どこか遠くで雷が鳴る。雨脚は強くなり、窓に打ち付ける音に勢いが増す。
この部屋はどこか薄暗い。憂鬱な気分にはぴったりなそれは、俺をもっと暗いどこかに誘い出そうとしているようだ。
トレーナーになる前、トレセン学園はもっと輝いて見えた。ウマ娘たちが共に切磋琢磨する姿、ウィニングライブで喜びを爆発させる姿、悔し涙を呑みながらも、次こそはと駆ける姿。そのどれもが人間の俺には手に入らないものであり、憧れでもあった。
部屋は依然として薄暗い。憂鬱な気分を紛らわせるために、もう一度煙草に火をつけた。
口先に灯る火は、この部屋を照らすには心許ない。でもそれは無いよりかは幾分かマシだ。
大きく吸い込むと火は大きくなる。熱を帯びた温かな赤と形容し難い苦味と甘い香りがゆるやかに広がっていく。ゆっくりと吐き出せば、暗闇の中に白い煙が漂って消える。
煙草の灰が落ちて、冊子の上に乗る。慌てて振り払ったが、ただ汚れを押し広げてしまっただけだった。
彼女には悪い事をしてしまったな。
償いなどではないが、せめて彼女の優しさには報おうとその冊子を広げてみることにした。
黄ばんだ肌触りの悪い粗悪な藁半紙には滲んで潰れた活字と、殴り書きのようにも見える小さな文字が並んでいた。
素人目に見てもそれはかなりの達筆であった。皮肉などではない。少しのズレもなく印刷された文字に並行に並ぶそれは彼女の性格をそのまま表しているようで、少しだけ心が和む。
不器用ながらも真っ直ぐに、自分なりの誠実さをもって、誰にでも優しくに接する姿はまさにトレーナーの鑑と言えるだろう。俺は今、その彼女の優しさに触れているのだ。
出走表にはウマ娘の出走名が並ぶ。ウマ娘の出走番号の上に◎(二重丸)、○(丸)、△(三角)と彼女なりの評価がつけられていた。出走名の横には得意とする脚質、芝、ダートへの適正、ウマ娘がもつ癖や弱点などが事細かに書かれている。これだけひとつの本が書けそうだ。敵に塩を送るというのはきっとこういうことを言うのだろう。だがこれを塩と言うのは少し役不足かもしれない。
ページをめくっていくと、ひときわ書き込みの多いウマ娘の枠があった。
印は◎(二重丸)。脚質は自在。逃げも、追い込みも可能らしい。距離適正はマイル・中距離・長距離と隙が無い。トレーニング次第ではスプリンターにも、ステイヤーにもなれると言う。スピード、脚力、スタミナ、すべてにおいて優れているが、何よりも精神力が一番の武器らしい。苦しさに耐え、ただでさえ優れている身体能力をさらに引き上げると言う。
彼女がそこまで評価したこの『シンボリルドルフ』というウマ娘の名は覚えておかねばならないだろう。
またページをめくる。
すると、先ほどとはうって変わって、ほとんど評価が書き込まれていないウマ娘の欄があった。
印は☆(星印)。「未知数、おそらくスプリンター」とだけ書かれたその隣には滲んだインクで『ミスターシービー』と書かれていた。