ブラック・ジャック→怪我治す。巻き上げる。
思いついたので初投稿です。
待ちに待った新バ戦。
「残り400! 混戦模様、誰が抜け出してくるのか!?」
脚は溜めてある。大外だけど、ここからなら――
「大外から5番が突っ込んできた!突っ込んで…いや、もう突き抜けている!」
あと300。250、200…。
「抜けた抜けた! 2バ身、3バ身といったところでゴール!」
「素晴らしい追込でしたねえ。今後の活躍に期待が高まります」
そうだ。今回は勝ったけれど、まだまだ始まったばかり。気を引き締めないと―――!?
「…おや? 一人、蹲っています」
「これは…優勝した5番です!どうしたのでしょうか!?」
そこからの記憶はない。目が覚めた時に見せられた新聞が、私の評価を下していた。
『栄光一転、競走能力喪失か』
眼前も展望も、全ては黒く塗りつぶされた。
1枠1番 イレブン・バック
ウマ娘。
彼女たちは走るために生きている、そう言っても過言ではない。そもそも、人並み外れた馬鹿力を有しているのに、彼女らの第一目標はレースである。それは魂…ウマソウルに刻みこまれた、いわば本能であると考えられる。
しかしながら、人の身体に無理矢理詰め込まれたエネルギーは、しばしば身体を蝕むことになる。全力で走りたい本能がある一方、走れば走るだけ走行能力の喪失の危険性も高まっていくのである。
その危険性があるのに、ウマ達はとにかくレースで走ることをライフワークにする。それはともすれば狂気的であり、まさしく本能的である。
そんな彼女たちが、走れなくなったとしたら。すっぱりと諦められる者もいれば、なんとか足掻こうとする者もいる。彼女は、後者だった。
「…」
一人の少女が歩く。ぴょこん、と頭から突き出た耳が、何者であるかを無言で伝えている。
そこは人気のない道であった。少なくとも近くに人工物はなく、草原にただ砂地の道がまっすぐ伸びているだけの野原である。彼女は、走るわけでもなくとぼとぼと歩いている。
その足取りは、重そうである。それは彼女が俯き加減であるだけでなく、片脚を引き摺りながら歩くからである。
ウマ娘は、耳も鋭い。彼女の耳は、微かに聞こえる波の音をしっかりと捉えている。目的地が近づいていることを察し、少しの緊張を感じていた。
彼女は、元々期待を大いに受けていた。地元では負け知らず、中央トレセンの試験にも余裕を持って合格し、模擬レースでも良い結果を出していた。トレーナーにもすぐにスカウトされ、新バ戦も一番人気と、順調な競走人生をスタートした。
…はずだった。全てはレース後の怪我に帰結する。
「股関節の脱臼です」
医師の診断を受け、彼女のトレーナーが青い顔を見せた。
「脱臼って…治りますよね?」
「脱臼自体は治せます。しかし…」
「しかし…?」
「…坐骨神経が損傷している可能性があります。少なくとも、レースへの参加は勧められません」
その言葉は正しく、一ヶ月、二ヶ月と経っても、彼女の脚には麻痺が残っていた。
「…」
色々な医者に診てもらった。しかし返ってくるのは同じ言葉。『日常生活なら…』である。
『どれだけ走れるのかわからない。そもそも、医者に走ることを禁止されている』
ある日、トレーナーが言った。
『麻痺が治る見込みは薄い。そして、トレセンとはレースを走るウマが集う場所である』
やんわりと、しかし確実に。
『つまり――』
「契約解除、それと引退勧告、か」
中央トレセンのレベルは高い。そんなことは子供でも知っている。怪我が重いことも知っている。しかし、それでも――例え地方に行こうとも――レースに出たい。その思いがあったからか、元トレーナーの言葉にはそれほど驚かなかった。
しかし、今の脚では地方どころかヒト息子とのかけっこにも負けかねない。そんなことを考えていた時、
「あら」
「あっ…たづなさん。こんにちは」
「こんにちは。…何か、ありましたか?」
心配げな表情のたづなに対し、彼女は自嘲気味に答える。
「トレーナーとの契約を解除しました。あと…近々、退学届も渡しに行くかと思います」
「…そうですか。それは、残念ですね」
「しばらくお世話になりました。それじゃあ…」
