目の前が真っ暗になる。
信じられなくて、父親に手をのばそうとしたところ、ぐらり、と父親の身体が傾き、横に倒れた。
パキリ、パキリ。音とともに父の身体が凍り付いていく。
「……大した腕だ。あの状態で反応するなんてな。
仕込みがなかったら危なかった。幻術の腕、土遁のスピード、――そして、写輪眼。
凄えな。これが“うちは”一族って奴なのか」
倒れた父に視線を向けつつ、敵の忍は、乱れた呼吸を深呼吸で整えようとする。先程まで気絶していたからか、疲労の様子は隠せてなかった。敵は片手印を組もうとし、――不機嫌そうに顔を顰めた。
軽く溜息をついた後、ソイツは苦無を手に取り、無造作に私の方へと身体を向ける。
苦無の先端が黒光りする。そこにあるのは、感じたこともない洗練された濃厚な殺気だった。
「――――……!」
声が出ない。身体が震える。
目の前にいる男に、隙という文字はない。――動けない。
だって、どう動いたらいいのか解らない。
だって、どう動けば正解に辿りつけるのか解らない。
だって、どう動いたって、この前の男の手の動き一つで殺されてしまう
知らなかった。絶対的な実力差がある人間を前にしたとき、人は、死ぬ以外の未来が見えなくなってしまうということを。
――本当に、知らなかった。大切な人が傷つけられると、此処まで頭が真っ白になってしまうなんて。
息すらも出来ず、立ち呆ける。思考することを、頭が放棄していた。
手足が勝手に震える。頬の横を、冷たい何かが伝っていった。
そんな私を見た敵は、何故か殺気を揺るがせた。頭から足の先まで見た後、どこか戸惑ったような顔で私を見下ろす。
「――なんでだよ、小せェじゃねーか。……
額当ても、してねェのか。
問いかけではなく、思った事が言葉として零れ落ちたようだった。
黙った敵の忍と視線が交差する。その時に、私も気が付いた。遠くで見た印象よりも、彼は若い。
ひょろっと高い背。そこに纏う
彼は、私から視線を外し、門の中を見た。
目が揺れる。その先の向こうにあるのは、木ノ葉の街並みだった。
「そうか。――そうかァ。ここも、里だ。……”隠れ里”なんだもんな。
そりゃ
今見える左右で違う色を持つ瞳も、あの時のような幽鬼のような印象は既にない。
遠目で見えた紅くおぞましく光った片眼は、今は梅鼠色に濁っていた。視力を失ったのか、そこにはもう光を灯してはいない。
彼は、複雑な感情の瞳に乗せ、静かに口元を歪ませた。
「ああ、クソ。俺が使ったのは――――忍でもねェ”
最期まで、
自嘲混じりの声で呟き、敵の忍は私を見つめた。
「なあ、お嬢さん。礼なんざいらねェだろうが、――ありがとな。良い隙が作れた。
手前勝手の話で悪いが、これは俺の最期の旅路でな。ど派手な花火を今か今かと待ち望んでやがる、碌な義理もねェ上の奴等の言う事聞くのは
こんなとこまで来ちまったんだ。他の
深く男は息を吐く。そして、くしゃりと自分の頭を掻きまわした。
「”ごめん”も、”すまねェ”も、言わねェ。
大丈夫。どうせ俺も、帰れねェ。地獄への片道切符は切られちまったんだ。後ですぐ追いかけるさ。
鬼事、缶蹴り、雪合戦――好きな遊びでも思い浮かべな。そうしたらちったァ怖くねェから。先に逝っちまった妹もいる。一緒に、あの世で遊ぼうぜ」
先程までとは違う、穏やかな声。寂寥を感じさせる、虚ろがそこにあった。
少年は、静かに目を閉じ、少しして開けた。開かれた硝子玉には、感情という色は削ぎ落されていた。
敵が苦無に力をこめる。より濃厚な殺気が叩きつけられ、背筋が凍った。
腰が抜けそうになり、ヒュウっと息が漏れる。――その時だった。
敵の苦無が、下から飛び上がった何かによって弾き飛ばされた。キン、という音がして、あらぬ方向に飛んでいく。
「――――アアアアアアァ!!」
敵が叫び声をあげ、頭を押さえた。
倒れていた父が、手裏剣を投げたのだ。氷の浸食がまだ及んでいないその顔には、赤い瞳の中で三つ巴が浮かんでいた。父は、荒い息をそのままに、敵を睨み付けながら一言だけ叫んだ。
「――――いきなさい!!」
稽古時よりも鋭い、張り詰めた声に、身動きできなかった身体が動き出す。
弾かれたようにして、そこから飛び出した。先ほどまでが嘘のように、里の外へと走り出す。
精一杯手足を使い、男から遠ざかった。里から離れるようにして、駆けていく。
ザクリザクリ、と苦無が突き刺さる音。男性の呻き声。背後から聞こえるその声に悲鳴を飲み込んだ。――父の声だ。
(――おとうさん!)
