藤野朱里とチームを組むようになってから、安定して魔女狩りを行える様になった。
といっても、最近の相手は使い魔だけで、魔女とは出会わなかった。使い魔はグリーフシードを落とさないので割に合わない仕事だといえるだろう。
だが、渚の動きはひとりの時と比べてよくなっていたし、朱里と一緒なら敵に対する恐怖心も薄れていた。
朱里と会うのは不定期で、連絡も向こうから一方的にしてきていた。これは渚が携帯端末を持っていない為、仕方が無い事なのだが。
とにかく…朱里と出会った事で、日常に新たな楽しみが追加された事は事実だった。
*
ある日の事。
授業が終わり、渚は安藤と小鳥遊と共に教室を出た。
このふたりは吹奏楽部に所属している為、音楽室がある特別棟に向かう事になる。その為ふたりとは一階で別れ、渚は図書室に向かった。
周りから大人しいイメージを持たれている渚だが、そのイメージに違わず読書をよくする。今日も、借りていた二冊の本を返す為に図書室に足を運んだという訳だ。
この学校は全体的に古いが、本の貸し出しはコンピュータで処理していた。少し前まではカードに判子という形で貸し出し処理を行っており、他の学校はもっとハイテクな技術を使っている事を考えると、時代遅れではあるのだが。
カウンターに本を置き、返却処理を済ませた渚は本棚の森をさまよい始めた。何かいい本は無いものかと悩みながら、ふらふらと歩く。
その最中、同じ様にふらふらと歩いている女生徒と遭遇した。黒髪をセミロングにしたその女生徒は渚の先輩にあたる少女で、名前を
咲は渚を見つけると、
「渚ちゃん、こんにちは…何か本を探しているの?」
温和な微笑みを浮かべながらそうきいた。
「琴音先輩…こんにちは。えっと、特に読みたい本は無くて…どうしようか迷っていて…」
本気で悩んでいた渚が正直に事情を言うと、咲はなるほどと頷いてから、数秒間の思考の後にこう言った。
「なら、わたしがおすすめの本を紹介しようか?好みに合うかは分からないけど…」
「いいんですか?」
「もちろん!わたしでよければ…」
願ってもみない申し出だった。
渚が「よろしくお願いします!」と頭を下げると、咲は笑顔で頷いた。
渚の嗜好をきいた後、「ちょっと待ってね」という言葉を残して咲は本棚の森に消えていく。と思ったら一分もしないうちに戻って来て、その手には一冊の本を持っていた。
「この本なんてどうかな?」
渚は咲から本を受け取り、表紙を見る。
「この本は…」
「なんていうか…柔らかい雰囲気の小説を選んでみたよ。ほのぼのできるし、結構サクサク読めると思う」
「なるほど…」
この作家の作品は読んだことないし、読んでみる事に決めた。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。楽しんでくれると嬉しいな」
咲は微笑んで、それから貸し出し処理を済ませる為にカウンターに向かった。彼女が選んだ本は分厚いミステリーの様だった。
借りた本を鞄に仕舞うと、咲は図書室を出ようとした。その途中で立ち止まり、何かを思い出した様に渚に言う。
「あ、渚ちゃん!」
「は、はいっ!」
カウンターで貸し出し処理を行っていた渚はいきなり名前を呼ばれたので、少し驚きながら振り返る。
咲は慌てて「いきなりごめんね」と謝ってから、
「安藤くんに宿題をちゃんとやる様に言ってくれないかな。多分、今日も補習だと思うんだけど…」
「えっ、でも安藤くん音楽室に行きましたけど…」
「…忘れてるんだね。早く行って伝えないと…」
咲は気合いを入れる様に頷いてから、「それじゃ、またね!」と図書室を飛び出していった。
(安藤くんの指導、大変なんだな…)
渚は苦笑しながらそう思った。
咲は吹奏楽部の二年生で、パーカッションパートに所属している。彼女は基本的に優秀ではあるらしいのだが、同じくパーカッションに所属している安藤の指導には手を焼いている様だった。
最も、咲は人当たりがいいし、穏やかな気質だ。噂によると、パーカッションには安藤の他にも問題児がいて、その生徒を唯一制御出来るのが咲なのだとか。
渚は安藤経由で彼女と出会ったが、咲とは直ぐに打ち解ける事が出来た。何となく気質が似ているからかもしれない。実際、安藤や小鳥遊からも「似ている」と言われていた程だった。
実はこの言葉はある意味的を得た言葉であり、渚と同様に咲もこれから様々な受難に見舞われる事になる。
ただ、それはまた別の話だ。
*
本を借りた後、今度こそ帰ろうと思い渚は昇降口に向かった。
下駄箱で靴を履き替え、校庭を横断して校門まで至った所で、なにやら背後が騒がしいのに気が付いた。複数の
先程横断してきた校庭の真ん中で、ひとりの女生徒が男子生徒に馬乗りになっていた。女生徒は金色に輝く大きな楽器…チューバを抱えており、かなり重いはずのそれを用いて男子生徒を殴っている。
重量のある金管楽器で殴打された事により、男子生徒は血塗れだった。ガードしていたのか、顔はそれほど酷いことにはなっていないが…どうやら腕が折れているらしく、おかしな方向に曲がっている。
女生徒の首元には魔女の口づけが浮かんでいた。渚がそれを視認すると同時に、頭の中で声が聞こえた。朱里の声だった。
(渚ちゃん!)
