきである。
俺はドンへ抗議した。だがそれは聞き入れられなかった。
セントレジャーへの出走は、彼女の『遺志』であったからだ。
『どうなろうと構わない。私は私が望んだように進む。』そういった意思表示なのだ。
たとえそれが悲劇であろうとも、彼女は進むだろう。
このままでいいのか、悪いのか。
彼女はそれだけのために生まれて来たのか。三冠という夢だけのために生まれて来たのか。
それは違う。華々しい物語が終われども、彼女の人生は続く。
だが、彼女はそれを願っている。全てを捨ててでも果たさんとする強い『遺志』で。
これを無下にしてもよいものなのだろうか。
演目は鳴り止まぬ拍手に包まれながら幕を下ろす。辺りの照明が再び灯され、人々は帰り支度を始める。
物語が終われば、ここに用はない。誰もいない空虚な劇場だけが残される。
だが、人生は物語ではない。彼女の選択は同じ虚しさを残すものにはならないだろうか。
目の前には、もう誰も登ることのない舞台だけが佇む。視線を向けられることはない。
俺は、ただひとりだけその舞台から目を離せないでいた。