「むーりーでーすーーー!!!」
私は、そう叫ばずにはいられなかった。
7月も末になり8月がすぐそこに迫った夏の日。歩くだけで溶けてしまいそうなほどの日差し。
遮るものもないトレセン学園の校庭を歩く私は、自然とうなだれてしまう。
頭を下げるほどに小柄な私の影は長く伸びていく。まるで私の行く末を暗示しているようだと思ったら、ちょっと笑っちゃった。
「はあ~い、キティちゃん。浮かない顔してるわね」
私の影にもう一つ影が重なった。
聞き慣れた声。頭を上げると美しい宝石と視線が合った。
キラキラと私を魅了する二つのアメジスト。それに心奪われたせいで手放して成してしまった私の意識を何とか取り戻す。
それは宝石ではなく、ウマ娘だった。
長く伸びた耳、艶のある栗毛。赤く縁どられたサングラスは、光の加減でギラリと私を見つめていた。
間違いない、彼女は私の担当ウマ娘だった。
「パサ姐……」
「そんな顔してちゃ、夏バテしちゃうわよ。こんないい天気なんだから、この暑さだって楽しまなきゃ損でしょ?」
私を釘付けにする彼女の名前はシーキングザパール。
宝石みたいな双眸は私を酩酊させる。呆けた私は、彼女の女優みたいに艶のある厚ぼったい唇の動きを追うことしか出来なかった。
「だから、踊るわよ。情熱的にね!!!」
「え?」
パサ姐のあまりに酔狂さに、私の酔いは瞬く間に醒めた。
こんな暑い中、自分から熱くするのかと思った。でも、彼女はそうなのだ。
パサ姐はいつだって、理性も投げ出すくらいに感情に身を委ねる。雨よりも晴れが好きだ。暗い表情がいる子がいれば、その子が笑ってしまうほどに、楽しそうに振舞う。
「あなたたち、準備はいい?」
「イェーイ!」
「難しいことなんか考えずに踊るわよ。今、この瞬間、世界の中心は私たちなんだから!」
俯いていた私では気づかなかった。パサ姐と他の子たちは、ライブの練習をしていたみたいだ。たぶん、聖蹄祭で行われるライブに向けてだろう。
情熱的で激しい音楽に合わせてパサ姐は軽やかにステップを踏んでいく。玉のように汗をこぼしているのに、疲れなんか感じさせない楽しそうな表情。彼女の汗が反射してキラキラとその顔を照らす。その顔はとても綺麗で美しいと思った。
「実家を思い出すわね。ベガスでは毎晩のように踊りあかしていたわ」
息を切らせながらも、その動きはキレを増していき、より大胆に彼女自身の内なる情熱を開放していく。
「ほら、キティちゃん」
そのステップを維持しながらも彼女は、私に手を差し伸べる。
「Shall we dance?」
少しだけ温い風がこちらに吹いた。その言葉は私の燻ぶった心を勢いづけるのには十分な風量だった。
上からギラギラと日が照り付けて来て眩しいのに、それが二つになったぐらいに彼女の笑顔は輝いていた。太陽みたいに眩しいのに、とっても優しい光に触れたくて、気づけば私はパサ姐の手を取っていた。
「楽しみましょう? この太陽も呆れちゃうくらいにね」
その輝きに私は茹だってしまい、全身が沸騰しそうなほど熱かった。言葉を紡ぐこともままならない。ただ、彼女に促されるまま、彼女の言葉に突き動かされるように体を動かす。ステップを踏む。ただ、それだけに注力していた。
気づけば、何に悩んでいたかも分からなくなり、心のままにステップを刻む。
ただ、この時に身を任せていたかった。この時間がずっと続けばいいのに。そう思えて仕方なかった。
ああ、最高だ。
「違うんですううう! こんなことをしてる場合じゃなかったああああ」
心は踊った。でも、悩みが解決することはなかった。一時の快楽に身を委ねてしまった私は、頭を抱えながら反省する。
「そうなの? でも、キティちゃんは楽しそうに見えたけど」
「それは!…………そうだけど。でも、また無理難題を押し付けられたから、なんとか解決しないといけないの!」
「いつもの理事長の突然の思いつきってやつ? あなた、いっつもそういうの任されてるわよね」
「任されるんじゃなくて、押し付けられてるんだよ!」
お門違いなのはわかっているけれど、私はパサ姐の呑気な態度をみて少しだけ苛立ちをぶつけてしまった。そんな、私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は私の頭を撫でてなだめる。
「そうね~、ごめんなさい。で、なんて言われたの」
……ご機嫌取りなのはわかっているけれど、やっぱり嬉しいものは嬉しい。
「最近、寮にこもりっきりで不登校のウマ娘をなんとか説得してほしいんだって」
「あはは、本当にいつものやつじゃないの」
「笑い事じゃないよ! 元不登校児の君だから同じ悩みの子の気持ちが分かる? そんな訳ないじゃん!」
私の無理難題を聞いたパサ姐は、またカラッとした声音で笑い飛ばした。今度の私の怒りは絶対に正当だと思うから、絶対に謝らないし。
トレセン学園に入学できるウマ娘は一握りの逸材だけだ。そして、入学後にはその逸材たちも世界の広さを知り、更なる高みに至るためにより一層励む。
しかし、逸材といっても彼女たちウマ娘はまだまだ思春期の少女たちだ。心身ともに不安定であり、世界の広さに絶望して自分の殻にこもることだって少なくはない。放置しておけば、おのずと彼女たちは揺蕩うように、学園からドロップアウトしていく。
それを防ぐため、トレーナーを含めたトレセン学園の職員が防波堤のように尽力する。そしてその役に私は抜擢されやすいんだ。
私はトレーナーという立場だけれど、それでもレースの世界の残酷に触れて、揺蕩いかけた。でも、それを引き留めてくれた人がいた。
「で、どんな子たちなの?」
「今回言われたのは三人のウマ娘。一人目は部屋の中から出てこなくて、扉越しに話しかけたら誹謗中傷ばかりで周りの子たちも扱いに困ってるって」
「大変ねえ」
「二人目は一応、外に出てくることはあるんだけど、ずーっと黙ってるんだって」
「ふーん。喋る元気がないのかしら」
「三人目は声をかけても返事をせず、部屋にこもりっぱなしでずーっと泣いてるみたい」
「ホントに、難しい子たちね」
「無理だよ……」
「そんなことないわ」
パサ姐は断言して私の顔をじっと見つめる。
「その子たちは、まだここにやり残したことがある。彼女たちの煌めきは全部が消えた訳じゃない」
眩しいほどに明るかったパサ姐の目元が少しだけ鋭くなる。何かを見つけよるように目を凝らす彼女はトレジャーハンターのようだった。
「無理無茶無謀、一見とっても難しいけれど、可能性はゼロじゃないわ。私たちはそれを見つければいい」
彼女の視線に、言葉に夢中になっていた。だからだろうか、体が浮いていることさえ私は気づけなかった。
「わわっ」
いつの間にか私はパサ姐に抱えられていた。彼女の腕の中、互いの吐息が聞こえるような距離で彼女は私に囁いた。
「可能性がある限り、諦めなければその子たちはまた輝けるわ。そうでしょう? キティちゃん」
これだ。
この囁きに私は手繰り寄せられた。
パサ姐が私を見つけてくれた。また輝けると、燻ぶった私の心を燃え上がらせてくれた。その彼女がやろうと、出来ると言うんだ。
じゃあ、やるしかないじゃないか。
「…………ついて、きてくれる?」
答えは分かっているのに、私は聞かずにはいられなかった。
「当たり前よ。私はアナタの担当ウマ娘なんだから」
「うん……」
彼女の返答は眩しすぎて直視できなかった。私は腕の中に顔をうずめてしまう。
「こんないい天気に負けないくらいに情熱的な作戦を考えましょう。そうしたらその子たちの表情だってきっと晴れるに違いないわ」
私を抱えながらパサ姐は、ライブの練習を中断して歩き始める。たぶん、ミーティングルームに行くんだろう。私たちの作戦会議の場所と言えばそこしかない。
実際どうなるかは分からない。でも、私はきっとパサ姐ならやってくれるんだろうなって確信を持っていた。
「はあ~い、そんなせま苦しいところにこもってないで、外に出ましょう? 呆れるぐらいにいい天気なんだから」
「パサ姐、そんなに、ガンガン扉叩くのは流石に……」
無理難題を押し付けられた翌日。
私たちはわずかな可能性を手繰り寄せるための作戦を立案した。そして決行するために、一人目のウマ娘の部屋の前にいた。
作戦名は『相手の気持ちに寄り添おう作戦』だ。……名前は体を現すって言うしこのくらい分かりやすい方が良い。たぶん、きっと。
この作戦の序盤は下手に出て相手の様子を窺うというものだった。だけど、パサ姐は見事に作戦など放り捨てて強行手段に出ていた。それは呆れを通り越して気持ちいいぐらいだった。
「……」
「おかしいわね。誰もいないぐらいに静かだわ。もっと叩かなくちゃ」
「あんまり、大事になるとそれはそれで大変だからそれくらいにしよう、ね!?」
私の必死の説得むなしく、パサ姐は扉を叩き続ける。
実際の所は1,2分だったかもしれない。でも体感で5分ぐらいパサ姐が叩いているとようやく、岩戸の中から声が聞こえた。
『そういうの本当にキモイから止めろよ。死ね』
「よかったわ、もしかして干からびてるんじゃないかって心配してたけど、まだ喋る元気はあるみたい」
「パサ姐!? そんな煽りっぱなしじゃ、解決するものもこじれちゃうよ!?」
パサ姐は情熱的過ぎて、相手の怒りまで更に燃え上がらせてしまうこともある。今回は彼女のその行動が裏目に出たようだった。
『チッ……陽キャは陽キャらしく中身の詰まっていない頭でバカ騒ぎしてれば?』
「あら、心外ね。私が何も考えてないと思ってるの?」
「え?」
パサ姐に作戦があるなんて聞いてなかった。だからだろうか、私は思わず口を抑えたけど、その疑問は既に零れていた。
「その通り! 何も考えてないわ!」
パサ姐は扉越しに人差し指を突きつけた。
ですよねぇ、パサ姐がこんな適当なことしてる時に何か考えてるわけがない。
『……マジでどっかいけよ』
めちゃくちゃ気持ちが分かるなあ。いや、本当にそうだ。
「でも、あなただってそうでしょう?」
だからこそ、もうパサ姐の領域に入ってしまった。彼女に対して反応してしまった。
『は?』
「勝てなくて悔しいのに、勝つためのトレーニングもせずに閉じこもってるなんて、頭詰まってないバカよりもよっぽど何も考えてないおバカさんじゃなくって?」
『な!?』
これだ。何も考えていない能天気だと思っていた相手から、一番言われたくない核心を突かれる。シンプルだけどだからこそ相当に心にくるんだ。自分の尊厳を傷つけられる。だから、次に取る行動もおのずと決まってくる。
『クッソ……アンタみたいな脳みそ空っぽにアタシのこの気持ちが分かるわけがないだろ! 今までアタシは勝ち上がってきた。たくさんの尊敬や賞賛を浴びた! でも、ここに来てからはそれもなくなった! ここに来るまでに散々イキッてたアタシが!……惨めなアタシのこの気持ちがアンタに分かるのかよ』
扉越しからも、劣等感や屈辱がはっきりと伝わってくる。そんな今にも泣きそうな怒声だった。
「全っ然わかんないわね!」
「パサ姐!」
扉越しのウマ娘はパサ姐に当てられて、怒りを燃え上がらせた。そして、パサ姐もその熱に煽られて更に、激しくなる。
「それはつまり、あなたが上を見上げることを知らなかったってことでしょう? 天井がすぐ近くにあるくらいの小さな世界だったってことでしょう? 世界が広いことを知らなかった。あなたは嘆いているみたいだけど私なら嬉しいわ」
『は?』
「広い世界だったら、私が知らない、見たことのないダンスがあるかもしれないわ。私の情熱をもっと燃え上がる素敵なものがあるかもしれないわ。世界が広いってことは、それだけ沢山のワクワクがあるってことよ」
『…………』
「あなたは、世界を見下ろす楽しさしか知らなかったみたい。でも、それだけじゃないわ。見下ろしてばかりじゃ目の前に広がる楽しいこと全部、見逃しちゃうわよ」
こんな言葉すぐに切り捨てられるぐらいには雑な説得で、ありふれた言葉だ。でも、パサ姐はそれで十分なんだ。彼女は言葉で、表情で、全身でその楽しさを伝えてくるのだ。冷静であれば何とでもなる。でも、パサ姐も彼女も、もう正常な判断がつかないほどに熱に浮かされている。
『…………じゃあ、どうしろっていうんだよ!』
彼女にもほころびが生まれてしまったみたいだ。
バカげてはいるけれど、信じてみてもいいかと、心の奥で少しでも思ってしまった。だから、そのほころびはドンドンと広がっていき、彼女の口から零れてしまった。
「踊るわよ。情熱的にね!!!」
『は?』
「キティちゃん、準備はいい?」
「まあ、出来てますよ」
パサ姐のお気に入りの曲が入ったカセットを地面に置き、私は曲をかける。
「楽しみましょう? この太陽も呆れちゃうくらいにね」
扉に向かってそう宣言した後に、パサ姐は踊り出した。
いつものように激しい曲で、パサ姐の中の情熱を昂らせていく。
パサ姐は踊りに夢中で気に留めていないだけれど、ここは寮の廊下だ。放課後で人もまばらにはいる。
当然野次馬が湧く、そうなればこの栗東寮の寮長であるフジキセキもやってくる。
私は、パサ姐が一曲踊り終わるまで、ひたすらに周囲に謝罪をしていた。
「ふー、情熱的ないいダンスだったわね」
「そうかい、じゃあご機嫌な君に、この事態の説明をしてもらいたいな」
いい汗をかいたとばかりに額を拭うパサ姐にフジキセキが話しかける。
フジキセキはパッと見とても爽やかな笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
「すいません! すいません!」
「うーん、私が踊りたかったから、踊った。それ以上でもそれ以下でもないわ」
中々の立腹加減を察した私が平身低頭で謝罪する。しかし、踊った本人は少しも悪びれてはいなかった。
「私は言いたいのは時と場所を考えろってことなんだけどねぇ」
「すいません! すいません!」
どうにか丸く収めよとする私の背後から、ガチャリとドアノブが回る音が聞こえた。慌てて振り返る。
「本当にそうだ。うるさすぎるんだよ、アンタら」
「……ポニーちゃん、大丈夫なのかい?」
固く閉ざされた岩戸が開いた。そこから現れたのは少しだけ眩しそうに顔に手を当てる鹿毛のウマ娘の姿があった。
「全然大丈夫じゃないし。うるさすぎて頭痛い。……ただ、こいつらのバカ騒ぎ見てたら部屋ン中でウジウジ考えてた自分がバカらしくなっただけ」
他人を貶すような口ぶりは、元来の彼女の性格みたいだった。でも、そんな憎まれ口を叩く彼女の瞳にはしっかりとした決意が宿っていた。
「ねえ、言ったでしょう? 前を向いたら楽しいことが広がってるって」
「今、見えてるのは喧しいことだけだけどね。……他人にごちゃごちゃ言われるのはもうこりごりだってわかった。だから、アタシはアタシのやり方で、楽しみ方を見つけることにする」
そういうと、鹿毛のウマ娘はパサ姐の方を向き宣言する。
「ダンスだけはない。それだけはやれって言われても絶対やらねえ! そんな暑苦しいクソださなことはごめんだから」
そう言うと、彼女は軽く運動するとフジキセキに告げてその場を離れた。
「うーん。これは……一件落着ってことね!」
「そうだね!……そうかな?」
「君たちのおかげで、廊下で音楽を流すなっていう規則を作る重要性を認識できたよ」
「すいません! すいません!」
フジキセキに謝りながら、私はパサ姐の手を引き栗東寮を離れる。フジキセキは渋い表情で私たちを見ていたけれどそれ以上のお小言もなかったし、追いかけても来なかった。払った代償は大きかったけれど、無事に一人目のウマ娘の説得に成功したのだ。
「やっぱり、踊るのは楽しわね」
「パサ姐……途中から説得とかどうでもよくなってたでしょ」
パサ姐の手を引きながら私は彼女をジト目で見つめる。パサ姐は私のその表情なんか気にも留めずにニコニコ笑っているのだ。呆れてしまうほどに。
「もちろんじゃない!」
「もう!」
目的も忘れてどこまでも楽しさを求めるパサ姐に少しだけ苛立ちを覚えた。だから、思わずパサ姐の手を握る力が強くなり、歩く速さも増していく。突然、前に進めなくなった。
「私はね、説得するために楽しんでたんじゃないの」
パサ姐が歩みを止めたのだ。それだけで私は前に進めなくなった。
彼女の真意を見つけるために、振り返る。
私の目の前に二つのアメジストが現れた。その美しさに瞳を奪われた。言葉を紡ぐ余裕もなくなった。
「楽しんでたら、いつの間にか説得出来てた。……どうにかしなきゃって思って肩肘張るよりそっちのほうが気楽で案外どうにかなると思ってる」
パサ姐の言葉が私の耳を撫でる。くすぐったくなって顔を逸らそうとするが、顎の先を掴まれて逸らせない。
「自分は違いますみたいな態度取ってるけど……キティちゃんだって、途中からどうでもよくなってたでしょ?」
このウマ娘は卑怯だ。
答えなんて分かってるのに言わせようとする。もう私の本音を見つけてる癖に知らないフリをする。
とっても卑怯でズルいウマ娘だ。
「…………バカ」
「やっぱり可愛いわ。あなた」
私のウマ娘は情熱的だ。でもそれと同じくらいに冷静で狡猾だ。
突拍子もない行動の裏には必ず彼女なりの根拠に基づいた自信がある。一見バカみたいな彼女の言動に少しでも反応してしまうと、もう終わりだ。狡猾なハンターに大切なものを荒らされて、全部奪われてしまう。
「わわっ」
「それにとっても軽い。吹いたら飛んじゃいそうなくらい」
まるで、子どもかペットを可愛がるように抱きかかえられる。彼女の腕の中はひどく心地よい。少しだけ力が入っているのは宝物を傷つけないように丁重に扱っている証なんだと思う。
それを察した私の心はひどく乱れてしまう。顔は熱いし、表情はぐちゃぐちゃだ。少しでも緩んだら、とってもだらしない顔になっっちゃうんだろうな。
「……そんなに軽くないし。下ろしてよ。一人で歩けるから」
「嫌よ。私がこうしていたいの」
ああ、もう!