(朱里さん!?一体どこに…)
(体育館の上!)
校門の近くにある体育館を見てみると、確かに屋根に朱里が乗っていた。既に変身しているが、武器は持っていない。
(直ぐに助けなきゃ…!)
(だ、だけど、周りに人が多くて変身出来ません!)
野次馬の中には小鳥遊や咲の姿も見えた。このままだと、彼らも巻き込む恐れがある。
だが、朱里は策を考えていた様で、渚を安心させる様にこう言った。
(大丈夫。私が魔力を応用してみんなを気絶させるから、渚ちゃんはその隙に魔女の口づけを受けた女の子を連れてここから退避して。少し離れた所まで移動したら、そこで戦おう)
(わ、分かりました。やってみます)
渚は変身すると、いつでも走り出せる様に身構えた。
それを確認すると、朱里は魔力を溜め、
(準備はいい?…行くよっ!)
その声と共に、溜めた魔力を解き放った。
魔力の波が拡がり、周囲の人の意識を刈り取る。
渚は防備して魔力の波をやり過ごすと同時に走り出し、気を失った女生徒を抱えて現場から離れた。
この学校には正門の他に裏門がある。渚は裏門から出ると住宅街を疾駆し、学校からやや離れた所にある空き地で足を止めた。
直ぐに朱里が追いついてきて、渚を見ると「ナイス!」と親指を立てる。
女生徒を残し、結界の入口をこじ開けるとふたりは中へと侵入した。
カビの匂いに満ちた薄暗い空間に着地する。周りには壊れたイスや金管楽器、譜面台が散乱していた。
目の前にはマウスピースを縦にして手足を付けたような使い魔が何体も居て、リム(お椀型の部分)をこちらに向けている。
朱里と渚は直ぐに得物を構え、戦闘を開始した。
渚が魔力を溜める。
朱里が飛び出し、斧を振るう。
使い魔は面白い様に吹っ飛ばされた。
敵の攻撃方法が何なのかは分からない。
けれど、攻撃を受ける前に倒せばいいだけの事だ。
渚は溜めていた魔力を解放すると同時に固有魔法を発動した。
幻覚の魔法により使い魔の動きが止まる。
時間は短い。だが十分だ。
朱里は斧を振るい、使い魔を次々と倒していく。
二分もしないうちに、辺りの使い魔は一掃された。
ふたりは顔を見合わせ、先に進む。
道中の使い魔を朱里が蹴散らしていく。
渚も朱里が取りこぼした使い魔を次々に倒していった。
やがて、最深部に到着する。
相変わらず薄暗い。だが、使い魔より強い魔力を感じた。
ふたりが最深部に入ると同時に、爆音と強風が襲いかかった。
この低音は―チューバのものだ。ただし耳が壊れそうになるほど大きな音で、ふたりは咄嗟に耳を塞いだ。
そのおかげで強風に対する防御が疎かになり、ふたりは吹き飛ばされて壁に激突した。
「ぐ……」
「かはっ…」
肺の中の空気が漏れる。
朱里と渚は折り重なるようにして倒れた。
それと同時に、渚の頬に鋭い痛みが走る。
朱里の斧が頬に触れたらしい。傷は深くないが、血が流れるのが分かった。
ふたりは直ぐに体制を整え直す。
闇の中に金色の輝きが見えた。フォルムからして、チューバの形をした魔女の様だ。
朱里が突貫する。
斧を振り下ろすが、金属音がしただけで魔女が堪えた様子は無い。
それを見た渚も魔力弾を放つが、魔女の躰を少し凹ませるだけだった。
「硬い…!」
朱里が舌打ちをする。
チューバの魔女は再び爆音と強風を放出した。爆音は兎も角、強風はどういう仕組みで放出しているのか分からないが、そこは魔女だからという事なのだろう。
今度はふたりとも強風に備えた。そのおかげで耳が聴こえなくなったが、使い魔は居ないようだし問題はないだろうと判断した。
朱里が魔力を込めて斧を振り回すが、やっぱり魔女には効いていない様だった。それは渚の魔力弾も同様なのだが。
このままだと長期戦になる。魔女は攻撃をあまりしないが、だからといって長期戦はこちらが不利になる。
朱里は一度飛び退き、渚の横に並んだ。
(…どうする?)
