ルドルフの体調が芳しくないことは明らかだった。顔は青白く、あの日の月のように仄暗い色をしている。
できることはしてきたつもりだった。厳しい中でも彼女が“覇道”を望むのであれば、私はそのために尽くす。今の彼女に必要なものは勝利だけだ。得難いものにはなるだろう。だがそれが、ルドルフが望んだものであり、その勝利をもってルドルフはまた一歩夢へと進む。彼女の歩んだ覇道がウマ娘の幸福を成し遂げるのであれば、私はそれを止めることなどできない。
全てのウマ娘の幸福、一笑に付されうるほど壮大で、そして彼女らしくない夢。かつて私に同じ夢を無邪気に語った男がいた。だが彼はもうこの世界にはいない。
夢破れてこの世界を去るものは少なくない。現実を直視し、自分がその器ではないと思い知っただけのことだ。それでも私は、彼ならば、と思っていた。
夢破れた心の痛みは、私もよく知っている。知る必要のない、ただ徒らにこの身を弄ぶだけの痛みだ。夢など抱かねばよかったと嘆いても、それでも心は得られなかった何かを求めて軋み、またその傷口を広げてしまう。
だが私は、その破れた夢があって、今の、トレーナーとしての私がいる。そして、かつて抱いた幼い夢の体現者こそ、私の教え子、シンボリルドルフだ。彼女がもたらす華々しい勝利は、私が何よりも欲しかったものであった。
だから私は、誰であろうと彼女の夢の邪魔はさせない。勝利こそが絶対であり、それが歴史に刻まれ、そしてこの世を変えうるものだと信じている。だから私はただ彼女をそこに導くだけだ。
それだけでいい、はずなのだ。
私の中に、僅かではあるが、迷いがある。振り払わなくてはならない。小さな火種が、やがて生命を奪わんとする炎となるように、その迷いはきっとトレーナーとしての私を脅かすだろう。
なぜ彼はこの世界を去ったのか。彼は三冠という世紀の偉業を成し遂げた、まさに天才と言うべき存在だった。私はただそれを、ただ必死に追っていた。
シービーはたしかに素晴らしいウマ娘だった。だがその才能を拓いたのは紛れもなく彼であった。
ふたりは一蓮托生であったはずだ。硬い絆で結ばれ、それが2人を高みへと押し上げた。立場も、価値観も、そして姿形は似てさえいるが、生物としては全く異なる存在が、そこまで心を通わせられることが、今まであっただろうか。
私がいかに俗物であるかをまざまざと見せつけ、消えていく。これ以上の屈辱はない。足掻いて、苦しみ、本心をぶつけたとて、私たちはただ傷つけあうだけだった。
私はこのレースに勝利を願う他ない。あの柵の向こうに心を置くことは叶わないのだから。
控室の外から、ざわめきが響く。パドック周遊の時刻が迫ってきていた。
「勝ちなさい。」
そう伝えても返事はなく、ルドルフは静かに控室を後にした。