めちゃくちゃだ。言い訳も出来ない。
私の心は既に彼女に荒らされて奪われている。
「そんなに肩肘張ってツンツンするより、楽しんだ方が絶対いいわ」
やっぱり、彼女は勝手だ。私の言葉や気持ちなんてお構いなしに行動する。私が本心では嫌がってないのを見抜いた行動なのがより性質が悪い。
だから、私の抵抗もささやかなものにしかならない。
「…………うっさい」
「あら、構いすぎて拗ねちゃったみたい」
うるさい。うるさい。本当にうるさい。
どうして、こんなに私の鼓動はうるさいんだ。彼女に聞こえちゃうかもしれないのに。
「私、今夜もスケジュールが埋まってるの。遅れないようにちゃちゃっと片付けないといけないわ。……ついてきてくれる?」
パサ姐は私の瞳を見つめてそう言った。答えなんて決まってるのに。キラキラのアメジストが私の言葉を引き出そうとする。
「…………しょうがないから、ついていってあげる」
「キティちゃんがいるなら絶対間に合うわ」
抵抗も満足に出来なかった。抗う間もなく、また私の心が彼女に奪われた。
こんなに、体が熱いのはきっと夏のせいだ。
そのくらいの抵抗はさせてほしい。だって、全部を受け止めちゃったら私は溢れて動けなくなってしまう。
だから、痛いくらいにこんなに胸が高鳴っているのは、太陽の熱に浮かされたせいなんだ。
彼女の腕の中で私は必死に自分に言い聞かせていた。
パサ姐と一緒に不登校になっていたウマ娘の説得を行った翌日。その放課後。
遠くを見れば景色が歪んで見えるほどにトレセン学園の運動場は熱されていた。
心なしか練習するもの少ない。たぶん、室内で基礎トレーニングを行っている子も多いんだろう。熱中症で倒れてしまえば元も子もないから。
そんな中で私は、ウマ娘を探していた。一人しかいないが。
こんなにいい天気なんだ、彼女は絶対に踊っている。確信を持ちながら辺りを眺めていると、宝石みたいな輝きに目を奪われた。
艶のある鹿毛をたなびかせながら、シーキングザパールはターフの上で踊るように駆けていた。
どうやら、彼女を含めた三人で併走しているみたいだった。
シーキングザパールの走り出しは、途方もない練習を重ねて自分の中に打ち込んだリズムを刻んでいく。
彼女が踏んでいくフロウはいつだって尻上がりだ。上がることはあっても下がるなんて言うのはない。
だからこそ、息切れしやすい。そんな彼女がクールダウンするために取る方法は一つ。
向こう正面、動きが変わる。リズムが変わったんだ。
遅くなった訳じゃない。ただ、上げ続ける必要がなくなっただけ。
流れるような素早いステップだが一定のテンポで彼女はターフの上を楽しそうに踊っている。
そのリズムは第三コーナーでも変わらない。
そして最終コーナーになり、彼女は更にリズムを変えた。
一定のリズムによって溜めた脚を惜しみなく使い彼女は駆けだす。今までは彼女なりのセオリーがあった。しかし、ここからは、いつだってシーキングザパールのアドリブだ。
「パサ姐、距離は取ってるんだからスパートはもうちょっと後でも」
彼女の走りを見て、私は思わず愚痴をこぼしていた。
シーキングザパールはこれまで差しとして走ってきた。でも最近は逃げを主体として走りたくなったらしい。そんな彼女もどうにか後方と距離をとりつつ終盤まで逃げることができていた。
彼女は早すぎるスパートを切った。逆にリズムを崩してしまうようなアドリブで彼女は自分の首を絞めた。それによって生じるスタミナ切れ。気づけば彼女は一番最後にゴールしていた。
目も当てられない。でも、そこまで気にもしていない。
「いつも通りのパサ姐だ」
シーキングザパールはいつだって自由だ。
セオリーも、イデオロギーも、思想も、勝算も、全部放ってしまう。何にも囚われない。ただ自分の中の楽しいだけを追い求める生粋のトレジャーハンター。だからこそ、安定した戦果とは無縁だ。そんなビバップみたいな走り方しか出来ない彼女だけど、シーキングザパールというウマ娘が走る中で彼女自身を表現するにはビバップが適切しかないとも思う。
彼女の走り方をもう一度分析していると遠くから声が聞こえる。
「キティちゃーん。こっちよー」
「わ、分かってるから!」
パサ姐は手を振りながら私を呼び掛けていた。
あんまり大きな声でそう呼ばないで欲しい。すごい恥ずかしいんだ、みんなから見られるし。
彼女に文句の一つでも言いたくて私は一生懸命駆け出した。
「グレイト! パールさんもエルも、とってもエキサイティングでした。まあ、勝ったのはワタシですケドネ!」
「ぐぐぐ! ま、まあ、これは練習ですし? エルは先輩たちより後輩なのでまだ伸びしろがあると言えます。だから、次はわかりませんよ?」
「Wow! それはとっても怖いですネ! まあ、次のWinnerも私ですケドネ!」
近づいていくとエルコンドルパサーとタイキシャトルの声が聞こえる。同じ海外出身であるためか二人ともパサ姐とよく一緒に練習しているの見かけていた。今日もその日だったようだ。
選りすぐりの逸材のみが集まるトレセン学園の中でも二人はかなりの逸材だ。タイキシャトルは言う間でもなく、エルコンドルパサーだって既にGⅠクラスで勝利を飾っている。これからのトレセン学園を担っていく一角であることは間違いない。そして、彼女たちはそれに見合うだけの勝ちたいという意欲に溢れている。
それが普通だし。強者とはそうでなくちゃいけない。
「あー、楽しかった。あそこで一気に燃え上がるのが楽しそうだと思ったけど、スタミナが切れるなんてね」
「Oh……パールさんは本当にフリーダムですネ」
「え、エルもあのくらいの心構えの方がいいんでしょうか……?」
「パサ姐のアレは真似しちゃダメ! エルコンドルパサーはエルコンドルパサーのやり方を貫かないと!」
「!?……そ、そうですね! エルはエルのやり方で勝ちまーす!」
トレセン学園を担う一角が歪な形になりそうなのを察知した私は、思わずその考えを大声で修正した。方向修正出来たことに胸をなでおろしていると、私の体が突然浮いた。
「あら、キティちゃん。それは私を盗られたくなってことでいいのかしら」
「~~~~~~~~っっ!!!」
気づけばパサ姐が私の脇の下に手を入れて抱え上げていたんだ。そして、彼女はからかうように私に耳元に息を吹きかける。瞬く間に私の体はゆでられたように真っ赤になり、声も出せなくなった。
「パール先輩!? そして、エルにアドバイスをくれたのは先輩のトレーナーさんだったのですか?」
「So cute タコさんみたいに真っ赤になって可愛いですネ」
「そうよ。構ってほしくてよくじゃれてくる私の大事な子猫ちゃんなの。盗っちゃダメよ?」
「わ、私は誰のものでもないし! パサ姐のものじゃない!」
必死に、パサ姐の腕を振りほどこうとするがびくともしない。
「見てちょうだい、タイキ。これがもっと構ってくださいっていうサインなの。だからこういう時はね脇をくすぐってあげると」
「あはははは、や、やめ、あははははは、も、う、ひぃ、あはははは」
「I see! ワタシ知ってマース! これがジャニーズイチャイチャですね」
「あ、あのー先輩のトレーナーさんは、何か用事があったのでは」
「あら、そうなのキティちゃん。それなら早く言ってくれたらいいのに」
「あはははは、はははは、ひ、ひぃ…………ぱ、パサ姐がいきなり掴んできたんでしょ!?……あはははは、はははは!」
準備動作なしでくすぐり出すのは拷問だと思う。本当に。
「そう言えば、パールさんのトレーナーさんは、どうして“パサ姐”なのデスか? “ザパ姐”でハ?」
「ああ、それはね」
「お、お二人とも! そろそろトレーナーさんのお話を聞いてあげませんか?」
「ぜえ、はあ……はあ、はあ」
エルコンドルパサーのおかげで、私はようやくパサ姐から解放された。とっても健気で心優しい子だ。私はこんな子に勝ってもらいたいな。
また拷問されるのは嫌だから、口には出さないけど。
「Take a deep breath!……とってもぐったりしてますネ」
「ちょっと、意地悪しすぎちゃったかしら」
少しも悪びれて様子で語るパサ姐を睨むけど、多くは語らない。沈黙は金だ。いつ私に返ってくるかわからない。二進も三進も行かないので、私はとりあえず本題に入ることにした。
「……生徒会がね、パサ姐に用があるんだって。タイキシャトルも呼ぶって言ってたから、タイキシャトルも一緒に来る?」
「生徒会が私に用事なんて何かしら。昨日で全員説得できたのよね?」
「うん、それは大丈夫。みんな、自分のペースで登校するようになったって理事長からお礼言われたし」
あの後、怒涛の勢いで私たちは解決した。勝因は主にパサ姐が踊りだ。なんで解決できたのか私にも分からない。
でも、踊りは世界を救う。彼女の踊りを見て、そう思わずにはいられなかった。
「今後のレースの予定についての相談があるみたい」
「へえ、私とタイキになんの相談なのかしら」
「ワクワクしまース!」
どうやら、何事もなく生徒会に向かえそうで私は安心した。
「…………」
エルコンドルパサー? そんなしょんぼりした顔で私を見ないで欲しい。いや、そんな大したことないかもしれないじゃん。別に、エルコンドルパサーの実力がどうこうではないと思うよ?
