ウマ娘とトレーナーは一心同体。
誰かが言ったそんな言葉を、俺はどうしても信じることができなかった。
実際間違いではないんだろう。
トレーナーなくしてウマ娘は走れるものではなく、組んだトレーナーによってその後に残す成績が大きく変わることもある。
ただその言葉は俺には響かない。というより、俺にとってそれは意味の無いものに成り下がってしまった。
年端もいかないガキの頃、テレビの液晶越しに見たレースは俺に憧れを抱かせるには十分すぎる輝きを放っていた。
誰が勝ち残るか最後まで分からない独特の緊張感、およそ人とはかけ離れた速度で駆け抜ける彼女達の姿。将来の夢が「トレーナーになること」に決まるのは早いものだった。
もちろん俺以外にもトレーナー志望の奴らなんぞごまんといた。倍率は凄まじいものだったし、並大抵の努力でなれるものじゃなかった。
それでも血反吐を吐く思いで狂ったようにガリ勉生活を送り、なんとかライセンスを勝ち取ることに成功した……あくまで地方のだが。
トレーナーになったぐらいで止まる気はなかった。
ここからでも中央に行くことは不可能じゃない。たとえ地方のウマ娘でも俺が鍛え上げて勝たせまくってやる。それだけを目標にしてひたすら突っ走った。
いろんな奴らの担当になってきた。
初めの頃こそ上手くいかなかったが、そんなんでも朝から晩まで目が回りそうな程に働いてきた。
オーバーワーク寸前まで練習メニューを詰め込む俺について来れるウマ娘は少なかった。そもそも地方からテッペンを目指す熱意やド根性を持ってるのはあまりいるもんじゃない。それでも少しでも勝ちたいと思ってる奴らには全力でサポートしてきた。
俺はかなりスパルタな方だと自負していたがそれでもそんな俺を信じて担当ウマ娘になってくれた中々に骨のある奴もいた。
毎日バカみたいに走らせてバカみたいに鍛えさせて、それでもめげないソイツをとことんまで支えまくった。その成果もあってかかなり好成績を残すようになり、とうとう中央に行く話も持ちかけられるようになった。
が、現実は甘くなかった。
中央に行った後ソイツは今までが嘘のように敗北を重ねた。結局最後まで勝てなかったどころか入着することすらなかった。
別れ際に言われた言葉は今でも嫌になるぐらい鮮明に思い出せる。
『やっぱり、私なんかじゃダメだったんだ』
ソイツの名前は忘れてもその言葉だけは頭から離れなかった。
それは、たとえ才能が無かろうと──そんな奴だからこそ
バカなことに俺はそれでも自分を信じていた。
それからも懲りずに地方であくせく働き功績を地道に積み重ねた。それが幸をなしたのか、
乗らないテは無かった。元々中央のトレーナーを目指していたし地方に特別な思い入れがあるわけでもなかったからだ。
試験には無事合格したが、ただ一つ心残りがあったとするなら地方から中央の制覇を今まで受け持ってきた誰にもさせられなかったということだった。
中央は何もかもレベルが段違いだ。トレーナーもウマ娘も、選りすぐりのエリート共がわんさかいた。
複数人の選手で構成されたチームの面倒を見るという激務をなんなくこなし、個人個人で付きっきりというわけでもないのにジャパンカップだの日本ダービーだの獲らせる化け物みたいなトレーナーも中にはいやがった。地方でアイツと組んでた時夢にまで見ていた重賞を奴らはなんなくかっさらっていたんだ。
その程度で折れるつもりはさらさらなかった。俺だっていずれはそんなトレーナーになってみせると、相も変わらず夢を追いかけていた。
やがてサブから個人を受け持つ専任のトレーナーになり、選抜レースでは人目も憚らずにスカウトに明け暮れるようになった。……とはいえ俺は中央に来たといっても目立った実績は何一つ無かったから、才能に恵まれたのや名門家のウマ娘は根こそぎベテラン勢に引っこ抜かれてしまったが。
最終的に選抜レースで入着を逃した奴が俺の中央人生初めての担当に。
ソイツの脚に大した武器は無かったが勝ちたいという気概はそこいらのエリートにも負けないぐらいあった。当然俺もその思いに応える為にありったけの気合いをこめてトレーニングに付き合った。
