反町渚の希望と絶望   作:転寝

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第7話「こわれてしまったおんなのこ」

 夢を見た。

 それが夢だと気付いたのは、自分が過去に体験した事をそのままなぞっているからだ。

 自分は幼い少女で、床に押し倒されている。自分を床に押し付けている男の口からは酒臭い呼気が吐き出されていた。

 自分が着ているTシャツが捲られる。栄養不足で痩せ細った躰が顕になり、男は物足りなげに顔を顰めた。

 これは夢だ。それが分かっていても、過去のおぞましい記憶が再び展開されている事に耐えられない。

 スカートを脱がされる。悲鳴を上げたら殴られた。床に勢いよく頭をぶつけ、意識が遠くなる。

 次いで、下着に手がかかり…それを引きちぎられる寸前、母の叫び声と共に、男がウッと叫び声を上げた。

 男が横に倒れ、躰が解放される。

 今なら分かる。母は変身して、娘を守る為に戦おうとしたのだ。

 

「逃げなさい!渚!」

 

 母の叫び声。

 次いで、自分が哀願するように叫んだ。

 

「おかあさんも一緒に行こうよ!このままだと、おかあさんが…」

 

 しかし、母は首を横に振った。

 

「…わたしは行けない。もう、限界なの…だから、逃げなさい。わたしが穢れ切ってしまう前に!」

 

 母の手には黒い宝石が握られていた。

 黒くて禍々しい穢れを内包した、(おぞ)ましい宝石。

 何故かは分からないが…それを見た瞬間、自分は悟った。

 母は穢れ切る寸前なのだ(・・・・・・・・・・・)、と…。

 本来なら、ここで逃げ出す筈だ。だがしかし、自分の躰は動かなかった。

 

「お願い!逃げて渚!」

 

 母の声にも、躰が反応しない。

 男が怒声を上げながら母に飛びかかる。

 ふたりが揉み合うさまを、ただ見ている事しか出来なかった。

 その内に母の手に握られていた宝石が穢れを溜め込み、完全に黒くなる。

 瞬間―母が絶叫した。

 断末魔の叫びと共に母の躰がふわりと浮き、禍々しいエネルギーが爆発する。

 そして、宝石がカタチを変えてゆき、さらにそこから、何かが生まれた。

 それはまさしく、絶望的な光景だった。

 

 

「………!」

 

 渚は勢いよくベッドから起き上がった。

 寝汗をびっしょりかいていて気持ち悪かった。枕元の電灯を点け、電池を消耗して若干遅れている目覚まし時計を見てみる。時刻は午前四時を指していた。起きるにはいささか早い時間だ。

 最近、ずっと同じ夢を見る。おかげで少しばかり精神が参っていた。今日のように早く目覚めてしまう事もしばしばあるくらいだ。

 寝直そうにも、目が冴えてしまって中々眠れない。汗をかいているし、シャワーでも浴びようと思って渚はベッドから降りた。

 どうせ今日も制服なので、下着だけ持って脱衣所に向かう。母と森岡夫妻が起きてくる気配はなかった。

 服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びると絡まっていた思考が徐々に整理されていくのを感じた。

 あの夢にどのような意味があるのかは分からない。精神分析でもすれば分かるかもしれないが、渚は心理学者でもなんでもない。

 そもそも、有り得ない事なのだ。母は自分と一緒に生活しているし、魔法少女が魔女になるなんて話はきいた事もない。 

 渚はシャワーを浴び終えると制服に着替え、本を読む事にした。

 一時間ほど読書をしてから朝食の準備をした。ここに来たばかりの頃は料理が全く出来なかった渚だが、今はある程度ならこなせるようになっている。進歩というべきだろう。

 起き出してきた森岡夫妻に挨拶をしてから朝食を食べ、歯を磨いて学校に向かった。

 その頃には、夢の事はほとんど考えなかった。

 

 

 学校で授業を受けているうちに眠くなったが、何とか耐え抜く事ができた。

 放課後になると朱里と合流し、魔女退治を始めた。ある意味お決まりのパターンではある。

 初めて出会った頃と比べて、渚の動きは随分と良くなっていた。特に最近はマミの影響もあるのか、見違えるような動きを見せる事もあった。

 この日も魔女をふたりで楽々と撃破し、結界から出た。

 

「お疲れ様です!」

「お疲れ様〜。まだ少し時間あるね…何処か寄って行く?」

 

 朱里は隣街から来ている為、滞在時間が電車の時間に左右される。今回は早く終わった為、時間に余裕があるという事だろう。

 朱里の言葉に、渚はうーんと考え込む。ややあって何かを思いついたのか、「そうだ!」と呟いてから朱里にきいた。

 

「時間ってどれくらいありますか?」

「結構あるよ。一時間半と少しくらい」

「なら…わたしの家に来ませんか?」

「渚ちゃんの家?」

 

 朱里は驚いてきいた。今まではそういった事がなかったからだ。

 

「実は、おじさんとおばさんに『たまには友達を連れて来てもいいんだよ』と言われて…折角だしどうかなと」

 

 渚の提案をきいて、朱里は少し考えた。

 渚の事情はある程度きいていたし、彼女が森岡夫妻と住んでいる事も知っていた。渚が自分を誘った理由としては、あらかじめ事情を知っているから誘いやすいというのもあるのだろう。

