「お母さんが…魔女に?」
渚は信じられないといった口調で呟いた。
無理もない。いきなり「慈母の魔女は反町海乃が魔女化した姿である」と言われたところで誰も信じないだろう。ましてや、魔女というのは魔法少女の敵である。渚と、その横にいた朱里がキュゥべえの言葉を疑ったのは当然といえば当然だった。
しかし、キュゥべえは嘘を言ったという様子ではなかった。ふたりの反応を意に介さず、彼は淡々と事実を述べていく。
「魔法少女はソウルジェムが濁り切ると魔女になる。反町海乃は渚を助けた時にソウルジェムが濁り切り、魔女になったのさ」
「うそ…うそだよ、そんなの…だってお母さんはわたしと一緒に住んでるんだよ!」
渚は珍しく、怒りを顕にして叫ぶ。
だが、朱里はそれに同意する事が出来なかった。
実際、反町海乃は行方不明になっている。渚が母親だと思い込んでいるものは、クマのぬいぐるみなのだ。
もし、キュゥべえが言った事が本当ならば…慈母の魔女が渚を攻撃しなかった事にも納得がいく。
魔女に自我があるのかどうかは分からない。だが、魔女が渚を襲わなかった事は事実なのだ。
…いや、そんな事よりも…魔女がかつて魔法少女だった存在だとしたら、自分たちは人を殺している事になる。
「……っ」
朱里は唇を噛む。
キュゥべえはウソを言わない…それはよく分かっていた。だからこそ、現実を受け入れ難かった。
渚は真っ青な顔になりながら、「うそだ」とか「なんで」と呟いている。
朱里は彼女に描ける言葉が見つからなかった。
「…もし良ければ、反町海乃がどんな魔法少女だったのか、ボクが話すけど」
「………」
コイツは、よくもいけしゃあしゃあと…!
朱里はキュゥべえを睨みつける。だが、彼がそれに怯える様子はなかった。
「…話してよ」
と、今まで黙っていた渚が低い声で呟いた。
「お母さんは、確かにわたしと住んでいる…キュゥべえの話が嘘だって事を、わたしが証明してみせるから」
「了解したよ」
キュゥべえを睨みつける渚と、それを淡々と受け止めるキュゥべえ。
ふたりは視線を交差させたまましばらく無言でいたが、やがてキュゥべえが話し始めた。
それは、反町海乃という魔法少女の真実であり…渚の幻想を打ち砕くのに十分なものだった。
*
反町海乃は、高校生の時に魔法少女になった。
契約時の願いは「恋を成就させたい」というもので、後に彼女の夫となる人物…反町
その日から海乃は魔法少女として戦い続けた。周りに魔法少女の活動をしている者が少なかったせいなのか、殆どひとりで活動していたようだった。
通常、魔法少女は歳を重ねるにつれて魔力が衰える傾向にある。だが、海乃は成人し、社会人になっても第一線で戦い続けた。その結果、街の顔役として頼られる事になった。
当時から冬天市は魔法少女同士の争いが少ない街ではあったが、海乃が街の顔役のようになる事で更に争いが減り、平和が維持されていた。
その当時に魔法少女活動をしていた少女たちは殆ど死んでしまっているのだが、数少ない生き残りの少女は、反町海乃の事をこう証言していたという。
「優しくて、強くて…憧れでした」
「海神」という二つ名まで付いていた海乃だったが、結婚を期に魔法少女としての活動を控えるようになった。
もちろん、魔法少女が魔女化する事は知っていたので最低限の活動は行っていたのだが、それでも夫や娘と長く居られる時間を望んだのだ。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
反町龍之介が事故死してしまったのだ。
海乃は悲しみに暮れた。もう二度と立ち上がる事が出来ないのではないかと思うほどに打ちひしがれた。
それは当然の事だろう。海乃は龍之介との恋の為に魔法少女になった―つまり、魔法少女として活動する時間は全て龍之介の為に捧げたものでもあるのだ。それほどまでに、海乃は龍之介を愛していた。
だが、いつまでも悲しみに暮れている訳にはいかない。自分にはまだまだこれからの人生があるし、何より―渚がいる。
丁度その時、龍之介の弟―反町
最初の一年はまだ平和だった。虎男は渚の事をあまり良く思っていないようだったが、それを表に出す事はしなかった。歪ではあるが、平穏な生活を送れていたのだ。
だが―渚が小学校を卒業する少し前に虎男が職を失った事で状況は悪い方へと傾いていく事になる。
職を失った虎男は、海乃が稼いだ僅かばかりのお金を酒とギャンブルに使うようになった。当然、海乃は反抗したが―そうすると虎男は怒り、海乃に暴力を振るった。
更に、渚までもがその対象になり、それを庇う事によって海乃の生活は一気に地獄と化した。
それでも、海乃には渚を見捨てる事は出来なかった。家事と仕事の合間に魔女を狩り、必死に自分をつなぎ止めてまで渚を守ろうとしていた。
虎男の暴力は更にエスカレートしていき、海乃は性的な暴力も受けるようになった。
汚されて穢される日々。それでも海乃が魔女化しなかったのは、渚の存在があったからだ。
我が子を守りたいという想いがあったからこそ、海乃は魔女を狩りグリーフシードを得ていた。これが自分ひとりなら全てを諦めていただろう。
海乃にとって渚の存在は希望であり、生きる理由でもあった。