涙が零れ、息が引きつる。足を止めては、ならない。
走って。走って。
必死に地面を蹴り飛ばして。
我武者羅に走っていたが、その逃避行もすぐに終了した。
「あ、ぅぐ……!」
足に衝撃が走り、前に倒れた。敵の手裏剣によって、左足の
何とか立ち上がろうとして手に力を入れると、自分の身体の横に急に気配が現れた。腹を蹴っ飛ばされ、さらに地面に這いつくばる。私の目の前には、ふらついた霧隠れの忍が、肩で息をしながら苦無を片手に立っていた。頭を押さえ、苦々しい表情だ。
「ハァ、ハァ、…っクッソ…。痛ってェな…。
まったく、本当に良い腕だ。あのオッサン、死にかけの癖して、遠慮なく揺さぶってくれやがって…。
チャクラももう素寒貧ってのに。しかも、クソいらねえ置き土産までついてくるときた。動きにくくて仕方がねェ…」
倒れている背中を見られた。そこにある団扇の文様に、敵は目を鋭くさせる。
苦無の先が、私の頭に向いた。そして、私の顔を見て、何かに気が付いたのか、敵は父をちらりと見た。
「そうか、……納得いった。そりゃ死に物狂いで揺さぶるわ。お前さん、”うちは”の
じゃあ、ダメだな。もとより生かしておくつもりはなかったが、仲間の為にも生かせねェや。
優秀な血を引いたことを、忍にしかなれねェ自分を――恨むんだな、クソガキ」
静かな温度の無い瞳とぶつかり、ひくり、と喉が鳴る。
本当に自分に悪態しかつけない。早くから
過りかけた走馬灯。ふと、此処で。――父の言葉が頭の中をよぎった。
『オビトを――よろしくな』
――そうだ。
ツンツンと跳ねた頭が、ゴーグルに喜ぶ幼い顔が脳裏に浮かぶ。
私は此処では死んじゃいけない。だって、そうしたら、あの子が――オビトがひとりぼっちになってしまう。
『まってるからな、ねーちゃん!』
ヤクソク!と笑うのは、今の弟だ。
――そう、私は約束した。
出来る事を、しなければ。
たとえ、死ぬのがほぼ確定していたとしても。生きる可能性がゼロに近くても。
それで、生きるのを諦めたら、待っている
約束した。そうだ、約束したのだ。
(――――生きなくちゃ)
震えていた手を、押さえつけるように握りしめる。その時、何かの歯車がカチリと、合わさった音がした。
目が、目の奥が、熱くなった。反比例するように、頭の中はさえわたっていく。
瞳がじわりと彩られていく。筋肉の動き、チャクラの流れ。敵の呼吸と、その動作。一気に叩きつけられる情報量が増えていく。
「じゃあな餓鬼。――先に渡ってな」
敵の言葉と共に、苦無が放たれる。――同時に。赤の瞳に巴が形を成していく。
かなりの速さのはずのそれが、驚くほどスローモーションに此方に向かってくるように見えた。
――捉えた。
回る。回る。回りだす。
くるりくるり、くるくると。不完全な巴が動き出す。
視界が、脳がうなりをあげた。測定、観察。計測、調整。――完了。
苦無の到達までは恐らくあと2秒。
――なら、やることは一つだけ。
印を結び、視認できるようになった自分のチャクラを一瞬でくみ上げる。足にありったけをつぎ込んで、地面を蹴った。脹脛の痛みは既に気にならなかった。チャクラコントロールなんて、二の次だ。暴発でも動けばいい。――それに。
おそらく、今の『視える状態』なら、チャクラは今までより上手に使える。そんな確信があった。
バシっと足元から鋭い音が響き渡る。吹っ飛ぶ形で、思いっきり横に飛びのいた。
「――なんだと!?」
避け切れず、左頬を苦無が切っていた。浅くはないが致命傷じゃない、と脳が冷静に判断を下す。なら、問題はない。敵の声を背に、そのまま転げるようにして走り出した。足に足に。普段の倍以上のチャクラを練りこみ地を蹴り飛ばす。
不格好だが、明らかに以前までと違う速度だ。離れなければ――生きなければ。約束を、
必死に走った時間は短かった。――だが、どうやらこれが私の命を取り留めたらしい。
相手の忍が私を掴み上げようと手を伸ばすのと、
限界を迎えた足に力が入らなくなった。小石に躓き、地面を転がる。必死に呼吸をし、身体を起き上がらせようと力を込める。
木ノ葉の忍は、敵を蹴り飛ばし、周囲の惨状を見て顔を歪めた。
「ああ、クソッ……! なんてことだ! ウルシマル、医療班に連絡を!
