運命。そんなものがあるのならば、それは彼女の言うところの『くそったれ』だ。
シェイプを送り出した後、俺は電車に揺られていた。帰国のために空港へと向かうのだ。
シェイプの意志は固くレースの出走は変えられなかった。
勝ち目はない。彼女の実情を知れば誰もがそう思うだろう。
華々しい活躍も、それは過去のものだ。だが、観衆はそれを理解しない。彼女は今日も、断然の一番人気だった。
回避することだってできた。勝つことは難しいことかもしれないが、現役を続けることだってできたはずだ。
それでも彼女は、シェイプオブユーは立ち向かって行った。誰かの夢も、期待も、その細い足で全てを背負った。
レースとは厳しい世界だ。どれだけ強く望もうとも、勝利が得られぬことの方が多い。ひとつのミスで全てを、命さえも失うことがある。
だがそれは、トレーナーとして、ヒトとして知り得ることに過ぎない。ウマ娘である彼女たちが、何を思い駆けているのか。ヒトの身に生まれた俺には、その片鱗にすら触れることは叶わない。
彼女には走る理由があった。勝たねばならない理由があった。分かるのはそれだけだ。言葉にすれば、それは「感謝」や「恩返し」という、ありきたりで陳腐なものに成り下がる。
言葉にできないもの、それが本質である。
理解など、できるはずもない。論理や理屈では縛れない。友人や恋人でさえ入れない。こころとはそういうものだ。
そして全てを投げ打ってでも走れと叫ぶ何かが、彼女にはあった。
これが運命だと言うのなら、これが決められていたことだったと言うのならば、紛うことなき『くそったれ』だ。
俺はもう、彼女の支えにはなれない。シービーのときも、『銀髪姫』のときだってそうだった。
ただ安全な観覧席でその様子を眺めることしかできない。柵の向こうでは、命を賭して彼女たちが走っているというのにだ。
くそったれ。その言葉の通り、くそったれだ。
今ではハナが言った「トレーナー失格」だという言葉もよく理解できる。
俺はあの菊花賞で、シービーの勝利を信じることが出来なかった。
シービーは菊花賞前、何かの拍子に俺がBHGAへ出向命令が下っていることを知った。だから彼女は再び俺のもとに現れた。
それはきっと彼女なりの思いやりだったのだろう。そんなことすら気づかずに俺はあんなことをした。勝てない、やめろと喚き散らした。「好きなように、望むように走れ」と言っておきながらだ。
ぼろぼろになって、苦痛を味わってまで走る理由。俺にはわからない。わかるはずもない。だが、走りたいという何物にも変えられない想いだけは確かに存在する。
走る悲しみも、ターフを去る安堵も、俺の触れられない世界の向こうにあるのだろう。
それでもいい。それでもいいんだ。届かなくとも、見えなくとも、俺は俺のできる全てを尽くすだけだ。
俺はまた、同じ過ちを繰り返すところだった。だが、もう繰り返さない。
レースの発送時刻までは、まだ時間がある。俺は手を組み、強く、強く握り込んだ。
祈ること。ウマ娘に幸あれと。それが今の俺にできる全てだった。
トレーナーはボンジョビおじさんだった……?