「……エルコンドルパサーも来る?」
「い、いいんですか!?……まあ、別にエルは気にしてませんが」
「…………うわあああ、パサ姐とタイキシャトルだけじゃ私、怖いよお。誰かもう一人ついてきてくれないかなあ」
「!?……しょ、しょうがありません、エルがついていってあげますよ!」
「???……Don't need to know エルは聞かなくてもいいのデハ?」
「これが子猫たちのじゃれあいってやつよ。楽しそうなことがあったら共有した方がもっと楽しいでしょ」
「That's right!」
改めて、私たちは生徒会に向かうことにした。
ーーーーー⌚ーーーーー
運動場でのジャージ姿から制服に着替えた三人を引き連れて、三回ノックした後に私は生徒会の扉を開ける。
「こちらに来ていただき恐悦至極だ。タイキシャトル、シーキングザパールとトレーナーくん。……それにエルコンドルパサーも来ていたのか」
真っすぐに伸びた背筋、鹿毛の中央に輝く三日月がひどく目を引く。抑揚をつけながらも明朗に騙るその言葉からは厳かさを感じる。私たちを見据えている彼女こそ、トレセン学園生徒会会長のシンボリルドルフだ。その側には副会長であるエアグルーヴが不機嫌そうに立っている。けれど、あの表情がエアグルーヴにとっては自然体なのだろう。
「え、エルはお邪魔でしたでしょうか?」
「エルコンドルパサーにも関係あるんじゃないかなって思って、私が連れてきたの!」
不安そうに尋ねるエルコンドルパサーをかばうが、やっぱり私もちょっと声が上ずってしまった。
シンボリルドルフの鋭い眼光は、いつ見ても恐れを抱いてしまうから。
しかし、私たちの緊張もすぐに弛緩した。
「フッ……そこまで緊張しないで欲しい。私は別に関係者以外に吹聴するなとも言っていないのだから。……ただ、少しだけ思ってしまったのだ」
彼女はそういいながら微笑んだんだ。
そして、少しだけ間をあけてから、口を開いた。
「国際色豊かな異色のメンバーだな、と」
「んんっ!……貴様らを呼んだのは他でもない。近々開かれる日米の親善試合についてだ」
「フフッ……国際色と異色、なかなかだな」
自分のダジャレに吹き出している皇帝と、話を進めようとする女帝。
生徒会という今のこの瞬間の空間が異様すぎて私はどこに意識を向ければいいか分からなかった。
そっと、後ろを見ると三人とも呆れたような表情を浮かべていた。
だよね。今はその表情だよね。自分だけおかしいわけじゃないことに安心すると、エアグルーヴが咳ばらいして仕切り直す。
「日本とフランスはスポーツを通じて、国家間の友好関係を国際的にアピールしたいと画策していた。そこで白羽の矢が立ったのがウマ娘のレースだ。日仏それぞれのURAが今回限りのレースを企画し、代表ウマ娘をそれぞれ送り出す。その代表にシーキングザパールとタイキシャトルの両名とすることを決定した」
「Wow!」
「ふーん、どうして私たちなの?」
勘ぐるような鋭い視線でパサ姐はエアグルーヴに尋ねる。
パサ姐の疑問に答えようとした女帝を皇帝が手で制止する。
「君たちにとってフランスに馴染みはないかもしれないが、外の世界を知っている。私のようにここしか知らない者に比べれば、場に呑まれるということも少ないはずだ」
それは……そうかもしれない。二人ともアメリカでの生活経験もあるし、環境が変わったからと言って調子が崩れるわけでもない。
「というのは一つの要因でしかない。君たちは日本を背負っている。そして、その威信を背負うに値する実力を持っていると私たちが判断した」
その言葉を聞いただけでゾクリと体が震えた。
「どうか、極東の小さな島国でも世界と渡り合えるということを証明してほしい。君たちという輝きを世界に知らしめてくれないか」
「Umm……それは楽しそうですネ!」
皇帝の提案に、先に答えたのはタイキシャトルだった。
「誰が相手でもNo problem! 私が世界に風穴あけマース!」
指鉄砲を使って、いつものように朗らかに語るタイキシャトルだったが、その瞳の奥には、確かな勝利への渇望があった。ひりつくほどに熱いものを彼女は胸の内に秘めている。はた目からでもそれはハッキリと感じ取れた。
「レースの最先端の国の一つで日本を背負ってレースに出る、ね」
「お気に召さなかっただろうか」
「いいえ! 最っ高よ。最高に楽しそうじゃない!」
パサ姐の瞳にも情熱が宿っていた。それは勝利を求めるチャレンジャーというよりは、自分を楽しませるためのエンターテイナーとしての情熱にも見えた。
「シーキングザパール。君の実力は確かだがいささかムラがありすぎる。言っていなかったが十日ないし二週間後には親善試合が組まれる。少しでも安定できるように取り組んでもらえると嬉しいのだが」
「考えておくわ!」
「フフッ……では期待しないでおこうか」
皇帝もパサ姐の情熱の方向性を見抜いたのか苦言を呈す。しかし、パサ姐には全く届いていないみたいだった。
というか、最大で二週間しか準備期間がないの!? 雑過ぎでは?
「待ってください!」
「ふむ、エルコンドルパサーか」
「え、エルもやれます! エルだって先輩たちと同じ海外出身です! 同じぐらい走れる自信があります!!」
エルコンドルパサーは、向こう見ずなぐらい真っ直ぐに自己アピールをした。彼女は自分の実力に誇りを持っている。自分の努力を信じている。私には持っていないキラキラを持っている。眩しいくらいの輝きだ。
「貴様、本来ならばここには招かれていないものが会長の温情で説明を聞いているのだ。あまつさえ既に決定した事項に異議を唱える……と?」
底冷えするような冷たい声音でエアグルーヴがエルコンドルパサーを睨む。その圧にエルコンドルパサーは少しだけ怯むが、その目だけは決して逸らすことはなかった。
「素晴らしいよ、エルコンドルパサー。君のような才気ある人材がトレセン学園にいるということ、私はひどく誇りに思うよ」
皇帝は再度、女帝の動きを手で制止しながらエルコンドルパサーに対して言葉を続ける。
「済まない、手短に終わらせるつもりで、いささか説明を省きすぎてしまった。今回の親善試合の詳細と、代表の選出をするようURAからトレセン学園に伝えられたのはここ一週間ほどのことなんだ」
「それは」
「そしてURAとしても寝耳に水だったらしく、急に親善試合の調整をしないといけないという混乱の中、どうにか、トレセン学園に概要を伝えてくれた。それぐらいに私たちは全てが後手後手に回っているんだ。今回の代表もシニア級以上の選手からと言われていた。だから、君はそもそも選考基準に入っていなかったんだ」
「そう、だったんですね……」
「落ち込まないで欲しいが、その気概は今後とも磨いていてほしい」
「え?」
「これは日本が世界に進出するための絶好の機会なのだよ。ここで弾みをつければ来年だって海外遠征の話が上がってくるだろう。そうしたら次は君の番だ。エルコンドルパサー」
「……」
「私たちの実力は他国のウマ娘に劣っているわけではない。未だ知られていないだけだ。だからこそ、この親善試合を惜しみなく利用させてもらう」
そういうと、皇帝は一息入れてタイキシャトルとパサ姐に視線を送る。
「君たちは鏑矢だ、世界にトレセン学園を知らしめる広告塔だ。気負う必要はない。敗北してもなんの問題もない。ただ君たちの中に宿る気高さを是非とも見せつけてくれ」
皇帝は一度も勝てとは言っていない。でも、彼女が要求しているものは言ってなくても分かってしまう。
「私たちのことを全く知らず、気にも留めていなかった奴らの視線をかっさらって来てくれ」
そして、皇帝は言外に語っている。君たちなら出来るだろうと。
私が走るわけではない。でも、どうしたって私も高揚してしまう。絶対に勝ちたいという気概に溢れてくる。なんだが出来そうな心地になってくる。
「自分が世界の中心だと信じて疑わずに、ふんぞり返ってるやつらに目にもの見せてやるんだ……楽しそうだろう?」
笑顔、というには獰猛すぎた。怒りというには歓喜に満ちすぎていた。
彼女の表情を表現するのに一番ぴったりなのはいたずらっ子の笑顔だろう。
いたずらと言えるレベルをとうに超えた知識や才能を持つ存在がそんな笑みを浮かべるのだ。
ただでは済まない恐ろしさと、おぞましさを感じる。でも、それ以上に、ブルブルと震えるぐらいにその笑みから零れた提案は新鮮でワクワクが詰まっていて、どうしようもなく魅力的に感じた。
だから、私は確信があった。これは私だけじゃない。私たち四人は全員、皇帝と同じぐらい恐ろしくも野心に溢れたいたずらっ子の笑みを浮かべていたと思う。
「ううう、やっぱり無理ですう」
「もう、現地に着いたじゃない。今さら怯えたって、逃げようとしたって意味ないわ」
私は、皇帝の熱に浮かされて、根拠のない自信に突き動かされて準備を進めていった。
空港までは何も問題がなかった。むしろ、パサ姐の素晴らしさを世界に知らしめてやろうと息巻いていた。
でも、飛行機に乗って、地に足つかなくなってから、急に冷めてきたんだ。根拠のない自信に燃えていた私のやる気は、ドンドンドンドンと上に舞い上がっていき、上空の冷気に当てられて冷静になってしまった。
もしかして、無茶なことをしようとしてるのでは、という不安が私を襲ってきた。
フランスの空港についた時には、私は恐怖と不安で動けなくなっちゃったんだ。
日本の空港の時点では私は相当に浮かれていた。普段、振り回されているパサ姐が私のフォローにまわるくらいの異常事態だった。
そんな姿を見ていたからか、パサ姐も若干呆れ混じりに私に声をかける。
「無理無理無理! 帰る帰る帰る、おうちにかえりますぅ!」
「はいはい、ほら、お家にお帰りなさい」
公衆の面前で泣き言を喚く私を、パサ姐はいつもみたいに抱きかかえた。
…………なんだろう、少しだけ気分が落ち着いてしまった。
「やっぱりウチの子猫はまだまだ甘えん坊さんね」
パサ姐は上機嫌な声で呟きながら、入国審査の窓口まで私を抱えたまま歩いていく。
案の定、止められてしまい、私たちは別々に審査を受ける。
ちょっと冷静になった私は、事前の準備していた聞かれそうな質問を書き出したメモと、翻訳アプリを使いながら、なんとか通過できた。最後は職員の人から飴を貰った。どうして?
パサ姐はまだ、時間がかかっているみたいだ
「おー! いえーいえー! いえーす! さんきゅーべりーまっち!」
!?……ここはフランスだよパサ姐!!!
「いえーいえー!」
気づいて、お願い気づいて! その職員さんメチャクチャ渋い顔してるから!!!
