「それにしても面白かったな。この後はアップルマーケット*1に行ってから、粋にテムズ川沿いでも散歩しよーぜ。」
そんなことを言いながらシェイプはタルタルステーキ*2をナイフとフォークでつついて食べている。
俺たちはオペラを見終えフランス料理店で少し遅めの昼食を摂っている。決してイギリス料理の味気なさに飽きが来たわけではない。最初はシェイプがステーキハウスに行きたいと言っていたが、せっかく上品な服装をしているのだから肉の匂いが付くのはどうかと思い提案してみたのだ。
しかしながら不思議なものだ。イギリス料理にはよく火を通した料理が多く、生の状態の肉を食べる文化はない。それは煮込み料理やパイ料理の多さからも伺える。私たちにも身近な牛肉のローストでさえ、中がレアの状態で食べるようになったのは時代が進んで肉の保存方法が確立された後の話であり、腐りやすい魚を生で食べるなど以ってのほかだ。イギリス人からすれば、寿司だ刺身だと生の魚をありがたがる日本人は野蛮な民族に見えたに違いない。
だがシェイプは生の肉を微笑みながら口に運ぶ。タルタルステーキはかの有名な英国コメディ作品でも口にした主人公が思わず吐き出して笑いのタネになるほど文化を異にするものであるにも関わらずだ。
「好きなのか? それ。」
俺がそう尋ねると
「わざわざ自分の嫌いなモン頼むヤツ居ねえだろ。」
と返ってきた。
「なあ、ラストなんかサイコーだったよな。宙吊りになったまま踊るんだぜ? 思わず笑っちまったよ。」
今日見た演目はイングランドが発祥のバラッドオペラである。18世紀に誕生した比較的歴史の浅いものであり、悲劇ばかりの古典的オペラや世の中の世相を風刺するような内容がふんだんに盛り込まれたものだ。
舞台のはじまりには緞帳がなく、観客席からつぎはぎに衣装を着た役者たちが現れる。そして『乞食たちの救済のためにクリスマスイブの一夜だけオペラを演じるために教会を貸す。』と神父に扮した役者から宣言され、乞食に扮した役者たちが自らの手でセットを準備して物語が始まる。
劇中劇の形を取っているのだ。舞台を飛び出して走り回り、観客にチップを無心したりと乞食になりきる。もちろん乞食になりきっているから、舞台もまともなものではない。セリフを忘れてしまったり、喧嘩をし始めたりする。もちろんこれらは全て話を面白く見せる役者の巧妙な演技だ。
オペラにも関わらず、肩肘を張る必要のないコメディなのだ。
極め付けはラストシーン。主人公が絞首刑に処され宙吊りとなるが、神父はこれに『クリスマスの教会に悲劇は相応しくない、恩赦を作り出し、主人公を救済せよ』と難癖をつける。これに演出家は激怒し、観客席の扉を蹴飛ばして飛び出して行く。戸惑った乞食たちは主役が宙吊りのまま、とりあえずの間に合わせで歌って踊って大団円だ。主人公は生き返ったことになるが、下ろす時間が無いので宙吊りのままピコピコと足先だけ動かして踊っていた。
ただこの話には痛烈な批判が隠されている。
わざわざ金を払って悲劇など見る必要がない。貧しい私たちはこの世に生まれ落ちたことこそが最大の悲劇である。そういった意味の風刺は彼女には届いていないようだった。
俺は彼女の言葉にありきたりな返事を返すことしかできなかった。
「面白かったなら良かったよ。」
「じゃあ、会計だな。」
目配せをしてウェイターを呼び寄せると彼女は隠すようにして黒いカードを手渡した。
「ンだよ、怖い顔しやがって。オレと歩くのがそんなにつまんねえかよ。」
店を出て歩いているとシェイプが俺に話しかけてきた。
「そんな顔してたか?」
「言いてえことあるなら言えよ。オレとお前の仲だろうが。」
そんなに深い仲になった覚えは無いが俺は充分信頼に足る人物となったらしい。この際だから気になっていたことを訊いてみることにした。
「今朝とはすごい変わりようだな。どうしたんだ?それ。」
「惚れたか?女ってのは、魔法が使えンだよ。」
ヒールが石畳とぶつかり、小気味良く音を鳴らす。残念ながら、その機嫌の良いリズムに乗る気にはなれなかった。
「お前の昔の女じゃ、こうはいかねえだろ?」
「そうだな、誰も盗みは働かなかった。」
「何が言いてえ」
「そのカード、お前のものじゃないだろう。そのカードで服も買ったのか。」
「見てたのかよ、クソが。」
悪態をついて頭をボリボリとかきむしる。耳は苛立っているように後ろに絞られていた。
そもそも予約も無くオペラを鑑賞できたことから疑うべきだった。この演目はロイヤルオペラハウスの設立にも密接に関わっており、普段であれば飛び入りで見ることなどかなわない。しかし俺たちは一番良い席で余すことなくオペラを楽しむことができたのだ。
「警察に行こう。俺もついて行く。洗いざらい話せば、きっと悪いようにはならない。」
「お前ってさ、スゲー良いヤツだよな。」
俺が諭すと、諦めたかのようにシェイプがポツリポツリと話し始めた。
「確かにこれはオレの名義じゃない。こんな家まで買えるようなカードなんて、それこそ魔法でも使わなきゃ手に入んねえよ。」
「本当に盗んだのか?」
「待てって、話は最後まで聞け。オレは神に誓って盗みなんかしてねえ。駅で言ったのは冗談だ、間に受けるバカがあるか。」
「じゃあ、誰の名義なんだ?」
「ヒゲオヤジ、『殿下』だよ。」
「あんまり『殿下』に頼りたくはねえんだけど、『今日はデートがある』って連絡したら、お付きのヤツらがすっ飛んできてこんな服まで着せられたってわけだ。劇場だって良い席だったろ?やりすぎなんだよあのオヤジは。」
「本当は、魔法なんかでもなんでもねえ。でもクソッタレな現実なんて見たって興が醒めるだけだ。だろ?」
シェイプは『殿下』からの寵愛を受けたウマ娘である。このような特別待遇がされていても何ら不思議ではない。
「すまない、俺は誤解していた。」
「いいんだよ、オレだって隠そうとしてたのが悪い。おあいこだ。」
そう言って頭を下げるとシェイプは申し訳なさそうに笑った。
「元気にしてっかな、『殿下』。」
「クリスマスには故郷のドバイに帰るんだろう?」
シェイプはぼんやりと遠くを眺める。故郷という言葉に何か思うところがあるようだ。
罪深いことではあるが、その憂いを帯びた瞳は紺碧のサファイアのように美しかった。
「いや、オレの故郷はアイルランドだ。ずいぶんママにも会ってねえけどな。」
「先にテムズ川でも散歩しようぜ、お前のことも、知りてえんだ。」
ヒールがまた音を鳴らす。その音は彼女のカタルシス*3を思わせるように悲しく鳴った。
(参考文献 Dictionarys & beyond word-wise Web 三省堂 辞書ウェブ編集部によることばの壺 第36回カタルシス より引用 )
(https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第36回-カタルシス)