「……あれ? 流崎どこにいったん――」
だ、と言い切る前に視界を黒い影が横切った。
彼と野営をしていた場所からそう遠くない位置。
……なにやら非常に胸騒ぎがする。
魚の入ったバケツを乱雑に置いて、直ぐさま彼女は駆け出した。
「――――、――――」
「――――――!」
聞こえてくるのは明らかに声を張った人の話し声と、火花を散らすような金属音だ。
断続的に響くそれは彼女たちの実践練習で耳にするものとよく似ている。
ざわり、と否応に増していく最悪の予感。
もしかしてなんて想像を頭に思い浮べた瞬間、彼女のもとへ砲弾のように迫るナニカがあった。
「なッ」
「あぁッ!?」
――――悠だ。
「りゅうざッ、ごばぁーーーーー!?」
「おぉおおぉおおぉおおおッ!?」
どんがらがっしゃーん! と転げ回っていくふたり。
いきなりのことで受け身すら取れなかった。
「なんッ――なんだ……! なにが起きてる、流崎!?」
「うっせぇ! てめえの知り合いじゃねえのかよ! あの紫髪はッ」
鉄潔角装を構え直して、悠が真っ直ぐ正面を見遣る。
砂煙が立ち上る景色にゆらりと蠢く人影。
薙ぎ倒された樹木や枝葉をパキパキと踏み鳴らす音。
肩で風を切る姿は彼女にとって見覚えのある人間だ。
「あ、甘根隊長ッ!? なにをしているんですか!?」
「ん? ああ、第三部隊の……たしか巴隊員だったか。元気そうでなによりだ」
「ど、どうも。……で、ではなくッ、なぜ
「決まっているだろうそんなものッ!!」
わずか三十センチの短刀を握りしめて黒衣が駆ける。
「なろぉッ!!」
吼えながら、悠は咄嗟に彼女――真樹の刃を無理やり弾いた。
剣閃の火花が散る。
刃と刃の擦れ合う甲高い音が耳をつんざく。
リーチの差なんてなんのその。
振り回されるナイフは小さく細い代物なのに、まったく隙を見せてくれない。
『ッ、コイツ、まじかよ――』
額に冷や汗を浮かべて短刀と鍔迫り合う。
彼女の動きは決して鮮やかとは言えない。
どちらかと言えば悠に似て荒々しさが漂う一撃の連続だ。
が、恐るべきはその形で研ぎ澄まされた練度だろう。
一合、また一合と重ねるたびに後退させられる。
拒否権はない。
これは単純な実力差、力の有無が生み出した結果で。
「鈍いぞぉッ!!」
「がッ――――――!!」
土手っ腹を死なない程度に蹴り抜かれる。
瞬間的に全身を襲う浮遊感。
今度は受け止める相手もいない。
そのまま悠の身体は木々を巻き込んで、森を裂くように飛んでいく。
「流崎ッ!!」
『――――ッ、めちゃくちゃ、だろォ…………ッ』
甘根真樹。
第九部隊の隊長を務める彼女は、ふたつの理由で有名な女性だ。
ひとつは単純な戦闘力。
極東地域でも五指、世界的に見ても完全に上澄みに入るレベルは尋常じゃない。
実力者のみを集められた北極の遠征に参加したコトからもその強さは頷ける。
「ははははははッ! どうしたどうした不良男子!! その程度か流崎悠! もっとだ! もっと見せてみろ! おまえの強さはそんなものか!!」
そして、もうひとつは。
「ああ、気分がいい! さあ立ち上がれ! 燃え上がれ! 生きているのなら、まだ死んでいないのなら、気勢を上げて立ち向かうのが人の強さだろう!?」
「て、めェ――――!!」
「そうとも! ああそうだ! 来い、流崎悠!! おまえがそうする限り、私は何度でもおまえと斬り合おう――!!」
あまりにも螺子の外れた、理性というにはほど遠い思考回路。
「――――流崎、流崎! ああ、ダメだ、まずいぞ流崎ッ! あの状態の甘根隊長はタチが悪い! 最悪だ! やめろ! 相手にするなッ! 逃げるぞ!?」
「ふざけんなァ!! こんなヤツ相手に背中見せろってぇ!? それこそダメだろうがッ!!」
「ばッ――おまえ! そんなことを言ったら!」
「ハハハハハハハハハハハハハハハハ――――!!!!」
森中に真樹の笑い声が木霊する。
妃和が悠のほうに駆け寄れば、すでに彼の傷は塞がりかけていた。
治癒の効果は羽虫との交戦時と比べ物にならない。
それだけ純エーテルまみれの外の世界に適応したというコトだろう。
だが――だからこそ。
彼が彼であるからこそ、戦わせるのは忍びない。
「――嗚呼。いや、少し疑問だったのだよ。たかが逃げ出した男ひとり、我々が総出で探す必要があるものかとな。だがそんなモノは
ナイフが構えられる。