渋い顔をしていた
「Que fais-tu pour t'amuser?」
「は?」
「loisir」
「あー、ね」
職員のその言葉にパサ姐は何かを察したような表情をする。
そして、気づけば彼女は踊っていた。
「これが私のレジャーよ!」
普通、入国審査で踊るなんて人でもウマ娘でもしないでしょ。やっても、すぐに止められる。
でも、パサ姐は普通じゃなかった。彼女は特別だった、根っからのエンターテイナーだった。
「楽しむわよ! 沈んだ気分も浮かない顔も全部吹き飛ばすくらいに情熱的に踊らないと!」
彼女の流れるようなステップにみんなが釘付けになった。
指先まで生きているような柔軟な体にみんな見惚れていた。輝くような笑顔に引き付けられる。
パサ姐が全身で表現する情熱にみんな浮かされていた。
「最っ高ね!」
踊り終えた時には、不機嫌そうな職員も気色を浮かべて拍手をしていた。目を見開いていた。
この瞬間だけは、間違いなく彼女がこの世界の中心だった。
惜しみない拍手の中、私たちは入国審査を無事に終える。
予定通りフランスのURA職員と合流して、職員に連れられて私たちは試合期間中に滞在するホテルに案内された。
必要があれば連絡してほしいと、電話番号が書かれたメモを渡された後に職員は出ていった。一週間ほど滞在する予定の部屋で私たちは荷解きを行う。
用意された部屋はあまり豪華ではないと言われたが、中々の広さだ。トレーナー用の寮よりも普通に広いよ、ここ。
「広いね」
「キティちゃんが小さいだけよ」
「な!? 150はありますけど」
「この国だったら小学生よ、あなたの背丈は」
うう、やっぱり、そうなのか。
じゃあ、職員さんが飴をくれたのもそういう……いや、私が魅力的だったからだ。そうに違いない。
「流石にフランスまでの旅だと疲れたわね……今日はもう休みたい気分かも」
「そうだね。私も緊張して、あんまり眠れなかったし」
行くときは興奮してたし、着いた時は不安と恐怖で眠れなかった。
だから、なんだか自分たちの部屋があるっていうことに少し安心していた。
「?……ベッドが一つしかなくない?」
「そうね、それがどうしたの?」
「いやいや、私たち二人だよ?」
「?……同じベッドで寝ればいいじゃない」
「え」
「いっつも抱っこしてるんだし。今さら恥ずかしがることでもないでしょ?」
「それは……そうだけどさ!」
でも、一緒のベッドって意識したらなんだか急に恥ずかしくなってきた。別に女同士だし、そんなの気にする必要ないはずなのに、なんか恥ずかしい。
「私、ソファで寝るから!」
そう言って、ソファに向かおうとする私の足は宙に浮く。
「ダメよ。寝心地が悪い場所で寝たら次の日も疲れちゃうでしょ。恥ずかしがってないでベッドに来なさい」
首根っこを掴まれて子猫が母猫に抱えられるように、移動させられていた。
「今日は疲れてるんだから、ちょっとだけ休憩しましょう? それから準備したって十分間に合うわ」
そう言って、パサ姐は私を抱きしめながらベッドにもぐる。
抵抗したいけれど、パサ姐の腕の中に居るととても暖かくて、なんだか条件反射みたいに心がリラックスしてしまう。
抵抗したいけれど、でもそれ以上にこの腕の中はとても居心地がいい。
しょうがない。認めたくないけれど、私が辛いときはいつもこの温もりに包まれていたんだから。
意識が薄れてゆく。目も開けられない。どこまで深く落ちてしまいそうだ。
今から二年前。
シーキングザパールと出会う前のこと、私は担当が決まっては途中で関係悪化による契約解除を繰り返していた。いわゆる問題児というヤツだった。
自分が有能だと思っていたし、自分が言っていることは間違いないと思っていた。実際に契約してから何回かは確実に勝たせてあげられた。私がゲームメイクの全てを仕切っていたからだ。
徹底的に私がウマ娘のスケジュールをコントロールして、どんなメンタルでもこちらのいう通りにさせていた。
我ながら愚かだった。傲慢だった。世界は自分中心で回っていると信じて仕方なかった。
一番いけなかったのは、私は出来ていたのだ。自分が考えた通りに実行できるだけの能力があった。だからこそ、驕ってしまった。勘違いしてしまった。
私は、太陽が欲しかった。どれだけ自分が有能だったとしても、どれだけ手を伸ばしても絶対に届かない、魅力的な存在。浮かれてしまうような美しいもの。私は、それに手を伸ばそうと必死だった。私を支えていた翼は蝋で出来ているとも知らずに。
だから、失敗した。失敗し続けていた。
担当ウマ娘がトレーニング中にケガをした。
その子は私の過去の記録でも一、二を争うくらいに長く契約を続けられていた。だからこそ、私も少しは情というか、心配していた。今にして思えばその感覚だってエゴだったんだ。
『出て行ってください。もう、顔も見たくない』
お見舞いに行って、いの一番に言われたのがそのセリフだった。
怒り、よりも驚きが先だった。彼女は怒っているはずなのに震えていた。私が傍にいるだけでとんでもない恐怖を感じていた。私という存在が心的ストレスになっていた。
彼女は芦毛のウマ娘だった。でも、普通の芦毛なんかよりもずっと真っ白になっていた。もう、白毛って言われてもおかしくないくらいに。
彼女のケガはそこまで大したものじゃなかった。でも、ケガから回復した後、彼女はトレセン学園を去った。
私は、彼女の顛末を見ることでようやく自分の傲慢さを知ることになった。
今までしてきた自分の罪の重さに耐えきれなくなって、部屋に閉じこもるようになった。なんだか外がとっても怖いものに感じた。過去に担当したウマ娘が、いつか自分に仕返しに来るんじゃないかって見えないなにかに怯えていた。ありもしないものを恐れていた。
今思えば不思議だ。どうして、追い出されなかったのか。どうして、私は注意されなかったのだろうか。
その答えは今もよく分からない。
でも、そんなことだけを堂々巡りみたいに延々と考え続ける日々を過ごしていた。
そんな、貴重な時間をドブに捨てていた私の毎日に変化があった。
玄関のチャイムが鳴った。初めは無視していた。
鳴りやんだかと思うと、すさまじいチャイムの嵐に見舞われたんだ。
どうにかはた迷惑なことをしてる奴を止めたくて私は玄関の穴から外の人物を窺った。
目に映ったのは、艶やかな鹿毛と、前頭部に下げた赤縁のサングラスが特徴的なウマ娘だった。
『なんですか』
『はーい。ここに野心溢れたトラ見たいなトレーナーがいるって聞いてやってきたの』
『は?』
『私の名前はシーキングザパール。トラさん、私と一緒にレースに出ないかしら?』
それがシーキングザパールとの出会いだった。
『シーキング、パサール』
『the! pearl!! ザ・パール!』
昔の私はひどく傲慢だった。そして、彼女だって、今よりもうちょっと荒っぽかった。
『……なんで、私がやらなきゃいけないの。勝手にやってればいいでしょ』
『そうも行かないのよねえ。スカウトしにきたトレーナーはみーんな私のことを破天荒すぎるだとか、言うことを聞かなさすぎるなんて言うの。全くひどい話だと思わない?』
家主が出ないからって、チャイムを連呼する奴にまともなヤツはいないだろうと、その時の私は思っていた。
『同情するね。可哀そう。だから帰って』
『え、嫌だけど』
『チッ……』
他人のことをとやかく言えないけど、当時のシーキングザパールは当時の私よりも数段ふてぶてしかった。
『こっちはアナタに構ってる暇ないの! もう二度とチャイム鳴らさないで!』
『まあ、固いこと言わないでちょうだい。ちょっと契約してもらうだけでいいのよ』
その時はもうコリゴリだった。誰かの担当トレーナーになるのなんて嫌だった。
もう、私は傷つきたくはなかったんだ。
『もう、いい』
『ちょ、ちょっと。お願いよ! 話を聞いてちょうだい!!!』
彼女の必死に説得も、チャイムの嵐も全部無視して、私は、全部を閉ざして眠った。
それは、終わりじゃなくて彼女との戦争の合図だったんだ。
次の日は朝の7時ぐらいからチャイムの嵐がなっていた。
『もしもーし? 話を聞いてちょうだい?』
『帰って』
この日から、私は何か耳に詰めて寝るようになった。
更に次の日。
妙に体が震えることに気づいて目を覚ました。
『もしもーし? 聞こえてるー?』
なんと、彼女は電気アンプを持ち出して、エレキギターを私の部屋の前で弾きならしていた。
どうやら触ったことがないみたいで、コード進行もメチャクチャのトンでもない演奏でただただ、全身に不協和音をぶつけられていた。
流石にこれはキツイと思って、文句を言おうとすると、外から声が聞こえた。
『や、やめてちょうだい。これは私の立派なスカウト活動なんだから!』
『その精神は立派ですが、ここは他のトレーナーも生活している場所です。何件もの通報が理事長秘書の私の元まで届いているんです! ですので、この一式は没収しますね』
『ちょ、ちょっとー!?』
そこからシーキングザパールは公共の福祉という概念を学んだようだった。
それから彼女は懲りずに私の元に訪れていた。
五回目の訪問の時、私たちの関係に大きな変化が起こった。
その日は雨だった。
いつものように、彼女は7時にはチャイムの嵐を浴びせてくる。
なんとなく我慢できなかった私は、彼女に声をかけてしまった。
『はーい、トラさん。今日もやって来たわ。あなた本当に強情ね』
『……そんなに私にこだわる理由もないでしょう。どうして』
『あら、今日は固い口が開いたみたい』
『……』
外から見える彼女は傘を差していた。なんだか意外だった。そんなの必要ないって放りだすと思っていたから。
彼女の軽口が癪に障った。だから口を閉ざしていると彼女は語り出したのだ。
『あなた、プライドの高さはとんでもないけれど、その高さに見合った能力を持ってるって聞いたわ』
『そう』
その自信だけはあった。でも、実際はそうではなかった。
それがあの失敗だ。
『でも、私が興味を持ったのはそこじゃない』
『じゃあ、どこ?』
『あなたは相当に相手を縛り付けるタイプだって聞いたわ。そんな人間とどこまでも縛られない私、組んだらどっちが勝つんでしょうね』
彼女はそんなもしもを楽しそうに語っていた。
そして、私もきづけばそんなもしもを想像してしまっていた。今思えば、この時にもう彼女に捕捉されていたんだ。
『知りません』
『そ……まあ、いいわ。今日はこの辺にしとくわね』
『ようやく諦めてくれるんだ』
『逆よ』
扉越しであるはずなのに、こちらの居場所が分かってるみたいに視線があった。
二つにアメジストが私を釘付けにした。
彼女の口の動きを目で追ってしまい、やけに頭の中に彼女の声が響く
『明日、アナタを手に入れるの』
緊張か恐ろしさからか、私は早まる鼓動を鎮めることが出来なかった。
シーキングザパールはそんな私のことはお構いなしに颯爽と立ち去ってしまった。
彼女から宣言された日の夜はあんまり寝付けなかった。気づけば翌日になっていた。
昨日の雨が嘘のように晴れていた。
けれど、いつものようにチャイムの嵐が鳴り響く。
『もしもーし! トラさーん、約束通り来たわよー』
何を言われても気にしなければよかった。自分の殻にこもっていればよかった。
でも、前日にシーキングザパールから聞いたもしもが私の頭から離れてくれなかった。
『もう、いい加減にしてくだい! 来ないで!』
『嫌よ。来ないでって言って素直に言うこと聞いてあげるくらい優しい性格してないし』
『もう、うんざりなんです!』
理由が分からなかった。なんで、自分の言葉を彼女にぶつけてるのか。
言わなくてもいいことを言っているのか。私には全然分からなかった。
『どうせ、私と契約したって無駄だ! すぐに解除するに決まってる! そのくらい私はめんどくさくて、嫌がられるの!』
『他の子たちはそうだったかもしれないわね』
『そうだったかもしれない、じゃない! あなただってそうだ! 絶対にそう! 仮に私の縛りつけにあなたが囚われなかったとしても、そしたら私が耐えきれなくなるんだ! 私があなたの担当で居続けたくなくなる!』
『まあ、そういうこともあるかもしれないわね』
『だから!』
『で、アナタの自分可哀想エピソードは終わったかしら?』
『え?』
『あなたって本当に小さいわ、小さい』
『なっ!?』
『あなたの世界が小さい。ちっこいわね。たぶん、小指ぐらい』
『からかわないでよ!』
『その言葉だって、結局はあれでしょ? あの、職につけなかった人がトラになるやつでいう所の、自分のせいで負けたって言われるのが怖くて、縛り付けるような態度をとってたんでしょ?』
『……』
『で、実際に勝てちゃった。だから、自分の能力に自信を持つようになった』
全部が見透かされてるようにシーキングザパールは語った。
『あなたみたいな他人を自分の道具のように思ってる自信家なんかベガスに行けばざらにいるわ。もっとぎらついた野心家も掃いて捨てるほどにね。……でも、あなたみたいにウジウジ悩む人はあんまりいないの。自分のやり方についてこられなかった軟弱者だって切り捨てるから』
続きが聞きたくなかった。
彼女が言いたいことがなんとなく分かってしまったから。耳を塞いで目を閉じたいのに、全くできない。彼女の瞳に私の視線が奪われていたんだ。
『あなたは、本当は最初から自分に自信がなかったのよ。で、自信をもって頑張ってみたけど、結局失敗して自分を必要以上に責めている臆病な子』
『……なんだよ、なんなんの。あなたに私の何が分かるって言うの!!!』
『あはは、何にも分かるわけないじゃない』
『なっ!?』
彼女の言葉は私に全部グサグサ刺さってくる。そしてバカにされたって言うのもはっきり分かる。だから、私の怒りはドンドンと燃え盛っていた。
『でも、あなたが俯いていて自分の失敗だけ見つめているのは分かるわ』
やっぱり、その言葉は見透かされたようだった。
『私たちには寿命があるの。この時間は有限よ。そんなことして無駄にしてたらつまんないでしょ』
『……簡単に言わないでよ!』
『ええ、そうね。せめて無駄なことを精いっぱい楽しみましょう?』
『は?』
『さあ、踊るわよ! この太陽だって呆れるくらいに』
『太陽が、呆れるくらい……』
閉じこもってからは、最低限を出前で食いつないでいた。ここ最近は食欲もなくなって水くらいしか口にしていない。太陽なんか気にもしていなかった。
『そうやってずーっとひきこもってるのは無駄よ。ちょう無駄! 人生損してる!』
彼女はステップを刻みながらそう訴えかけてきた。
『この踊りだって、たぶん無駄よ。意味ないわ。勉強とかレースとかしてた方が何倍も有意義のはず。でも私は人生損してない!』
『何を、言って……』
『だって、踊るのは楽しいもの。生まれてきて死ぬまでずっと、有意義や意味のある行動なんてしてたら息が詰まるわ! 私は、この無駄が一番好きよ! とっても大好き! だからこの踊りは無意味だけれど、私の中では何にも勝る価値を持ってる!』
彼女の内にある情熱を解放した踊りはひどく私を高揚させていた。当時の私が失敗するよりも前。それぐらいずっと感じていなかったドキドキやワクワクが、メラメラと燃え上がる。
自分も何か出来そうなんじゃないかって言う、期待感が、根拠のない確信が私の中で沸き上がってきた。
でも、気づけば彼女の踊りも終わりが近づいているようだった。
不思議と切なさがこみあげてきた。もう、終わってしまうのかと。やはり、ここまでなんだと、そう感じずにはいられなかった。
『アンコールよ!』
玉のような汗をかいて、息も絶え絶えと言った風なのに、全然、その気力は衰えていなかった。むしろ、そのボルテージが増していっていた。なんだか、どうしようもなく、嬉しかった。泣きたくなるくらいに美しかった。
気づけば私は、思わず、扉を開けていた。
眩しかった。私は世界を知らなかった。太陽は、二つあったんだ。
『あら、トラさんって聞いてたから、もっと怖ーいの想像してたんだけど。これじゃあ、キティちゃんね』
『わわっ』
そう言って彼女は私を抱きかかえた。子供をあやすような暖かさで、宝物を取り出すような丁寧で。
『パサ姐って呼んでいいですか?』
『は?……ザ・パールよ。ザ・パール!? 普通それならザパ姐になるんじゃない?』
『あっ……』
本当に勘違いしていた。初歩的なミスだったんだ。
『まあ、いいわ。あなたは私にとってのキティちゃん。そして私はあなたにとってのパサ姐……私たちだけの特別よ?』
抱きかかえた私を見下ろしながら、彼女はウインク混じりにそう言った。
この日から私の心は、彼女に奪われた。今も奪われ続けている。どうしようもなく、彼女の輝きにあこがれている。全てを捧げたい、とそう思ってしまうくらいに彼女に囚われている。
彼女は、私にとっての太陽なんだ。
だから、私に出来ることは、パサ姐が勝てるようにサポートすることだ。
たぶん、私はパサ姐とだったらどこまで行ける!
