「陽向……総司令……」
「……ヒヨリ?」
掠れた声に違和感を覚えて、悠は腕の中の彼女を見た。
どうした、なんてかける言葉も出て来ない。
目に見えて分かるほどの緊張と異変だった。
……妃和の表情は強張っている。
おまけに顔色も真っ青だ。
それは三十匹の羽虫に囲まれた時ですらしなかった、本当に死にそうな代物で。
「……落ち着け。知り合いか? いや、知り合いなんだろ」
「あ、あぁ……ッ、あの人は、私の――じゃなくて、私たちの……」
「妃和」
「ッ」
遠くから放たれた声に、びくんと少女の身体が揺れた。
咄嗟に悠もそっちの方を向く。
というより、容赦なく睨みつける。
視線はわずかに逸れてぶつかった。
向こうの瞳は妃和を、彼の瞳はその人影を。
「腕を失くしたのか」
「……はい。申し訳、ありません」
「どうして謝る。いい、怒っているワケでは――いや、たしかに怒っては、いるが」
「…………っ」
ざり、と軍靴を鳴らして女性が近付いてくる。
悠はゆっくりと着地して、妃和をその目から隠すよう背後にして立った。
きゅっと、後ろから軽く服を掴まれる感触。
「……ああ。お前が美沙のお気に入りだな? たしかに男前だ。先ほどの純エーテルの使い方もなかなか良かった」
「美沙の
「旧知の友人だよ。彼女とは度々話す仲だ。……ところで、なぜ妃和を背に庇う?」
「気に入らねえ」
「ほう?」
「ビビってんだろうが、コイツが。なのにそれをどうとも思わねえのか、てめえ」
「ッ……ちが、流崎、ちがう……から、これは……っ」
背中から伝わる服を握った感触が強くなる。
なにが違うのか、と言いたいところを喉元で堪えた。
余計なコトは言えない。
常識に照らし合わせた問題ではなく、下手な隙を見せた瞬間に取り返しがつかなくなる。
そんな第六感的な直感が働いた。
「――すまない。それは私の責任だな。どうも、こんな事態だからか冷静でいられないらしい。威圧感を与えてしまっているようだ」
「だったらその戦意を抑えろよ。目ぇギラつかせてこっち見やがって。なあオイ、ヒトを親の仇みてえに睨んで来るじゃあねえか!」
「…………ふむ。甘根隊長」
「ああ、なんだ? 総司令殿」
「手を出すなよ」
「……仕方があるまい。つまらんが、上の指示か」
それが、開戦の合図だった。
「ッ!!」
一度。
瞬きをしたその直後に、目の前で姿を捉える。
何十メートルとあった距離を刹那で潰された事実。
一体どれほどの速さで動いたのか、目で追うことができない。
『――ああ、いや、違う。コイツ――』
こちらを引き寄せて、その上で向こうも動いたのか。
「がっ――――!?」
「りゅ、流崎っ!?」
顎を掬うように跳ね上げられる。
ぐわん、と脳みそが揺れる感覚。
消えそうになる意識はすんでのところで留まった。
「て、めえ!!」
「なんだろうか?」
「ごッ!?」
今度は鳩尾を突く鋭いトーキック。
呼吸ができない。
痛みで腕から指先が痺れていく。
思考はたしかなハズだったのに、散り散りに乱れてバラバラだ。
「……どうしたんだ?」
「――――ッ、――――……!!」
「その程度なのか? 君は。私は鉄潔角装も本気の兆覚醒も、ましてや純エーテルですら使ってはいないのに」
「あん、だとぉ……!!」
「だが」
うずくまったところで顔面を蹴られた。
鼻が折れたらしい。
ダバダバと血がとめどなく溢れてくる。
悠の身体なら治るのには数秒間、二秒も経てば止血はしてくれるが。
「ぐ――――ッ、ぉ――――……ッ」
「適わない。もう一度訊こうか。その程度なのか、流崎少年?」
「……ッ、なに、をォ……言って、やがるゥ……!!」
「第三部隊がその命を以てして。妃和がその腕を失ってまで。そうして繋いだ君の価値はその程度なのかと訊いている」
「なにがッ、価値だァ!! ふざけたコト吐かして――」
「口がよく回る」
「ぐぶッ」
頬に鋭い痛みが走る。
軍靴越しの脚撃は一発一発が骨を折るような重さだった。
死なない程度の手加減というのはこういうのを言うのだろう。
上手いこと調整された攻撃は、致命傷にならないギリギリを狙ってくる。
見誤ってはならない。
この女は彼からして――――完全に、格上だ。
「ひ、陽向総司令ッ! なにを、しているんですか……!?」
「妃和。お前はじっとしていてくれ。少し彼を試しているんだ」
「た、試すって……一体、なにを!」
「私は許さない」
「だ、だからッ、なにを!?」
「――――愛娘がこんな
「そッ、総司令!?」
ブチン、と頭の中にある大事なナニカが切れる錯覚。
総司令――陽向葵のこめかみにはこれでもかというほど血管が浮き出ている。
それで悠はなんとなくこの戦闘の真意が掴めた。
掴めてしまった。
似たもの同士というか、類は友を呼ぶというか。
大抵、他の職員と話していたときに
「なあ、流崎少年。妃和が腕まで捨てたんだぞ……?」
「ッ、だから、どうしたァ……!!」
「彼女の適性は高くないんだ。治癒はあくまで促進剤程度で、再生なんてしないんだ」
「それが、どうしたって言ったんだァ!!」