(うーん…あ、そうだ。朱里さん、固有魔法使えますか?)
(でも、血が無いよ)
(そこは大丈夫です。わたしの右の頬が出血してるので)
(…大丈夫なの?それ…でもまあ、使わせてもらおうかな)
耳が十分に聴こえないのでテレパシーで会話を済ませる。
瞬間、右の頬に温かさを感じた。朱里の指だった。
渚の血を掬いとり、それを舐めた朱里は固有魔法を発動。攻撃的な人格に変化した。
(ありがとう、渚ちゃん…行ってくるね)
朱里は走り出し、激しい動きで斧を振る。
普通の魔女ならこれで倒れる筈なのだが、この魔女には効いていない様だった。
(…もしや、武器がダメなのか?)
斧で金属を斬るのは難しいという事か。
なら、別の武器を使えばいい。
朱里は魔女に魔力弾を放っている渚に叫んだ。
(ごめん渚ちゃん、ちょっと武器貸して!)
(へっ?)
(いいから!)
(わ、分かりました!)
強い口調で言うと、渚は戸惑いながらも武器―魔法の杖を投げてきた。
それを魔力で強化し、思いっきり振り下ろす。
物凄い音がして、魔女の躰が大きく凹んだ。
手応えを感じた朱里は、続け様に杖を振るう。
「うああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
がむしゃらに殴る。
魔女は命の危機を悟ったのか、再び攻撃してこようとした。
だが、それよりも早く渚が魔女の口(音が出る部分)を躰全体で塞いだ。
暴風と爆音が荒れ狂う。渚は踏ん張るがその躰は吹き飛ばされた。
しかし、攻撃の全てが渚に集中したから朱里に被害は無かった。
(渚ちゃん…!)
朱里の内に怒りの炎が燃え上がる。
その怒りをエネルギーに変えて、朱里は杖を魔女の躰に叩きつけた。
汗が飛び散り、朱里の咆哮が空間を揺らす。
何度も、
叩き、
壊し、
蹂躙し、
魔女の存在を消し去る事に、朱里は全身全霊を注いだ。
*
…気が付くと、結界は解除されていた。
朱里は大の字になって地面に転がっている。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。女生徒は自力で学校に戻ったのか、姿は無かった。
躰は汗だくで、変身を解除すると制服が肌に張り付いた。
横を見る。渚が同じ様に倒れていた。
その手には、先程の魔女が落としたと思わしきグリーフシードが握られている。
朱里の聴力は回復したが、攻撃を至近距離で喰らった渚はそうはいかないだろう。
それでも…ボロボロになりながらも、渚は微笑んだ。渚が身を呈して魔女の攻撃を受けた事を怒ろうと思っていたが、渚の微笑みを見るとその感情は霧散した。
テレパシーを送る気力もないのだろう。ただこちらを向いて微笑むだけ。
だけど―朱里にはそれで十分だった。
朱里も微笑み、手を伸ばす。
渚もぎこちなく手を伸ばし―ふたりは拳をコツンとぶつけた。
魔女に魅入られた女生徒の処分や男子生徒の安否など、気になる事はある。
それでも―今のふたりは、希望に満ちていた。
小さな一歩だけど、ふたりで協力して魔女を倒せたのだ。
そしてそれは、きっとこれからも続いていく。
素直に、そう思えた。