反町渚の希望と絶望   作:転寝

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第8話「慈母の魔女」

 目の前には、幼い子供の様にクマのぬいぐるみを抱きしめる渚がいる。

 それは別におかしな事ではない。女の子の家にぬいぐるみがある事はごく普通の事であり、だからこの光景もおかしくないはず。

 しかし…その光景は、朱里の目には異常に映った。渚がクマのぬいぐるみの事を「お母さん」と呼んだからだ。

 つまり渚にはぬいぐるみが母親―反町海乃に見えているのだ。

 その光景を直視出来なくて、朱里は思わず目を逸らした。

 なぜ?

 なぜ、渚はこんな事になっている?

 頭の中でぐるぐると渦巻く疑問に答えを見出す事は出来ない。

 そもそも、渚の母親は生きているはずなのだ。渚がキュゥべえと契約した時に叶えてもらった願いは…「お母さんと幸せに過ごしたい」というものだったのだから。

 詳しい事は分からないが、渚には乱暴者の叔父が居たらしい。その叔父の暴力から自分を庇った母親を助ける為、渚はキュゥべえと契約したとの事だった。

 なら、母親が戻ってきてもいい筈なのだ。クマのぬいぐるみなどではなく、本物の母親に甘えていてもいいはずなのだ。

 なのに…何なんだ?この光景は…。

 朱里は吐き気と目眩を感じ、グッと目を瞑った。

 美佐子が自分を呼ぶ声がする。

 だが、それに応える気力はない。

 脳裏に、渚がぬいぐるみに甘える姿が焼き付いていて…それが朱里を苛んでいた。

 

 

 …気がつくと、朱里はベッドに寝かされていた。

 傍には美佐子と、ぬいぐるみを抱いた渚が居る。朱里が目覚めた事を確認すると、その顔が安堵に染まった。

 

「朱里さん…!よかったぁ…」

 

 渚が安心した様に砕けた笑みを浮かべる。美佐子もほっとした様子だった。

 

「…あれ、私、どうした…」

「目眩だろうね。急に倒れたからびっくりしたわ」

 

 美佐子はそう言ってから、朱里に顔を寄せて、

 

(…気持ちは分かる。でも、今は渚ちゃんがいる…だから、今は話を合わせてちょうだい)

 

 そう言った。

 おそらく、美佐子は朱里の不調の原因を正しく把握しているのだろう。

 朱里は微かに頷くと、「…そうなんですよ。最近貧血気味で…」と苦笑いを浮かべて話を合わせた。

 

「大丈夫ですか…?」

「大丈夫だよ。渚ちゃんのお母さんも、いきなり倒れてすみませんでした」

 

 朱里はクマのぬいぐるみにそう話し掛ける。

 当然、反応はない。なんでこんな事になってしまったのだろうと思いつつ、朱里はまだ心配そうにしている渚に微笑みかけた。

 と、その時…。

 

「――っ!」

 

 躰に電流のような感覚が走り、ソウルジェムの指輪が熱くなる。魔力の反応だ。

 同じ反応を渚も感じたらしく、表情を変えて朱里を見た。

 朱里は大丈夫だというように頷き、ベッドから起き上がった。

 

「すみません美佐子さん。私たち、行かなきゃ…!」

「え…ちょっと!」

 

 朱里は部屋を飛び出し、リビングにあったカバンを回収すると「お邪魔しました!」と叫んで家を出た。

 その後ろから渚も追い掛けてきた。朱里と並ぶとソウルジェムを宝石型に変え、魔力反応を探り始める。

 

(電車は…間に合わないか)

 

 森岡家に長居しすぎてしまった。これから魔女と戦うとなると、帰るのは遅くなるだろう。

 だが、そんな事を理由に逃げ出す訳にもいかない。朱里もソウルジェムを宝石型に変え、魔力反応を探った…ところである事に気付き、声を上げた。

 

「この魔力パターン…渚ちゃんのと似ている…?」

「えっ?」

 

 渚が驚いてこちらを見る。自分の魔力パターンなんて気にする事はないから、気付かなかったのだろう。

 

「本当だよ。かなり似てる…」

「どんな魔女なんでしょうか…」

 

 渚が少しばかり不安な表情になるが、直ぐに元の表情に戻り、魔女を探し始めた。

 何となく…嫌な予感がした。

 

 

 結界は直ぐに見付かったので、渚と朱里は変身し、中に入った。

 僅かばかりの自由落下をした後に地面に降り立つ。そして目の前に広がる光景に…ふたりは絶句した。

 そこは何処かの家のようだった。家具は全て取り払われており、殺風景な部屋の中には澱んだ空気が充満している。

 そして…その中央に、魔女が居た。どうやらいきなり最深部に突入したらしい。

 魔女は女性の形をしていた。躰は半透明で、胸の中央にはコアのようなものがある。そこが弱点なのだろうと直ぐに判断出来た。

 顔はのっぺらぼうで、生気はない。魔女は侵入者を認識したらしく、オペラ歌手のように手を広げた。

 瞬間、半透明の触手が魔女の背中から伸びてきた。かなりの速さだ。

 

