「ネイチャネイチャー!」
「はーいネイチャさんですよー」
ツインターボからトレーナーへの宣戦布告、その半刻ほど前、彼女はナイスネイチャに元気よく声をかけていた。一見すると姉と妹のようにも見える二人だが、その実歳の差はそこまでない。
しかし精神面では完全に、所謂「お姉ちゃん感」のあるナイスネイチャ。ツインターボが自分の考えを打ち明けるには最適な相手と言える。
「────というわけだ!」
「え、えーっと…………」
ナイスネイチャは困惑した。目の前の青髪ウマ娘が普段と変わらないテンションで「割と深刻な話じゃないソレ?」というような内容のことをサラッと言ってのけたからだ。
ツインターボは自身のトレーナーに言われたことをそのまま伝えた。それほどまでに大きな衝突があったというのなら何故こうもあっけらかんとしているのか。
「あ、イクノー!」
「はい、なにか」
頭を悩ませる友人をよそに彼女は通りがかったイクノディクタスを呼びつける。もちろん同じ話を同じように伝えた。
「……イクノさんや、一体どちらへ」
おもむろにどこかへ行こうとしたイクノディクタスの腕をホールドし、ほんの少し茶化すような口調でそれでもやや怯えながら尋ねるネイチャ。このままでは色々事態が拗れると脳内で警笛が鳴らされてからコンマ一秒間の出来事だった。
「いえ……少し……話を……」
「どう考えても話に行くって態度じゃないよねそれぇ!?ちょ、ちょっと落ち着いて───」
「そうだ!
せっかく二人いるんだしマチタンも呼んでくる!」
「え、ちょ、待っ────」
止める暇も与えられずツインターボは走り出してしまった。廊下は走っちゃいけないという決まり文句を言う余裕すらなく、今にもあのちょっと怖いトレーナーさんの元に殴り込みにでも行ってしまいそうな級友をその場に抑えることにナイスネイチャは全神経を注いだ。
数分後。拮抗する膂力を見せる二人の元へマチカネタンホイザの手を引き彼女は戻ってきた。
「二人ともどうしたの!?だ、ダメだよ喧嘩は!
エアグルーヴさんに怒られちゃうよ!」
「違う……そうじゃない……」
もみくちゃになっている二人にどこか見当はずれな諌めかたをするマチカネタンホイザ。
意に介することなくツインターボは高らかに告げる。
「と、いうわけでこれからターボとみんなでトレーナーをギャフンと言わせる作戦を始める!」
「「「………………」」」
その場にいた全員の動きが止まった。
彼女が言う”作戦”は実にシンプル。四人で一緒にトレーニングをして次のオールカマーを制し、お前じゃ勝てないと言ったあのトレーナーをギャフンと言わせてやろうというものだ。
「……しかし
ターボさんに勝ちを譲ってあげることはできません。ですので、ライバルに手の内を明かさせるというのはいかがなものかと」
「ん〜多分ターボが言いたいのは一人よりもみんなで練習した方が強くなれるってことなんじゃない?どっちみちライバルになるにしろ一緒にトレーニングして勝てる可能性が増えるならその方がいい……ってことでしょ?」
「そう!」
イクノディクタスの疑問にツインターボの言葉を噛み砕き解説するナイスネイチャ。やはりと言うべきか、世話を焼く姿がなかなかどうして板に付いている。
以降、四人は都合が合った時に合同でトレーニングを行うことになった。時折「えい、えい、むん!」と気合いを入れる彼女達の姿が確認されたとか。
あれからターボは例のメンバーと共にトレーニングをすることが増えた。向こうのトレーナーは何も言ってこない。合同で行った方が効率は良くなるなんてのはトレーナーなら誰でも知ってることだからだろう。
そもそも俺に声をかけてくるトレーナー自体そこまでいない。誰との交流も断ち、身だしなみすらもまともに整えようとしない俺と関わろうとする者なんぞツインターボを含めごく僅かだった。
相変わらず
そう考えると今までのことを思い出さずにはいられなくなった。これまで俺が受け持ってきた奴ら────俺が潰してきた奴らのことを。
たった一回のレースが見た者の心を変えることがある。俺がトレーナーを目指した時のように。
しかしその一回を手繰り寄せる力が俺には無かった。
勝負の世界に偶然は無い。奇跡なんてものは存在しない。そうしてかなぐり捨ててきた可能性達の上に俺は立っている。
