「ぃいやっったぁ〜!
ターボ逃げ切ったぞ〜!」
七夕賞を逃げ切り、すっかりやる気を取り戻したターボは次はGⅠも勝ってトウカイテイオーにも勝つと意気込んでいた。
重賞を勝ち取り調子づいてきたというよりかは調子に乗っていると言った方が適切な気がする。
ただそんなアイツを見ていて不思議と悪い思いをしなかった自分が毎度の事ながら気に入らなかった。
出走登録した後に気づいたことだが、次のレース、産經賞オールカマーはアイツじゃ勝てない可能性が高い。
出場するメンツはGⅢとはいえかなりの
負ける可能性が高い。勝機は薄い。
いつものように勝てないなら勝てないと断定すればいい。何故そんな曖昧な捉え方をするようになったんだ。
アイツの大逃げならもしかしたら、なんて僅かばかりの幻想に縋っているのか?今まで散々思い知らされてきたというのに?
いや、そもそもこんなことを考える必要もない。負けたらそれで終わりなのだから。それならそうといつものように切り捨てて適当にのらりくらりとやっていけばいい話だ。こんな面倒なことを考える必要がどこにある。
アイツの実力は俺が誰よりも知っている。GⅠどころか次のレースもきっと勝てやしない。
それとも、なんだ。
俺はツインターボに勝ってほしいとでも思っているのか。可能性という言葉に何年も叩きのめされて、ライセンス剥奪寸前まで落ちぶれていた身で、それでもアイツの夢を────
頭に血が上る。
延々と耐えてきたがそろそろ限界だ。
アイツを見ていると否応なしに俺が諦めてきたものが脳裏によぎる。何度も、何度も。
それも次のレースで終わりだ。アイツがバ群に飲まれてシンガリまで落ちていく様を見ればこの
「トレーナー!
ターボしょーぶふく着て走りたい!」
ある休日の夕暮れ時、トレーニング終わりにクールダウンのストレッチをさせている最中、唐突にターボはそんなことを言い出した。
しょーぶふく。勝負服。それを着て走りたい。それはどういうことを意味するか、分かってる筈のことをゆっくり噛み締めるように考える。
「テイオーがね!今度GⅠのレースに出るんだって言ってた!だからターボもしょーぶふく着て走りたい!」
GⅠレース。恐らく十月後半の菊花賞のことだ。トウカイテイオーのクラシック三冠達成が懸かっている。聞くところによると奴はデビュー戦から全くの負け無し、このまま行けば無敗の三冠ウマ娘になることも夢じゃないとか。
トウカイテイオーについているトレーナーを考えればそれも妥当な結果と言える。アイツなら多少躓こうがトリプルティアラだろうとクラシック三冠だろうと成し遂げてみせるだろう。
ツインターボが勝負服を着る、要するにGⅠレースを走ったのはたった一度きりだ。スタミナ切れを起こし惨敗に終わったあの有マ記念だけ。
「悪いがそれはできない。勝負服は諦めろ」
「えー!やだやだやだー!
走りたいー!走りたいー!」
ターボの駄々をこねる声が神経に刺さる。
コイツの出るオールカマーは九月後半。なんとかすれば天皇賞・秋に出走することも可能ではある。しかし勝てるかとなると厳しいところだ。それどころか目の前のレースですら勝てるか危ういというのに、何がコイツをそこまで奮い立たせるのか。
ともあれ勝てないレースに易々と参加させてやる程俺は酔狂にはなれない。
だから、
「なんでダメなんだー!今のターボならいつもみたいに大逃げできるもん!」
「お前じゃ無理だ……勝てない」
トレーナーが決して言ってはならないことを口にした。
「え────」
「お前の脚じゃGⅢ辺りが限界だ。
そもそも有マであんなボロボロだったんだからそんなんでトウカイテイオーに勝つなんて土台無理な話なんだよ」
一度言い出したら止まらなかった。コイツの無謀な夢を真っ向から否定したくなってどんどん冷静でいられなくなる。
「うぅぅ……!ターボ勝つもん!
逃げ切って絶対一着になるもん!」
「だから……!ダメだっつってんだろ……!」
なんで俺はこんなに苛立っているのか。
沸騰しかけの脳みその奥でそんな疑問がチラつく。
「大体、ただの重賞ウマ娘でしかないお前が三冠を間近にした奴に勝てるわけがないだろうが!
次のオールカマーだってそうだ。七夕賞よりもバカにならないメンツが揃ってるんだぞ!
お前が!勝てる相手じゃないんだよ!
