最も不器用な三冠ウマ娘   作:Patch

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I'm Still Standing

 物語の終わりは、ハッピーエンドがいい。

 

 そんなことを思い浮かべながら、私は彼と学園の門の前で佇んでいた。彼は小ぶりなキャリーバッグを傍らに携えながら、校舎をぼーっと眺めていた。

 あの夜の後、彼とはまともに顔を合わせることができなかった。

 

 私は今から、ドンカスターへと向かう。

 これが、最後の会話になる。ここにジジイがいないのは、キザな野郎なりの気遣いってヤツだろう。

 

 

 ふとした時に、目が合った。彼は寂しげな微笑みを浮かべ、穏やかな声で話しかけてきた。

 

 

「これっきりだな。」

 

「ああ。」

 

「本当に、良かったのか。」

 

 私は、この決断に悔いはない。

 本来、これで終わりというのは決まっていたことだ。

 

 

 

「笑えよ、お前らしくもない。」

 

 

 ターフの上は幾千もの夢が駆け、そしてそれ以上の涙が流れてきた。その涙があったからこそ、そんな願いも叶わぬほどこの世界は冷酷に華々しく育った。

 

 ブリテンのレースでは、長くやっていけるトレーナーなんてほとんどいない。トレーナーとウマ娘の離別なんて、珍しいことじゃない。

 それこそくだらない、チンケな三文芝居のごとくありふれている。

 そもそもこれは、遊びなんだ。カビが生えるほど昔の金持ちたちが己の銭にものを言わせて始めたヒマつぶしなんだ。

 

 でも、そんなヒマつぶしでメシを食って、生きてるヤツだっている。ウマ娘たちは走ることを望んで、そして走ることに囚われる。

 青々と茂るターフは貴族たちの庭だった。その偽りの自然の中に繋がれた私たちは、引退をもってしてようやく自由になる。

 夢の終わりと言うと、少しだけ悲しいものにも思えるだろう。でも私は、なんとも言えない安寧を感じていた。

 いい夢だった。

 深いため息をつく、彼が少しだけぎこちない笑みを浮かべた。その笑みは冷たい冬の中で照らす光のように、穏やかな温かみがある。

 この笑顔の裏にはきっと、さまざまな想いが隠されている。でも、それを問いただしたりはしない。面の皮はそこまで厚くはない。

 

 

「これにておしまい!大団円!面白可笑しく走って、走って、最高に楽しかった!なんと言っても、お前っていうサイコーなヤツに出会えたからな!!」

 

 できる限りの、精一杯の笑顔を、小さな子供が作るような眩しいほどの笑顔を浮かべながら、肘で彼の脇腹を小突く。お前に出会えただけでも、私は笑えるんだ。

 

「そうだな、俺も、楽しかった。最高だった。」

 

「へへっ」

 正面を切って言われると、どうにも照れ臭い。私が顔を背けようとすると、彼がまたゆっくりと続けた。

 

 

「本当に、走るつもりなのか。」

 

 少しの間が空いた。返事を絞り出す、ただそれだけのことが私には苦痛だった。

 

 

「ああ。」

 

 

 

 

「今なら、まだ間に合う。」

「だろうな、遅刻なんざしたら目も当てられねえよ。」

 

 

 

 

「違う、そうじゃない。」

「冗談すら分からなくなったのか?」

 

 

「俺は、お前を、シェイプを想って言っているんだ。お前のためだったら、俺は何だってしてやる。」

 

 

 

 まなざしが、それを真だと語っていた。うっすらと潤んだ目が私を見つめる。

 

 

 

「そうかよ。じゃあ、オレにキスでもしてくれよ。」

 

 

「勝つための、魔法をかけてくれよ。」

 

 

 私がそう言うと、彼は諦めたかのように微笑んだ。

 これでいいんだ。これできっと、彼は私のもとから離れられる。

 

 彼の行く末が、どうか、幸せなものであってほしい。その暖かい微笑みが絶えることなく続けばいい。

 それが、私の望んだハッピーエンドだ。

 

 

「変えられないんだな。」

 そう言った彼の顔には、いつも通りの笑みが戻っていた。 

 

「悪いな、ワガママ言って。」

 

 

「良いさ。」

 

 彼はそう言って、私の手を取った。そして、私の指先に優しく触れるだけのキスをした。

 

 

 

「そうだな……、お前はそういうやつだよ。」

 

 彼の手を握ったまま、時間はゆったりと流れていく。このひとときは愛おしくもあり、過ぎ去ってほしい時間でもあった。

 いつか、この時間も美しい思い出になるだろうか。少なくとも、彼の中では、そうであってほしい。

 

 しばらくして、目の前にタクシーが停まった。この手を離さなくてはいけない時が来たのだ。

 

「なあ……。」

 

 口を開くのは気が引けた。だが最後に聞かなくてはならないことがあった。

 

「オレさ、勝ちたいんだ。バカみたいだけどさ、こんな、状態だけどさ……、どうしても、勝ちたいんだ。」

 

 

 勝たなければ、彼は自分を責めてしまうだろう。何をしてでも止めていれば、こうはならなかったと、思いつめてしまうだろう。

 そうなればきっと、物語は破綻する。私の願った結末は夢のまま消え失せる。

 

 私は、私の運命を変えた彼の言葉を信じたかった。その言葉さえあればきっとこの運命さえ変えられる。

 

 呼吸は浅くなり、膝が小刻みに震え出す。気が付けば繋いでいた手は汗でじっとりと濡れ、冷たくなっていた。

 

 

「なあ……、オレはどうすればいい。」

 

 

 私は言葉を待つ間、ただ手を握ることしか出来なかった。

 

 

「簡単なことだ。」

 泣きじゃくる幼子に語りかけるように、彼は穏やかに続けた。

 

 

「自由に走れ。誰のためでもない、お前のためだけに、好きに走れ。」

 

 

 

 

「まだ負けちゃいない。お前は今、確かに立っている。そうだろう?」

 

 

 

 

 なんとも言えない空気が流れる。二言目のフレーズは、聞き覚えがあった。

 

「……エルトン・ジョンかよ。」

 

 

「余計だったか。」

 苦笑いを浮かべながら、彼は頭を掻いていた。

 

 

 

「くだらねえよ、マジで。でも──」

 

 彼は初めから変わっていなかった。ずっとそうして、薄寒い洒落を吐いては照れ臭そうに笑う。

 思いつきなのか、私を元気づけようとしたのかは分からない。でも、私は後者だろうと思う。

 

「──良い曲だよな。」

 

「そうだな。」

 

 

 いろいろあったし、勝てやしないと絶望したこともある。でも、まだ負けちゃいないし、私はまだ立っている。

 

 

 そして今から私は、彼のいない人生を歩むんだ。

 

 

 

「楽しんでこい。」

「ああ。」

 

 こうして私は、繋いだ手を解いた。

 

 

 

 

 

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