DIOの父親に転生したけど幸福に生きてみせるぞ   作:紅乃 晴@小説アカ

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DIOの父親に転生したけど幸福に生きてみせるぞ

 

 

1800年初頭。

 

産業革命後、目覚ましい進歩を進めたイギリス。そこで一人の男の運命が、今まさに変わろうとしていた!!

 

 

 

 

 

 

目が覚めたらダリオ・ブランドーになっていました。何を言ってるかわからねぇと思うが俺も何が起こってるのかわからなかった。

 

不意に死んだ特典で転生したとか、チート能力だとか、そんなチャチなもんじゃねぇ……もっと恐ろしい片鱗を味わってる最中なんだよなぁ!!!

 

道で転んで頭を強打した結果、俺は前世ともなんとも言えない記憶を取り戻したのだ。どちらかというと未来である。俺がいたのは現代の日本であり、今いるのは1800年初頭のイギリスなのだ!!

 

そして、このダリオ・ブランドー。

 

まだ歳は若いが、俺はこの男をよく知っていた。そして、その真実を知るが故に俺はひどく恐怖した……ッ!!

 

この男は、ジョジョの奇妙な冒険の宿敵、ディオ・ブランドーの実の父親であり、目が覚めたこの世界はまさに「ジョジョの奇妙な冒険」の世界だったのだ!!

 

あんまりだぁああああ!!!

 

よくある転生ものでは、ジョナサンの親友ポジだったり、ディオの友人ポジだったりとかあるのに、なぜよりにもよってディオの父親であるダリオ・ブランドーになっているのだ!!わからねぇ!!俺にはさっぱりわからねぇ!!(スピードワゴン風)

 

ダリオ・ブランドーは作中の1868年、主人公ジョナサンの父であるジョージ・ジョースター卿の馬車の事故現場に居合わせ、金目の物を盗んでいたところ、ジョースター卿が目を覚ましたことから結果的に彼を助けることになった経緯を持つ男だ。

 

その最低最悪を絵に描いたような人間。

 

昼間から浴びるように飲んだくれて体を壊し、ディオが稼いだ金で薬を買ってくると「そんなものを買う金があるなら酒を持って来い!」と喚き散らしたシーンもある。

 

しかも、ジョースター卿の事故に居合わせたのも単なる偶然ではない。

 

事故現場である崖は雨で崩れやすくなっており、よく馬車が落ちる道でもあった。

 

ダリオは事故を見かけるや躊躇うことなく金品を強奪し始めた。よって彼は常習的に窃盗を行っていたのだ。

 

そして晩年。ダリオは死んだ妻の形見のドレスを酒代に変えたことでディオの怒りを買い、東洋の毒薬を盛られて殺されたのだ。

 

息子であるディオをジョースター家の養子にする手紙をジョージに残して。

 

墓石にディオが唾を吐きかけるほど最低最悪の男。それこそがダリオ・ブランドーなのだ。

 

嫌だああああ!!そんな未来に向かって俺は足を進めたくない!!

 

一週間程度、そんな現実逃避を繰り返しているうちに、俺はある着地点にたどり着いた。

 

ダリオが真人間になれば、ディオに殺されることもないし、もしかするとディオも真人間になれるのではないか?と。

 

うん、そうだ。それがいい、というかそれしかない!!俺が生き残る道はそれしかないのだぁ!!

 

そう思うが早く、俺は行動を開始する。宿命の悪役を息子に持つという性を持っているが、俺は幸福に暮らしてみせるぞ、ジョジョおおお!!

 

 

 

 

 

 

さて、ここでダリオ・ブランドーについておさらいだ。俺は現在8歳。ディオが生まれるのが1867年であるが、今は1830年。イギリスが産業革命の影響で繁栄を築き上げている最中の時代であった。

 

世界史と経済を専攻した大学に通っていたおかげか、この年代のイギリスにいられることに感動を覚えながらも、俺は今後のダリオ・ブランドーとしての立ち回りを考えなければならなかった。

 

まず、ダリオだが割と生まれは良かった。

 

というか、あの飲んだくれのダリオが美人な妻を迎えることができていた時点で気づくべきであったが、ダリオは資産家の生まれだったのだ。

 

ブランドー家は、もともとはアイルランドで栽培される馬鈴薯(ジャガイモ)の生産元締めを行なっていた会社を有しており、俺自身もロンドンの貧民街で生活を強いられるような貧しさとは無縁の生活を送っていた。

 

だが、人生というものはそれぞれ定まった運命というものがある。

 

ダリオ・ブランドーがコソ泥というゲスな存在に転落するまでの経緯はおおよそ予想はついていた。

 

