「やったよ、アタシは……勝ったよ…………。」
息がうまく吸えない。歩くたびにぬるぬるとした血液が足の裏から滲み出してくる。
「お前には負けたよ、ミスターシービー。」
地下バ道では、彼が待っていてくれた。一番速く帰ってきた甲斐があった。
私の目からポタポタと透明な雫が落ちていく。
これは雨だ。
雨を拭うタオルは彼に貸したままだった。でも今は必要ない。
白い袖に雫が落ちて小さなシミを作る。
このシミはすぐに乾いて元どおりになってしまうだろう。
それでも私は雨の中に居たい。
この雨に打たれるのは、悪い気はしない。
両の手を広げて、全身で受け止めよう。彼の雨も、私の雨も。
彼の胸の中は暖かった。心臓の音が、すぐ近くで鳴っている。
鼓動が速い。ほのかにタバコの匂いがする。それを吸い込むと、少しだけ呼吸が落ち着く。
彼は走ってここまで来てくれたのだろう。
一緒に走ってくれた。どんなレースだって、そうだった。私が、ずっと彼の背中を追い続けていた。
これからだって、きっとそうだ。遠く離れてしまうけれど、それだけは変わらない。
「すまなかった、シービー。」
「謝るのはこっちだよ。先行策、取れなかったからさ。」
「もういいんだ。俺は、俺は──。」
「行きなよ、イギリス。」
そのひとことで、私を強く抱きしめていた腕から力が抜けていく。
「知ってたのか……?」
「うん……。」
「そんな顔しないでよ……、勝ったんだから。」
腕は私のもとからゆっくり離れていった。
「あなたが居なくなっても、アタシは大丈夫。大丈夫だから。」
「そうだな。あれだけの走りができるんだ。お前は正真正銘、最強の三冠ウマ娘だよ。」
彼は寂しそうに笑う。
安心してくれただろうか。
私は、あなたからたくさんのものを受け取った。走る理由も、夢さえもなかった私がここまで来れたのは、あなたが私に夢を見せてくれたからだ。
彼は私なんかに縛られていてはいけない。さらなる高みへと登っていける。
私をそこに連れて行ってほしい。頂上で、私を待っていてほしい。あなたと同じ景色を見てみたい。
タバコをふかしながら、ただそこに居るだけでいい。その小さな光さえあれば、私は迷わない。
「さみしくなるね。」
「そうだな……。」
「ウイニングライブの準備をしなきゃな。」
レース場のざわめきは幾分か収まり、地下バ道を職員達が歩いていく。
そろそろ次のレースが始まるようだ。
彼は私から離れ、歩みを進める。
「ねえ、トレーナーさん。」
私はそれを呼び止める。
「なんだ、改まって。」
「あのさ、前から言おうと思ってたんだけど。」
「タバコ吸ってる姿、結構カッコ良かったよ。」