ウマ娘が位置を探り出す。ビーラヴァーズは先頭で後ろを突き放し、アーハは少し位置を下げ、ツルノヨイチが2番手に上がった。
坂を登り、ペースが落ちる。脚に負担をかけないように、坂はゆっくりと登り、ゆっくり降るのが定石だ。
私は最後方で脚を貯める。レースは単純。一番先に帰って来た者が勝ちだ。
3000mだって、そう長くない。1600m2本よりも1ハロンも短い距離だ。
私は、私の走りで勝つ。あなたを安心して送り出すために。
正面スタンド前に差し掛かると、歓声が上がった。すでに私の脚は痛み始めている。
レース感覚を取り戻すために私は何度も走った。それがいけなかった。後悔しても遅い。この痛みも、苦しみも、あなたのためならば受け入れよう。
別れと比べれば、こんなものは軽い。
私は三冠ウマ娘となって、彼は三冠ウマ娘のトレーナーとなる。あなたは世界に飛び立って、私がそれを追う。
目標は高ければ高いほうがいい。その分だけ、私は高く飛べる。
長い助走が要るかもしれない。あなたを待たせることになるかもしれない。
待っていてくれるだろうか。思えば私は、あなたを待たせてばかりだ。
私がこのレースに出ると決めるまで、あなたはずっと部室で待っていてくれた。もう一度走ると信じて、蹄鉄を靴に打ち付けていた。
私は嬉しかった。あなたと出会えて、たくさん面白いものを見てきた。
水の中で燃える花火には驚かされた。ケーキは誕生日のときに食べるものだと思っていた。高級ホテルになんか行ったこともなかった。遊園地では、私に走る理由をくれた。サーキットにも行ったっけ。みんな笑っていて、楽しい思い出しかない。
入院しても、彼はいつも楽しい話を聞かせてくれた。プールに行きたがったのに、わがままで取りやめにしてもらったことは少し後悔している。
たくさん迷惑もかけたし、心配もさせた。もっと良い子にしていれば良かった。
これからはもう迷惑をかけたり、不安にさせたりはしない。
燃え上がる想いに、視界がぼやけていく。胸はキリキリと痛みだし、うまく息が吸えない。
ようやくのことで、1コーナーを抜ける。
私は、この想いさえもまだ伝えられていない。
ライターだって、返せていない。
私の想いに火をつけたのはあなただ。あなたに出会っていなければ、この苦しみも無かった。それでも、この苦しみが愛おしい。
この身を焦がそうとも、この苦しみだけは手放せない。あなたと歩んできた日々を無為にするわけにはいかない。
息が上がる。
もう、何も見えない。
思考は絡み合い、何をしていたかもわからなくなる。
目はただ暗い闇を映すだけで、前方から足音だけが聴こえている。
ひとりは寂しい。
暗くて、冷たい。
不安だ。
怖い。
嫌だ。
行かないでほしい。
私を置いて行かないで。
この足音は彼のものかもしれない。私はそれを懸命に追う。
もう、限界が近い。彼はどこにも居ない。
胃の中がかき混ぜられ、吐き戻しそうになる。冷たい風に当てられた耳はすでに感覚を失っている。
もうやめたい。それでも、私は走らなければならない。
足音が次第に右に動いていく。
次はコーナーに入るんだろう。その音に沿うようにして痛む脚を動かした。
コーナーの先には、彼がいた。
遥か先に小さく光る赤い光があった。
曲がり角の先に居たのなら、居ないように思えたのも当然だ。
呼吸に合わせて微かに明滅する。
彼のタバコの光だ。
彼が『来い』と言っているんだ。
息を深く吸い込む。
視界は開け、足には芝を掴む感覚が蘇る。
気がつけば私は京都レース場の向正面を走っていた。