お辞儀をして立ち去ろうとする彼女。しかし、その腕を掴む者がいた。勿論、たづなである。
「万策尽きたなら…少しだけ、話を聞いていきませんか?」
「…あれか」
彼女が目指していたのは、海に突き出た岬だった。あまり人も近付かない、しかも落とし穴のような深い穴があり、危険な場所として地元では有名な場所である。
緑色の理事長秘書は、彼女にこう告げていた。
曰く「何でも治す、神のような医者がいる」
曰く「その分対価も高く要求される」
曰く「ツギハギのある瓢箪のような人である」
胡散臭いが、語ったのはあの駿川たづなである。もはや縋るようにして、今日彼女はそこを訪れた。
府中からはやや遠く、どうやっても帰るのは門限以降になる。しかしその点は、たづなが上手く調整してくれるとのことだった。
そこには平屋の建物があった。この時代にはなんとも古めかしい様式というか、別荘のような造りである。
建物が近くなると、それまで以上にゆっくりと、ゆっくりと歩く。この辺りには深い縦穴があるという話を気にしているのである。
そんなことをしながら、10秒、20秒、30秒も経っただろうか。建物――家と呼ぶべきか―の玄関と思わしき扉の前に立つ。しばらく息を整えてから、意を決してノブを掴もうとしたその時、
扉が開き、黒い男が現れた。
出で立ちはまさに黒ずくめであり、その白髪と黒髪は綺麗に分かれ、何よりもその顔は――
「ツギハギ…でも、瓢箪じゃない」
「よくわからないが、患者かい?」
「…耳を見る限り、ウマかい」
少女がぴくりと体を揺らす。
「そういう貴方は、医者にしては白くないですね。むしろ真逆です」
建物の中は、しっかりとした医療器具があちこちにあった。それは彼女の緊張を高めることはなく、むしろ医院であることを雄弁に語っており、緊張を和らげるものだった。
「ま、ここにくる時点で大体は察しがつく。走れるようにしろ、ということだね?」
「はい。できますか?」
「診てみないとなんとも」
そう言うや否や、触診を開始する。
「股関節の脱臼に起因。さらに、それによる座骨神経の圧迫、損傷。そうだったね?」
「そんな感じです、たぶん」
ぺたぺたと脚を触りつつ、もう一方の脚も触る。
「怪我をする前から、右が痛かったのでは?」
「多少はありました」
「左も不安だ。無意識の内に、右を庇って走ってしまったのだろう」
触診を終え、レントゲンを撮り終える。
「結論から言えば、日常生活に支障がない程度には戻せるだろう」
「…それじゃあ意味がないんです」
「何、レースが全てではないだろう。甚だ不可思議ではあるが、君たちは力も強いしルックスも良い。そう困ることはないと思うが?」
「それじゃあ! 意味がないんです!」
彼女が、俯きながらも大声を出す。
「頑張ってきたんです!頑張って中央に入って、トレーナーが付いて!ようやくデビューして1着になったと思ったら、これで終わりだって!」
かつて自分が負かした相手が、順調にレースを勝ち進んでいく。対して自分はトレーナーにすら見放され、学園から出て行くことを望まれている。引き摺る脚を見るたびに、医者への疑念、トレーナーへの絶望、ライバルへの羨望、さらに己自身の無力を感じ続けていた。
「多少なりともレースを走っていたなら、諦めもついたかもしれません。でも、たった1レースなんです!一度だけ走って、一度だけ勝利の喜びを味わせておいて、もう走るな?冗談じゃない!」
「そこまで言うなら、覚悟を見せてもらう」
「…覚悟?」
訝しむような声色とは裏腹に、彼女は微かな違いを感じていた。彼女を診察してきた医者は、少なくとも患者に覚悟を求めることはなかったからである。
「手術料その他諸々で、これだけ頂こう」
男は、ばっと両手を広げてみせた。
「…100万円ですか? それとも、1000万ですか?」
「あまり驚かないのかね」
「地方だろうとレースさえ走れれば、そのくらいは稼いでみせます。それで、どちらですか?」
ぶっきらぼうに言う少女に対し、男は口角を釣り上げながら告げた。
「どちらでもない。10億円を請求する」
「じゅ、10億!? そんなお金どうやって!?」
