駅は人で溢れかえっている。既に通勤時間となり、道ゆく人々が履く革靴が雑踏を演奏していた。
ひとまず俺は駅から出て食事を摂ることにした。手頃な飲食店に入りブレックファーストを注文する。目玉焼きにウインナー、サラダにマッシュポテトと日本人にもなじみ深いものが並ぶ。これならば間違いはないだろうと口に運んでみたが、どれも味気ないものばかり*1で塩と胡椒を振りかけて胃の中に詰め込んだ。
朝食を済ませても、まだ時間はたっぷりと余っていた。日は出ているが以前として寒い。上着はシェイプに奪われてしまった。なので彼女の言った通りコヴェントガーデンから離れ、大英博物館に足を運ぶことにした。
手荷物検査を受け、ロビーに進む。そもそもこれといった荷物が無いために、入場まではスムーズだ。内部ではクリスマスが近いということもあり、クリスマス文化にまつわる特別展が行われているらしい。
大英博物館はヨーロッパはもちろん、南米からアフリカ、果てには極東アジアまでの幅広い文化史料が収蔵されている。敷地も広く、歩いて回るだけでも相当なトレーニングになるだろう。その上で入場料は無料と来る。*2これには正直舌を巻く。
日本語の音声ガイドを受け取り、館内を回る。久しぶりに聞く日本語はどこか心が暖かくなる。思えばまだシービーと連絡をとっていない。彼女は元気にしているだろうか。ジュニア期の冬はレースなども重なりクリスマスを祝っていない。丁度メジロモンスニーに敗れたひいらぎ賞の日だった。
展示室を回りながら、日本のクリスマスについて考えていた。シービーならどんなプレゼントが良いだろうか。耳飾りやネックレスなんかどうだろうか。いや、彼女のことだから少し変わったもののほうが良いかもしれない。
歩いていると人集りが目についた。彼らの視線の先には人の頭蓋骨を模した水晶がある。これがシェイプの言っていたクリスタルスカルであり、同様のものが複数見つかっているため、『ブリティッシュスカル』とも言われる。
以前はマヤ文明の遺物であると言われ、工作精度の高さからオーパーツ*3とされていた。しかしその後の調査によって贋作と判明したが、未だに根強い人気がある収蔵物だ。
売店ではこのクリスタルスカルを模したオーナメントとキャンドルが売られているらしい。これならばシービーも気に入るかもしれない。イギリスらしさもあり、面白みもあるだろう。
そろそろ待ち合わせの時間も近い。少し早いが、来た道を戻ることにした。
§
ロビーの真ん中に立ち、シェイプが来るのを待つ。無事にキャンドルとオーナメントは購入できたが、時間が余ってしまった。
展示品をじっくり眺めていれば時間はあっという間に過ぎていく。だがただロビー戻るのであれば、大して時間は掛からなかった。
外から風が吹き込み、それに震える。暖房があるとは言え、流石にベストとシャツだけでは敵わない。
暖かそうなコートを着た女性が目の前を通り過ぎていく。内から見える
おそらくこの女性も劇場へと足を運ぶのだろう。歩くたびにカツカツとヒールが鳴り、その音がするたびに周りの男たちが振り向いている。文句のつけようがないくらいに美しい。さながらそれはこの博物館にある財宝の類いにも引けを取らないほどだ。
だが俺は、そのコートが羨ましい。ふわふわとしたファーはチンチラだろうか。おそらくとても値が張るのだろう。
これから見に行くオペラの演目は『
その女性は俺の隣に立ち時計を確認している。珍妙な光景だ。貧富の格差というものを嫌でも意識してしまう。
着古したシャツとシワのあるスラックス、そして艶のない革靴。どれもお気に入りであり、日本に居たときから着ていたものだ。だがこんなものでドレスコードに引っかからないと思っていた自分が情けなく思える。俺の価値観は貧乏人のそれなのだ。
待ち合わせの時間は差し迫っている。だがオペラの上演時間まではもう少し先だ。シェイプには申し訳ないが俺も服を着替えるべきだろう。彼女に連絡をしようと携帯電話を取り出す。そのとき、聞き覚えのある声がした。
「いい加減気付けよバカ野郎、ブッ殺すぞ。」
辺りを見回しても、シェイプの姿は見当たらない。ただ、ドレスを着た女性が俺のことを睨みつけているだけだった。
貧乏人は隣に立つなということだろうか。確かにそれは納得できる。コートも着ずにプルプルと震える情けないアジア人など彼女の美しさを害してしまうものに違いない。
立ち去ろうと歩き始めると、右足を思いっきり蹴飛ばされた。
「てめえこのクソ野郎!目ん玉ママの腹ん中置いてきたのか!!」
上品な見た目からは想像できないような罵詈雑言が女性の口から飛び出してくる。顔を真っ赤にして怒鳴る姿は今日の夜明けに見たものによく似ていた。
「お前……シェイプか……?」
女性のコートの裾がバサバサと揺れる。よく見ればその女性にはウマ娘特有の尻尾がある。栗毛によく似合うブラウンを基調としたメイクが施され大人びた見た目こそしているが、この粗野な言葉遣いは間違いなく彼女であった。
「ほら、お前のコート。もう行くぞ。」
俺のコートが丸めて突き返される。タバコの焼け焦げたあとがあり、彼女のものと比べるとずいぶんとみすぼらしい。
それを受け取ると、音を鳴らすヒールの後に続いて歩いた。
長え……
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