世界は果てしなく広い。狭い自分の殻を破って全部勝てるように私はサポートしたい。彼女に全力で楽しんでほしいから。
今なら遠く離れた空に輝く星もつかめると思った。三日月にだって触れるのは訳ないとさえ思う。なんとか手に入れたくて、手を伸ばした。
『無理ですよ。また、あなたは失敗するんです。私みたいに』
頭の中でそんな言葉が響いた。その瞬間に足元が崩れる。
落ちている。下を見てもどこまで先を見ても、そこが見えない。
目を凝らせば何かと目があった。
『シーキングザパールさんはとても素晴らしいウマ娘です。一つ汚点があるとすれば、失敗だらけの傲慢無知で愚かなトレーナーさんです。……シーキングザパールさんはアナタの道具じゃありません。また、壊すんですか?』
『ワタシミタイニ』
それは芦毛のウマ娘だった。白毛と言われてもおかしくないくらいに真っ白になった、芦毛だった。
「はっ!?」
身の毛もよだつような悪夢だったような気がした。
幸せだった。幸せを掴もうとした。でも、自分の過去に引っ張られた。そんな気がした。
「夢……だったんだ」
そう呟く。
なんだか、寒い。そう言えば、体に何かが打ち付けているみたいだ。顔を上げれば雨が降っていた。
冷たい。心の芯まで冷えていそうなほどの冷たさだ。
どうして、ここにいるんだろうか。
目を閉じて、ゆっくりと思い出す。
ああ、断片からなんとなく思い起こされる。
「私は、私たちは……負けたんだ」
私たちは敗北した。
フランスに到着した翌日にフランスにあるURAに行き、親善試合は三回組まれることを聞いた。
最初は日本でのPreOPとOPにあたる試合でトリはGⅠにあたるレースという説明を受けた。
その説明をしてくれたスタッフはウマ娘だったのだ。帽子をしていて容姿はよく分からなかったけれど。
どうやら、レースではなく、運営側のスタッフとして最近、入職したということを通訳のスタッフから聞いた。
その説明を受けた後は、試合まで軽く調整を行って本番に向かった。
初戦は二着だった。たぶん、パサ姐の実力なら一着でもおかしくなかった。でも、ビバップじみたアドリブだらけの走りで、彼女はペース配分を乱してしまい、結局勝つことは出来なかった。
そのレースを見た何人かは笑っていた。
PreOPにも勝てないのか、というニュアンスの嘲笑なのかと通訳スタッフに聞くと言葉を濁された。それが全てを物語っていた。
私はどうしようもなく悔しかったんだ。だって、パサ姐は本当は強いんだ。誰よりも輝けると私は信じて疑わなかった。だから、パサ姐に頼み込んで、私の言う通りのレース運びをしてもらうよう約束した。
絶対に勝ってほしかったんだ。でも、やっぱり思い返せば、私が作戦を提案してから、パサ姐は一度も楽しいとか楽しそうなんて言葉は言ってなかった。
だから、敗北した。
この敗北は私のせいだ。
最近のパサ姐の傾向は逃げをしたがっていたけれど、やはり、パサ姐の勝率が高いのは差しでの勝負だった。だから、序盤の徹底した足を溜めることと、最終コーナーから惜しみなく足を使っていくように伝えた。
序盤はよかった。以前のパサ姐らしい走りをしていたけれど、第三コーナーあたりから私でも気づいた。パサ姐の表情が全然明るくない。楽しくなさそうだった。必死に堪えているような表情。すごく嫌な予感はした。でも、なんとかなって欲しいと私は縋った。
現実は残酷だった。パサ姐は足を溜めていたはずなのに。末脚が全く見られなかった。ガス欠のような不完全燃焼のまま、彼女の順位は二桁にまで落としてしまった。私が、太陽を沈めたんだ。
結局は他人のことを考えない自分勝手な自分が嫌だった。そして、パサ姐はそんな私に向かって言ったんだ。
『ごめんなさい。キティちゃん、私あなたの言う通りにしてあげられなかった』
パサ姐が謝りながら私を抱きしめたんだ。おかしい。おかしいんだ。謝らないといけないのは私なのに、私のはずなのに。どうして、私はパサ姐に謝らせているんだ。そんな疑問がぐるぐると頭の中で渦巻いていた。でも、私はそれを言葉には出来なかった。なにも言えないくらい私は感情が頬を伝って零れ落ちていたから。
『ごめんなさい、キティちゃん。私は疲れたから先に帰ってるわね。……ここに書いてあるお店はちょっとなら日本語も通じるし、そこそこ美味しいお菓子が食べられるみたいよ』
パサ姐は、とても私に気を遣ってくれた。先に、帰って私の気持ちを整理する時間も作ってくれた。その好意がどうしようもなく私には痛くて、苦しかった。
『本当に、ダメなトレーナーだ。でも、これだけパサ姐が私に気を遣ってくれてる。早く私も切り替えて次に備えないと』
『無理ですよ。また、あなたは失敗するんです。私みたいに』
体が震えた。嫌な汗が背筋を伝う。振り返るなと脳が警笛鳴らしている。
でも、とある言葉に私は反応してしまった。
『シーキングザパールさんはとても素晴らしいウマ娘です。一つ汚点があるとすれば、失敗だらけの傲慢無知で愚かなトレーナーさんです。……シーキングザパールさんはアナタの道具じゃありません。また、壊すんですか?』
私はパサ姐を道具として扱っていた?
そんな事実を否定したくて、私は声の主の方を向く。それが間違いだった。
『私みたいに』
それは芦毛のウマ娘だった。白毛と言われてもおかしくないくらいに真っ白になった、芦毛だった。
私が失敗したせいで、走ることが出来なくなったウマ娘だった。
『私は、あなたにメチャクチャにされました。でも、どうしてもあの走りが忘れられなくて、でも日本にはもう居たくなくって逃げるように世界をめぐりました』
頭が真っ白だった。彼女顔を見たあとの詳しいことはほとんど思い出せない。
ただ、心が理解を拒否するように彼女の言葉をシャットアウトしていた。
『逃げて、逃げて、逃げた先、ここへたどり着きました。走ることが出来なくっても、間近でウマ娘が走るところが見たいと思ったから』
『あ、ぅ……ぁ……あぁ……』
『私は、こんなにされたのに、あなたはまだトレーナーに居続けている。ヘラヘラ笑ってる。私は、あなたが許せません。憎くて憎くてどうしようもない』
『ああああああああ』
気づけば、逃げていて。私の罪からも、受けるべきはずの罰からも全部を放り投げて逃げ出していた。
そして、あてもなく彷徨っていた。
あんなに晴れていた天気も気づけば雨模様で、私の熱をひたすらに奪っていた。
「だから、こんなよく分からないところに来ちゃったのか」
懐を触るけど、お財布も携帯もない。ここもどこか分からない。
道を聞こうにも、言葉も通じない。全部が手詰まりだ。もう、私には何も残ってない。
せめて日本だったら、まだやりようはあった。でも、ここは外国で私にはもうどうする術もない。
「独りぼっちだ」
言葉にしたら、より実感がわいてきて。
目の前に人はたくさんいるのに、自分はこのまま誰にも知られずにひっそりと死んでいくんじゃないかっていう孤独感を覚える。
「冷たいなあ……」
手先がすごく冷たい。先端の方の感覚はほとんどなくなっている。
「ごめんなさい」
誰に対する言葉なのかもわからない。でも、私は誰かに謝りたかった。
「わがままでごめんなさい。自分勝手でごめんなさい……」
押えていたものがなくなり、私の口から一気に謝罪の言葉があふれ出てくる。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
もう、ぐちゃぐちゃだ。全部が分からない。早く楽になりたい。
「誰か……私を見つけてください」
結局は最後まで誰かに縋ってしまう。私はどこまで卑怯で醜い存在なんだ。
涙も、もう枯れた。流れるほどの水分がないんだ。でも、空が私の代わりに泣いてくれている。お前は冷たい人間なんだって冷たい雨が教えてくれる。自然は残酷で優しい。
気づけば雨が止んだ。でも、雨音は止まない。気づけば私の影にもう一つ影が重なっている。
「あら、こんな所に野ざらしにされた子猫ちゃんがいるわね」
耳を疑った。信じられなかった。でも、その声はひどく聞き馴染みのある声だったんだ。
「雨で風邪ひいちゃうかもしれない。こんなに、可愛いのに誰も見つけてないみたい。誰も取らないって言うんなら今日からあなたは私の物よ」
気づけば、抱きかかえられていた。
「私が飼ってるキティちゃんによく似てるわ」
「う……うぅ……」
「でも、この子の方が随分、しおらしくて素直みたい」
「う……ぁ……う、ぅ……」
「もうちょっと、強く抱きしめてあげれば、少しは泣き止むかしら」
言葉にしたいのに、全然できないんだ。
こんなに、あなたの名前が呼びたいのに、あなたに伝えたいことがたくさんんあるのに、あなたのことを想っているのに、私の喉はしゃくるだけで全然、吐き出してはくれない。
私を拾ってくれた人は、抱きしめたまま動き出す。この暖かさがどうしようもなく嬉しくて、愛おしくて、私の心を緩めてくれる。
だから、ようやくちょっとだけなら気持ちを伝えられそうなんだ。
本当に、ちょっとだけ。
「パサ……姐ぇ……! あ、あり……ごめ……」
もう、ぐちゃぐちゃだ。全部がぐちゃぐちゃだ。何を言いたいかもよく分からなくなってきた。
「あら、無口な子だから違う子猫かと思ったわ。あなただったのねキティちゃん」
「ご、ごめ……ごめ……うぅ……」
「もう、ダメよ。一人で出歩いて車にでも轢かれたら大変なんだから」
「う……うぇ……どう……じ……で……?」
伝わったかはわかんない。でも、彼女はどうやって私を見つけたんだろうか。
「私はSeeking the pearlよ? 自分の宝物ぐらい探すのは訳ないわ」
彼女は私を見ずに前を見ている。
「それに、あなたは私があなたを見つけたって言ってるけどそれは正しくないの」
ひたすらにパサ姐は前を進んでいる。
「あなたが私を見つけてくれたのよ。私にだって好き勝手に走るだけじゃなくてレースに勝てる私をあなたが見つけてくれた」
子供に語り掛けるように穏やかな声で私に囁いてくれる。
「あなたが私を必要としてくれているようにね、私もあなたが必要なのよ」
抱きしめる力が少しだけ強くなった。
「あなたは私だけが見つけた世界で唯一のパールなんだから」
泣きそうな嬉しそうな、そんな表情で彼女は私に微笑んだ。
「ホントに、生きた心地がしなかった。あなたがもう居なくなったらどうしようって、心配で心配で胸が張り裂けそうだったわ」
微かにパサ姐の声は震えている。抱えている腕も心なしか小刻みだ。
「本当に心配ばかりかける、困ったキティちゃんね」
安堵したとても穏やかな口調で、彼女は私の額に口づけを落とした。
「ちゃんと印をつけておかないと、ね?」
少しだけ赤らんだ顔ではにかむパサ姐の笑顔はとっても可愛かった。
美しかった。綺麗だった。でも、それ以上に可愛くてずっと見ていたくなるくらいに愛おしかった。
もう、私は限界みたいで、何をされても感情が溢れてしまいずっと彼女の腕の中でぐずってしまっていた。
「疲れたでしょ? 部屋についたら起こしてあげるからちょっとだけ目を閉じてていいわよ」
その言葉はとっても魅力的で私は従うほかなかった。
言い終わるかどうかぐらいで、私はすぐに意識を手放してしまっていた。
「おやすみなさい。愛しい私のパール」
沈んだ意識が上がってくる。
重い瞼を開けると見慣れない天井が広がっていた。
「ここ、ホテルか」
ぼんやりとした思考でもそれは理解できた。体を動かそうとするけれど、動かない。何かに掴まれている。引きはがそうとした。その瞬間に体が引き寄せられた。
「!?」
「ん~、もう離れちゃだめよ」
呑みこまれるみたいに全身を抱きしめられている。
抱き枕か何かみたいな感じで思ってるんだろうか。
とりあえず、パサ姐に声をかけよう。
「ぱ、パサ姐? 私です。私だよ!?」
「ん?……キティちゃん?」
「そうそう! キティちゃ……ひゃ!? ~~~~~~~~っっ!!!」
「大きいわけではないけどすごくいいフィット感よね。こう、汎用性が高いって言えばいいのかしら」
起きたらホテルだし、パサ姐に全身をまさぐられてる。私には訳が分からなくてちょっとパニックになってしまう。
触られて気づいたけれど、私はほとんど下着ぐらいしかつけてなかった。雨でびしょびしょだから、仕方ないんだろうけど、せめて替えを着せてくれるとかさ。…………いや、それはそれで恥ずかしい。
「な、なに……ぃっ……んっ……」
「凄いわね、キティちゃん。もう20代の半ばに差し掛かっているっていうのに、こんなにプニプニしてるのは犯罪だわ」
「~~~~~~~~っっ!!! いい加減にして!!!」
恥ずかしいし、パサ姐に聞いて欲しくない声も出ちゃうから。
私は顔が真っ赤になっていることを自覚しながらパサ姐の体を叩く。力なんかは全然ないけど、一生懸命ペチペチ叩いていたらパサ姐は解放してくれた。
「うーん、名残惜しいけど、しょうがないわね」
「変態! セクハラ!」
「ふーん、そんなに構ってほしいんなら続けてもいいけど」
「ひっ…………
彼女の瞳と口ぶりは冗談なんか欠片も感じなかった。
それに怯えるけれど、そのおかげで私は冷静になれた。そして、私がやってしまった数々の過ちも。
「ごめんなさい」
私はベッドの上で思わず姿勢を正して正座でパサ姐に謝罪していた。
「ん?」
「パサ姐にいっぱいいっぱい迷惑をかけちゃった…………」
「あー」
「私が無理に作戦を決めさせてもらわなかったら、パサ姐はあんなに苦しそうに走らなくてもすんだんだよね……」
そうだ。私が、勝手なことをしなかったらよかった。
私がパサ姐をそうさせたんだ。
「私が勝手にどこか行っちゃったから、パサ姐にいっぱい心配かけたんだよね」
そうだ。全部、私がわるいんだ。今までの全部。
ドンドンと自分の愚かさに嫌気が差してそして、ピンと伸びていた姿勢はドンドンと崩れ頭は沈んでいく。
底につきそうなくらい頭が下がると、急に体が引き寄せられた。うつ伏せに近かった体勢が仰向けになる。後ろ頭は柔らかい感触がある。これは、たぶん、膝枕っていうやつなのかもしれない。
「そうね…………あなたがどこかに行っちゃったときは本当に気が気じゃなかったわ」
そう言いながら、パサ姐は私のほっぺたをつまんだり、頭を撫でたり好きにしている。
…………気分は悪くないし、むしろ次を求めている自分がいる。絶対に言わないけれど。
「で、レース結果は正直、どうでも良かったのよね」