こうして下を見下ろす度、ソイツらを思い出す。
そうして自分にも他
昔の俺とよく似ている子供。今は無謀な夢に焦がれていてもいつかは俺のように現実を知る。
そう思うとどうしようもなく……また下を向いた。
「ゼェッ……ぜェっ……」
産經賞オールカマー二週間前、いつものようにトレーニングを終え荒い息をつくツインターボを彼女のトレーナーは静かに見つめていた。
「……勝ちたいか」
「ハァ……ッ、ぇ……?」
普段、彼が必要以上の会話を行うことは無い。あまりにも曖昧で電波的な問いかけに彼女は疑問と困惑を浮かべるのみ。
「どんなに速くて明らかに自分より強い相手でも、お前は勝ちたいと思うのか」
「フゥッ……あたり……まえ、だ〜……」
「そうか」
それは彼女に限ったことではない。どんなに強い選手が相手でも勝利を求めるのはウマ娘の本能だ。
分かりきっていた筈の返答を聞き、彼は目を伏せる。
「悪かったな……お前じゃ無理だなんて言って」
「…………!?」
驚愕するターボ。突然声をかけられたかと思えばまさかの謝罪。しかし彼はまだ言葉を続ける。
「ただ、俺じゃ駄目だ。
お前を勝たせられる程の力が無い。
俺はお前を勝たせてやれない。
だから……すまなかったな。俺がトレーナーで」
その懺悔は思い上がりも甚だしいものだ。自分がトレーナーになったから彼女は勝てないなど、笑止千万。トレーナーはあくまでトレーナー以上の何者でもなく、走るのは彼女自身だ。それが自分じゃ無理だと、だからすまなかったと、こうまで厚かましい謝罪はない。
それは彼女を否定することと何も変わらないというのに、男は頭を下げてまでみせた。
「オマエ、まだぜんぜん本気じゃないでしょ」
「俺は無理だ。とっくに全部諦めた」
ツインターボは簡単に言ってしまえば「ちょっとキレて」いた。男の言葉の愚かしさ、図々しさをまだ若い彼女が読み取れているわけではないが、下を向くばかりで一度も全力を出そうとしない彼に対して少しばかりキレていた。
「じゃあわかった!次のレースでターボが逃げ切ったら
そう言ってツインターボが差し出したのは彼女の小指。男は目線を僅かに上げ、目の前に突き出されたそれを確認すると、
「…………今日はなんか食いにでも行くか。
ほら、好きなの奢ってやるから早くシャワー浴びてこい」
「──────いいの!?」
見やるだけで動こうとはしなかった。しかし彼の提案──普段の彼からは考えられない程に好意的な誘い──にツインターボはその約束を交わされたものと思い込み、急いでトレーニング場を離れていった。
男の心境に何ら変化はない。その指を切る勇気が彼には無かっただけだ。
九月十九日、季節は秋。
とはいえ中山レース場には夏の熱気が未だに漂っていた。厚着をして来た俺には少しばかり居心地が悪い。
額を拭うと袖が湿った。周りの観客を見るとシャツ一枚の奴らもちらほら確認できる。
こめかみを一滴の汗が流れたのを感じてから俺は自販機に向かった。スポーツドリンクのボタンを押してから「これではまるでいつかの再現じゃないか」と思い、鼻を鳴らしてから五分の一程度を飲み干した。
今日は俺の担当ウマ娘が走る日。見送りも済ませ、後はいつも通り義務感に駆られるようにレースを見届けるのみとなった。
今回のレースには春の天皇賞を制し、
そもそもアイツの逃げ方自体がかなりのギャンブルだ。前回の七夕賞ではたまたま上手くいったもののあんなまぐれがそうそう続くものでもない。
だからこのレースは見る意味が無いと思いながら、結局観客席から動けないままでいる。そんな自分に苛立ち、アイツが失速する姿を想像しながらスポーツドリンクを呷った。
ゲートが開く。
いつもと変わらずアイツは一ハロンを過ぎた辺りから一気に飛ばし始める。毎度毎度初めこそは確実にハナを切ってグングン距離を伸ばしている。
第一コーナーを周り後続とは五バ身差。しかしここまで全力で走っていてはスタミナ切れを起こすのは必至。
第二コーナーへ向かう頃には……さらにその差を広げている。
とはいえあの急激な失速を俺は何度も見てきている。この程度、何がどうなるわけではない。
第二コーナーを回る。
八バ身から九バ身へと差を広げる。