また終盤になって失速して、ドンケツまで落ちて負けるに決まってるんだ。もう諦めろ……!
ハッキリ言ってな、俺と組んだ時点でお前はここが限界だ。
どこまで行ってもそこまでなんだよ俺も、お前も!いい加減現実を見─────」
最後まで言いかけてふと我に返る。
溜まりに溜まってぶちまけた鬱憤をターボは驚いた表情で受け止め、次第に目尻にどんどん涙を溜めていく。
俺は何をやっているのかと急速に頭の中が冷えていった。こんなことで激するようになるとは、どれだけ歳を食っても俺はまだまだガキのようだ。
しかしよくよく思い返してみれば担当ウマ娘に
「…………」
内心自嘲しながらも何か声をかけてやるわけでもなく、まくし立てて切れた息を整えていた。
「う、うぅ゛…………!」
ターボの目に溜まりきらなかった涙が一回の瞬きで堰を切ったようにポロポロとこぼれ落ちていく。
「トレ゛ーナーい゛ったじ゛ゃん……。
ターボ゛がに゛げればかてるって゛、
い゛って゛たじゃん゛……!」
「……それは七夕賞の時の話だ。
次のオールカマーは無理だ。
俺は勝てると思わない」
それが最後のトドメだった。
「う゛ぅう゛うう゛ぅ゛……!
ト゛レーナ゛ーの゛、ト゛レ゛ーナーの゛っ……!
────う゛わぁ゛あぁ゛ぁぁあ゛あ゛ん!!」
泣きながらアイツは走り去った。
夕日が差し込む廊下を青い髪をしたウマ娘が走る。
あの時、三連敗を味わい失速することに怯えていた彼女にトレーナーは諦めるなと言った。それ以外にも、これまでトレーニングや走り方、勉強など様々なことを文句も言わずせっせと面倒を見てくれた。
それが今度はお前じゃ勝てない、いい加減諦めろと、あまりにも唐突に今まで目指してきた悉くを否定された。
その理不尽や彼の本音に対する怒り、悲しみ、
選抜レースの日、ツインターボが彼に逆スカウトを試みたことにそれほど深い理由は無い。誰からもスカウトされず、それでもトゥインクルシリーズを走りたいという思いでベンチで項垂れていた見ず知らずの男に声をかけただけだ。
レースでは
加えて彼女の走り方、逃げという戦法はそもそもかなりリスキーなものであり風の抵抗を一身に受け後続から目標にされようと安定して逃げのペースを保てるウマ娘ならまだしも、何かと不安要素の多いツインターボを受け持つ勇気のある者は少ない。
そうしてでき合わせのコンビでやっていくことになったのだが基本的に男は淡々と自らの仕事に専念しており彼女に対して個人的な思いを打ち明けたことは無く、それでもレースを勝たせる為尽力してきた。少なくともツインターボの選手生命をないがしろにするようなことは有り得なかった。
彼女にとって男は凪のような人間だった。いつもあの低いしゃがれ声で無機質な対応でありながらも決して自分から目を離そうとはしない。だからこそ尚更彼の激昂が信じられなかった。
ツインターボに素質が無いというのはありえない。重賞を二度勝利に収め多くのファンの心を掴み有マに出走したというだけでもそんじょそこらのウマ娘を軽く凌駕している。
だが誰にも限界がある。多少素質があろうと、本物の化け物には勝てない。それが男の見てきた勝負の世界であり、絶対だった。
それを拒みきれず受け入れてしまった男は僅かばかりの可能性を全て切り捨ててきた。好意的に捉えれば現実的で堅実なトレーナーだが、彼は事実、自他共に数多くの夢を踏みにじってきていた。
そんな彼の内心を彼女が知るわけがなく、涙を流しながら尚も一人で廊下を走っていた。
曲がり角、彼女は人影にぶつかる。
「おっととと……廊下では走らないように────ツインターボさん?どうし────」
「う゛ぅぅぅ゛〜……!