魔法少女の力を使って虎男を殺してでも、渚を守る―いつしか海乃はそう思うようになっていた。
魔女化したその日も、海乃は暴力を受けて床に転がっていた。
魔法少女だから傷の治りは常人より早い。それでも魔力は衰えている為、回復までかなりの時間を要した。
そして視界に映りこんだ光景に―海乃は驚愕した。
虎男が渚の動きを封じ、下着に手を伸ばそうとしていた。渚は全てを諦めたように躰を弛緩させ、光を失った目でぼんやりと壁の一点を見つめている。
「渚!」
驚愕は一瞬にして怒りへと転化した。
海乃は変身し、虎男に一撃を食らわせる。
運悪くグリーフシードを切らしていた為、使い魔さえ怯ませられない程の弱々しい一撃だった。それでも虎男は無様に床に転がり、渚の躰は開放された。
「逃げなさい!渚!」
海乃は叫ぶ。
その声で渚は躰を起こした。
聞き分けのいい子で良かった…そう思った時、渚が叫んだ。
「おかあさんも一緒に行こうよ!このままだと、おかあさんが…」
それができればどんなにいいか。
だけど…もう無理なのだ。
「…わたしは行けない。もう、限界なの…だから、逃げなさい。わたしが穢れ切ってしまう前に!」
海乃の手には黒い宝石が握られていた。
黒くて禍々しい穢れを内包した、悍ましい宝石。
希望が絶望に転化するまで、あと少ししかない。
渚は泣きながら、それでも海乃の言葉に従った。
一目散に玄関まで走り、ドアを勢いよく開け放って外に出たのだ。
海乃は安堵する。瞬間、体勢を整えた虎男が怒声と共に飛び掛ってきた。
それを押しのけながら、海乃は強く願った。
(…渚、どうか幸せに……)
…瞬間、ソウルジェムがグリーフシードへと変わり…反町海乃はそこで終わった。
反町虎男は目の前に現れた化け物を見てだらしない悲鳴をあげた。
シルエットは女のものだったが、その背中から伸びる触手を見るに人間ではない。
いつしか周りの風景も変化していたが、それを気にする余裕は無かった。
股間を温かい液体が濡らす。失禁しながら後退りする虎男に、化け物―慈母の魔女は容赦なく攻撃した。
無数の触手が伸び、虎男を
こうして全ては終わり、渚はひとりぼっちになった。
*
「…うそだ」
話をきき終わった渚は掠れた声でそう呟いた。
「うそだよ、そんなの…」
渚はフラフラと歩き出す。その目は虚ろだった。
朱里はキュゥべえを睨みつけるが、彼は平然と見つめ返してくる。
恐らく、コイツに何を言っても無駄だろう。それより今は渚を追わなければ。
朱里は慌てて渚を追い掛けた。
フラフラと歩いていたにも関わらず、渚の姿は消えていた。だが、朱里には行き先の目星が付いていたため、その場所に向かう事にした。
*
朱里が向かったのは森岡家だった。
呼び鈴を鳴らし、出てきた美佐子に渚が帰ってきてないかどうかきくと「さっき二階に上がっていったわよ」という返事が返ってきた。
美佐子に許可を貰い、二階に向かう。
渚の部屋の隣にあるドアが薄く開いていた。朱里は一瞬だけ躊躇うも、直ぐにそのドアを開ける。
部屋の中には呆然とした表情を浮かべて立ち尽くしている渚がいた。その視線はクマのぬいぐるみに注がれている。
「…渚ちゃん」
「………じゃない」
「え?」
渚は絶望に満ちた声で言った。
「これ、お母さんじゃない…」
渚は震えながら、朱里の方を向く。
「朱里さん…わたし、もう…」
そこで気付いた。
渚は宝石型にしたソウルジェムを持っており、それは黒く染まっていた。
咄嗟にポケットに手を入れ、グリーフシードを取り出す。
それをソウルジェムに当てると穢れが吸い込まれ、渚のソウルジェムは浄化された。
「…すみません、朱里さん。少しひとりにさせてもらってもいいですか」
渚は虚ろな声で言う。
「…本当に大丈夫なの?」
「…………出ていってください」
いつもの渚からは考えられないほど冷たく、虚ろな声。
朱里は怯えた様に渚を見たが、やがて弱々しく頷いて部屋を出ていった。
ドアが閉まる音が聞こえると、渚はクマのぬいぐるみに視線を向ける。
母だと思っていたソレは、ただのぬいぐるみだった。
森岡夫妻も、もしかしたら朱里も知っていたのかもしれない。その上で渚の幻想を守ろうとしてくれていたのだ。
だけど、それは壊れてしまった。渚がキュゥべえに啖呵を切ったばかりに、終わってしまったのだ。
渚は「お母さんと幸せに過ごしたい」という願いで魔法少女になった。それが叶わないと知った今、自分に生きている意味なんてない。
(…なんで、魔法少女なんかになっちゃったんだろう)
後悔しても遅いのは分かっていても、そう思わずにはいられない。
机の上にあったペン入れからハサミを取り上げ、魔力を込めた上で刃先を自分に向ける。
これで死ねるかは分からない。
だけど、もういいんだ。
わたしはあの時、叔父さんに犯されて死ぬべきだったんだ。
そうすれば、お母さんと一緒にいれたのに…。
渚の目から涙が一筋零れる。
そして躊躇いなく、自分の首をハサミで貫き、そのまま掻き切った。
魔力を込められた刃は渚の柔肌と骨を簡単に切り裂いた。
ごとり、という重い音と共に渚の頭が地面に落ちる。
赤く染まったクマのぬいぐるみと、窓から差す斜陽―それが、最後に見た光景だった。