「え!?」
私を弄ぶのを止めてパサ姐はあっけらかんとそう言った。はっきり言って、信じられなかった。だって、あの時のパサ姐の表情は真剣だった。私の意図を汲んでくれていると思っていた。
「別に、負けたところでその時はその時だし、勝ったら勝ったでいいかな~ぐらいの気分で挑んでたわ。レース直後まではね」
そう、だったんだ。そこも私の空回りだったって、ことか……
なんだか、すごく、恥ずかしいなあ。そんな気分になった私が思わず手で顔を塞ごうとすると、その手を止められる。
「でもね、勝ちたいって気持ちがドンドン湧いて来たのよ。……キティちゃんの顔見てたらね」
「わたし、の……?」
「そうよ。私が走るのに、私以上に喜んだり、落ち込んだり悲しんだり、悔しがってるのよ?……なんか、羨ましくなったわ」
「羨ましい?」
「そうよ!……あなた、二つのレースを見てる時の表情、すごく幸せそうだったわ」
そうだったんだろうか。よく、わかんないや。
「いつもの私を見てるよりも幸せそうにしてるのよ。そりゃ羨ましいって思うじゃない?……あなたが思い描いているシーキングザパールに私、嫉妬しちゃったのよ」
それは、その。なんというか……あと、私の鼓動がうるさい。
「私の大切な子猫ちゃんの興味が私じゃなくて、レースに勝つ私になってたのよ……ズルいでしょ」
拗ねたように唇を尖らせながら、パサ姐は私の顎を撫でてきた。その行為だけで私の全身が干上がってしまいそうなほど熱を帯びていくのが分かる。
知らない。待って欲しい。待って、待って。私はこんなの知らない。聞いてない。なに、なに、なに。
分からない。全然分からない感覚だ。なんで私の体はこんなに熱いんだ。
落ち着こう。ゆっくり、息をする。私は、いっつも勘違いとか、早とちりとか、そういうので勝手に思い込んで傷ついてきた。
だから、たぶん、きっと、これも私の思い込みなんだ。
「その後にキティちゃんが家出しちゃって、確信したわ。ああ、私はこの子がいないとダメなんだって」
「それは、どういう……」
パサ姐は掴んでいた私の腕を掴んでいた手を離すと、すぐに私の体を引き寄せて、膝の上に私を乗せる。
普段だったら、猫みたいに扱うなって怒ってるところだけど、今はそれどころじゃなかった。
「私ね、楽しいことしかしたくないの」
「それは……知ってる……」
パサ姐は私の耳元でゆっくりと囁いた。
わざとなのか、無意識なのかは分からない。でも、私はなんだかその吐息がすごくくすぐったくて、とっても恥ずかしくなり更に私の心が刻む速度は増していった。
「あなたを探すのはとっても面倒だし。心底楽しくなかったわ。なんで私がこんなことしなきゃいけないんだって何度思ったことか」
「それは……本当に……ごめん、なさい」
その事実は私の鼓動に急ブレーキをかけて、興奮を沈めた。でも、何か私の中で引っかかった。嬉しいような気づいたらいけないような、そんな引っかかり。
「あなたが帰ってこなかったらどうしようって思った瞬間には駆け出してたわ」
「それって……ひゃぁ……」
普段のパサ姐とは違う遠回りな表現の真意を掴みかけたその瞬間に、足元からくすぐったさが襲ってきた。さきほどまで膝を崩していたパサ姐の足が私の両足に絡みつくように触れ合っていた。
動こうとしても、上半身は強く抱きしめられている。
「あなたって、本当に罪なトレーナーね。あなたのことを想ったらポリシーなんて簡単に捨てて動いてたのよ。……本当にあなたに狂わされちゃった」
その言葉は罠だった。私をおびき寄せるための罠だ。
「私は、あなたのことが欲しくてたまらないの。愛してるわ」
ああ、パサ姐は本当に狡猾だ。
「あなたは、私のことをどう思っているのかしら。……私は答えが聞きたいの」
本当に、底意地が悪い。
「わ、私は……パサ姐のことが……」
答えなんて、分かっている。分かりきっているんだ。パサ姐だって、そうだろうに、私に言わせたがっている。意地悪じゃなかったらなんと言えばいいんだ。
「パサ姐のことが……」
「私のことが……」
ああ、ダメだ。
こんなに分かりきっているのに言葉なのに、私は、私は……
「う……うぅ……」
「ど、どうしたの? どこか具合でも悪い?」
先ほどまでの狙いすましたような鋭い声音はなくなり、必死に私を宥めようとしている。
こういうところが、やっぱり私はダメなんだ。最後の最後で自己嫌悪に陥って、思いを伝えることが出来ない。情けなくて、その惨めさが私の涙を勢いづけるんだ。
「わた……しは……パサ姐が……思う……ような、子じゃないし」
「……」
「わがまま……だし、すなおじゃ……ない……し。かわいげも……ない……すごくめん……どうな……こだから……っっ」
パサ姐は、私の話を黙って聞いてくれる。ぎゅってしてくれて、頭も撫でて、私の言葉の続きを優しく待ってくれる。その優しさが私には辛くて、苦しかった。
だから、私はまた言葉に詰まってしまい嗚咽だけしかこぼすことが出来なくなる。やっぱり、こんな意気地なしは彼女には全然釣り合うわけがないんだ。
「どうでもいい言葉グチグチ言ってるけど、そろそろ満足した? もっとヨシヨシした方がいい?」
「なにゃぁ!?」
私は今、脇腹をつつかれている。
何の警戒もしていなかった、お腹をつままれている。
無防備都な私の体をまさぐられているんだ。
「ちょ、パサ姐っっ!」
「ごめんなさい。どうでもいいことだったから」
「もうっ!」
真剣な話をしているのに、パサ姐はどうでもいいってバッサリと切り捨てた。私にはとても大切なことなのに。
「あなたがわがままなのも知ってるし。素直じゃないなんて分かりきっているわ。本当に面倒くさいことこの上ないもの」
「ちょっ、どこ、さわって……」
彼女は、そんなことを口ずさみながら、私の全身に指を這わせている。まるで全部調べつくされるみたいな恥ずかしさが私の中に沸き上がる。
「でもね、それ以上に魅力的よ。あなたって子は」
「へ?」
「あなたは無理って言いながら、それを達成させるビジョンが見えているもの」
彼女は少しだけ手を止めて私に語りかける。
「『一人目は部屋の中から出てこなくて、誹謗中傷ばかり。それは、自分の実力と現実との折り合いが上手くいかなかったから停滞しているだけ。気持ちを吐き出して折り合いをつける覚悟を持たせてあげればなんとかなるけど、無理だよ』」
「あ……」
「『二人目は一応、外に出てくることはあるんだけど、ずーっと黙ってる。たぶん、彼女の中での理想の自分自身が高すぎて自分という存在に自信を無くしてるからなんだと思う。自信をつけさせるなんて、私には無理だよ』」
「……」
「『三人目は声をかけても返事をせず、部屋にこもりっぱなしでずーっと泣いてるみたい。泣いている理由を聞き出せばなんとかなるかもしれないけど、私には無理だよ』」
それは、パサ姐に語った私の言葉たちだった。
「あなた、自分が思い描くプランが完璧だと信じて止まないでしょ」
「ぐっ……」
「憎たらしいことにそれは事実なのよ」
「え?」
「私にはどうにかするプランなんて何にもなかったわ。ただ、キティちゃんがキャンキャン言ってるのを聞いて私なりにあなたの思い描いてる通りにしたから一日で終わったのよ。あれ」
「それは……」
「あなたの観察眼とそれに基づくプランニングはトップクラスなのは間違いない」
彼女の言葉で私の口元が緩んでしまうのがはっきりわかる。
「だけど、それ以外が全くダメなのよ。自分じゃ一つもやる気がなくて、いっつも他人任せ。無理無理言って、仕事を押し付ける。うまくいかないと直ぐに落ち込むし、ウジウジ、ウジウジ後ろばっかみて嘆いてる。とーっても、面倒くさいのよ。あなた」
「うぇっ」
褒められてるのか貶されてるのか分からない。
「本当に宝石みたい」
パサ姐の手櫛で髪を梳かされる。その言葉はいたずらっ子みたいな声音だった。
「手入れしないとダメ、ちゃんと管理しとかないとすぐに劣化する。繊細で手間暇かかることこの上ないの」
繊細に梳かした髪をわしゃわしゃと乱される。私の全部がパサ姐の好きにされているみたいだ。
「だから、あなたは魅力的なのよ」
だから、もう、これ以上。私から奪わないで欲しい。
「わがままだし、素直じゃないし、面倒くさい。ヨシヨシしてあげないと直ぐに落ち込む甘えたがり。……あなたの語るビジョンはとても素敵だわ。夢がある。そして、それを語るあなた自身も最高にキラキラしてて輝いていて、とても美しい」
ぐちゃぐちゃだ。もう全部がぐちゃぐちゃなんだ。
「あなたは特に手入れが大変よ。自分で自分を責めるから、目を離したらすぐにくすんで劣化してる」
彼女の言葉の一つ一つの熱量がとんでもなくて、私が私を認識できなくなるくらいに、ぐちゃぐちゃに溶けてしまいそうだ。
「だから、私があなたを手入れしてあげる。あなたがどれだけ自分を責めても、自分のせいだって嘆いても私が慰めてあげる。あなたはそれ以上に素晴らしいと何度だってあなたを褒めてあげるわ……愛しているもの」
泣いちゃいそうだ。もう、泣いているのかもしれない。パサ姐はどこまでも私を愛してくれている。もう、言葉にしてくれなくてもそんなの分かりきっているんだ。
「もう一度聞くわね……あなたは私のことをどう思っているのかしら?」
「わた……しっ、は……」
本当に、ひどいウマ娘だ。
「私はパサ姐……シーキングザパールのことが大好きだよ。……あ、あい、あいし……う、うぅぅ
、やっぱり無理ですぅぅぅぅぅ」
「ああ!? あなた、ようやく好きって言ったのに、また逃げたわね!」
「む、むりむりむり!」
無理だ。
だ、だいすきだって何とか絞り出したんだし、その更に上なんて、今の私にはできっこないんだ。
無理だと、分かっていても恥ずかしさから私はパサ姐の拘束を振りほどこうと抵抗していると思いの外、あっさりと解放された。
「あれ?」
「じゃあ、キティちゃんのご機嫌も直ったみたいだし。明日の試合に向けて、最後の作戦会議をしましょうか」
「あ、うん……」
先ほどまでの、雰囲気からがらっと変わりいつものパサ姐に戻っていた。なんだか、狐に化かされたみたいな。
「私は次の試合であなたに最高のダンスと勝利を捧げるわ。だから、私が勝ったらあなたの全部を貰うわね」
「あ……う……」
やっぱり、パサ姐は狡猾なハンターだ。
「Shall we dance?」
でも、朗らかだけど自信に満ちた笑顔はとっても暖かくて、眩しくて。
私はそれに触れたくて、彼女が差し出した手を取った。
日本と変わらないゲートの中で私は目を閉じる。
今日の天気は気持ちがいいくらいの快晴だったわ。湿気がない分。天候はこっちの方が私好みなのは間違いないわね。
パドックから観客席を見た時は、かなりのブーイングが湧いて愉快だったわ。やっぱり、ああいう輩はアメリカも日本もヨーロッパも世界のどこにいたって変わらずにいる。なんだか安心しちゃうわね。
だからこそ、私はより一層盛り上がれるもの。
こんな舞台に私が選ばれた理由はよく分からなかった。けど、この環境はまさに私にピッタリだった。会長サマのごケイガンにはおみそれするわ。
行きがけに『ノルマンディーで枢軸国だった我々が勝鬨を上げて歴史に名を刻む。これほど痛快無比なことはあろうか』なんて言ってたけど、何を言っているのか意味が分からないわよね。
一々昔のことにこだわるのって、本当にナンセンス。私達は今この瞬間を生きているのよ。
過去は過去。今は後ろなんか向かず、まっすぐ見つめてなきゃ楽しいことを見逃しちゃうじゃない。
確かに、昔は大事よ。
私の大好きな宝石だって、一日やそこらで出来ない長い時間がかかって偶然に生まれたの。宝石は過去の集大成といっても過言じゃないわ。
でも、宝石の昔を見たらただの岩か貝でしょ? まったくキレイじゃないし、楽しくないわ。今の綺麗な姿が私は欲しいの。
そして私が今一番欲しい宝石はパール。
このパールは特別なの。ひどくわがままでデリケートでナイーブだわ。だっていうのに、尋常じゃないくらいに強欲なのよね。私と同じくらいに。
欲しいものを手に入れないと直ぐに色がくすんでしまうから、私はご機嫌を取らないといけない。
今回のワガママは勝利ね。初めての海外でのGⅠの勝利。
三回のレースでPreOP、OPと来て最後にGⅠを持ってくるなんて、今でも笑っちゃうわ。まあ、絶対にメンツを潰したくないという強い意志なんでしょうけれど。
楽しそうではあるけれど、勝ちにこだわるのは私のポリシーに反する。絶対に勝つなんてそんな気持ちでいたら楽しく走れない。でも、彼女が語るビジョンの中にいる私は、とても楽しそうだったわ。だから、案外楽しいのかもしれない。
私のトレーナーは、子猫みたいに愛らしくて、宝石みたいに魅力的な私の最愛の存在。
彼女が話す言葉も、示す態度も、語るビジョンも全部が魅力的なの。彼女が語るから魅力的なのか。魅力的なものに彼女が惹かれあっているのか。詳しいことは分からないけれどね。
でも、彼女が勝ちたいと願ったの。そして、そのためのビジョンを語ったわ。じゃあ、勝てるのよ。勝って手渡すしかないの。そうしないと、また拗ねて子猫みたいに家出してしまうかもしれないから。
音が消えた。風が鼻を撫でる。あと少しで、音楽が鳴る。私は、踊るわ。
呆れるほどに、飽くほどに、バカみたいに、笑いながら、最高だったと誰よりも今、この瞬間を楽しむの。
そうじゃないと、もったいないでしょ?
そして、ゲートが開いた。
あの子に言われたセトリを思い出す。初めは、ラップを刻んでいく。
体に打ち込んだビートを踏みつける。逃げるように先頭に出ていく。
ドープもフロウもその言葉の意味なんか欠片もわかっちゃいないわ。でも、それでもたった一つだけ分かることがあるわ。
アゲていかなきゃ楽しくないでしょ!!
向こう正面に入った。
私の真後ろを追いすがるような音は聞こえない。まさに、私の一人舞台ね。
だけど、際限なく加速しちゃったら最後まで持つわけがない。だから、曲を変えて、いつもみたいにクラブミュージックをかけていく。
ハイスピードだけれど、抑揚が求められるわけじゃない。なんなら、一番規則的で、踊りやすいのよ。
これがバ群の中にいたら、みんな私のマネしちゃう。だから、息が勝手にあっちゃって、抜け出すなんて難しいのよね。やっぱり、ターフの上だったら先頭で踊るに限るわ。この曲は。
このまま、第三コーナーまで、駆け抜けるわよ!!
