「ショートケーキとメイソンのロイヤルを彼女達に。僕はオペラと適当なコーヒーで。」
目配せをすると、フロアのボーイが音も立てずにやってきた。ウマ娘の耳はヒトのものよりも良いと言われるが、それでも気配を感じとることが出来なかった。流石は高級ホテルと言ったところだろう。オーダーを聞き終えると一礼をして霞のように消え去っていく。
食べ放題と言っても、ビュッフェ形式ではない。席を立てば嫌でも音はする。椅子を引きずる音はこんな場所には不釣り合いということだろう。
遠くからピアノの音がしている。周りを見ると誰もが楽しそうに談笑していた。音はある、それでも静かだ。無音よりも静寂な空間がこの大きなホールに広がっていて、私たちはその中に居る。
「それで、大事な話っていうのは? プロポーズなら、ディナーが良かったな。」
ホールの壁一面は大きなガラス張りになっている。そこからは温かみのある黄色い日光が差し込み幻想的だ。さながら、メジロ家の令嬢になったようで私には似合わない。だが何故だか心地よくくつろげてしまうことと、こうやってつまらない冗談を言えるほどの余裕があることを実現させるのは、高級ホテルのプロデューサーが成せる妙義と言える。
まあ、それの一番大きな要員はトレーナーが私の目の前にいるからというのもあるだろう。
「そんな訳ないだろ。」
ぶっきらぼうにトレーナーが答える。それもそうだ、顔立ちは一応整ったほうではあるし、話せば面白い。こんなところにまで連れてきてくれる。学園から期待されていたトレーナーだから、収入もあるはずだ。他の女が放っておくはずがない。
そういえば、おハナさんとの仲はどうなんだろう。行きつけのバーでよく一緒に呑んでいると風のうわさで聞いたことがある。
「ケーキまだかなぁ?」
トレーナーが少しだけ笑う。隣に居るスインギーウォークはスイーツを沢山食べられるということで頭がいっぱいのようだ。
このような格式が高い場所でも、スインギーはいつも通りだ。わらってしまう気持ちも分かる。
本来ここに居るのは彼の言う『大事な話をするため』である。おそらくレースにまつわる路線の話をするのだろう。
「レースの話でしょ? 次は弥生? NHK杯? それとも安田記念でも目指すの?」
「安田はまだ出られないだろう。次走は弥生賞だ。」
「ということは──」
「三冠だ。シービー、お前にはクラシック三冠を目指してもらう。」
クラシック三冠。それは全てのウマ娘が目指す頂点のレース。一生に一度、機会を逃せば最後、出ることは叶わない。
「シーちゃんダビーに出るの!?いいなぁー!」
「ダービーな、スインギーはまだ適正がはっきりしていない。ダートと芝の両方を走って、ゆくゆくは八大競争を目指す。」
八大競争はクラシック三冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)に加え、桜花賞・オークスのティアラ路線の2レース、そしてシニアクラスの天皇賞・春と天皇賞・秋、年末の総決算である有馬記念が含まれる。
出走することすら叶わないウマ娘も多く居る。出走枠は常に奪い合いであり、戦績が伴って居なければいけないのだ。
戦績はあれども、距離適正という壁も存在する。八大競争は中長距離のレースが主体である。勝てないレースに出て怪我でもしようものなら目も当てられない。
「でも超長距離レースはキツいんじゃない?」
「大丈夫だ。そのために俺が居る。」
「失礼致します。」
トレーナーがニヤリと笑う。自信に溢れた表情は子供のように無邪気だ。
「ごゆっくりどうぞ。」
ケーキと紅茶。トレーナーにはコーヒー。それぞれを机の上に置いてボーイが立ち去った。
だが、私の目の前にあるのは、想像したものとは似ても似つかないクッキーのような生地に苺と生クリームが挟まったものだった。
「やけに本格的だな。これはフレジエを頼むべきだったかな。」
ナイフを入れると、クリームがはみ出してくる。うまく切れずに力を入れるとクッキーが崩れ、苺が勢いよく皿の上に飛び出した。
隣のスインギーはというと、器用に切り分けておいしそうに口に運んでいる。
「ほら、貸してみろ。」
トレーナーはショートケーキと呼ばれたショートケーキではない何かの真ん中にナイフを突き立てた。そしてクッキーの割れ目に沿うように優しくゆっくりと苺を切っていく。
「どうだ、美味いか?」
「おおむね。」
ひとくち口に運ぶ。クッキーはしっとりとしていて舌触りが良い。甘さが控えめであり、クリームの香りも食感も邪魔しない。酸味のある苺はこの甘い菓子をどこか大人びたものへと昇華させている。
シンプルながらも全てがハイレベルに纏まった味がする。確かに美味しい。でもこれは私の食べたかったショートケーキではない。
「すみません、フレジエをひとつ。」
食べ終わった後に、私はもうひとつケーキを注文することにした。