複線ドリフトはしません。
コースのモデルは富士スピードウェイです。
エンジンに火が入れられる。2ストロークエンジン特有のガソリンとオイルが共に燃える臭いがあたりに充満していく。
練習のために俺は何度もカートに乗った。ウマ娘と一緒に走るなんてことは俺たちには不可能だ。彼女達が見ている景色に映り込むためにはこうでもしないといけない。
俺がウマ娘であれば、こんなことはしないで済む。
ウマ娘になれたのならば。
子供の頃は彼女たちのようになりたいとずっと思っていた。脚が速いということもそうだが、ゴールを目指して走るキラキラとした姿に憧れていた。
俺はウマ娘という存在に囚われている。近づけはしない背中のそのずっと後ろを追いかけている。俺はウマ娘にはなれない。だから、俺の担当するウマ娘にはなりたい姿になってほしい。シービーには、自由に走って欲しい。
カートに乗ることは彼女にとっては不本意なことだろう。だが、『自由に走る』ためには必要なことだと考えている。
追い込みはただでさえ難しい戦法だ。前が壁になれば抜け出せない。外に振られればコーナーで不利を受ける。
『自由に走る』ことと『気ままに走る』ことは似ているようで大きく異なる。自由には責任が伴う。『このレースに出る』と言った以上、結果がどうであれ、勝利を狙うことは義務なのだ。
そして俺はその勝利のために尽くす。
アクセルを踏み、スタートラインにつける。
ポールポジションは俺だ。スインギー、南坂、と続いて最後尾にシービーがいる。
俺をどう抜くか見ものだ。なんと言ったって次はダービーに出る。20人を超える出走者をどう捌くのか。
スターティングランプが灯った。
ホームストレッチでは左側を走る。すぐにキツい右コーナーに入るためだ。
カートには能力差がない。純粋なライン取りと相手との駆け引きだけで勝負する。ウマ娘である彼女たちからすれば考えられないことだろう。
最初のコーナーに差し掛かる。
次に緩い右。その後にキツい左。
後続とは4馬身差。これでは勝負にならない。
「ウワーッ!!」
ずいぶん後ろでスピンしているヤツがいた。
残念だがレースに情けは無い。次の左で勝負を決めさせてもらおう。
ブレーキを踏む。
その時視界の右端を2つの影が通り過ぎて言った。
「バカな!減速しねぇ!?何考えてやがる!!オーバースピードだ!!セイフティーマットに突っ込むぞ!!」
目の前で2台のカートが右へと流れていく。
もう立て直すスペースはない。
8つのタイヤが白煙を上げた。
「慣性…ドリフト…………!?」
このサーキットで散った走り屋の幽霊でも見たのか…?
いや違う。あれは南坂とスインギーのものだ。
高速コーナーでは前の二人がどんどん小さくなっていく。
ついて行けない、コーナーひとつ抜ける度に確実に差が開く。
俺がS字コーナーに入ろうとというとき、二人は既にひとつ先の複合コーナー間近に居た。
ここでは外側が圧倒的な有利になる。立ち上がりで外に振られても走行ラインを選択できるためだ。
先頭は南坂、スインギーはどうする。必死に食らいついているが経験では南坂のほうがありそうだ。
アウトから攻めても実力差がある。インを攻めれば走行ラインが苦しい。
インか、アウトか。
2つのカートの姿が重なる。
「インに行っただと!?」
完全なブレーキング勝負。
ここでハナを取ったヤツが勝つ。
4つのタイヤから白煙が上がる。南坂のものだ。
スインギーのカートはそのまま、何事も無かったかのように抜けていく。
「何が起きた……?」
カートはタイヤのグリップ力を超えた走りはしない。
その限界を超えた速度でイン側から、まるでレールに乗っているかのような不自然な曲がり方をして抜いていった。
次のコーナーでは追い抜けない。そのままスインギーウォークが乗っている黄色と黒のカートが1位入線を果たした。
「やられました……。」
悔しそうに南坂が呟く。
「いや、あいつらがオーバーテイクのコツさえ掴んでくれれば十分だよ。」
「それって、カートのオーバーテイクじゃないですよね?」
「当然、芝の上の話だよ。」
「それなら良かったです。」
結局のところ、ウマ娘のスピード感覚には勝てなかった。それでも南坂は満足そうだ。
昨日泣き喚いたスインギーウォークは何処にもいない。楽しそうに無邪気に笑うスインギーウォークと、昨日とはうって変わってふてくされたシービーが居るだけだ。
「なあ、スインギー、何か俺たちにしてほしいことは?」
「あのね!遊園地に行きたい!あと、もう一回走りたい!」
「おいおい、一個だけだぞ。」
「じゃあ、『言うことふたつ聞いて』ってお願いにするね!」
「弱ったな……。」
誰だろう。スインギーにこんな悪知恵を吹き込んだヤツは。
恐らくそこでクスクス笑っているウマ娘が着替えのときにでも吹き込んだのだろう。
「なあ、シービー。スインギーがもう一度走りたいってさ。」
「いいよ、次はスピンなんてしないから。その後はコーヒーカップでも乗りに行く?」
「そうだな、日曜にでも行くか。でも俺はスピンするのは苦手だから、シービー、お手本見せてくれよ。」
「言うじゃん、ふたりに惨敗だったくせに。」
「リタイアしたお前に言われたくないね。」
膨れっ面から一転、シービーが笑い出す。俺も釣られて笑ってしまった。
壮絶なマッチレースを繰り広げた南坂とスインギーはしばし休憩を取ることになった。
これから、またふたりで走り出す。
ずっとずっと、走り続けられたらいい。ダービーも、菊花賞も。八大競争全てに挑戦してみてもいいかもしれない。
アクセルを開け、スタート位置につける。今度はシービーが先頭だ。
こんなにも華奢な身体がターフの上ではどこか遠くにある大きなものに見える。俺は決して追いつけないその背中をずっと追い続けることになるのだろう。
スターティングランプが灯る。それと同時にふたりが駆け出していく。
「シーちゃん頑張ってー!!諦めないことがいちばん大事だよー!!」
大声で叫ぶ声が聞こえた。どうやらスインギーは先ほどのレースで大事なことを学んだらしい。それでこそここに来た意味があると言うものだ。
コーナー前でのブレーキング勝負。シービーはスピンしない。自然に俺の走行ラインに被せ、外へと押しやった。
「やるじゃないか。」
勝負に情けは無用。ターフの上では遠い存在でもアスファルトの上では対等だ。
スライドするリアを押さえつけ、立ち上がりで前に詰める。
勝負だ。ミスターシービー。
あと、勘のいいトレーナーにはそろそろバレたかもしれない