「自由に走ってこい、あと、飴はもう口から出せ。」
パドックでもシービーは棒付きキャンディーをなめていた。後方宙返りをしたかと思うと、片手で逆立ちをしてストップモーションを決めた。
観客はそれに大いに沸いた。選抜レースの結果もあり、シービーは1番人気だ。
彼女の身軽さには常々驚かされる。だが、それこそが彼女の武器だ。
「はい、舐める?」
口から出したキャンディーが目の前に差し出された。
「舐めるわけないだろ。」
「じゃあ、これ。」
新品のキャンディーがポケットから出てくる。
「ここは禁煙だからさ、口寂しいと思って。」
「じゃあ、行ってくるね。」
キャンディーを受け取ると彼女は走って行った。地下バ道は薄暗い。光の方向へと駆ける足音は、自由への羽ばたきだ。
レースが始まれば、そこは彼女たちだけの世界。俺たちは見えない高い塀に阻まれる。自由に、雄大に走るその姿を指を咥えて見ているしかない。誰もがその走る姿に憧れる。彼女たちの勝利を夢に見る。だがその想いは届かないことのほうが多い。
この道を進めば、コースに出る。よく晴れているようで、光が差し込んでいる。
11月は太陽の南中高度が低くなる。眩しすぎるその光に背をむけて、観客席へと歩いた。
ファンファーレが鳴り始める。周りが準備運動をしている中、ミスターシービーはコースを眺めていた。やる気が入りすぎている訳でも緊張しているわけでもないだろう。その証左として、ゴールの先をしっかりと捉えている。
10番ゲートに入り、姿が見えなくなる。だがそれも一瞬のことだ。
「いいぞ、悪くない。」
出遅れもない、最終追い切りのときとまではいかないが、まずまずのスタート。外枠にも関わらず。するりと好位につけた。
先頭はミナミカサブランカ、2番手にポピンズロウ、ミスターシービーは3番手だ。
まだ序盤。勝負は4コーナーを抜けてからだ。1600という距離はシービーにも合っているはずだ。
府中1600mは向こう正面から発走し、3コーナーと4コーナーを超えてスタンド前直線に入る。ここまで足を溜めることができれば、シービーの脚なら余裕で交わすことができるだろう。
もう少しで3コーナーというところで、ポピンズロウの様子がおかしくなる。頭が上下に振れ、後ろを振り向いた。
後ろには誰も居ない。だが、
彼女はミスターシービーを探していた。近づいて来る足音に動揺し、後ろを振り向いてしまったのだろう。
その一瞬は勝負の上では長すぎた。飛翔を許すだけの時間をシービーに与えてしまった。
ポピンズロウとミスターシービーの間はどんどんと開いていく。
先頭に居るミナミカサブランカの脚質は逃げ。4コーナーまでに後続から距離を離せなければバ群に沈む。横に並ばせるなんて論外だ。
勝負は4コーナーを超えた直線。そこで粘れば勝てる。そんな常識は彼女の前では通用しないということを痛いほど知ったことだろう。
「飴、まだある?」
レース後の血液検査を終えたシービーが話しかけてきた。
「楽しかったか?」
「そこそこかな。」
溶けて角の取れた飴を差し出すと、嬉しそうに口に咥えた。
「今日は祝いだ!何か食べたいものは?」
「ショートケーキ、苺の乗ったやつ。」
結果は5バ身差の圧勝だった。