「今日も来なかったね……。」
「もう上がろうか。」
スインギーは伏し目がちに芝を眺める。彼女は12月の頭に条件戦の出走が決まった。
スインギーの走りは見違えるほどに良くなったことは確かだ。タイムも申し分ない。最終3ハロンからのまくり上げは豪快で、シービーとはまた違った彼女らしい力強さがある。ダートで経験を積んだことが良く作用したようだ。だが今日はどこか身が入っていないように感じられた。
シービーがこのまま練習に現れないというならば、菊花賞の出走は断念しなければならない。スインギーはそのことに責任の一端を感じているようだった。
南坂は引き継ぎなどもあり学園の中を忙しく走り回っていることが多くなった。シービーが練習に現れることのない今、スインギーの追い切りを任されている。しかし、そのことが彼女に悪影響を及ぼしていることは確かだ。
「シーちゃん、菊花賞出ないのかな……。」
「大丈夫だ。あいつなら、俺が居なくても勝てる。」
「でも……。菊花賞に出ないとトレーナーさんが……。」
猶予は残り少なくなっている。もう諦めざるを得ない。
「シービーは、きっと俺よりも良いトレーナーを見つけるさ。」
「そうなのかな……。」
トレーナーはヒトであった方が良いという迷信がある。それはヒトとウマ娘の間に特別な絆が芽生えるという、身も蓋もない話だ。
現にトレーナーとなる人物はヒトが大多数を占めており、好成績を上げるのはヒトのトレーナーが指導するチームであることが多い。
しかしながらその関係はレースに勝てなければ意味はない。未勝利のウマ娘はデビュー2年目の秋で姿を消してしまう。この学園には居られないのだ。
トレーナーにヒトが多いことも、ある程度の説明がつく。
ウマ娘であれば、走ればいい。俺たちはウマ娘のようには走れない。どれだけ望んでもそれだけは変えられない。
俺はずっと、ウマ娘になりたかった。そういった届きもしない夢を追いかけてきた者がトレーナーになるのだろう。
俺には彼女たちの気持ちはわからない。だからシービーの逆鱗に触れた。
絆など、はじめから無かった。ただシービーの気まぐれで、彼女の背に乗せられていたに過ぎない。
振り落とされてしまったら、もう彼女には追いつけない。俺には、彼女を追えるだけの脚はない。
「じゃあね、トレーナーさん。」
「ああ……。」
「シーちゃんはきっと戻ってくるよ。トレーナーさんのこと、大好きだから。」
「……そうだな。」
手を振りながら、スインギーがカノープスの部室へと戻っていく。彼女が夏を超えて変わったのは、南坂の手腕とそれを信頼する気持ちがあったからなのだろう。
何日経とうとも、シービーは戻って来ない。どれだけの時間を部室で過ごしただろうか。
近ごろ、シービーの生活態度が悪化していると彼女が所属する寮長から聞いた。門限破りを繰り返し、果てには無断で外泊をしているという。
それでも俺は彼女を待ってしまっている。こうしてただ無為に木のブロックを積み上げては崩すことを日が暮れるまで繰り返してしまう。
そろそろ靴には新しい蹄鉄を打ったほうがいい。
シービーがもう一度走り出すかはわからない。それでも、彼女のためにできることはしておこう。
おそらくこれが彼女にできる最後のことだ。
そう思い、ロッカーを開ける。練習靴が一足と、艶のある勝負服用の靴が二足並ぶ。練習靴は力いっぱいに叩きつけられてしまったために厚いソールがぱっくりと割れてしまっていた。
ただ、これまでシービーがつかっていた古い練習靴はどこにも無い。彼女が持ち去ったか、捨ててしまったのだろう。
靴をもう一足買っておこう。とびきり上等なヤツをオーダーメイドで作ってもらおう。彼女の足のサイズは新しい勝負服用の靴を買ったときに知っている。
ハンマーを取り出し、ゆっくりと鋲を打ち付けていく。
これから彼女が使うものは勝負服用の靴だけだ。集中してズレが無いように丁寧にハンマーを振る。カチン、カチンと乾いた音が部室の中に響いた。
彼女の弱点は足である。打ち間違いは許されない。
ひとつ軽く打ちつけてから、もう一本鋲を取り出す。仮留めをして、そこから本留めをする。
「そこはやめて。なんか、芝に引っかかっちゃうんだよね。」
ハンマーを振る寸前に、背後から声がした。
その声を聞くのは何日振りだろうか。永遠に近い時間を過ごしたような気がした。
「シービー……?どうしてここに…………?」
「チーム『カマリ』に所属してたつもりなんだけど、部室間違えたかな?」
いつものようにはぐらかされる。思えば、彼女と初めて交わした会話もこんなような調子だった。
「いつ来たんだ?」
「相変わらず、トレーナーさんはタバコ臭いね。」
ふらふらと部室の中をシービーが歩く。そのたびにカラカラと何かを引きずるような音がした。
「蹄鉄がヘタっちゃってさ、レース鉄って本当にすぐダメになるよね。」
彼女の足には古い練習靴が履かれている。泥に塗れており、ソールは剥がれかけ、親指がその隙間から見えていた。
蹄鉄どころではない。靴そのものが履き潰されている。
「アタシ出るから、菊花賞。」
「それと、鋲はココとココとソコね。じゃあ、また明日。」
そう言い残してシービーは部室を去っていった。
duftpunkか山崎まさよしか