た゛づ゛な゛さん〜……」
受け止めたのは駿川たづな。
顔に涙の線をいくつも作りながら見上げて縋り付く彼女に、たづなはとりあえず話を聞くことにした。
「ん?あれって────」
それを遠くから一人のウマ娘が目撃していた。
アイツの泣き顔が目に焼き付いている。とりあえず落ち着こうと目を閉じると嫌でも浮かんできやがる。
今日はもう帰ることにしよう。このままここにいようと気分が落ち着くわけでもない。
トレーニング場を立ち去る頃には日が沈み出していた。
アイツのことは考えないようにした。思い出す程自分に対してもアイツに対しても言いようのない感情が押し寄せてくる。
なるべく無心を保とうとして学園内を歩く。それにばかり気を取られて曲がり角の人影に気づくことができなかった。
「おっと。すみませんね───────」
誰かにぶつかって軽く視線を上げる。そのまま通り過ぎる筈だったのだが……
「あなたは……」
今日はどうもツイていないらしい。
よりにもよって一番出会いたくなかった奴に遭遇してしまった。
俺はコイツをよく知っている。それもそのはずだ。
俺が以前受け持っていたチームのサブトレーナー。今はそのチームはコイツのものだ。
つまり、この男はコイツが新人の時に俺がよく面倒を見てやったトレーナーということだ。
「あ〜……悪いなウチの
色々お前んところの子に引っ付いて迷惑かけてるみたいで」
咄嗟に口を衝いたのはそんな言葉だった。
コイツは現在、トウカイテイオーを担当している。まだ若い身でありながら怒涛の勢いでのし上がり、怪我やアクシデントを起こさせることも滅多になく担当ウマ娘の実力を最大限に引き出すことができる。俺の知る限りでは最も才能があるトレーナーだ。
コイツは新人の頃から優秀だった。いきなり中央のライセンスを獲得し、瞬く間に指導のコツを掴み今はトウカイテイオーを無敗の三冠ウマ娘にさせようとしてやがる。
桐生院家のトレーナーや担当以外のウマ娘との仲も良好。初老を過ぎ、独身のまませこせこ仕事を続けても凡庸さから抜け出せなかった俺とは対極的な天才型だ。
昔の俺がなりたかったのは多分コイツみたいな存在なんだろう。そういう意味では一番会いたくなかった。
「あ……いや、そんな、迷惑だなんて」
奴の返事も聞かずに足早に通り過ぎる。後ろから視線を感じたが振り向きはしなかった。
「今の人って誰?」
男が去った後、一人残されポツンと立ちすくむ若いトレーナーに話しかけたのは彼の担当ウマ娘、トウカイテイオー。
「……オレが前に世話になった人で、
ツインターボのトレーナーさんだよ」
彼の心境は複雑だった。右も左も分からない新人の頃、男──ツインターボのトレーナーには色々と世話になっていた。指導者としての心構えや、ウマ娘との向き合い方を何度も熱く語りかけられてきた。
今やその活気は見る影もなく、久しぶりに話せたかと思えば早足で避けるように帰ってしまった。
トレセン学園内で男の熱意に満ちていた頃の姿を詳しく知っている数少ない者であるが故に、彼は現在の状況を信じることができなかった。
「ふーん……。あ、そういえばさっきそのツインターボがすっごい泣いてたんだ。
どうしたんだろ?」
数分前、トウカイテイオーは廊下でツインターボが駿川たづなに縋り付き泣きじゃくる様子を目撃していた。
ライバル視してきて時折勝負を持ちかけられる相手。そんな彼女が泣いている姿はこれまで一度も見たことは無い。
正式なレースにて本気で勝負をしたことはないが、それなりに交流があった彼女があそこまで号泣しているとなるとトウカイテイオーとしても少し心配になるものがあった。
「…………なんだって?」
トレーナーをやってた間は酒なんて一滴たりとも飲まなかった。
そもそもそんな習慣が無かったからまともに働かなくなった後も酒には興味が無かった。
ただ今はとにかく酔いたい。潰れるまで飲んで眠りたい。それだけの思いで何年ぶりかにアルコールでひたすら喉を焼いている。
これで空いた缶は三本目に入る。飲み干した缶は捨てるのも億劫だったので放り投げた。
四本目に手を伸ばそうとして────チャイムの甲高い音が耳を打った。
ドアにちらりと目をやる。
ここはトレセン学園の敷地内にある寮だ。となるとこの部屋を訪れるのはセールスの類いでは無い。
しかし俺の部屋に人が来ることは滅多にない。他のトレーナーとの交流も浅く、業務連絡も学園内で行っているからだ。
怪訝に思いながらドアを開ける。そこにいたのは
「すみませんこんな時間に……っ、
少し、話せませんか」
先程別れたばかりのトウカイテイオーのトレーナーだった。何故か息を切らしていた。
今回出てきたトウカイテイオーのトレーナーはウマ娘アプリの育成モードとメインストーリーの
というかアプリの
彼はトレーナーとしてぶっちぎりで有能であり、担当するウマ娘をアプリ版のようなとんでもない活躍をする選手に育て上げることができます。