ソイツは運が悪かった。俺の組んだハードなトレーニングにも耐え抜いて、一着とまでは行かなくとも徐々に実力を伸ばし入着の機会を堅実に増やしていた時にそれは起こった。
怪我だ。
全くの予兆も無しに発現したソレはソイツの選手生命を簡単に奪っていった。トレーニングの度、俺が再三再四うんざりされるぐらいにソイツの脚を気遣っていたのにも関わらずだ。
治してやる為になんでもした。俺に出来ることでソイツが怪我を克服できるならいくらでもなんだってするつもりだった。無駄だった。
誰が悪いわけでもなかった。ただ運が悪いだけだった。それでもいつかの──ガキの頃の俺はそんなクソッタレな不幸もトレーナーが頑張ればどうにでも出来ると、俺もそんなトレーナーになれると信じきっていた。
次に担当したのはかなりの有望株。重賞どころかGⅠにも届きうる逸材だった。普通に考えてそんな奴が他のトレーナーに取られないわけがなかったのだが、結局担当になったのは俺だった。
それもそのはず、ソイツは性格がとにかく荒い奴で基本的にこちらの言うことなんざ聞きやしない。そのくせしてレースでは何バ身も差をつけて余裕で勝つものだから余計にタチが悪い。リスクを背負ってそんな奴を選ぶ度胸があるトレーナーは少ない。
それでもあの時の俺は藁にもすがる思いでソイツと手を組んだ。あのまま何も成せずに年月を重ねることを酷く恐れて。
俺からソイツにしてやれることはなかった。いや無いわけでもなかったか。例えば出場レースの手続きとか。
鼻で笑いたくなるような生活だった。”如何に勝たせるか”ではなく”如何に走る気にさせるか”。
ご機嫌取りが仕事になったようだった。
結果ソイツはトゥインクル・シリーズを勝利に収め俺にはおこぼれの実績と報酬金が舞い込んできた。なんの価値もないクソみたいな栄誉だ。
とまぁ、そんな感じでそれから先も色んなウマ娘を見てきた。チームのメイントレーナーになったこともあった。
「良い結果」を積めば「良い選手」と巡り会う機会も増える。
とにかく優秀な娘を探して徹底的とまでは行かなくともそれなりに面倒を見てやれば”結果”は出た。
ただ不運に見舞われた場合──要するに怪我をした場合、治らない奴がいてもそれは仕方の無いことだった。
選抜レースなどで結果が奮わなかった選手も面倒を見た。一応勝てないことはなかった。ソイツに合わせたトレーニング、走り方、戦略、レース、それらを
逆を言えばそれだけだった。俺とソイツがいくら死にものぐるいで努力しても越えられない壁というものは確かにあった。それも仕方のないことだった。
仕方ない。
仕方ない。
何度同じ言葉を繰り返しただろうか。
手は尽くした。努力はした。
それがなんだと言うんだ。この世界は結果が全てなんだ。たとえ身体能力が優れていなかろうと
生まれ持った才能が無ければ「特別」にはなれない。それが現実だ。
トレーナーもウマ娘も結局は選ばれた者だけが勝ち残る。俺も、
あるいは凄腕のトレーナーならどんなヤツでも勝たせられるのかもしれない。どんな怪我だって──そもそも怪我なんて起こらせないかもしれない。
ただ俺はそれになれなかった。
俺は、あの日目指した自分になれなかった。
ごく稀にいた、怪我を克服して栄光の座に返り咲いた奴を見ても欠片とも感動しなかった。
それはソイツ自身の力であって、
自分は思いのほか薄情者なんだとその時に気がついた。
抱え続けていた夢。
俺がどんなウマ娘だろうと勝たせてみせる。
そんな野心は叶うものじゃなかった。
レースの世界は所詮強いやつが強く、弱いやつは弱いまま。
そんな当たり前の現実をガキの頃の俺はどうしても信じられなかったらしい。
大したことないやつでも身の丈に合ったレースを選べば賞金はそれなりに獲得できる。
運が悪かったらそれでおしまいで、俺に出来るのはそこいらが限界。
何年も無駄に歳を重ねて出した結論は、そんなくっだらないものだった。