待ってましたと言わんばかりに、男はさらににやりとしたり顔を浮かべる。
「10億なんて、中央の、それもほんの一握りのウマ娘にしか!」
「だから10億だ。それは、おまえさんが自分の脚に付ける価値だ。トップを取ろうという気迫もないのに、レースに復帰するのかい」
「…」
少女がちらりと見るのは、自分の利き脚、右の脚。不随意にぴくりと動くような、とてもレースには使えない脚。
「さて、どうする?」
「…」
額を汗が伝う。もちろん、彼女は自分の実力に自信を持っていた。少なくとも、生まれてから新バ戦までは負けたことがない。しかし、10億である。そこでふと、彼女は違和感を抱いた。
「医者なんですよね?」
「そうだとも」
「10億も請求したら、法律違反か何かでは?」
「無免許なんでねえ。このところ、また医師連盟がうるさくなってきたがね」
「む、無免許…」
彼女は呆然とした。しかし、堂々とモグリを名乗るその顔は、微塵も動じた気配がない。
「…本当に。本当に、また中央で走れますか?」
「それはお前さん次第だ。治ろうという気がない人間は、どうやったって治らないもんさ」
夜の東京・府中。
傷心のウマ娘が寮に帰っていない。ひょっとして…といった具合に、トレセン学園は大騒動になっていた。
「危急ッ! たづな、状況は?」
「警察にも動いてもらっています。しかし、目撃情報もあまり芳しくはないようです」
「…迂闊ッ! 心理的なケアを怠った!」
デスクに拳を叩きつけるのは、学園理事長の秋川やよいである。その音に驚いてか、『少女』の元トレーナーが肩を震わせた。
「それで、トレーナーさん。最後に会った時、彼女に何か変わった様子は?」
理事長秘書、たづなが問う。
「憑き物が落ちたように、とても晴れやかな顔でして…。失踪するなんて思いもしませんでした」
「軽率ッ! われわ…彼女達は走ることが本懐!それを取り上げるとなれば、慎重になることが肝要ッ!」
「そもそも、引退の是非は自らが判断するべきこと。トレーナー側から促すというのは頂けません」
重役二人に詰られつつも、トレーナーは応える。
「しかし…医学的観点から見て、彼女が走ることは不可能でした。だというのに、レースに向かおうとする姿はあまりにも痛々しいものが…」
不意に、理事長室に着信音が鳴り響く。と、人並み外れた速度で受話器が取られた。
「確認ッ! 見つかったのか!?」
『はい! なのですが…』
電話の相手、内線を繋ぐ学園の事務が言いよどむ。
「疑問ッ! 何か問題が?」
『それがですね、来学の許可を求めていまして…』
「む? 彼女がか?」
『いえ、彼女を保護したという人物が…』
「確認ッ! 誰なのだ?」
『それが…
ブラック・ジャックと名乗っています』
「ブラック・ジャックだと?」
やよいは目を開いて言葉を発し、それを聞いたたづなは僅かな笑みを浮かべる。
「許可ッ! ここへ案内せよ!…ああ、一応入校許可書を書いて貰うように。署名も忘れずにな!」
「貴女が理事長か?」
男――ブラック・ジャックは、怪訝な目でやよいを見ている。
「肯定ッ! そして君がブラック・ジャックだな」
女、秋川やよいも同じ目をしている。
(理事長…些か小さいが)
(黒い…そして、顔面の継ぎ接ぎ…。なるほど)
前者は外見から率直に驚き、後者は自分の知識と外見を照らし合わせていた。
「それで、彼女は?」
「涙目の友人に囲まれていましたよ。…ところで、貴女は私をご存知のようで」
「うむ。…たづな」
やよいは発言を促し、たづなは首肯する。電話からの僅かな時間で用意した資料を手に、彼女は口を開く。
「ブラック・ジャック。本名は間黒男。闇医者として世界各地に赴き、患者に法外な手術料を要求する一方でその技術は極めて高く、依頼が絶える事はない…とのことです」
「うむ、ご苦労! そんな男が、生徒に何用…とは聞くまでもない、か」
「よくご存知で」
肩を竦めるブラックジャック。
「で? 当学園、いや、私には何用か?」
「話が早い。…ウマ娘用の設備が揃った手術室を借り受けたい」
「…了承ッ! メジロ病院に話を通しておこう!」
「ありがたい。では」