第四コーナーに入る。
ついにやってきたわ。私による私だけ楽しむための私だけの居場所。
もう、どうだっていい。なんだっていいの。私はこの瞬間を楽しみたい!
勝利も、スタミナも、あの子のことだって全部を放って全部投げ出して私だけが踊って楽しむの。
誰もが羨むぐらいに。太陽だって呆れるぐらいに。
ベガスで夜通し踊り明かしていた時、ある日知らない実業家から話しかけられたの。
『そんな無駄なことをしている時間があったらもっと有意義に人生を使ったらどうだろうか』ですって。
もちろん、そんな言葉は全部無視して、踊りに明け暮れたわ。場所も問わず。
その内に仲間と一緒にストリートダンスのショーをしてくれと誘われたこともあったわね。主催の人だって初めは余興とか、前座ぐらいで呼んだみたいだったけど、私たちはそんなの気にせずに、自分が楽しいものを好きなだけ踊って表現した。
初めは、ブーイングだらけだって会場も気づけば黙って眺めていて、私たちの踊りが終わった後は、熱に浮かされたようにスタンディングオベーションが起きてた。その中には私に踊りの無意味さを説いてくれた実業家だっていたわ。
世の中には有意義なことがたくさんある。それ以上に無駄に溢れている。無駄だって突き詰めていけばいつか価値あるものになるかもしれない。それは原石を見つけて研磨するようなものよ。価値があるのかどうか、磨いてみるまで分からない。踊るなんて無意味よ。無駄の極み。それじゃあお腹は膨れないし。病気だって治らない。
でも、心は幸せになるわね。
突き詰めていけば意味のあるものなるかもしれない。私が楽しむことでその無駄が洗練されて、輝くかもしれない。
だから、私は私の楽しいを絶対に譲れないの。
無駄でも、無意味でも、そこに少しでも可能性があれば私はそれを突き詰めてみたいわ。ハズレを引くことだってざらよ。でも、そのハズレだってとっても楽しいの。だって、磨いている間は私は間違いなく楽しかったんだから。
だから、私は今この瞬間を楽しむのよ。後なんて考えない。私が生きているのは今、この瞬間なんだから。
『スパートをかけるのはね、もっと後がいいんだ。パサ姐』
あ?
『もう、何にも考えられないぐらいに楽しみたいのをぐっとこらえるの。コーナーを抜けて直線に入った瞬間。そこでスパートをかけたらもっと楽しくなると思うの』
私の楽しみは私だけが決めるの。他人にとやかく言われるのは性に合わないわね。
『うん。だからね。これは私のワガママなんだよ。あなたがあ、あいして……うぅ……その私がそうして欲しいって言ってるの!……だめ、かな?』
あー、あー。ああああああ!
「ほんとにワガママすぎるわね、ウチのキティちゃんは!!!」
前日のあの子の言葉と、笑顔を思い出した瞬間に、私はぐっとこらえた。全部を投げ捨てたいなんていう気持ちを必死に堪えた。
全く、本当に私の子猫はワガママすぎる。彼女のワガママに私生き方をこんなに捻じ曲げられるなんて想像もしていなかったわ。そして、そうやって振り回されるのも悪くないって私がいるのも笑っちゃうわね。
リズムが乱れた。スピードもメチャクチャになってしまった。私なりに計算していたものが全部崩れてしまった。でも、悪くないわ。これは、これで相当面白いアドリブなんだから。
詰められた。真後ろに二人ぐらいいるわね。
もう、こんなにせっつかれたら、我慢が出来なくなっちゃうじゃない。そう思ってるのに、私の足は絶対にギアをかけないところが呆れちゃうわ。本当にどこまでもあの子に狂わされちゃってる。狂ってしまうほどにあの子が欲しいの。でも、この感情だってあの子には毒なのよね。本当に気難しいわ。
狂いそうなこの時間にも終わりが見えた。直線だ。ここだ。私はここで全力で楽しまなきゃいけないの。
気づけば駆け出していた。
常識も、理性も、道徳も、セオリーも自由の前には何の意味もない。
意味がない。走るのだって意味がない。でも価値はあるのよ。誰だっていつかは死ぬわ。だったら、しぬまで楽しまないと損でしょ。
踊る阿呆に見る阿呆。どっちも無意味だし無駄なもの。だったら踊って楽しんだ方が勝ったもの勝ちだ。
気づけば、詰められた距離を離し、先頭をキープしていた。このまま、行けば私はあの子に勝ちをあげられる。あの子の価値を上げられる。あの子の魅力をもっと伝えてあげられる。
「……っっ」
でも、私の足はもう限界みたいだった。第四コーナーでリズムを乱したせいで、予想以上にスタミナを切らしていたらしい。やっぱり付け焼き刃の作戦じゃこんなものね。
どんどん私の足は減速する。
「わけないでしょ!!!」
こんなに楽しいものをどうして途中で止められるって言うのよ。私はいつだって夜まで踊り明かすほどに踊り狂っていたわ。
こんな1分半もないこの瞬間に私の足が止まるって言うの!?
認めないわ。そんなのある訳ないじゃない。私は踊っているのよ。私の中にある情熱はここで燃えつけるほど安っぽいわけないわ。そんな覚悟で太陽が呆れるぐらいに踊ろうなんて思ったわけじゃない。無駄だからこそ、意味がないからこそ私は、全力でいなくちゃいけないの!!!
だから、あとちょっとなの。お願いよ。もう少しだけでいいから。
勝利を追い求めるこの私の足なのよ? ラストダンスを踊りましょう?
ゴールを跨いだ。私の前にウマ娘にいなくて、私の後にだけいた。
その事実が意味するのは、あの子が追い求めていたものを私が手に入れたってこと。
あの子が欲しいから気は進まないけれど、本気で楽しむよりも勝つことを優先した。でも、この手で掴んだものは案外、思っていたより。
「ぃ……っやったああああああああああああ!」
いや、とっても気持ちよくて楽しいものだったわ。あの子が欲しがるのも無理はないくらいに、価値あるものだった。
ええ、本当に。最っ高ね!
「や、やった! 勝ったんだ!!!」
歴史的な快挙だった。初めて、日本のウマ娘が海外で勝った。それは、とっても価値がある勝ちだった。
胸が熱くなる。それは初めてとか、快挙とかではなくて、私のあ、あい……っ……私のパサ姐が勝った! それが私にはとっても嬉しくて、本当に胸がいっぱいでなにを言えばいいか分からないくらいに幸せだった。
レース後、ウイニングライブを終えたパサ姐が、ものすごい速さで私の元に走って来た。
そして、気づけば、私はいつもみたいにパサ姐に抱きかかえられていた。
「ぱ、パサ姐!?」
「勝ったわ! 勝ったわよ、キティちゃん! 最高ね、本気で走って勝つってこんなに楽しいものだったなんて知らなかったわ!」
「え、う、うん。おめでとう!」
昨日、までのパサ姐とも全然違っていた。まるで熱に浮かされたような。初めてのおもちゃを手にしたような、今までの頼れる彼女というよりは、無邪気さあふれた子供のような魅力があった。
これは、これで……うぅん! なにを考えているんだ、私は。ちゃんと勝利をもっとしっかりお祝いしてあげないと。
「所詮、友情ごっこですね」
「……っっ」
私の罪が追いすがって来た。
黄金色の双眸が私を睨む。絶対に幸福になることは許さないとでも言うように、私の元担当ウマ娘は私の犯した罪を突きつけるんだ。
「そうして、あなたはまた追い込むんですよ。そして、壊れてしまうまで使い潰すんだ」
「それは……」
「あなた、フランスのURAの職員、よね? キティちゃんと何かあったのかしら」
「ええ……それよりもシーキングザパールさん。優勝おめでとうございます。とても素晴らしい活躍でした」
そう言って、彼女は深くかぶっていた帽子をとる。
現れるのは、真っ白すぎるほどの芦毛だった。
「私は、そのトレーナーに使い潰されて、走ることもままならなくなった愚かなウマ娘ですよ」
かみちぎれそうなほどに唇を噛む。
パサ姐には見せたくなかった。私がひどく傲慢だったころの消しようにない傷跡だ。
やはり、
「あら、可哀想。……まあ、そうよね。この子ワガママだし。自分勝手だし。すぐに人任せにするし」
「なっ……!?」
「そこまで、分かっているならどうして」
「そんなの、一か月も経たない内に分かるでしょ?……それなのに、あなたは離れなかったんじゃないの?」
「……っっ」
どういう、ことだろうか。よく分からない。
「この子猫ちゃんの語る理想はとっても素晴らしいものね。そして、その言葉通りにしてみたら本当に楽しいもの」
「ひゃぁ」
こ、このウマ娘どさくさに紛れてお尻触ってきました!!!
「だから、彼女の理想どおりに行かなかったら自分が悪いんじゃないかって思ってしまう子も多いのかもね」
「!?……それが、どうかしましたか」
「いえ、別にぃ?……あなた、そんな受け身だから自分だけ傷ついちゃったんだって思ったら可哀想だなって」
ぱ、パサ姐が悪い顔してる。
な、なんというか私にはやっぱり、話が見えないんだよね。あの子は私の言うことを健気に従ってくれて、それでケガをした。それで強引で傲慢だった私を嫌いになったのに、なんであの子はあんなに表情が険しいんだろうか。
「チッ……あなたに何が分かるんですか!?」
「全っ然わかんないわ……でもね、この子に誰かを追いかけるなんて甲斐性ないの。あなたみたいに追いかけてくれるのを待ってたって一生、この子は来ない。それだけは分かるわ」
「ひ、ひどい……」
パサ姐が私のことをボロカスに言ってくる……たぶん事実だから反論できないんだけど。
「あぁ……本当にあなたたちは度し難い」
「……っっ」
芦毛のウマ娘の視線に自然と身が竦んでしまう。あの子に拒絶されたあの時と同じ目だ。どうしたって消せることのない傷だと、過去を想起させられてしまう。
パサ姐はそんな私の体を更に強く抱き寄せる。
「ええ、私もあなたのその未練がましさは理解できないわ」
「~~~~っっ!」
「パサ姐!!」
「あら、本当のことを言って何が悪いの」
本当に、どうしてこの人はこんなに煽り全一なんだろうか……。
そう思っていると、また彼女と視線を合わせてしまった。気まずくて視線を逸らすが、彼女は私に向けて言葉を放った。
「……あなたのことは大嫌いです。一生許しませんから」
その言葉は心にちくりと刺さってしまった。たぶん、一生癒えることのない傷だ。
そして、私が抱え続けなければいけないものだ。
「では、シーキングザパールさん。優勝おめでとうございました。また、こちらにお越しの際は精いっぱいお出迎えさせていただきますね」
「おほほほ、負け犬の遠吠えでのお出迎えはさぞかし気分がいいでしょうね~~~~」
「チッ……」
「うわあああああああ」
芦毛のウマ娘はそれ以上追及することなく、自分の仕事に戻っていった。
本当に、本当に……最後の最後までパサ姐は、パサ姐は……っっ!