とある会場にて、トレーナーが担当ウマ娘をスカウトする選定の為のレースが行われていた。
空は雲一つなく清々しい程の良バ場。
その中でただ一人、観戦もせずにベンチで呆けたように座り込んでいる男がいた。
「なあ、あの人って……」
「……ああ、多分そうだ」
声のトーンを何段階か落として話し合っている二人組。彼らは、今日この場へウマ娘をスカウトしに来たトレーナーだ。
二人の視線の先には前述の通りベンチに腰を下ろしている男。彼はトレセン学園内では良くも悪くも有名だった。
地方からの叩き上げの身でありながら数多くのウマ娘を育て上げ、様々な重賞を制覇させ中央トレセンでもそれなりに高い評価を得ていた。彼が担当した中には二冠ウマ娘もいる。
彼よりも優れた指導者は当然いるが、彼並みに多くのウマ娘を見てきた者はそうそういない。そういう意味では男は唯一無二のトレーナーだった。
────しかしそれも幾分前の話。
近頃は大して仕事もせず担当するウマ娘もいない。それどころかライセンスを剥奪されるのではないか、などという噂も立つ始末。
入ってきたばかりの新人にも特に何かを教えるわけでもなく、ただボンヤリと時間が流れていくのを待っているだけ。
以前の活気は見る影もなく、他のトレーナーからは少しずつ距離を置かれるように。
そのようにして男はトレーナー界隈では特異な人物として扱われていた。
身に纏う衣服はシワだらけ。無精髭を生やしボサボサの頭を重そうに垂れながらベンチに座り続けているその男は、このレース場とはおよそ不釣り合いな存在だった。
話し合っていた二人組はやがて興味を失ったように自らの仕事に戻っていった。男は依然として動こうとしない。
季節は春だと言うのに照りつける日差しはかなりの熱気を放っていた。
額に汗が滲む。拭うことすら億劫に思える。重い腰を上げてレース場まで来たのはいいものの、スカウトするやる気なんざもう残っちゃいない。
最後にウマ娘の担当になったのはいつのことだったか。あの理事長秘書に口酸っぱく言われて久しぶりに選抜レースを見に来たが、肝心のレース内容は見ていないままだ。
このままではライセンスが剥奪されてしまう。それも至極当然のことだ。碌に仕事もしないお荷物をいつまでも抱えていられる程中央は甘くない。
それでもいいかと思う。これ以上トレーナーを続けたところで得られるモノは無い気がするのだから。
汗が滴り落ちる。コンクリートを滲ませて直径一センチばかりの薄いシミができた。
頭を上げてみると周りには誰もいなかった。ここに来たトレーナーの奴らは今頃レースをクソ真面目に観戦していることだろう。
そうしてしばらく何をするわけでもなく無駄な時間を過ごしていた。煙草なんて吸う柄でもなかったし、ただただ苦痛でしかなかった。
恐らく、このまま一人も担当を持たずにノコノコ帰った俺はしばらくもしないうちにクビを切られる。
以前受け持っていたチームは今は俺のものじゃない。俺がいつか新人の時に面倒を見てやったトレーナー──アイツはサブの頃から優秀だったから、これからも活躍していくだろうなと思った。
帰ろうとして立ち上がると目眩がした。この歳になると自分が軽い脱水症状を起こしていることも分からなくなるらしい。
近くの自販機でスポーツドリンクを買って三分の一程飲み干し、またベンチに戻った。この状態で帰ろうとして事故に遭うなんて笑い話にもならない。
回復を待っているとスカウトが終わったのかトレーナー共がゾロゾロと出てきやがった。早い奴はウマ娘と話しながら歩いている。ソイツらの希望に溢れた姿を惨めったらしく眺めながらぼんやりしている俺はさぞかしみっともなく見えていることだろう。
やがてトレーナー共の姿もちらほら少なくなり始めた頃にようやく体調が整ってきたようで、一人で咳払いをしてから俺は立ち上が────らなかった。
「ねぇねぇ、オマエ、トレーナーでしょ!?」
「あ?」
座っている俺の前には、青い髪をしたちびっこいウマ娘が立っていた。
このトレーナーはハルウララ有マチャレンジをやろうとして心が折れるタイプの人間です