「だがいいぞ、
「あぁ?」
くつくつとニヒルに唇を曲げながら真樹が笑う。
その姿に覚えた嫌悪感は珍しく彼自身から発せられた心情だ。
目の前のイカレ女が思い出深い人と同じ笑い方をした。
彼にまで伝染った喉を鳴らす笑い方。
独特ではないけれど、たしかな特徴であるそれが琴線に触れる。
「なに笑ってやがる、てめえ」
「笑うさ。笑うとも。ああ、そうだ。こんな状況、こんな場面でッ! こんなにも素晴らしき闘争を前にして、笑わないでなんとなるッ!?」
「頭沸いてんのかァ!!」
「いいや私は正常だよ! 紛うことなく、真っ向に、真っ当に! マトモに正常だッ」
短刀を悠に突き付けてなお笑みを深める真樹。
その周囲に色付いた大気が渦巻く。
空色に光る神秘の粒子。
密度を濃くした純エーテル。
鮮やかな架空要素の奔流は、波紋となって世界に響く。
「――流崎悠。空の果てを見たコトはあるか――?」
「……なんだ、てめえ。いいや、どいつもこいつも。空だなんだと――」
「まずいッ! 流崎! 流崎!! 逃げろ! ダメだ!! それはッ」
「フハハハハハッ!! 先に言ったぞ巴隊員!! 逃がさないと!!」
いつか少女の語った言葉を思い出す。
空の向こう、上の世界。
その意味は未だ分からずにいる。
だが、だからこそ悠にだって分かるコトはあった。
いつだってそうだ、直感と記憶、数少ない経験則を頼りにすれば答えは出る。
空の果て。
それは、麻奈の言うものとはまた違った力の表現だ。
「――――ッ、正気ですか甘根隊長……! 貴女の目的は流崎の殺害なのですか!?」
「いいや違うとも! 捜索と連行だ!! 殺す気など毛頭ないッ!!」
「ではなぜ
「笑止千万ッ!! ここで使わなくていつ使う!? あまりにも勿体ない!! こんなにイイ男だ!! 飽きるほどにぶつからねば始末がつかん!! 私の胸を焦がした焔は未だ勢いよく燃えているのだァ!!」
神秘が溢れる。
空気が淡く光り出す。
それは奇跡の前触れみたいに。
空色の霧に包まれた世界は、なんだか絵本の挿絵じみていて。
「聞いているか流崎悠!! 貴様のことだぞどうしてくれる!? 貴様のせいで私は昂ぶっているのだ! ああそうとも! 興奮している人生一番にッ!! いまはただ貴様が欲しくて堪らないッ!! 貴様と
「だからキモいんだよォ!! とっととくたばれクソ女ァ!! 俺はいま人生一番に頭に来てるよ本気の本気でッ!!
「だからッ!! そう簡単に死ぬワケがないだろう――――!!」
振り上げられる真樹の右腕。
悠にはその動作の真意が手に取るように分かる。
なにせ自分でもやったことだ。
掴むように、あるいは操るように。
純エーテルを引き寄せる、明確な撃鉄の下ろし方。
「いくぞォ流崎悠ァ!! せいぜい抵抗してみるがいいッ!! 本気でだ!! でもないと死んでしまうぞ!? ハハ! ハハハッ!! ハハハハハハ――――!!」
バギン、と。
握り込んだ手が、彼女の短刀を砕いた。
「
視界が塗り潰される。
書き換えられていく現実の世界。
いまの風景が融けるように消えていく。
天井には雲ひとつない
地面は波の模様を広げる一面の海原だ。
空と海で閉じられた景色。
あまりにも鮮やかな終末とかけ離れた幻想の色。
それが一瞬にして展開された事実。
……ただ、心底驚かされる。
こんな。
こんな馬鹿げた出来事が、人の身で再現できるなんて――
「ハハハハハハハ――――!! いいぞォいいぞッ!! 実にいい!! 気分があがるッ!! 最高だこんなのは!! どうだ流崎悠ァ!!」
「てめえ、こいつはッ」
「周囲一帯ッ、三百キロメートルの
「ヤロォ見くびってんじゃねェ――――!!」
水面を蹴って悠が走る。
瞬間、
「残念だァッ!!」
「――――!?」
荒れ狂う波が〝槍〟となって、彼の全身を貫いた。
……本当に、なんの前触れもなく。
海中から突き出てきたのではない。
実際に得物が投げられたワケでもない。
ぐるりと渦を巻いた水がとてつもない威力を伴って、悠の肉を裂いたのだ。
『なんッ――どぉ、なってんだ……! この……!』
血がダバダバとこぼれる。
海面はそう見えているだけで固い地面と変わらない。
血痕は沈むことなく血溜まりになって残っていた。
口から漏れる赤色が混ざらずに水の上を流れる。
「水の世界は私の世界!! 波は刃に!! 渦を巻けば針に!! 放てば銃弾にッ!!」
ドン、と腕を撃ち抜かれる。
