「今だけは、会いたくなかったかな。」
そう呟いて、彼女は笑った。傷ついた心をひた隠しにするように、健気に笑った。
「久しぶり、だな。」
言葉に詰まりながら、彼女に呼びかける。だが、その返答はなく、ただ徒らに時間だけが過ぎて行った。
「髪、伸びたね。」
どれほど時間が経っただろうか。彼女は窓の外を眺めながらそんなことを呟いた。
「そうかも、しれないな。」
俺の髪は伸び放題で、ボサボサだった。そして雨に濡れ、水が滴り落ちていた。
「走って来たの?」
「ああ。」
「そう……。」
ため息に混じるようなか細い声がして、彼女がこちらを向いた。その顔は、いつか見た水たまりに写る顔のようで、俺はただその顔を見つめることしか出来なかった。
「アタシね……、走れなくなっちゃった。」
「走るのが、苦しかったんだ。それで、辛かった。」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。その唇はかすかに震えていた。
「でも、もう走らなくていいんだね。」
彼女はそう言って体をベッドに横たえた。そして、ただぼうっと天井を眺めていた。
その理由は彼女の潤んだ目が語っていた。決して涙を見せぬよう、彼女は上を向いたのだ。
俺に会いたくなかったと言ったのも本心だろう。夢破れ、約束も果たせなかった。そんな惨めさに耐えながら、彼女は気丈にも笑って見せた。
俺と出会わなければ、どれほど良かっただろうか。あの日、雨が降っていなければ、運命もまた違っていただろう。
「雨、止まないな。」
返事は無かった。
今日もまた、あの日と同じように雨が降る。だがその水の礫はこの薄暗い病室に届くことはない。
「こんな日は、あるウマ娘思い出すんだ。」
「雨の日も、風の日も、泥だらけになっても、楽しそうに走っていた。眩しいくらいの笑顔で、自由に駆けていた。」
「綺麗だった。言葉では言い表せないほどに、美しかった。」
「でも俺はわからなかった。笑顔のわけも、走る喜びも、ヒトの俺にはわからないんだ。」
「小さい頃、俺はウマ娘になりたかった。そんなバカみたいな夢を思い出すほどに、憧れてしまった。笑顔のわけも、走る喜びも、その断片にすら、ヒトには触れることさえできないのにな。」
「だから俺は、守りたいと思った。笑顔も、喜びも、その全てを守りたいと思った。」
「自由に走るお前を、守りたかった。」
「だから、俺のことは忘れてくれ。お前はお前の道をゆけばいい。」
「自由に、駆け抜けてくれ。」
静かな部屋に、雨音が響く。その音は何もかもをかき消してくれる。鼻をすする音も、しゃくりあげるような呼吸も聞こえはしない。
だから悲しみなど、どこにもない。涙は雨粒に溶け込み消える。俺は心にそう言い聞かせるようにして、封筒を置き、彼女に背を向ける。
「またどこかで逢ったら、一緒にショートケーキでも食べよう。」
もう会うことはないだろう。だが俺はそんなことを言い残して病室を後にした。
本気で忘れるくらいなら
泣けるほど愛したりしない
以下作者の日記
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楽しみだなぁ〜
連載にはほとんど関係のない別件でブチブチにキレ散らかしているので、心の平穏のためにも当てたい
キレ散らかしている理由は活動報告に書いておきます