――時折、寝苦しさで目が覚める。
それは突然やってきて、彼女の胸にドンと杭を刺していく。
痛みはない。
けれど、それ以上に消えない傷をガリガリと擦られていた。
当たり前のコトを当たり前と受け止める感性がないからだ。
だからこうも、心を磨り減らして生きている。
「…………、」
まだ太陽も顔を出していない早朝の時間帯。
その日たまたま早起きをした妃和は、折角だからと簡単な朝食をつくることにした。
悠に教えてもらった方法で火を起こして、彼お手製の調理器具を用意する。
そこに疑問を抱かないのは偏に順応してしまったが故だろう。
ふたりのサバイバル生活もすでに一週間。
色々な場所を点々としながらも、日々の暮らしにはすっかり慣れていた。
『火を、よく私がつけられるものだな……』
はじめの頃は無理だと高を括っていた神秘の扱いも、悠ほどではないができるようになった。
純エーテル自体に燃える性質はないのだが、活性化した状態だとそうでもないらしい。
とくにコレに関しては彼女のほうが顕著で、そこは彼に勝る部分である。
『さて』
とりあえず準備はできたが、なにをつくるべきか。
旅の事情が事情だけに使える食材は非常に少ない。
廃村で拾ったすこし大きめの鞄にいくらか蓄えているが、それも二日三日と保たない程度のものだ。
『……野菜……いや、ずっと同じだしな……ここのところ……』
むむむ、と頭を悩ませる年若い主婦。
悠の持っていた保存食は早々に使い切ってもうない。
調味料なんてこの状況で望むべくもなく、あるといえば小瓶程度の塩のみ。
そも、限界の時代でこれだけ食に困っていないコトをもっと感謝すべきである。
『むぅぅ…………、』
が、それはそれとしてマンネリはどうにかしたい。
たっぷり考えて二十秒ほど。
うんうんと唸っていた少女は、ふとピンと来たのか手を叩いて呟いた。
「釣るか」
思い立ったが吉日、妃和はすぐさま木の竿を担いで川へと向かった。
◇◆◇
ぼう、と竿の先を眺めつつ川岸に腰を下ろす。
日はまだ昇る気配を見せない。
冬の朝、夜の時間がずるずると尾を引いているような薄暗さだった。
周囲からは川の音、水の流れ、すこし離れて木のざわめき。
世界にひとりだけ取り残されたような錯覚。
「………………、」
ほう、と息を吐いた。
微かに見えた白い吐息は余計に寒さを感じさせる。
震えそうな手を握りしめて、身体を小さく折り曲げて寒さに耐える。
釣り竿に反応はない。
「…………、…………」
誰にも侵されない静かな時間。
自然のひとつとして人がある原初の風景じみた世界。
ぼんやりと視線を投げていれば、嫌でも頭は考え事の方へ回っていった。
例えば、彼はいまなにをしているのだろうとか。
まだ眠っていそうでもあるし、すでに起きている可能性もある。
その場合、自分を探してくれていたりするのだろうか。
なぜだか分からないけど、それはちょっと嬉しいような気がして――
「――――ッ」
ギッと、心臓が締め付けられる。
頭の中に消えない記憶がリフレインした。
誰かの悲鳴、なにかの叫び、聞こえない音、見えない身体。
胸が痛い、杭を刺されたみたいに。
「――――は、ぁ…………っ、…………」
キリキリと鈍痛が継続している。
それはよくない、と誰かに言われたような気分だった。
……なにがよくないのかなんて、分かりきったコト。
「…………ダメだな、やっぱり」
彼の心に根付くものが反発衝動なら、妃和のそれは心の歪みがもたらしたものだろう。
当たり前のコトを当たり前と受け止められない。
誰にでもあるべき権利をどこか胸の内で遠慮している。
彼に話せば馬鹿げているとでも言われてしまうだろうか。
「………………、」
自分の感情と、己のやるべきこと。
それらを天秤にかけることは簡単だ。
どちらにせよ彼女は悠の傍にいる、というコトで結論付く。
けれど、それが妃和自身にとって良いかどうかはまた別の問題になる。
「……どう、なんだろうな」
ひとり生き残った事実を知ったとき。
彼に救われたと話を聞いて悟ったとき。
実際にその心を拾い上げられてしまったとき。
彼の笑顔を見てしまったとき。
彼と過ごしてしまっているとき。
胸の傷は、許さないと言わんばかりに彼女自身を痛めつける。
「……私は……」
悠と一緒に居るのは嫌ではない。
だからこそなにより苦痛だった。
ああ、なんで、どうして。
どうしてこんなにも
「……呆れた。これじゃあ流崎を笑えないな」
諦めたように苦笑する。
自分の物差しを持たない彼女にできるコトなんてごくわずかだ。
生きていくのは大前提として、残った命は使い尽くさなくては意味がない。
それは第三部隊の一員として……なんて直近のものではなく。
ずっとずっと前。
まだ彼女が世界を知らない昔の頃から。
「……ん? お、引いてる?」
くいくいと竿を掴んでゆっくり動かしてみる。
当たりかと思って上げてみると、早速獲物がかかっていた。
とりあえず一匹確保だ。
「よし」
もう一度餌をつけ、竿を投げて川岸に座る。
そういえばどうして朝食をつくろうと思ったのか、その理由に思考がいった。
……いや、別に?