「消えない傷を君のせいで作ったというコトだァァァアアアアッ!!!!」
「ごばッ!?」
「流崎ーーーーー!?」
ずざざざざざざー! と地面を滑る悠。
きっと純エーテルの力がなければ顔をおろし金ですりおろされたみたいになっていた。
「初め、話を訊いたときは君を良い男だと思ったよ。美沙からの言もある。大層剛毅な益荒男だと思ったさ。だが、だがな。それは君が単体で、個で、独立していればという前提条件があっての印象だ。妃和と関わるなら話が違う」
「総司令っ! 陽向総司令っ!! や、やめてください!」
「これでも育ての親になるワケだ。血が繋がっていないとはいえ、本当に自分の娘みたいに思っていた。可愛くてしょうがなかった。戦闘部隊に入るのも止めたが、彼女がどうしてもと言うので仕方なく許可もした。……思えばそれが、間違いだったと今なら言えよう」
「――ッ、なにをォ、勝手にィ……! アンタが言ってやがる……!!」
「美沙には悪いが不合格だ!! 君を妃和の相手とは認めないッ!!」
「ごッ、がッ、あッ、ごォ――!?」
「うわわわわわ、流崎ッ、流崎――――!!」
サンドバッグみたいに悠が殴打される。
傍目に見てもマズイ状態というのが分かった。
いくら治癒の関係で死なないとはいえ、痛みはそのまま身体に残るのだ。
あれだけやられて意識を保っているのは……まあ、彼なので当然だろうが……ともかくアレはマズイ。
「かわいがっていた娘を疵物にされた私の気持ちが分かるか……!? 大事な妃和の片腕がないんだぞ!? それをッ! 君は! どう思っている!?」
「がッ、ごッ、おごッ」
「もしも死んでいたら! 片腕じゃ済まなかったら! ああ酷いな! そんな想像はしたくもない! だが今ある現実も真実だ! どうなんだ! 流崎少年!!」
「ぐっ、おッ、あぁッ、ぎぃ――」
「君にとって妃和はなんだ!?」
「ごべぇ――――!!」
腹にもらった一撃は他のと比べて数段痛かった。
ボールのように転がりながら悠は地面に横たわる。
先ほどとは違って今度は真っ当な体調不良で頭が痛い。
顔中血まみれの身体中傷だらけだ。
全くもってヒトの体をなんと思っているのやら、と言いたい気分である。
「流崎っ! 大丈夫か! しっかり!」
「退くんだ、妃和。彼を殴れない」
「な、殴らないでくださいっ! どうして貴女がこんな真似を!!」
「流崎少年に巻き込まれなければ妃和の腕がなくなることはなかったハズだ」
「流崎は羽虫を倒しました! 私がこの程度の怪我で済んでいるのは彼のお陰で、」
「羽虫はそこの流崎少年を狙って来たとすればどう思う」
「――――――」
……それは。
頭のどこかで、妃和も同じように考えていた予想のひとつで。
「彼が外に出たタイミングと羽虫の出現は殆ど同時だった。先ほどの大量の襲撃もある。もしかしなくても、可能性はゼロじゃないだろう」
「そ、早計でしょう……! 大体、流崎はこの先必要な人間です! 私の命や体で彼が残るなら、そんなのは――」
「「ふざけたコトを言うんじゃ
「っ!」
叱責の言葉は重なるように響いた。
ひとつは総司令……陽向葵から。
もうひとつはすぐ近くの彼から。
悠は治りかけの身体を引き摺って、彼方を睨むように立ち上がる。
「おいてめえ、ヒナタっつったなあ」
「ああ。なんだ、流崎少年」
「コイツがなんだ、って訊いたよなあ。さっき。ああいいぜ、教えてやるよ」
鉄潔角装は使わない。
純エーテルも必要ない。
状態は同じ、舞台はすでに整っている。
素の身体能力なんて彼は素人に毛が生えた程度だが、それでも十二分だ。
大事なのは別のトコロ。
「死なせたくないヤツだ。生きていてほしい相手だ。それ以外にあるかよ、バーカ」
「…………ほう?」
「なッ――ば、流崎……!」
「育ての親だかなんだか知らねえが、いきなり出てきて喧嘩ふっかけてんじゃねえぞ。言っておくが手なんざ出してねえからな。そこんところ勘違いすんなッ」
「ほほう?」
「なにを言ってるんだ流崎!?」
もちろん事実である。
たしかな身の潔白である。
流崎悠はこう見えてピュアなのだ、多分。
「腕が要るなら俺がそうなったって良い。責任取れっつうんなら取るさ。そんぐらい気に入ってんだ。オカシイよな。たかだか人間ひとりに、てめえより重いモン抱えてやがる。けどな、これがどうにも良くって仕方ねえのさ」
「その心意気は認めよう。だが言葉ならなんとでも言えると、私は思うんだ」
「はっきり言いな。なにがしたい?」
「覚悟を見せろと言っている」
「総司令!?」
「妃和。いいから下がっていてくれ」
「――――どうして、こう、なるんですか……ッ!!」
「妃和がいるんだ。こうもなる」
「どうしてッ」
嘆くような一言は黄昏色の空に消えていく。
親バカ此処に極まれり。
おそらくまだ収容所で落ち込んでいる美沙が見れば「とんでもない阿呆だなおまえは!」とかいうブーメランを投げるであろう状況だった。
「……これだから、
「オイ言われてるぞ」
「それもまた親子だろう?」
無敵かこいつ。
人類最強(モンスターペアレント)