最も不器用な三冠ウマ娘   作:Patch

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傷と汗

「夏、全部棒に振っちゃったね……。」

 

 掠れた声に続くのは乾いた咳だった。冷房の音に混じってセミの鳴き声が聞こえ始める。

 

 

「いいさ、折れてる訳じゃなかったんだから。」

 

 薄いカーテンの向こうではビル群が夏の日光を反射して白く輝いていた。灯りをつけていないこの部屋から見ると、少し眩しい。

 シービーの足は内出血を起こしていた。どうやら挫跖してしまったらしい。足首はその時に捻挫したようだ。

 

 しかしながら、小さな足の怪我もウマ娘にとっては命取りとなる。もしもその怪我が原因で時速70kmで走る彼女たちが転倒すれば、どうなるかは想像に難くない。

 医者からは3ヶ月の休養を言い渡された。休養開けに開催されるセントライト記念は調整が間に合わない。

 

 

「次は、京都新聞杯だな。」

 返事の代わりにシービーはまた咳をした。

 

 

 体を動かせないということは、シービーの精神と体調にも変化を及ぼした。彼女は夏風邪を拗らせ、気管支炎となって入院している。

 トレセン学園は夏であっても多くの生徒が滞在している。彼女たちは過酷な夏のレースに出走し、力をつけて秋の重賞に出ようというウマ娘だ。

 彼女たちに風邪を移すわけにはいかない。シービーは半ば隔離されるような形でこの病室に押し込まれた。

 

 シービーの顔はすでに世間一般に知られている。そのため彼女には専用の個室が用意された。少々広いそれは彼女の孤独を際立たせているようにも見える。ぼんやりと窓の外を眺める横顔がどことなく寂しい。このままどこかに消え去ってしまいそうな危うさがある。

 

 

「消炎剤、塗るか?」

 彼女をつなぎ留めるように話しかける。

 

「うん、お願い。」

 ぎこちない笑顔がこちらに向けられた。

 

 

 

 

 

 布団をまくり上げ、彼女の脚を探す。黒いサポーターをした足首はすぐに見つかった。

 

 

 

「お前……、足にマメができやすいんだな。」

「昔からだから、もう慣れちゃった。」

 

 サポーターを外すと、紫色の足首が見える。足の裏も赤黒く変色し、皮がめくれていた。

 彼女はその痛みとずっと戦っていたのだろう。俺はそのことすら知らなかった。

 

 

「退院したら靴と中敷きを買いに行こう。あと、蹄鉄も。」

「わかった。」

 

 

 休養を挟んで走らなくなると、どのウマ娘も足の裏が硬くなってしまう。衝撃が加わらなくなり、柔軟性が失われてしまうのだ。

 ヒトの陸上選手であっても長距離ランナーの足の裏はマシュマロのように柔らかいと言う。

 

 休養に入って間もないにも関わらず、シービーの足の裏は少しだけ硬かった。

 

 

「ねえ、トレーナーさん。」

「なんだ?」

 

 消炎剤の軟膏を塗り終わり、サポーターを被せると静かに呼ぶ声がした。

 

 

「汗、拭いてくれない?」

「わかった。」

 

 

 病室にある洗面台に向かい、濡れタオルを作る。シービーのもとに戻ると、病衣の紐をほどき始めていた。

 

 

「いやいやいや!ちょっと待て!」

「何?汗拭いてくれるんじゃないの?」

 

「さすがにそれは女性の看護師さんに……。」

「違うの。」

 

 

 遮るようにシービーが言う。

 

 

「本当はね、今年は海に行きたいと思ってた。去年は山だったし。走り込みを増やしてたのも、実はそういうこと。もちろん、ダービーもためでもあったんだけどね。」

 

 

 

「せっかく絞ったのに、こんなことになっちゃったからさ。綺麗なうちに見て欲しくて。」

 

 

 

「かわいい水着、着たかったな。」

 

 

 

 

 

 

 悲しそうにぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。

 その姿は、彼女が二冠を取ったスターである以前に、ただひとりの少女であることを思い出させた。

 

 

「じゃあ、背中だけな。前は隠せ。」

「わかった、ありがとう。」

 

 

 

 

「ちょっとニオうかも……。」

 病衣を脱ぎ、シービーが背中を向けた。前は布団を抱えて隠している。発熱しているため、身につけているスポーツブラには汗のシミが浮いていた。

 

 

 

「いい匂いだよ。お前のタオルと勝負服を洗濯してるのは誰だと思ってんだ?」

「それ、かなりキモいよ。」

 

 

 

 

「冷たっ……。」

 タオルを押し当てて黙らせる。

 

 

「ねぇ、綺麗?」

「ああ。」

 

 

 首には日焼けの跡がついていた。彼女の努力の賜物なのだろう。引き締まった体は柔らかく絹のようでありながらも、彼女の呼吸にあわせて隆起する筋肉がところどころに影を作る。

 火照った赤い肌はふさわしくないとは分かっていても美しいと言ってしまいたくなる。

 

 

 

「退院したら、プールに行こう。リハビリだ。」

「やることが増えたね。」

 

「嫌だったか?」

「別に。」

 

 

 背中越しに語りかけるとシービーはよく笑った。笑いすぎて咳も出ていたが、楽しげなそれを邪魔するのは野暮というものだ。

 

 

 

 

 

 

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