その日は雨が降っていた。
梅雨に入った。
外を走るウマ娘は居ない。賑やかな掛け声が聞こえない練習コースは幾分か寂しいものだった。
雨が部室の屋根を打つ音と、くだらないテレビの音だけが聞こえている。まるで鼻メガネをかけたかのような男が、大きな鼻をさらに大きく膨らませて、今回のダービーについて批判していた。
「あまり気にするなよ。」
俺はテレビを消した。
「なんのこと?」
シービーはひとりでジェンガを積み上げていた。
日本ダービーでシービーが行った斜行は大きな批判に晒された。しかしながらあれは数々の不運が重なったアクシデントに過ぎない。
レースが多人数で行われる日本ダービーだったこと。パインスワローが芝に発生したわずかなくぼみを踏んでしまったこと。そのとき、パインスワローに体制を立て直すだけの余裕がなかったこと。シービーがすでにその直後にまで迫っていたこと。バランスを崩し、カツラギエースに接触したこと。そして何より、シービーが勝ってしまったこと。
テレビに映っていた鼻メガネの男はURAの関係者ではない。元トレーナーというわけでもない。しかしながら結果として関係者以外からそれらの批判を許すだけのレースとなってしまった。
シービーには降着や失格という処分は行われなかった。それはURA審判部門が彼女を日本ダービーの勝者であると認めたことでもある。しかしながら、授与されるはずだったトロフィーは剥奪となり、俺は4日間の謹慎処分となった。
「そんなことよりさ、ブロックがひとつ足りないんだけど、知らない?」
「ああ、ここにある。」
胸ポケットからひとつブロックを取り出す。シービーがそれを頂点に載せて、タワーが完成した。
「シービー、夏はどこに行きたい。」
「気が早いよ。」
「予約とか、いろいろあるからな。」
無言でブロックがひとつづつ引き抜かれていく。雨の音がその様子を一層際立たせた。
彼女の手は震えていた。
「どこでもいいよ、トレーナーさんと一緒なら。」
シービーが言葉を発すると、タワーが大きな音を立てて崩れていった。
「崩れちゃった…………。」
「まあ、そういうこともあるよな。」
床に落ちたブロックをひとつづつ拾っていく。俺はそれをもう一度積み上げる。
棚に飾ってあるトロフィーの横には少しだけ空間がある。そこが少しだけ寂しい。本来ならばそこにはあとふたつのトロフィーを飾る予定だった。
シービーの心にはそれと同じだけの隙間がある。なんとかしてそれを埋めてやりたい。
「またやるの?ジェンガ。」
「今日はスインギーと南坂も来るからな、練習しとかないと。」
「そうだね。」
「シービーには『超御出席』をしてもらうからな。」
「もう、イジらないでよ。」
ゆっくりとひとつだけ、下から3段目のブロックを引き抜いていく。
真ん中ではない。端を取れば重心が傾く。
「ほら、お前の番だ。」
「嫌なところ取ったね。」
シービーの細い指が木製のブロックに伸びる。まだ少しだけ震えていた。それでも、先ほどまでではない。
彼女はまだ年端もいかない少女だ。折れてしまいそうなほど細いその身体で、ふたつ目の栄冠を掴み取った。それだけは確かであり、何者にも変えられない。
ふたつ目のブロックが引き抜かれる。当然のことながら、そこにはブロックひとつ分の隙間ができる。
シービーは俺と同じ下から3段目の端を取った。
次は俺の番だ。
「そこを取るの?無理じゃない?」
「やってみないとわからないさ。」
下から3段目、最後に残った真ん中のブロックに指をかける。勢いをつけて一気に引き抜くと、またタワーが音を立てて崩れていった。
「全然ダメじゃん。」
そう言う彼女の顔は少しだけ微笑んでいるように見えた。