「カーディナルを。彼にも。」
そう言いながら、隣に腰をかける。バーテンダーはグラスにワインを注ぎ始めた。
「それだけじゃないでしょう。」
「……お見通しってわけか。」
彼は悲しそうに微笑むとゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「俺は、この仕事に向いてないかもしれない。」
「まさか貴方の口から、そんな言葉が出るとは思わなかったわ。」
世の中には、天才というものがいる。人が血の滲むような研鑽を積んでようやく超えられるものを、いとも軽々と飛び越えていく。そして、それを通過点だと言わんばかりに、さらに高く、高く舞い上がる。
三冠ウマ娘、ルドルフやシービーもそう言った者だろう。そして私は、彼もまたそのひとりだと思っていた。
「シービーは、貴方の前で再び勝つことを夢見ていたわ。貴方がトレーナーだったことが、走る原動力になっていた。そうよね。」
ミスターシービーを御することができたのは、彼しかいない。それも、彼の才能のひとつだ。レースという過酷な世界で、信頼し合える唯一の存在になることは、容易いことではない。それが、勝利を熱望する理由となるのであればなおさらだ。
彼がいたから、シービーは走る理由ができた。レースに真摯に向き合い、三冠という偉業を成し遂げた。彼がいなければ、シービーはきっと今のような存在ではなかっただろう。
「お待たせしました。」
カーディナルが私達の前へ差し出される。彼はそれを手に取り、ひと口だけ飲むと、そうか、と呟いた。
「あいつは、自由を求めていた。何者にも縛られない、ただ楽しいレースをしたかったんだ。」
「今はもう、違うんだな。」
私はただ、その言葉を聞いていることしか出来なかった。
互いを想うその心がふたりを変えてしまったのだろう。それが望ましいものなのかは彼らにしかわからない。
彼はただ、グラスに注がれたカクテルを眺めていた。その目に私が映ることはない。それがひどく寂しいものに思えた。
ただ無言で、酒を飲む。美しい色取りも、温かな光も、この孤独を引き立てるだけで、慰めにもならない。
「ねえ、一本貰える?」
グラスが空になったころ、私は吸えもしないタバコを彼にねだってみた。
「タバコ、吸うのか?」
「そういうときもあるのよ。」
「悪いな。タバコはもう、やめたんだ。」
「変わったのね、貴方も。」
「もう、逃げない。」
小さく、それでいて力強く彼がつぶやいた。その表情には悲しみなどどこにもない。
「これ、貴方に渡しておくわ。シービー宛よ」
鞄から封筒を取り出し彼に渡す。URAのロゴが箔押しされたものであり、それが照明の光を反射してさまざまな色に光っていた。
彼は何も言わずただそれを受け取り、荷物を纏め始めた。
「最後の一杯、どう?奢るわ。」
また、彼は私の手の届かないところへと行ってしまうのだろう。そんな予感がした。それでも私は、彼と私を繋ぐ術をこれしか知らなかった。
このわずかな時間を、ひとときだけでも伸ばすことができたならば、どれだけよかっただろうか。
「マスター、ジンライムを2つ。」
「シェイクにしてくれ。」
私の言葉を遮るように彼が言う。バーテンダーはその言葉に従い、シェイカーを振る。
淡い緑、それでいて白く濁ったカクテルグラスがふたつカウンターに置かれた。彼はそれをひとつ手に取り飲み干すと席を立った。
後に残されたのは私と、もうひとつのグラスだけ。
「ねえ、これ下げてちょうだい。」
私は、この酒を飲む気にはなれなかった。
「代わりに、もうひとつジンライムを。」
「……かしこまりました。」
ジンとコーディアルのライムジュースがグラスの中に注がれる。先ほどとは違う、褪せることのない透き通った色合いがそこにはあった。
口に運ぶと辛味とともに、いつか感じたような甘酸っぱさが遠くにある。
「変わっていないのは、私だけね。」
まだ2杯目。それなのに喉には焼けるように苦しく、胸が詰まった。
ハーツクライ産駒が今年のセントレジャー勝ったのに全然盛り上がってないやんけ!!!!!