パサ姐だなあ。
「さあ、帰りましょうか」
「い、今のやり取りの後にそんなあっさりの対応されたら、私ついていけないんだけど!?」
「当たり前じゃない、あんなことよりももっと大事なことがあるんだから」
「あんなことって……」
「ねえ、私勝ったのよ?」
抱き寄せられ耳元で囁かれる。
沸騰するように体温が上がっていくのが如実に分かる。
「ご褒美を上げて労うのはトレーナーの役目じゃないかしら?」
……本当に、ズルいウマ娘だ。
私は、黙って頷くしか出来なかった。
「で、電気消して……いや、それはなんだかいかがわしいのでやっぱり電気を、でも、それはそれではずかしいので」
「ああああ! まどろっこしいわね。そんな取って食うみたいなことをするわけじゃないんだからもっと堂々としなさいな!」
「ひゃ、ひゃい!」
やっぱり、緊張で私はとんでもなく気が動転していた。
お互いに、ただの寝間着だ。昨日みたいに下着だけの装備が薄くなっていた私に比べれば随分と厚いはずなのに。羞恥心のせいか、ひどく熱い。もう、ろれつも回らなくなるくらいに浮かされている。
「あなたにそこまでは求めてないわ」
「そ、そっか」
あれ、なんでちょっと私は残念に思っちゃったんだろうか。
「ただね、あなたの口から聞きたいの。私のことをどう思っているかをね」
「そ、それは……」
「ねえ、いいでしょう?」
パサ姐が私の顎を撫でる。その仕草で私のドキドキは一層増してしまう。
「だ、だいす……き……だよ?」
い、言えた、やっと言えたんだ。私の思いを。
「それは昨日聞いたわ……その先を聞きたいの」
「そ、その先って……う……うぅ……」
一つも口にしてないのに、私の顔はすごく熱い。もう、最近こんなことばっかだ。私はいっつもパサ姐に乱されている。
「あなたのことを愛しているわ……あなた、どうかしら」
支えるように下から顎を掴まれて、顔を逸らすこともできない。もう、ぐちゃぐちゃで、感情があふれそうで、涙が溜まってしまう。でも、彼女は許してはくれなかった。
「ねえ?」
「あ……あぃ……あい……あぅ……」
答えは分かってるんだ。
こんなんにも私の中でパサ姐に対する気持ちが溢れているんだ。たった5文字口にするだけでいいはずなのに、私の口はうまく動いてくれない。それが情けなくて私は自分が嫌になってくる。
「あぅ……う、うぅ……」
「あらら、この調子じゃ無……きゃあぁぁぁぁぁ!」
ズドンと、轟音が響いた。落雷の音だった。昨日のように、一日の中で天候に大きな変化があるみたいで、今日は快晴のちの雷雨みたいだった。
人一人分の質量に押さえつけられて、ベッドに押し付けられた私は冷静さを取り戻してそんなことを吞気に考えてしまっていた。
普段のパサ姐からは想像も出来ないような悲鳴も私の冷静を取り戻す一助になっていた。
「ぱ、パサ……姐……っ!」
私の、必死の訴えにパサ姐も気づいてくれたようで、圧死するかと思うくらいの抱擁を解いてくれた。けれど、やはり、いつもと違う。
耳は垂れ下がっており、尻尾も体に密着させて身を縮こませている。なんだか、普段の彼女とは全く違って新鮮で私はドキドキしてしまっていた。何度か落雷が落ちると、それ以降は雨音だけがやけに響く。
「パサ姐……雷止んだみたいだよ」
「ほ、本当に?」
普段とはうって変わって私がパサ姐を抱きしめていた。私の膝の上にいるパサ姐は窺うように私を見上げて尋ねてきた。
涙を溜めた彼女はとっても可愛らしくて、なんだか、もっとイジメたいという感情が沸き上がって来た。もしかして、パサ姐はいつも私にこんな感情を抱いていたのだろうか。
「うん。大丈夫だよ」
そう言って、いつもしてもらっているみたいに頭を撫でると、抵抗することなく彼女は受け入れてくれた。
「あーあ、予定が狂っちゃったわ」
「どういうこと?」
「あなたには、あなたの理想の私だけを見せたかったのに」
頬を膨らませながら拗ねたようにパサ姐はそうぼやいた。やっぱり、その言葉はすごく可愛くて、私の知らないパサ姐だった。
「私はどんなパサ姐だって、パサ姐だよ?」
「どうかしらね。あなたの中の私って相当に美化されてるもの」
それは……そうかもしれない。
私にとってパサ姐は太陽みたいに明るくて眩しくて、ハンターみたいに狡猾なとってもかっこいい存在だと思ってた。
「それは……まあ、雷にこんなに驚くなんて思ってなかったかも」
「そうでしょ? 私にだって、怖いものはあるわ。特に雷は無理よ。本能的に無理。魂レベルで拒絶してるもの」
「そうなんだ……」
私は普段と違うパサ姐を見てなんとなく、気づいた。どうしてこんなに恥ずかしがっていたのかを。
「パサ姐はさ、私のために私が思うパサ姐だけを見せてくれてたの?」
「そうよ……今日で全部メチャクチャになっちゃったけど」
ああ、やっぱりだ。私、パサ姐のこと何にも知らないんだ。
それと同時にとっても嬉しかった。パサ姐はどこまでも私のことを理解しようと、尊重しようとしてくれてたんだなって。
「今のパサ姐。とってもかわいいよ。大好きだ」
「っっ!?……散々恥ずかしがってたのに、急にさらっと言わないでよ」
普段と立場が逆になっているのがすごく面白い。それに、真っ赤になって顔を逸らすパサ姐がどこまでも可愛い。大好きが溢れてしまう。
私は、やっぱり、上ばっかり見ていた。
太陽の輝きが欲しくて手を伸ばした。それに失敗した私に太陽みたいに明るい彼女が手を差し伸べてくれた。彼女の輝きをもっと伸ばせるようにしたいなんて思いながら一緒にトゥインクル・シリーズを挑んできた。
でも、本当は彼女は私の手が届かないような遠い存在じゃなくてすぐ近くにいる。とても可愛くてかっこいい存在だったんだ。
シーキングザパールは太陽なんかじゃない。
太陽なんていう私の押し付けじゃなくて、ただのシーキングザパールというウマ娘なんだ。そして彼女は太陽だって呆れてしまうくらいに情熱的でとても魅力的な存在なんだ。
この羞恥心は雲の上の存在に対する憧れなんだと思う。だから、シーキングザパールに抱くものじゃないんだ。
「あーあ、私も愛してるって言ってほしかったのに。結局、うやむやにされちゃったわ。私なんかよりもあなたのほうがよっぽどズルいんだけどね」
何も考えていないようでなんでも見通しているミステリアスな存在だと思ってた。でも、これだけ素直で自分の気持ちに正直なパサ姐も私はとっても大好きだ。
私だってパサ姐が……その……欲しいし。
『ちゃんと印をつけておかないと、ね?』
正直、やっぱり、憧れとかそう言うのを抜きにしても考えるだけで恥ずかしい。でも、欲しいものにはちゃんと印をつけておかないととられちゃうのも事実だ。
「ぱ、パサ姐……」
「なーに?」
「あ、あい、あぃ……」
「よく聞こえないわ」
うううううう、このウマ娘ちょっとニヤニヤしてる。なんだか、いつもの関係に戻ったみたいで腹が立ってしまう。
私だってやるときはやるんだ! だ、だから印をつけないと
「あといの次はしよ? 次の言葉も言お…んっ……」
「わ、わ、わ、わ、ど、どうだ! し、印をつけたから!! これでパサ姐はわ、わた、私のものだから!!!」
すごく柔らかかった。レモンの味なんて言うけれど、味も分からないくらい、軽く触れただけの軽いものだった。
でも、私にとってはとっても重たいものだった。
だって、わたしの、はじめてだ。
「…………え?」
「私だってやるときはやるし! 子猫とかじゃなくてライオンだし! 本当はすごく、すっごく大胆なんだから!!!」
ああああ、何を言っているんだ私は。違う。違うんだ。そんなことを言いたかったわけじゃないのに……。ただ、気づけば口が勝手に回っているんだ。
「パサ姐は私のことをあぃし……なんて言うけど、わ、私の方がパサ姐のこと好きなんだから!!!」
ああ、誰か私を止めてください。このままだと恥ずかしくて消えてしまいそうです。
「…………ごめんなさいね。キティちゃん」
「え?」
「無理よ。そんなこと言われたら、抑えられる訳ないじゃない」
「う……ぇ……?」
気づいたら、私の膝の上にいたはずの彼女は起き上がって、私を押し倒していた。
「私は悪くないと思うの。……私をその気にさせたのは散々誘ってきたキティちゃんでしょ?」
「ひゃ……ま、まってパサ姐。話し合おう?」
「嫌よ。今、そういうまどろっこしいのに付き合っている気分じゃないの」
二つのアメジストが私を見下ろしながらギラギラと輝いていた。ひどく妖艶で、見惚れしまうほどの美しさがあった。私を掴んでいる力は到底人間では抵抗できるはずもないくらい強固なものだった。
「優しくなんかは出来ないけど……痛くはしないであげるわ」
「う、うなににゃあああああ」
私のちっぽけな勝利宣言は彼女を燃え上がらせる燃料にしかならなかった。
この日の夜。私の体は彼女に全部暴かれてしまった。
とっても恥ずかしいし、正気になったら、顔を見ることもままならないかもしれない。でも、私は今までにないくらい幸せだった。
「キティちゃん。……ほら起きて!」
「な、にゅあ!?」
気づけば、私はバスの中だった。外を見れば見慣れたトレセン学園がある。
降りてみればムワッとした熱気に包まれるぐらいにはあちらに比べて湿度が高い。嗅ぎ慣れた日本の匂いだし。とっても安心感がある。
というか、本当にあっさりと帰りすぎて、なんだか拍子抜けというか、あの遠征が夢だったんじゃないかとさえ思ってしまう。
「ぱ、パサ姐。私、フランスに行って、パサ姐がGⅠを勝つ夢を見たんだ。すっごくリアルだったんだよ」
「はああ? あなたねえ…………そう、忘れてるようなら思い出させてあげないとね」
「ぱ、パサ姐。なんで私の服を掴んでいるの!? なんで私を脱がそうとしているの!?」
「あれだけ散々印をつけたんだもの。キティちゃんだって、見れば思い出すに決まっているわ」
印……や、やっぱり。パサ姐の勝利も夢じゃなかったし、あれも夢じゃなかったんだ。というか、恥ずかしすぎて脳がパンクする前に一瞬記憶を飛ばしてたんだと私は思い出した。
「わ、わわ! 思い出した! 思い出したから、もうその下を脱がさないで! 肌着になっちゃうから!」
「どうせ、キャミソールなんだしそういうファッションだってみんな思ってくれるわよ、きっと!」
「ダメダメダメー!!! 私が思わないからダメなの!」
「ああ、もう!!」
「Wow! お二人ともとっても仲良しさんデスネ!」
「あ! タイキシャトル!」
ささやかな抵抗をしていた私の下に救いが現れた。助けてもらうようタイキシャトㇽに縋る。
「ね、ねえ! パサ姐が、服を脱がそうとしているの! 止めてくれないかな!?」
「あ! タイキ使うのは反則でしょあなた」
「使えるものはなんでも使うんです!」
「Oh……そうですね。パールさん。トレーナーさんは、蚊に刺されているようなので、少しでも肌を守るためにもお洋服を脱がさない方がいいと思いマスヨ?」
「え。蚊になんて刺され……~~~~っっ!」
分かってしまった。分かってしまったんだ。それは、それが意味するところは。
「それもそうね。……この子ったら、虫に刺されやすい体質みたいだから全身虫刺されがあるのよ」
「ぱ、パサ姐~~~~っっ!」
私は恥ずかしさのあまり首元を隠しながら、その場にうずくまる。
「Yes! 分かってもらえてうれしいデース!……それから、Congratulation……おめでとうございマス!」
「ええ、ありがとう。次はアナタの番ね。タイキ」
「Yes! 風穴ぶち抜きマスヨ!」
「あ! パール先輩! おめでとうです。エルももっともっと頑張らなきゃって思いました!……と、トレーナーさんは大丈夫ですか?」
「ありがとうね、エル。その子は気にしなくていいわよ。喜びすぎてうずくまってるだけだから」
「うううううう」
パサ姐は私の視線なんて歯牙にも欠けずにエルコンドルパサーに言葉を続ける。
「私の次はタイキ。その次はエル。あなたかもしれないわね」
「はい! そのつもりでエルも頑張ります!」
「勝つのって踊るくらい楽しいわね。……だから、あなたも頑張って頂戴。最っ高気持ちいいから」
「え!? パール先輩が勝ち負けに気にしてまーす!?……海外ってそ、相当にすごいんですね……エルも頑張らないと」
パサ姐を出迎えてくれたのは、いつものメンバーたちだった。やっぱり、パサ姐の勝利でみんなの士気も上がっているみたいだ。それだけの実力をパサ姐が持っていた。そしてそれを証明して帰って来た。それがなんだか誇らしくて、嬉しくて、つい口が綻んでしまう。
「なに笑ってるんですか、アンタ。気色悪い」
「んな!?」
いや、確かに見せられない姿かと思ったけど、でも俯いてたし! ちゃんと隠してたし!
「って……あなたは」
「ちわ。アンタたちのせいでぬるま湯から引きずり出された負けウマ娘ですよ」
この間、パサ姐の踊りで不登校を解決させたウマ娘だった。
「なんで……」
「なんでって……外に出してくれたお礼にお出迎えするのに理由なんているんすか? 一々理屈こねないと納得できないタイプってあんまり好かれないけど」
「あなたねええええ!」
どこまでも私の神経を逆なでするウマ娘だった。
「おめでとうございます。まあ、アンタたちらしい暑苦しい走りだったんじゃないですか」
「あら、ありがとう」
「褒められてるのかな!?」
「あんなの見たら、立ち止まってた自分をぶん殴りたくなったんですよ。ウケるでしょ?」
軽薄で、憎まれ口を叩いている鹿毛のウマ娘の瞳に宿る闘志は本物だった。挫折して這い上がって来たものにしか灯せない熱があった。
「アタシは絶対に歴史に名を刻むような走りをするから。それをアンタたちに言いたかっただけ」
「その夢はとっても楽しそうね」
「その適当な返事やめろよ。……あと、二人あてに伝言預かってるんで」
??? このウマ娘の関係者に私たちが知っているような人物がいたのか。知らなかった。
「トレーナーさんには、『許しません。どこまで追いかけて後悔させてやるから』ですって」
「!?」
「パサールさんには」
「ザ! パール!」
「あー、ザパールさんには『私、人のものとか気にしません。強欲なので』らしいっすよ」
「ふーん」
「そ、それって」
「あー、未練がましいっすよね? ああいう、一生引きずるウジウジした、ねちっこい性格にアタシもウンザリだけど。まあ、腐っても血の繋がった姉なんで。その誼で伝えました」
なんというか。世界って狭いんだ。
いや、それ以上に感じることはあるのかもしれない。でも、そう思わずにはいられなかった。
「実は、アタシがひきこもったのも、姉が無駄に戦績良い状態で失踪したせいなんだよね。姉のような活躍しながら絶対に逃げ出すなって言われたんすよ。それなのに、勝てなくなって嫌になって引きこもってたら、アンタたちに引きずり出されたんだ」
「あ……あ……」
私の行いが巡り巡って、彼女を不幸にさせていたのか……。
なんだろうか、本当に、私は……。
「そういう目向けるの本当に止めてよ」
「え?」
「アタシはアタシの意志でやったんだ。そこにアンタの存在なんて一切入り込む余地なんてなかった。アタシに姉がいなかったとしても、アタシは引きこもってたと思う。それは単にアタシが弱かったのが悪いんだ」
それは、キツイ言葉のようでなんだか優しくて。
「アタシの不幸はアタシだけのもんだ。アンタに渡すものなんかこれっぽちもない。だから、その同情の目は本当に止めてよ」
「あなた……面白い子ね! 気に入ったわ」
「は?」
「え?」
「勝ち負けなんてこだわりはしなかったけれど、フランスに行って価値観が変わった。勝つって素晴らしい。そして、あなたも勝ちたいんでしょう?」
突然のパサ姐の言葉に彼女も私も固まってしまう。
「あなたも私と一緒に踊りましょう? 太陽も呆れるくらいに」
パサ姐は、浮かれたように鹿毛のウマ娘に手を差し出す。
「チッ……アンタみたいのがアタシは一番大嫌いだ」
そう言って、鹿毛のウマ娘は黄金色の瞳でパサ姐を睨みつける。
「だから、アタシはアタシが前に進むためにアンタを利用して食い破る。ただ、それだけだ」
恨めしそうにパサ姐を見つめながら、彼女はその手を取った。
「ええ、きっと楽しくなるわ」
気づけば、私たちは踊っていた。帰国してすぐなんてしらない。疲れなんて知らない。ただ、楽しいから踊った。そっちのほうが絶対に楽しいから。
誰かに向かって、何かに向かって、私たちは訴えるように踊り狂った。
踊っても踊らなくても、世界は変わらない。回り続ける。
なら、楽しく踊り明かした方が絶対に幸せだ。
終わりなんて知らない。ただ、私たちは今この瞬間を生きている。
パサ姐はひと際情熱的だった。玉のような汗だって、宝石のようにも思えるほどそのあり方は美しい。
可愛くて、カッコよくて、大好きで、あ、あいしてる。私の愛バだ。
彼女となら、どこへだっていけるんだと思う。帰国してからそう思った。
だから、今はそんな彼女と気が済むまで心ゆくまで踊り明かす。
ああ、最高だ!