ウォータージェットの要領で水面から噴出された水が風穴をあけた。
血が、またこぼれる。
「て、めえッ」
「さあ来い! どうしたどうした男の子!! その程度か貴様の意地は!? もっとだ!! もっと見せてくれ!! もっと楽しませてくれ!! もっと好きにならせてくれッ!! ああそうだ!! 勢い任せに言ってやろう!! 流崎悠ッ!! 私はいま、貴様を明確に愛している――――!!」
「黙れぇえええッ!! お断りなんだよ行き遅れェ!! そんなんだからてめえいつまで経っても処女なんだろうが――――!!」
「処女でなくてはこんな真似できるワケがないだろうッ!!」
「あああああああああッさっきからどうしてこう古くさい文句が浮かんでくる!?」
――頭痛がする。
まただ。
普段の体調不良とは違う、おかしな頭の揺れに顔をしかめた。
ズキン、ズキンと。
頭蓋骨をハンマーで軽く叩くような気味の悪い鈍痛。
「くそが、よォ……!! てめえッ、なにがッ」
「流崎っ! 流崎、流崎! 流崎――――!!」
「うっせえヒヨリぃ!! 怪我すんぞスッ込んでろ!!」
「バカ! 怪我してるのはおまえだ!! にしてもまずい! これはまずい!!」
「なにがまずいィ!?」
「兆角醒だ!! 鉄潔角装なんて目じゃない!! 本当に! 規格外だ!!」
そんなのは事情を一切知らない悠ですら分かっている。
真樹が空の果てと語った彼女の秘奥。
兆角醒。
鉄潔角装の生成を超えたさらにその先。
純エーテルの扱い極めた一部の人間のみが辿り着くという神秘の極致。
それは武器をつくるだなんて現象とは格が違う。
人の身で起こす奇跡。
世界を換えるという暴挙。
そのすべてを純エーテルで行ったあまりにも馬鹿らしい制限の無さ。
――加えて、悠の直感が示したのはその本質だ。
つまり、なんていうか。
いまこうなっているのは彼女の能力がそういうものだからで、兆角醒の本質とは全く関係ない彼女自身の強さだというコト――!
「ヴァージンロードだかヴァンパイアロードだかなんだか知らねえが構うかよォ!! たかだか世界を換えたぐらいで調子乗ってんじゃねェ――――!!」
「ハハハハハハハハハハ!! そうこなくてはなァ!?」
「死ねボケェ!! 第一印象から最悪なんだよてめえはよォ!!」
「ふふははははははっ、そういう罵倒もいまはどうしてか心地良い!!」
「ああああああああ死んでくれよ頼むからよぉおおおお!!」
懇願に近い罵倒が口から漏れる。
激しい頭痛に襲われて頭蓋が破裂するかと思った。
海の上を歩くたび、
空の下を走るたび、
バチバチと、火花を散らしたような目眩がする。
それは処理しきれないほどの情報量、脳に回される電気信号だ。
純エーテルの適正値がここにきて足を引っ張った。
彼はもとより高いからこそ、この力の本質を見抜けてしまう――
『ぐ、の、ォ……!!』
兆角醒はあくまで人の身に有り余る現象を引き起こす力だ。
例えるなら雷を纏う、モノを燃やす、水を操る。
簡単に行ってしまえば純エーテルで起こす超能力と思えばいい。
だから、彼女が行ったのは単純なコト。
この地上にまったく別の世界を作り出す。
そんな馬鹿げた幻想を、こうして実際形にしてみせた。
「ざけんなァッ!!」
「!!」
――学ぶのは二度目だ。
前回と条件は同じ。
だが経験はした。
一度目とは違うハッキリとした感覚がある。
――確かめるのは二度目だ。
もとより、流崎悠は純エーテルの扱いにおいて非常に長けている。
それは彼女たち戦闘部隊と比較しても一切劣らない。
才能は、十二分。
「ひとりでェッ!! 悦に浸ってんじゃねぇえぇえええええ――――!!!!」
猿真似だと嗤うがいい。
どれだけ馬鹿にしようが構わない。
なにせこんなのは一発勝負。
ハッタリと見くびるのならそこまで。
本気で出来ると微かにでも思ったのなら褒めてやろう。
――そう、それが、純エーテルを介した力であるのなら。
「
彼に出来ない道理は、ない。
「 」
ふと。
そんな声と一緒に。
意識の外側、彼も彼女も予期しなかったタイミングで。
空が、枯れ木色に割れた。
……羽音が聞こえてくる。
嫌な羽音が。
聞き覚えのある羽音が。
枯れ木色の、天敵が。
「――――――」
――――バカらしい。
頭が回るより先に身体が動いた。
上を向いて手に剣を形作る。
敵影はひとつ。
それに対処する人影は――――ふたつ。
「「邪魔だァッ!!!!!」」
その一言は、見事に彼の天敵をゴム鞠の如く転がしていった。