会場がざわつき始めたのはその辺りからだった。
いつもと同じだ。
アイツは体力を切らしてその勢いを落と──────さない。
後続との差は縮まらず。
「おい……嘘だろ……」
誰が言っただろうか。
第三コーナーのカーブに入る。それでも尚アイツは逃げ続ける走り続ける。
二番手との差は開いたまま。
喉がカラカラに乾いている。
開ききった目が湿度を無くしている。
元々、ツインターボが勝てると思っている奴らはそこまで多くはない。
それでもアイツには多くの期待が寄せられていた。
次はどんな大逃げを魅せてくれるのか、と。
俺はそれを信じられなかった。だが今のアイツはどうだ。
六百の標識を通過する。
その頃にはざわめきは歓声へと変わっていた。
四百の標識を超え第四コーナーから直線へ。
残り僅かの大逃げ走り、
「は────ハハ」
残り約二ハロン弱、アイツの脚は唸りを上げて悠然と芝の上を突き進む─────
「───────!」
アイツの声が聞こえてくるようだった。
それも今は大きすぎる歓声に攫われて聞こえない。
「───────!」
いや、
確かにツインターボは吠えていた。
この場全てを振り切ろうとあらん限りの力を振り絞ってあの青い髪をたなびかせながらアイツが大好きな走り方で駆けていた。
「ハハハハ─────いいぞターボ!
逃げろ!逃げ切っちまえ!」
嗄れてオンボロになった喉を震わせる。そんな自分の姿がいつかの
ターボは逃げ切った。俺の予想をこれ以上無いぐらいに痛快に「裏切って」みせた。
こんな結末は全く予測できなかった。俺は負けると踏んでいた
最後までどうなるか分からないあの緊張感、アイツにしかない独特の
アイツより速く、安定した成績を残せるウマ娘は当然のことながらわんさかいる。
ああでも俺は、そうだ。ずっと、
レース場を離れ、ウイニングライブを控えて地下バ道に戻ったツインターボを出迎えた彼女のトレーナー。バツが悪いのか視線は遠慮がちに伏せられている。
「トレーナー……」
「…………」
黙りこくる男の腹部に彼女は──────思い切ってタックルをぶちかました。
「ぐふ……っ!?」
「どうだ見たかトレーナー!ターボ勝ったぞ!」
そして肺の中の空気を残らず吐き出し彼女の小柄な体躯を受け止めながら驚愕する男に勝利を宣言し、下から見上げるようにして視線を無理やり噛み合せる。
「ああ……そうだな……よく、やった」
「どうだー!参ったかー!」
「……参ったよ。
お前は……俺よりも断然凄い奴だ」
どこか寂しげに褒めあげた男を見上げ、彼女は表情を切り替え出走後に真っ先に伝えようとしていた言葉を紡ぎ出した。
「ターボが逃げきれたのはネイチャと、マチタンと、イクノと……みんながいたからだ!
だから、今度はトレーナーの番だぞ!
次はトレーナーもターボと一緒に頑張るんだ!
それで二人でGⅠも勝つんだ!約束したんだから!」
「──────おい」
──それに、オレはそんな大したトレーナーじゃないんです。今まで貴方や、色んな人達に助けてもらってやっとここまでやってこれただけで──
彼の脳裏に蘇ったのは自分が憧れていた者からの言葉だった。
みんなのおかげ、色んな人に助けてもらって。
ウマ娘とトレーナーは一心同体。誰であろうと一人では完璧になれない。
彼が見てきた現実の前で埋もれてしまった”それ”が、たった一度のレースで、たった二人の言葉で歪ながらも息を吹き返し始める。
昔の自分のように無謀にも挑み続けた彼女は、けして諦めることなくとうとう大番狂わせを成し遂げてみせた。
なればこそ、と、男の目付きが獰猛なものへと変貌する。それは自分以上の特別へと食らいつこうとする、あの日の挑戦者の目だった。
「お前は、本当に諦めないんだな?
どんな奴らが相手でも、どんなトレーニングをさせられても、ついてこれるんだな?」
「────うん。ターボ諦めない!
諦めてなんてやるもんか!」
「ク……ハハハ……!そうか。
悪いが俺はお前みたいにはなれない。今まで何度も折れてきたからな。今更昔に戻る気にもなれない。
ただそれでもお前が本気でGⅠも狙いに行くってんなら…………俺を引っ張り上げてみろ。お前が逃げる限りはついて行ってやる」
「……!よぉおおし!