君、怪我は大丈夫か!?」
ウルシマルと呼ばれた
力強い腕に抱き上げられた。痛みに呻くと、全身をさっと見られたのが解る。
(――――ぎんいろだ)
ふわふわと揺れる、太陽もないのに、鈍く光っているような銀の髪。
視界の端で揺れる逆立った髪に目を見開く。次いで見えた黒い瞳とその顔立ちに、一人の名が浮かんだ。
私の顔を、目を見て、その男も目を見開いた。「その瞳は…」と、かすれた声が漏れる。
「ハハ……、痛ってェな……。流石、早ェーな、白い牙さんよォ……。
……アンタが此処にいるって事は、向こうは、終わっちまったのか」
ヨロヨロと少年が起き上がる。口の中の血をペッと吐き捨てて、白い牙――はたけサクモの方に身構えた。
「そっか、終わっちまったか。
……まァ、でも。これで良かったかもしんねーや」
白い牙の腕の中にいる
私を抱えこみ、刀の切っ先を向けるサクモさんを彼は見つめた。
「残念だったな。誤魔化されてしまったが、もうお前たちの狙いはバレたぞ。
時機に木ノ葉の
「――はは、馬鹿じゃねーの。
アイツが
ははは、と嗤いながらも、途中で彼は痛みに顔を顰め、ぐらり、と身体を揺らした。敵は――少年は、立っているのも辛いのか、膝を支えにしゃがみこむ。
膝をつき、傷ついた左肩を抑え、低く呻いた。口元が歪む。
「もっと背景を知りたいなら、お前さんの大将――の相方って奴に聞いてみたらどうだい? ………なんてね。
いいさ、好きにしろよ。もう、なんも残ってねェ。なんも、ねェんだ。碌でもねェ
……俺の大事なモンは、皆、川向こうにいっちまったよ」
もう、何を恨んでいいかもわかんねェや。
そうくすりと少年はわらった。警戒を残しながらも、その言葉に押し黙るサクモを見て、霧の少年は可笑しそうに声をあげる。
「どうしたんだ、白い牙。あの戦場での殺気は、俺たちを震え上がらせた闘気は、そんな軟なもんじゃなかった筈だ。
木ノ葉の英雄なんだろ? ――一騎当千の忍なんだろう。何で、そんなアンタがそんな間抜けな
こんな世の中だ。――関係ねェ他人の、知らねェ何処かの、ありふれた不幸の一つだろうが」
俺等がつけた傷でも開いたか、と霧の少年は問いかける。茶化すような内容の癖に、その声は酷く穏やかだった。
年不相応に静かな少年の語りに、サクモさんの腕に、力がこもった。唇がすっと引きのばされる。
「――ありふれていたとしても」
落ち着いた低音が、鼓膜を揺らす。
「不幸は不幸だろう。痛いものは痛いように。不幸は、――辛いさ」
決して大きくはない声が、はっきりとその場に響いた。
静けさが横たわる。そんな中、少年の言葉がポツリと落ちた。
「不幸は、――辛いのか」
「誰でもな」
「痛いものは、痛いのか」
「ああ。経験した者だけしか、”全て”は解らないかもしれないけれどね。
「そっか。――そうか。なあ、アンタ」
言葉が切れる。
「俺の話で――――アンタも痛いのか」
白い牙は、その言葉には答えなかった。ただ、近くにいた私は、その黒い瞳が何かの感情を写したのが見えた気がした。
口を結び、そして、歪め。もう一度「そうか」と少年は呟いた。
「――は、ははは。笑っちまうよ。アンタさ、あんなに凄ェ忍なのに、変、つーか……アレだ、不器用だな。そんなんだと、いつか足元、掬われちまうぞ。はは、おっかしいや」
軽快な声が空気を震わせる。寒々しいそこに、温度がある声が響いた。
暖かな声に混じって、カラン、と音が反響する。少年が手にしていた苦無を放った音だった。
「白い牙なんぞが、こんな俺を――痛んで、くれるのか。なら、もういいかなァ。