 朱里自身、友達の家に行くという経験は初めてだったし、渚の申し出が嬉しかった。だから「渚ちゃんさえ良ければ」と頷いた。

 

「本当ですか!?わたしの家、すぐ近くなので案内しますね!」

 

 渚の表情が嬉しそうなものに変わり、意気揚々と歩き出す。

 可愛いなぁと思いながら、朱里は渚に着いて行った。

 

 

 渚が現在住んでいる家―森岡家は建ててからかなりの時間が経過しており、外見もそれ相応に古びている。

 だが、渚にとっては大切な場所なのだろう。にこにこしながらドアを開け、中へと入っていった。

 

「ただいまです、おばさん」

「お帰り渚ちゃん…あら、お友達を連れてきたの?」

 

 渚の声をきいてリビングから出てきた女性―森岡美佐子が朱里を見て驚いた顔をした。

 

「は、はじめまして…藤野朱里と申します。月場(つきば)中学校の三年生です」

「月場中?あの中学校、まだ残っていたのね」

「おばさん、知っているんですか?」

 

 渚がきくと、美佐子は懐かしそうな顔をして、

 

「月場中は私の母校よ。卒業したのはかなり前だし、その頃から校舎はかなり古かった筈だけど…」

「あ、私が入学する前に改築したんです。今は綺麗な校舎ですよ」

「そうなのね…」

 

 緊張していた朱里だったが、美佐子と学校の話で盛り上がる事が出来た為、緊張はすっかり解れていた。

 渚はそんな朱里を見て、微笑みを浮かべた。

 

 

 その後、美佐子が持ってきた煎餅をお茶請けにして三人で談笑していた。

 渚の学校の話や、朱里の話、美佐子の思い出話など…話題は尽きない。最も魔法少女の話題は出せないので、日常の話がメインだったのだが。

 美佐子がしょうもないジョークを言って場を和ませたところで、朱里が思い出したようにきいた。

 

「渚、お母さんは?」

「……………え?」

 

 その言葉をきいて、美佐子がぎょっとした。

 渚はそれに気付いているのかいないのか、笑顔で朱里に言う。

 

「二階にいると思います。多分呼んでも来ないと思うから、行ってみますか?」

「あ、うん。挨拶したいしね」

「じゃあすみません、その前にお手洗い行ってきます…」

 

 渚は立ち上がるとリビングを出ていった。

 朱里はその姿を見送ってから美佐子に話しかけようとして、彼女の表情が複雑なものになっている事に気付いた。

 

「どうしたんですか?」

「…渚ちゃん、お母さんの事を話したの?」

「はい…ある程度の事情はきいていますけど…」

「そう…なのね」

 

 美佐子は悲しそうな表情になり、俯く。

 しかし直ぐに顔を上げると、真剣な様子で朱里を見つめた。

 

「…朱里ちゃん。渚ちゃんのお母さんは…海乃さんは、本当に生きていると思う?」

「え?だって、渚ちゃんが…」

 

 朱里が言い終わらないうちに、美佐子が立ち上がる。

 それから「着いてきて」と言い残すと、リビングを出て二階に上がっていってしまった。朱里は戸惑いながらもそれに着いていく。

 二階にはいくつかの部屋が並んでおり、そのうちのひとつに「なぎさ」と書かれた木の札が掛かっていた。恐らくそこが渚の部屋なのだろう。

 美佐子はその隣の扉に目を向け、独り言を呟くように言った。

 

「…朱里ちゃんには今から見るものをそのまま受け入れて欲しいの」

「受け入れる…?」

「渚ちゃんが初めて連れて来てくれた友達だもの。あなたには知る権利があると思って」

 

 美佐子の言葉にただならぬものを感じた朱里は、口内に溜まっていた唾を飲み込んでからゆっくりと頷く。

 それを見ると、美佐子はドアを開けた。

 ちいさな机と椅子、そしてベッドがあるだけの殺風景な部屋。そしてその中にひとつ、異質なものが混ざっていた。

 

「これは…?」

 

 朱里は「それ」を見て戸惑った声を漏らす。

 それは―大きなクマのぬいぐるみだった。椅子に座り、壁をじっと見つめている。

 と、後ろから(あしおと)がして、渚が入ってきた。クマのぬいぐるみを見つけると、その表情が一際明るいものになり、ぬいぐるみに近寄ってこう言った。

 

「ただいま!()()()()!」

 

 その言葉に。

 朱里は、思考が停止した。

 

「お母さん、この人が朱里さんだよ。私がお世話になっている先輩…」

 

 渚はぬいぐるみを愛おしそうに撫でて、優しい声でそう言った。

 目の前の状況が理解出来ない朱里に、美佐子がそっと声を掛けた。

 

「渚ちゃんのお母さん…海乃さんは行方不明になっているわ。その事実を受け入れられなくて…渚ちゃんは壊れてしまったの」

 

 美佐子の言葉に、朱里は呆然と渚を見た。

 渚はクマのぬいぐるみに話し掛け、笑顔を浮かべている。

 その様子は…母親に甘える娘そのものだった。

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