ファントムブラッド編……いわゆるジョナサンとディオの因縁が始まる1867年から20年ほど前。

 

イギリスは類を見ない危機に陥ることになる。それはジャガイモの疫病死による不作が、ヨーロッパ全土で起こったことが原因だ。

 

とくにアイルランドで生産される農地については、政府が取った政策が悪く大飢饉が引き起こされることになる。

 

アイルランドの領主のほとんどがイングランド人・スコットランド人だ。領民の救済よりも地代収入を優先し、ジャガイモの輸出を制限しなかった。

 

このためアイルランド内で餓死者が続出、飢饉を逃れるため多くがアメリカ等へ移住した。ジャガイモなどの生産を行っていた元締めは事実上経営破綻に陥り、数多くの資本家たちが路頭に迷うことになる。

 

そこを機に欧州での情勢不安や、覇権争い……強いて言えば第一次世界大戦へと繋がってゆく、まさにイギリスにとっての激動、暗黒時代の幕開けであった。

 

そんな中、俺は父にある話を持ちかけた。

 

今後の経営学を学ぶためにアイルランドの農地の一つを買い取らせて欲しい、と。もちろん今の俺にそんな財力はないので、父を納得させるための資料などを用意し交渉に挑んだ。

 

俺が目をつけたのはジャガイモなどのポピュラーなイモ科の食物ではなく、根菜だ。それを聞いた時の父の反応は予想通り良いものではなかった。イギリス人は土に埋まる根菜類を嫌う節があるからだ。

 

その理由は痩せた国土と慢性化した飢餓、不作が根深い。彼らの歴史は飢えと飢餓で作り上げられてきたといっても過言ではないからだ。その日の食糧を求めて果ては木の根すら齧った過去が、イギリスという欧州に住む人々の心の奥底に眠っていて、故に彼らは土からとれる根菜にあまりいい反応を見せない側面があった。

 

だが、事態は悠長なことを言っている場合ではない。俺はそのためにあらゆるものを利用してきた。父の会社の同僚や重役たち。いわゆる資本家たちに父の息子であるという顔を覚えてもらい人間関係を構築。少ない小遣いをやりくりして資本家たちの息子や娘たちともコミュニティを作り、さらに家族関係という部分でも深く関わりを持った。

 

この時代、仕事上の付き合いよりも家族や親族間での付き合いという考え方のほうが尊重されていた。彼らにとって仕事は金を生み出すステータスでしかなく、どんな親族との付き合いがあるかという見栄えが全てだったからだ。

 

社長子息との関係というものは喉から手が出るほど欲するものの一つでもある。そこを俺は利用した。

 

10代前半というハンデ。子供の考えなどと下手に見られる不安はあるものの、できる限りの下準備と資料を準備して父にかけあった結果、アイルランドの農地の一部を買い取ることができたのだ。もちろん、費用は全額ローンで。利子は父の寛容な心でなんと無しだ。

 

そんなわけで土地と資金を得た俺は手隙の農夫を雇い仕事を始めた。

 

スィードやターニップ、ニンジンのような形をしたパースニップなど。イギリスでは不人気なカブやセリ科の野菜の種を買い叩いて買い占め、栽培。ジャガイモよりも強く、そして土地の肥沃度が低くとも栽培可能な根菜類は水まきと雑草処理さえ徹底すれば余程のことがない限り枯れることはない。それに連作障害などの危険も少ないため他のジャガイモ畑に危害を加えることもないのだ。

 

さて、根菜の栽培が本格始動したとはいえ根菜を嫌う相手に売っても安く買い叩かれるか、そもそも話の場に座らないこともある。父も無駄金を使って作るよりさっさとジャガイモに移管しろと遠回りに言ってきているが、そうしたらここまでの苦労が無駄になってしまう。

 

というわけで売り先をイギリスではなく、別方向へと広げた。いわゆるアイルランドでの食糧自給力の強化だ。

 

ジャガイモの多くは国外へと輸出されるため、アイルランドで働く現地従業員が手にする物は必要最低限。来たるジャガイモ飢饉で真っ先に苦しんだのは生産している農家の人々だ。

 

故に、彼らの自給率を上げるため根菜を積極的に食べてもらう。俺は収穫した根菜類を調理し、現地スタッフへと振る舞う習慣を作った。社内従業員と言っても、その数は侮るなかれ。数百人規模の従業員を抱えているなんてザラで、多いところでは千人規模の農夫を抱える資本家もいるほどだ。

 

それに昔は時給10円なんて生活が当たり前なので、食事もかなり質素。食えればなんでもいいくらいの食事も当たり前のようにあった。よって、俺は福利厚生の一環で通常より低い値で昼食と夕食を提供するようにした。