戦闘部隊の黒衣が揺れる。
紫髪の隙間からアメジストの瞳が鋭く光った。
怪物との戦いでは感じられない寒気。
生物として基本的に備わっている感覚が暴走しかけた。
――とんでもない、殺気。
「本気で戦闘不能にする! そのあとはたっぷり時間をかけて持って帰るとしよう! どうせ連れて行くのだ、多少のツマミ食いは勘弁してもらいたいッ!!」
「誰に弁明してんだてめえッ!! いいから来いよ! 返り討ちにしてやらあッ!!」
「流崎ッ! 待て! ダメだ! 甘根隊長は私たちとレベルが――」
「退いてろヒヨリぃ! おまえに怪我させたくて無茶してるんじゃねえんだ! 大人しくしてろぉ!!」
「――――――ッ」
ズキン、と胸が痛む。
潰れた右手は当然ながらそのままだ。
利き手を失った彼女はもはや戦闘部隊として最低限の実力すら残っていない。
なにより妃和の鉄潔角装は二振りでひとつ。
現状、強さでいえば悠のほうが何倍も上になる。
「流崎悠ァ!!」
「あァッ!?」
「貴様に問う!! なぜ収容所を抜けだした!!」
「気にくわなかったからだァッ!!」
「だから自ら危険な外へ出たと!?」
「ああそうだ!! 悪いかちくしょう!!」
「素晴らしいッ!!」
幾重にも及ぶ悠の斬撃を軽々と流して、真樹が悦びの表情を濃くしていく。
……そう、はじめは彼と刃を合わせた瞬間から。
命のやり取り、お互いに本気で殺意をぶつけ合う戦いの最中で。
彼女は徹頭徹尾ずっと笑っていた。
「その選択を、その結末を! 貴様は後悔していないのだろうな!?」
「するかよォ!! するワケがねえッ!! 俺の選んだ道、俺の進んだ道だ!! それを否定する権利なんざ
「最ッッッッッ高だァァァアア――――!!!!」
真上へと跳ね上げられる悠の刃。
ガラ空きになった胴体はどうやっても守れない。
――一瞬の出来事だった。
まるで最高潮にまでアガッたテンションをそのまま再現したみたいに。
真樹は真っ直ぐ彼の胸にナイフを突き立てて、顔面を蹴り抜いた。
「ごォッ――――!?」
「ああ、なんだ貴様! なんなんだ貴様は!? どこまで私の心をかき乱せば気が済む! いいじゃないか、とても!! 男のクセに言ってくれるしやってくれる!! なるほど
……もし。
もし、悠が並の男性と同じ身体ならば。
きっとその一撃で命の灯火は消え失せていた。
そんなコトすら失念していたような追撃。
それもそのはず。
彼女はいま、ただ気分がいいというだけで彼に本気の殺意を向けている。
もっと言えばその場のノリと勢いで。
「気が変わった!! 私と来い流崎悠!! 貴様の子なら産んでみるのも一興だ!! この時代、女として男とまぐわうなどと馬鹿のするコトだと思っていたが、此処に来て俄然興味が湧いてきた! そうだ、貴様は私たちのような加護を持っていないのだろう!? それでいてその生きる力強さ、心の強さを保てるのはどれほどのものかッ!!」
「あ、甘根隊長ッ!? なにを言っているんですかッ!?」
「てめえボケたコト吐かしてんじゃねぇ!! 産んでみるのも
「怒った表情も魅力的だな!! ではこうしよう!! 私がこの戦いで勝てば貴様のコトをもらう!!」
「だったら俺が勝ったら大人しく尻尾巻いて帰れやァ!! とんだクソ女がよォ!!」
額に血管を浮かび上がらせながら悠が叫ぶ。
彼の性交に関する嫌悪感は心情と一切関係のない衝動じみたものだ。
曰く、相手がいるのなら無条件に憎悪する。
そこに恋仲らしい想いの色がなければ腸が煮えくり返るほど怒りが沸いた。
なぜだかは彼自身も分かっていない。
けれど、ひとつ分かっているコトがある。
「そんな下らねえ理由で処女捨てるようなバカは嫌いだッ!! いきなり本番とか頭沸いてんのか!! まず親交を深めて来い!! ヒヨリみてえにッ!!」
「りゅ、流崎もなにを言ってるんだ!?」
「命を投げ捨てているバカに言われたくはないなッ!! だがそれがいい! 燃えるように生きる貴様は私好みだ!! 流れ星みたいで愛したくなるッ!!」
「
「死ぬワケがないだろうそう簡単にィ!!」
強がりはそれこそ口から洪水のごとく溢れてくる。
打ち合いはそう見えているだけの行為に貶められた。
いくら剣を振っても届かない。
いくら短刀を防いでも傷が増えていく。
もはや疑う余地などなかった。
この女は、真っ当に強い――!