ありがとう。最期の敵がアンタで良かった」
白い牙が慕われる理由が解った気がするよ。
そう、少年は微笑んだ。
若木のような骨ばっていない手が、印を結んだ。霧が少しずつ晴れていく。凍り付くような寒さが少しずつ薄らぎ、周囲の景色が顔を出した。
空にあるのは相変わらずの曇り空だ。それでも、それを柔らかな顔で少年は見つめる。
「痛くない
「――いいや」
少年は首を振る。そして、曇天の下で、澄んだ色の片目を瞬いた。
「
血まみれの碌でもねェ思い出に、上には
なら、今更だ。俺だけ仲間外れはやだよ。最期まで泥船に乗って、一緒に沈むさ」
「――そうか」
少年と英雄の視線が交差する。そして、お互い口元に笑みを浮かべた。
「なら、さよならだ」
「ああ、――じゃあな」
交差していた視線が外れる。すう、と息を少年は大きく吸った。
パン、と強く柏手が打ち鳴らされる。湿った空気を勢いよく切ったその音とともに、少年の身体から大量のチャクラがあふれ出した。
対峙するサクモも、自由な方の片手を使い、ベストから巻物を取り出した。チャクラで生まれた空気の流れが次第に暴風となり、二人の間を渦巻いていく。
気温がどんどん下がっていく。周囲の木もパキパキという音を上げ、氷ついていった。
「上手に守れよ、白い牙! ど派手にいくつもりなんでよォ!
男の
一発だけのドでかい花火、一世一代の大舞台。演目『散り際』、観てってくれよな!」
片手印を結び、敵はニヤリと悪ガキの様に笑う。少年らしい、無邪気な悪戯気な笑顔だった。襤褸となった上着を脱ぎ棄て、高速に手印を切っていく。
露わとなった少年の身体の上に文様が浮かびあがり、薄氷色のチャクラが走った。練りこまれていくチャクラ量は、弱った身体の何処に隠し持っていたのかと思われる程膨大だ。少年の発言通り、周囲を巻き込むドでかい一発が来るのだろう。
瞬時にサクモは、両足にチャクラを練りこんだ。瞬身の術を使い、その場から一気に距離を取ると、私を横に下ろし少年に向き直る。
取り出した巻物に自分の血を擦りこむ。両手印を結び、地面に押し込んだ。ブン、と音がして周囲の地面にチャクラが走っていく。
遠く離れた二人を見て、少年は安堵したように笑った。
「――生きろよ。餓鬼」
届けるつもりもない言葉を呟き、少年はその双眸を閉じる。
サクモが結界を張るのと同時に、――結界の中で氷が爆発した。
結界が解ける。氷の欠片がキラキラと舞い上がった。
無事である結界の外、そしてまともな形が残っていない内部。血の臭いもしないかわりに、倒れている人の影すらも、もうない。父の姿も――もう、見えなかった。
(――――)
意識が遠のく。空を舞う細氷が、雲の隙間から漏れた僅かな太陽の光を反射する。曇天の空に踊る氷は、雪とは別の幻想さをはらんでいた。
遠のいていく。視界が狭まっていく。
サクモさんが忍犬をさらに呼び出し、私に言葉をかけていたが、生憎のチャクラ切れだった。意識がブラックアウトし、目の前が暗くなっていく。
次に目を覚ました時には、消毒の臭いが身体を包んでいた。
木の葉病院に搬送された私は、泣き腫らしたオビトと一緒に、改めて父の死を告げられた。
事切れた父は、残った身体も全て一族の者によって、骨まで焼かれ――ただ一つだけ、額当てのみが帰還した。当て布の一部は千切れ、爆風で金属の板は歪んでいた。
そして。
後から知ったが、――巴こそ1つでしかないものの、これを契機に私は写輪眼を開眼した。
――――父の死、という、大きすぎる代償と引き換えにして。
パックンの前任のつもりで書いてます。忍犬って寿命どれくらいなんでしょうね。