「渚ちゃん!」

 

 朱里が渚を突き飛ばし、ごろごろと地面を転がる。一瞬遅ければその触手は渚を貫いていただろう。

 

「大丈夫?渚ちゃん…って、どうしたの?」

 

 渚は辺りを見渡した後、目を見開いて固まっていた。肩を揺するが反応がない。

 もしかして、何処かに怪我でもしたのか…そう思っていると、渚が掠れた声で呟いた。

 

「…ここ、わたしの家だ…」

「え…って、うわっ!」

 

 どういう事だとききかえそうとしたところで触手が伸びてきた。朱里は渚を抱え込むようにして横に転がり、辛くも回避する。

 

「ど、どういう事!?渚ちゃんの家って…」

「わ、わからないです…でもここはわたしの家なんです!家具はないけど…ほら、あそこ…!」

 

 渚が壁のある一点を指差す。

 朱里がそこを見ると、子供の落書きのような絵が描かれているのを見つけた。

 

「あれ、わたしが小さい時の落書きなんです…」

「まさか…じゃあ、本当に渚ちゃんの家なの?」

 

 そんな会話をしている最中にも触手は伸びてくる。

 流石に対応出来るようになってきたので、得物である斧を取り出し、触手を切り裂いた。

 その勢いのまま突貫し、魔女に向けて斧を振り下ろす。本来なら魔女の頭を叩き割るはずのそれは、しかし無数の触手に防がれ、届かない。

 すぐさま一本の触手が朱里の足を絡め取り、思い切り振り回して壁に叩きつけた。

 

「朱里さん!」

 

 それで我に返ったのだろう。渚は魔力弾を複数放ち、魔女の気を逸らした。

 朱里は直ぐに体勢を建て直し、再び魔女に突貫した。

 渚も朱里も、場数はそれなりに踏んできた。今も渚が幻覚の魔法で魔女の動きを止め、朱里が斧を振り回してその躰を切り刻もうとしている。

 しかし、幻覚の魔法が効いていないらしく、朱里の攻撃は悉く触手に防がれた。それどころかカウンターとばかりに横から叩き付けられた触手をかわしきれず、思い切り吹き飛ばされる。

 

「なんだこの魔女…強い!」

 

 口の端から流れ落ちる血を拭いながら、朱里は忌々しげに呟く。脳震盪でも起こしたのか、躰が言う事をきかなかった。

 渚も襲い掛かる触手を紙一重で避けながら魔力弾で反撃するが、全く通じていないようだった。

 

「あ…………っ!」

 

 それどころか、背後から忍び寄ってきた触手に足を貫かれ、その場に膝をついてしまう。

 

「渚ちゃん!」

 

 朱里が叫ぶ。

 魔女は動けない渚に近寄ると、触手を構えた。

 一瞬の後、渚は無数の触手に貫かれる…筈だった。

 

「…え?」

 

 突然、周りの景色が変化する。

 殺風景な部屋から、夕暮れに染まる街並みへの変化。魔女の結界から追い出されたのだと気付いたのは、それから暫く経った後だった。

 

「…どういう事?」

 

 朱里は半ば呆然としながら呟く。

 それは渚も同じようで、突然の出来事に戸惑っていた。

 と、そこに小柄な影が現れた。キュゥべえだった。

 

「慈母の魔女と戦ったみたいだね」

「慈母の魔女…あれが?」

 

 慈母の魔女とは、以前見滝原に現れ、巴マミと戦った魔女である。

 人を襲わないときいていたが、侵入者に対してはその限りではないのだろう。

 朱里は手も足も出なかった事に俯いた。と、そこで渚がキュゥべえにきいた。

 

「キュゥべえ、魔女が侵入者を逃がす事ってあるの?」

「ボクの知る限りではないよ」

 

 キュゥべえは即答する。その答えをきいて、疑念が募ったのだろう、渚は先程起こった事をキュゥべえに話した。

 

「…慈母の魔女は、わたしに攻撃する寸前で結界から排除した…そんなことが有り得るの?」

「ないけれど…もしかしたらという事はあるかもね」

 

 キュゥべえは無機質な眼で渚を見た。

 

「特にキミに対しては、慈母の魔女が予想外の行動を起こす可能性が僅かばかり増えるのかもしれない。これは興味深い事だ」

「どういう事?」

 

 渚は単純に気になってきいただけだったのだろう。

 だが、その好奇心が破滅を齎す事になるとは予測出来なかったらしい。

 キュゥべえは淡々と、その答えを口にした。

 

「慈母の魔女は、キミの母体…反町海乃が魔女化した姿だからね。そういう事が起こらないとは言いきれないんだ」

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