ターボについてこおーい!」
斯くして、老いた男は引きずられるようにしながらも再び走り出すこととなった。
今の俺は酔っ払ってるだけだ。コイツの大逃げに酔わされて、その気になってるあの頃の
後悔するかもしれない。また腑抜けた俺に戻るかもしれない。
だからコイツに賭けることにする。俺が折れて放り捨てて踏みにじってきた夢を。
今になって張り切ったところでツインターボが格上にも勝てるとは思わない。俺が多少本気になったところで成長速度はたかが知れている。
あんなとんでもないレースが二度も三度も続くとは思えない。事実、オールカマーから一ヶ月後の天皇賞・秋ではこっぴどく負けた。
まあ、それでも、コイツになら酔わされてもいいかと思った。たった一度でも夢が見れたんだ。精々死力を出し尽くして存分に騙されてやることにしよう。
と、いうことで、
「これが今日のトレーニングだ」
「え…………今日、の?」
策も無しに頭をカラにして逃げ続ける。多少勝てるとしてもそれには限界がある。
しかしターボの走り方にそれ以上は求められない。
だったらその限界を底上げすればいい話。
ツインターボの目の前に突きつけたのはこれから行うトレーニングのメニュー。
今までとはかけ離れたストイックさに思わずコイツは口をこぼしたが、容赦してやる気は一切ない。
「安心しろ。ちゃんとマッサージはしてやるしオーバーワークにはさせない。……その代わり死ぬ気でやってもらうが」
まだ現実を受け入れられないのか、呆気にとられたツインターボにそう言いながら若干自分の口元が緩んでいることに気づく。
……どうやら俺はこの状況を少なからず楽しんでいる節があるのかもしれない。
なんにせよ久々にベテランとしての実力を発揮する時だ。────徹底的にコイツのちびっこい体を鍛え上げてやろう。
「………………つか……れ……た」
「まあ今日はこんなところか。
一応言っとくが明日もこんぐらいで行くぞ」
「……………………………うへぇ〜……」
もはや動くことすらままならないツインターボにドリンクを飲ませてやる。
基本的に延々と同じトレーニングをさせるつもりは無い。これに慣れてきたようならさらに厳しいメニューを組む。もちろんケアは欠かさないが。
都合のいいことにこの学園にはベンチプレスだのランニングマシンだの相応の設備が揃っている。フルに活かしてとことんまで疲れさせてやる。
「もっと楽にすることはできるが、どうする」
「……ターボやめないぞ〜……
がんばるぞぉ〜……」
本格的にして初日ということもあり、一応楽な選択肢を与えたが……やはりそう来なくては面白くない。コイツが張り続ける限りは限界まで付き合ってやろうと、ドリンクを飲まされながら疲労で眠りかけたツインターボを起こしつつ密かに決意した。
【終】
〜エピローグ〜
迎えた二度目の有マ記念。ツインターボは時に弱音をこぼしながらも今日まで苛烈なトレーニングの日々を耐え抜いた。
しかしいくら努力したところで勝利の女神が微笑んでくれるとは限らない。
今回のレースは
だからこそアイツには期待したくなる。こんな逆境だからこそ、アイツの奇想天外な逃げには余計に賭けてみたくなるというもの。
レース直前の地下バ道。
いつも俺は黙って見送るだけで、ターボが何か言うわけでもない。
なのだが、今回はどこかいつもより足どりが重い。躊躇っているような、迷っているようなノロノロとした歩き方をしている。
まさかこの土壇場で怖気付いたのか。
とりあえず緊張をほぐそうと口を開きかけた俺にターボは振り向く。
「見てろトレーナー!ターボ絶対の絶対に勝つから!トレーナーとターボなら諦めなきゃ絶対に勝てるんだって、みんなに見せてくるから!」
叫ぶようにまくしたてるとギザギザの歯をむき出しにしながら勢いよくVサインを立て、今度こそ踵を返した。
「ハッ────行ってこい。
逆噴射は勘弁だぞ」
泥だらけの夢とお気に入りの勝負服に身を包み、ツインターボは振り向くことなくゲートに向かって走り出していった。
終わりです。
もしアプリの育成モードで師匠が実装されたら「ツインターボの先頭は終わらない」みたいな特殊実況があったらいいなーなんて思ったり。