いつものように部室の扉を開ける。トレーナーが腕を組んで椅子に座っていた。これはいつもというほど頻繁にあるわけではないが、彼はこのチームのトレーナーであるのだから部室に居るのは普通のことだ。『普通』は『いつも』と言い換えても問題ないだろう。
だが、いつもとは違う点がひとつだけあった。トレーナーの目の前にはジェンガが
「かなり上手くなったね、それ。」
「
ジェンガに正攻法なんてあるのだろうか?あるのならば教えてほしい。
彼は私がここに来るまでにジェンガをしながら待っていたのだろう。それ以外には意味はないはずなのに、その言葉はやけに耳に残った。
「もうすぐ菊花賞だね。」
私がそう言うと彼はどこか宙を眺めている。
「お前にしては、やけに気が早いな。」
この言葉は私に対する意趣返しでもあるのだろう。彼はそういうユーモアに溢れた人物だ。
菊花賞はクラシック三冠の終着点となる。私としても緊張しないわけではない。それをなだめるかのような優しい口調は、私への信頼と心配の現れなのだろう。
「だって、これに勝てばケーキが3つだよ?夢みたいだなって。」
「そうだな……。ケーキくらいならいくらでも買ってやるさ。」
「言ったね?」
「ああ、言ったさ。」
ニヤリと笑って言うと、彼は優しく微笑む。
クラシック三冠はどんなウマ娘であっても、どんなトレーナーであっても憧れる夢のような舞台である。ケーキ3つなんて霞んでしまうほどの栄誉と名声が与えられることになる。
「ねぇ、アタシが勝てると思う…?」
菊の舞台は長丁場となる。淀の外回りを1周半、3000mという長距離レースだ。これまで走ったことのない距離であり、普段の練習でも走る機会はほとんどない。
通常の練習であれば、せいぜい1600mほどを何本か走る程度である。そこにテンポ走や斤量などで負荷をかけたり、併走することで足の故障リスクを軽減しながら力をつける。
過酷なレースになることは間違いない。菊花賞は『最も強いウマ娘』が勝つという。その強さは『諦めない』という気持ちの強さも含まれる。
怖気付いていては何も始まらない。気持ちだけでも勝っていなければ、勝てるものも勝てない。
だけど私は、こうして彼の優しい言葉を期待してしまっている。
ダメだな、私は。彼がいないとこうしてすぐに弱気になってしまう。皐月賞も、ダービーも、彼が居たから勝てたようなものだった。
彼がどんなケーキよりも甘いから、私はずっとそれに甘えてしまう。一度くらい、いいところを見せたい。
「菊花賞の前に、言っておきたいことがある。」
しばらくの沈黙の後、彼がゆっくりと口を開く。
「かなり厳しい話もするが、俺の本音を聞いてほしい。」
「このままではおそらく、お前は菊花賞で負けるだろう。」