 

出金はもちろんあるし、父からも不興を買ったが未来への投資でもある。それに根菜というマイナスイメージが強い食文化を受け入れてもらうと思うのならば多少のマイナスに目を瞑る必要もあるだろう。

 

結果、根菜類のシチューやキッシュがバカ受け。元々ジャガイモのようなイモ類よりも栄養価が高く味わいも深いものだ。最初は敬遠されていたが、気付けば根菜類の食事がかなり受け入れられるようになっていた。

 

そして農夫同士の繋がりでアイルランド内で根菜の噂が広まり、ジャガイモよりも安価であるということで内需が増え、俺は得た利益から余った農地を次々と買い占めて根菜畑を増設。アイルランドはジャガイモの生産地であると同時に根菜の一大生産拠点として発展してゆくようになったのだ。

 

 

 

 

 

その時、ダリオ・ブランドーは気づいていなかった!!

 

アイルランドで起こる飢饉が根菜によって緩和されたこと、そして後の世で欧州では珍しく根菜が広く受け入れられるアイルランドの文化基盤を築き上げていることなど、彼は知る由がなかったのだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、1845年からジャガイモの疫病は緩やかにはじまっていく。

 

多くの資本家たちは疫病による食料不足を当初は軽んじていたが、一年後に事態は深刻さが増した。地代を優先した資本家たちの意に反してアメリカや他国に移住する農夫たちが激増。結果的に生産が立ち行かなくなり経営破綻する資本家たちが続出し、ロンドンは世紀の大恐慌に見舞われたのだ。

 

路頭に迷う資本家たちや、仕事を失った者たちで溢れかえり治安は悪化の一途を辿る。

 

そんな中、ブランドー家が経営する会社はなんとか継続できていた。理由は俺の作る根菜の売り上げと、趣味で始めたあるものだった。

 

蒸気機関というものがある。これは1600年から1800年に発展した人類が開発した動力機関のひとつだ。

 

簡単に説明すると熱した水から生じる蒸気で圧力をかけ、ピストンを動かし、そして冷却し液体に戻る作用を使って進めたピストンを引き戻す仕組みとなっている。

 

圧力容器と貯水タンク、なにより熱エネルギーを生み出す炉の大きさによって出力は幅広く変動するのだが、俺が作ったのは「小型の蒸気機関」だった。

 

と言っても、大人の背丈ほどある小屋サイズ程度になるのだが、これでも小さくなった方だ。原料は水と木炭または薪。定期的なボイラーの点検と水の補充は必要だがそれさえすれば動力源としては申し分ない。

 

ことの始まりは知り合った資本家が抱える技師との出会いで、彼の語る夢物語に俺の未来の知識と蒸気機関の原理が悪魔合体した結果、小型の据え置き型蒸気機関が発明されたのだ。

 

電気などはまだ普及していないので農業用水などを汲み上げるポンプの動力源として使用されているのだが、これを応用した代物がイギリス国内で関心を集めていた。

 

組み上げた水を循環させて排出する機構を応用し作り上げたのが水洗式トイレなのだ。1800年代のイギリスの下水衛生観念は最悪であり、貴族の使うトイレも基本的に汲み取り式で貧困層にもなると道端に排泄物が溜まってるなんてこともしょっちゅうだった。

 

そこで俺は英国貴族らに水洗式トイレを紹介。維持費は高いが最新技術である蒸気機関と新たな生活様式に興味を抱いた貴族の間で水洗式トイレがバカ売れした。

 

当時は下水道整備の進みは遅く、とりあえず排泄された汚水は敷地内に掘られた溜池に貯められる形となり、それを汲み取る事業なども展開。

 

ブランドー家の会社はイギリス国内でも有数の企業として伸び始めていた。

 

俺も20代目前。父からは後継として有力視されており、子供時代から付き合いを続けてきた資本家やその家族との人脈もより強固なものとなっていた。

 

今は穀物法が廃止され自由貿易体制が敷かれる世の中になったため、そのビッグウェーブに乗るために社内は忙しくなっている。

 

すでにいくつかのビジネスプランが計画されており、ブランドー家の会社は多くの利益を得る目処が立っていた。

 

そんな最中。

 

俺はある決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

ダリオの秘書はいつものように彼の執務室へと訪れたのだが、その部屋には誰もいなかった。人一倍、時間に厳しい彼が始業時間になっても執務室に現れないことに疑念を抱いた秘書がふと見つけた置き手紙。

 

そこにはこう綴られていた。

 

 

「しばらく旅に出る。詮索不要」

 

 

その日、ブランドー家は空前の混乱に見舞われたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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