「さあ踏ん張れ! 前を向け! 強さを見せてくれ流崎悠!! 必要なものはなんだ! 愛か! 勇気か!! それとも絆か!? なんだっていい力にしろ!! そして私にぶつけるがいい絶ッッッ対に受け止めてやるぞォ!!」
「うるせえ黙れェ――――!!」
響く。
耳に響く。
頭に響く。
声が、剣戟の音が、彼を取り巻く周囲の雑音が。
とても居心地が悪く、
頭蓋に、響く。
「なにもいるかよ戦いにィ!! ああそうだなにもいらねえ!! 在るものだけでいい!! だったら簡単だァ!! この胸にあるものなんてひとつだろ!! そうだ、そうだろッ、それしかねえぇ!!」
「ならば何だッ、何なんだそれはァ!?」
「俺の意地だァアァァアアァアアアアッ――――――!!!!!」
「イイぞォオォオオオオオオオォオオッ――――――!!!!!」
意思無き怪物であればその壁は感じなかっただろう。
荒々しいとはいえ流石の戦闘部隊。
慣れ親しんだ武器の扱いは悠より断然巧い。
才能では潰せない経験の差が牙となって襲い来る。
無理を押し通して勝てるのはせいぜいが獣じみた外敵までだ。
人間相手に、彼の優位性は微塵も働かない。
「おぉぉらぁぁあああああああ――――!!」
「ハハハハハハハハハハハハハ――――!!」
振り抜いた剣を短刀で受け止められる。
――ピシリ、と。
悠の刃に、亀裂が入った。
一度壊れだしたら止められない。
あっさりと、まるで木の枝を折るみたいに砕かれる鉄潔角装。
得物を無くした彼は正真正銘の無手。
――――そう、手が空いた。
「――――――」
真樹が垣間見た刹那の光景に身を震わせる。
ゆっくりとスローモーションじみた世界の中。
悠は丁寧に握りしめた拳を引き絞る。
放たれるまで一秒と要らない。
それはすでに彼女のほうへ狙いを定めて。
「しゃおらぁぁあああああああッ!!!!」
「がばぁ――――――――――!!??」
――その顔に、突き刺さる!
「だははははッ!! どんなもんだよ見たかオイ! バカならそこで頭冷やしてなァ! いいゲンコツ入ったんだ! 反省して寝ろやクソ女ァ!!」
ぜえぜえと肩で息をしながら、悠は人差し指で彼女を差した。
木々の隙間を転がっていった人影に動きはない。
気絶をしているのか、と思ったがどうにも違うようだ。
……声が聞こえてくる。
この短い間で何度も
「フハハハハハハハハハハ――――!! なるほど痛いな! 痛すぎて濡れる!! これは濡れてしまうな!! だが仕方ない! それだけのヒト、それだけの男だ!! そうだそうだよそうでなくてはッ!! もはや決めたぞ私はッ!!
「あァ!? まだやんのかよォ!! いいぜだったら何度だって殴ってやるよ!! 女の顔だからって容赦はしねえぞッ!!」
「古くさい価値観を持ち出してくる!! 気にするなよ色男ッ!! どうせ傷を負うのなら貴様の傷がイイ!!」
「気持ち悪いんだよてめえ――――!!」
「アハハハハハハハハハハ――――!!」
戦いは終わらない。
人間同士の無意味な争いに介入するものはない。
それは信念の、あるいは精神のぶつかり合いじみている。
気にくわないと少年は嗤い、
気に入ったと彼女は笑う。
ただそれだけの、
……いや、本当に、馬鹿らしい。
当人たちはともかく、傍で見ている妃和はなんとも言えない気持ちになった。
はやく終わってくれないだろうか。
できれば悠の勝利で。
狂ってる女の人は好きですか?
ちなみに第九部隊は実力十分として北極遠征に参加、第三部隊は不十分として居残りさせられていたという裏設定があります。
え? 第九部隊のメンバーはどうしたのかって?
隊長以外遠征で全員死にました。