ブラックジャックはすっと立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとするも、元トレーナーが慌てて立ち上がる。
「ちょっと待ってください! 理事長、闇医者ですよ!? それも世界有数の! そんな輩に、生徒の手術を任せるのですか!?」
「無論ッ!些かがめついところがあるが、彼は危険人物ではない!…と、思う」
「しかし…たづなさん!」
「いいんじゃないですか?本人が受けるつもりならですけれど。ねえ?」
「もちろん。契約書はしっかり書いてもらうさ」
おそらく、最も正論なのは元トレーナーである。しかしこの学園においては、理事長が黒と言えば黒なのである。
そうこうしているうちに、闇医者は部屋を去っていった。
「…認めません!こんなこと、認めませんよ!」
語尾を荒げながら、元トレーナーも去っていく。
「…たづな、これで良いのだな?」
「技術については、どこぞの鍼灸師とは比肩になりません。お金については…まあ、出世払いなので頑張ってもらいましょう」
「雑ッ! それでいいのか?」
「あの人は、払えない額は要求しないでしょう。彼女の能力を見据えているのだと思います」
「昔取った杵柄というものか。彼は気づいていないようだったが」
「…まあ、そんなこともありましたね」
たづなはちらりと足元を見て、すぐに視線を戻す。
「それに、医師連盟は彼をかなりマークしているようです。羽休めの時期というのも必要なのではないでしょうか?」
「震撼ッ! たづなは時々恐ろしい!」
「嫌ですね。私はただただウマ娘の幸せを考えているだけですのに」
都内某所・メジロ病院。
その名の通り、巨大グループであるメジロ系の病院である。メジロ家がウマ娘の家系であるということもあり、ウマ娘の扱いには慣れているとされる。
「おむかえでごんす」
病院入口で待っていた二人を、鼻の大きな病院関係者が呼びにきた。
「さて、心構えはできたかね?」
「10億…10億…」
契約書にサインした後も、少女はぶつぶつと呪文のように繰り返し続けている。
「おむかえでごんす」
「うるさい!わかってるよ!」
「ごんす…」
苛立つ少女に怒鳴られ、関係者がすごすごときた道を戻っていく。
「行ったら治る…でも10億…。行くは恥、行かざるは一生の恥…」
「はーい、つべこべ言わずに行きますよー」
メジロだけあって、看護師にも元(現?)・ウマ娘が在籍している。彼女らに押され引かれて、ようやく少女は進み出した。
「10億…10億…」
「はーい麻酔いきますよー」
「10お…もう食べられないよお…」
患者が眠りについたところで、外科医たちは気を引き締める。
「メジロ家の主治医です。今日は勉強をさせていただきます」
「こちらこそ、急に押しかけてすまんね。…さて、そろそろ始めようか」
神のようなメス捌きで、手術はスムーズに終わった。
「すばらしい。ブラックジャック、噂に違わない腕でした」
「お前さんの注射技術もなかなかだった。あれなら痛みも少ないだろう」
「お嬢様方に暴れられては命に関わりますので」
病院入口へと向かいながら和気あいあいと話しているところへ、ガヤガヤという人々の声が聞こえてくる。
「深夜だというのに騒がしいですな」
「…いや、これは警察のサイレンです。何か事件でもあったのでしょうか」
と、病院玄関を出たところで警察官がぞろぞろとやってきた。ブラックジャックを見つけると、彼らは真っ直ぐに向かっていく。
「間黒男! 医師法違反、その他もろもろの容疑で逮捕状が出ている!」
あっという間に取り囲まれ、慣れた様子でバンザイをするブラックジャック。
「…あなた方、ここが病院、それもメジロのそれと知ってのご判断か?」
「メジロがなんぼのもんじゃい!ちゅーかおんしら、無免許医に執刀させとるやろがい! 一緒にしょっ引いたろか!」
どこ出身か分からない警察官が挑発するも、別の警察官が羽交い締めにする。
「メジロはやばいって!そもそも逮捕状ないし!」
ブラックジャックを確保すると、大勢いた警察官はそそくさと立ち去っていった。
もう食べられないよお。
ヒョウタンツギはもう食べ飽きたよお。
まだあるのお?