どこかの誰かさんに料理だよと言われたのを思い出して急遽実行したとか、そういうのではないけれど?
ほら、なんにせよ朝ご飯は用意しないといけない問題だし。
「――――っ、ああ、もう……っ」
馬鹿みたいに胸が痛い。
きゅんきゅんなんて擬音がつけられるならつけてほしいものだ。
これはそんなものではない。
もっと深い部分にある、彼女の歪みが起こした重い傷。
いつかは向き合うことになる、巴妃和のいちばん間違った部分。
「…………っ」
いつか彼にこぼしてしまった言葉を思い出す。
幸せになりたくない。
とんでもないコトを言ったと自分でもそう思った。
だって、そうだろう。
生きている限り自分の幸せを願わないのは、人として明らかに間違っている。
なのに、それが当たり前にできないということは。
「……おかしいな、本当に」
笑えないのに顔は笑っていた。
なぜだか分からないけど。
それで、良かったような気がする。
「――おっ、二匹目」
それはそれとして幸先がよろしい。
もちろん胸は痛いままだったが。
◇◆◇
「――――ッ!!」
はじかれるように目を覚まして、悠は即座に跳び退いた。
考えるより先に反応した肉体の生存本能。
その直感が当たりだと実感するのに時間はいらない。
……彼が横になっていた地面へ人影が降りてくる。
「ほほう?」
少し掠れた女性の声。
妃和のものではない。
彼の記憶にそのトーンと一致する知り合いは思い当たらない。
一歩、知らず後退る。
「いや、反応は良い。とてつもなく。だが逃げ腰はいただけないな、少年」
「挨拶もなしになんのつもりだてめえ。礼儀作法ってモンがなってねえぞッ」
「それは貴様も同じだろう? いや、だが重畳だ。こうも偶然巡り会えるとは」
「あぁ?」
バサリ、と舞い上がっていく黒い
意匠は彼らが着込んでいるものとまったく同じ。
つまりそれは、彼女が歴とした戦闘部隊の一員であるというコト。
「総司令への良い手土産になる。……が、正直、私は気が乗っていないのだ」
「……へぇ」
「多少手荒にしても構わんとはそちらのお目付役の言だ。なに、多少だよ、多少」
「甘いこと吐かすなよ。はっきり言え。やりたいんだろ俺と!」
「――くっ、はははッ、あはははは――――!!」
大口を開けて笑い出す闖入者。
余程ツボだったのか、目に涙まで浮かんでいる。
「――ああ、良いな。貴様は良い。一先ず及第点だ」
「だったらもうちょっとポイント稼がねえとなあ、オイ」
「ふふっ、そうとも。分かっているのか、凄いな貴様。……して、その方法は?」
「実技試験で加点だろぉが。ぶちのめして終わりだてめえッ!!」
「ははははははははッ!! 良いぞ良いぞ! そうこなくてはッ!!」
最大限まであがった口角が彼女の心境をこれでもかと映し出す。
戦闘部隊特有の黒い制服、両手にはめられた白い手袋。
肩口までの紫がかった黒髪と切れ長の瞳はきつめの印象を受けさせるも、先ほどまでの言動で跡形もなく崩れ去っていた。
間違いない。
アレは妃和たちのような守るために武器を取る人種とは違う。
どこまでも自分のために、とことん自己の欲求を満たすために。
強すぎる我を押し通す、
「しかし、そうだな……体裁として、一応伝えておこう」
「…………、」
「極東管轄本部、第九部隊隊長の
「名目ってこたァ表向きの理由だな? 分かりやすくていいぜ。来いよ、暴力女ッ!」
「物分かりが良くて非常によろしいッ!! ああそうとも! そうでなければッ」
両者とも駆け出すのはまったく同時に。
開いた距離を一気に詰めながら、ふたりは虚空へ手を伸ばした。
「「