いやもう…
「いらないって!」
「起床! 長い睡眠だったな!」
彼女が目を開けると、そこは知らない天井だった。しかし、自分を覗き込む幼い顔は知っていた。
「えっ…と、理事長さん、ですよね?」
「私もいますよ」
たづなもひょこっと顔を見せる。
「えっ。ここはどこで、何がどうなっているのでしょうか」
「ここはメジロ病院で、貴女は手術を受けました。その結果、無免許の手術をしたとして先生が逮捕されて今に至ります」
「へえ。逮捕ー。ん、逮捕?」
「肯定ッ!なかなかまずいことになったぞ!」
「いや、どっどっどっどうするんですか。いや、これは手術代がチャラになるとかそういう――」
「はいそこまで。一旦落ち着きましょう」
お茶の入ったコップが差し出され、少女は一息に飲み干した。
「はぁ。…そもそも、なぜお二方はここに?」
「うむ! 君の手術には我々も一枚噛んでいる!彼に対しても、それなりの負い目というものがあるのだ!」
「そもそも、貴女の元トレーナーさんが医師連盟の関係者でして…。手術の話を聞いて、どうやら警察を動かしたみたいなんです」
「そこでだ!彼を上手いこと解放させ、さらに君にとっても悪い話ではないプランがある!」
ごくり、と喉が鳴る。誰のものかは言うまでもない。
「彼はトレセン学園所属で、君のトレーナーだった!そしてトレーナーの業務範囲として、君に治療行為を行った!というテイだ!」
「より正確には、トレセン学園保健室長兼ウマ娘担当トレーナーだった、というテイですね」
職権乱用どころか、捏造行為である。しかし、トレセン学園では理事長が以下略。
「いや、えっ。あの、大丈夫なんですか?」
「白か黒かで言えば、真っ黒だ!」
やよいが扇子をばっと開くと、そこには「漆黒ッ!」という文字が。
「そ、それで。私は何をやらされるので?」
「簡単なことです。記者会見で、『マッサージの延長上の行為』とでも言って下されば」
「マッサージ(外科的行為)だな!」
「えっえっ」
「あら、理事長。そろそろお時間が」
わざとらしく言う秘書に対して、
「そうか!そんな時間か!」
わざとらしく答える理事長である。
「そういうことで、お願いしますね」
そう言い残して、去っていった。
「え。え。あの…その…」
「ということでして。あ、これ差し入れです」
留置場のアクリル板を挟んで座るのは、緑の秘書と黒い闇医者である。
「いいんですか? 後ろに刑務官がいるのにそんな話をして」
「いいんですよ。…よろしくお願いしますね?」
たづなに声をかけられた刑務官は、帽子を取って一礼する。隠れていた二つの耳が露わになった。
「怖い怖い。なるほど、最初から私に手術をさせて医師連盟を挑発するつもりだったと。逮捕によって私の退路をなくしたわけだ。ただ一方、トレセン学園を除いて」
「でも、逮捕されるほど目をつけられていたのは、元々の先生自身の行動のせいですよ?」
「よく言う。そもそも、私はいつ学園に所属したことになるのです?」
「それはまあ…こんな感じで」
たづなが取り出したのは、昨日の入校許可証である。一枚紙をめくると、そこにはカーボン紙、その下には契約書が挟まっている。
「ちゃんとサインがありますから。合意がなければ契約は成立しません。でも、両者が合意してしまえば成立するんですよね。今先生がサインを認めてしまえば、事後的に契約成立です」
「…いいんですか? 学園が医師連盟と対立するということですがね」
「知っていますか? ヒトはウマ娘には勝てないんですよ」
にこりと、悪魔にも天使にも見える笑顔が生まれた。
「わからない。そこまでして私を呼び込むのはなぜです?」
「…ウマ娘という生物は、走ることをやめられません。たとえ怪我をしても、治った後にはまた走る。食べることも大好きで、ふとしたことで寝不足に陥り、しかも肌荒れにも悩まされる。どうしようもない生物なんです」
懐かしむかのように語る。
「これまでも、これからも。怪我や病気というものは、ウマから笑顔を奪い去ります。でも、貴方なら。きっとみんなの笑顔を取り戻してくれる」
頭に手をやると、たづなは帽子を脱ぎさった。
「既に一人、救われていますから」
かつて、一人のウマ娘がいた。
彼女は怪我をし、さらに病毒に身体を蝕まれた。
手術は成功したが、しばらくの安静を余儀なくされた。
しかし、総じてウマとは腹を減らす生き物である。普段食堂でたらふく食べている身体は、まだかまだかと食を求める。
しかし、男の医者の小さな医院であるし、米くらいしかない。そもそも調理にかける時間もない。しかたなく、医者は自分のストックを与えた。山ほどあったストックも、みるみるうちになくなっていった。
「いつか返します」
腹の虫を鳴らしながら、赤面しながら、彼女はそう言っていた。
つまり、どういうことかと言えば。
「ボンカレーは、どう作っても美味いのだ」
留置場の格子から月を眺めながら、差し入れを食べる男がいた。
考えなしになんとなーく書き始めたわりには、文字数が結構書けました。秘書さんが黒幕になってしまいました。やっぱり緑の悪魔やなって。