ひとつ、細く呼吸をくり返す。
眼前に立った葵との距離はわずか十メートル。
彼女なら一秒と経たずに詰められる差だ。
両者の間にある空間なんて有って無いようなもの。
完治した身体をコキコキと鳴らして、悠はニヒルに笑みを浮かべる。
「……覚悟、ねぇ」
「不満かな、流崎少年。話に聞いていた君は、もっと生き生きとしていたようだが」
「いいや、ぜんぜん? だが話ってのは気になるな。美沙か、美沙だな」
「そうとも。だからまあ、安心していい。ちゃんとして生きて連れ帰るさ」
無事に、と言わないあたり分かりやすい。
生きて連れ帰る。
それは生きているなら例え傷を負っていても構わないというコトだ。
先ほどの攻防でボコボコにされた手前、冗談と受け取るのは難しすぎた。
「――はははッ、んだよそれ。そんなの御免だね」
「なるほど。怖いのか」
「違うさ。連れ帰るってのが気に喰わねえ。無理やりてめえの行く道変えられるのはなァ……我慢、できねえだろうが――ッ!!」
地面を蹴って悠が飛び出す。
構えた拳は型もなにもないただの無茶苦茶な喧嘩殺法。
戦闘部隊として長年鍛錬を積み、そのトップに立った彼女からすればお粗末極まりない。
「あくまでそれが答えか。流崎少年」
反撃の手を構える。
彼我の実力差は先も示した通り圧倒的だ。
とくに深く考える必要もない。
悠の攻撃を捌いた上で、今度こそ意識を刈り取る一撃を放つ。
それで終わりだ。
彼の旅路も、妃和との繋がりも。
すべて、次の一撃でぜんぶ断つ。
「――――ハ」
小さく響く笑い声。
ふと、走っていた少年の口角がつり上がった。
考えなしの疾走、無策の突撃ではない。
――振り抜いた拳から、刃が突き出る。
「ッ!」
「ハハハハッ!! やっぱりなァ!!」
「……君は」
「気付いてんだよ最初ッからァ!! アンタの
「凄いな。ああそうとも、純エーテルの義手義足だ。しかしどこで見破った? 服で肌は隠れていただろうに」
「殴られた感触だボケェ!!」
「なるほど」
言いながら、葵は悠の拳を易々と受け止める。
刃は通らない。
鉄潔角装の質に於いて、彼の剣は彼女の腕に到底届かないほどだ。
「だがそれでも動きは私の圧勝だな。流崎少年。これで終わりか?」
「アホ言うなよ、総司令サマがよッ」
「――ふむ」
びゅっ、と頬を掠めていく悠の蹴り。
センスはある。
はっきり言って男の中なら飛び抜けて彼は優秀だ。
純エーテルの影響を耐えてここまで動ける男子などなかなかいない。
……が、それはそれとして合格点に足りないのも事実だった。
「一手少ないようだが――」
がしっ、と。
振り上げた足を曲げて、鉤爪のように葵の肩を掴む。
『なるほど』
二撃目の拳はすでに構えられていた。
やはりイイ線をいっている、才能だけならピカイチだ。
戦闘部隊の中でも彼みたいに出来るのはせいぜい半分以下だろう。
――勢いの乗った一撃を左手で受け止める。
寸前、
「!」
きつく握られた拳が、ぱっと開かれた。
仕込まれていたのは大きなものではない。
さらさらと風に流れてばらまかれる――細かな土砂だ。
『ッ、小手先だけで――』
新しく創造した刀を構える。
抜きはしない。
鞘に収めたままで十分だ。
空気の流れ、周囲の音。
それらをたしかに把握して、鋭い一振りを放つ。
「がッ――――」
「…………」
手元に返ってくる感触はあった。
並大抵の人間ならこれで膝をつく。
「――――使ったな?
「!!」
吹き荒れる暴力的なまでの純エーテル。
嵐の中に居るのかとすら錯覚させる空色の奔流が、瞬く間にふたりを包み込んだ。
――やはりというか、そこは期待以上というべきか。
底を知らない神秘の使い方は間違いなく、その一点で葵を越えている。
「……なんと。流石に驚くな、それは」
「驚きついでにいくぜダメ押しィ!!」
「!!」
その燐光が彼の手に集まっていく。
出来上がるのは唯一無二、悠だけの神秘に塗れた鋼色。
ならばこの後の衝突がどうなるかなど、考えるまでも無い――
「おぉおおぉおぉおおおおぉおおおッ!!」
「――――――――、」
斬撃は胴体を薙ぐように。
放つ速度は音を越えて光に迫った。
けれどもそれでは遅すぎる。
葵にとってはまだまだ対応できる範囲。
力任せの一撃は容易く防がれて、
『――――なに?』
彼の剣が、砕け散る。
『手応えがない。上手く作れなかったのか? 初めの頃はよくある。やはりまだまだ――』
――いいや、違う。
そんなハズがない。
あれだけの純エーテルを扱えて、あれだけの神秘を構成材料としておいて。
それでこうも簡単に砕けるのなら、鉄潔角装は武器として成り立たない。
つまり――
「おらァッ!!」
「ッ!?」
ごん、と頬を鋭い痛みが貫いていく。
思考が生んだ一瞬の隙。
一秒にも満たない空白を穿つような全力の拳。
それは全身全霊で、今の彼が持てるすべてを擲ったひとつの成果。
悠は剣を握った瞬間から、ただ「彼女を殴る」コトに専心していた。
……その執念が、最高の形で実を結ぶ。
「っ……流崎ッ、少年……!!」
「どうだ、見たかよ総司令サマッ!! 殴られると痛えだろ! さっきのお返しだッ!!」
「なるほど、それは痛いな! ああ痛い、痛いとも。……よくやる」
「褒めてんのかァ!? だがまだ足りねえッ!! こんなもんじゃねえッ!!」
掴むように握られて形成される鉄潔角装。
今度こそはハッタリでもなんでもない。
彼は切っ先を天高く持ち上げながら、口もとを己の血で汚して高笑う。
「妃和には悪いがてめえはぶっ飛ばす!! 俺の全霊懸けてェ!!」
「――ふ、はははっ、あはははははっ!! なるほどこれは本当によくやってくれる!」
「ちょッ、待て待て待て!? 流崎!? おい流崎!? なんだそれ!?」
妃和が驚くのも無理はない。
なにせ彼が構えたのは文字通り天を衝くほどの純エーテルの刃。
振り上げた鉄潔角装から伸びた神秘の粒子が雲を裂いて極大の刀身を再現する。
小手先の技術でどうにかならないならそれこそゴリ押しだ。
つまるところ才能でぶん殴ればいい――そんな答えを思わせる長大さ。
それは正しく彼にしかできない、たったひとつの冴えたやり方。
「覚悟を見せろとてめえは語ったッ!! なら全力だ!! あんた強えんだろ!? だったら俺の本気程度受け止められるよなァ!! いいや!! 受け止めてもらわなくちゃ困るってもんだ――――!!」
「――いいだろう。その一撃、受けて立つ……!」
「総司令!? 流崎っ! 落ち着け! 相手は人間だ! 無理に戦うなどと!」
「ヒヨリィ! コイツは最早止めらんねえぜ!! 抜いた刀はおさめらんねえ!! そうだ! そうだろ! ああそうさ!!
極大の剣が振り下ろされる。
純エーテルの刀身が大気を焦がしていく。
出力は以前にも増してあがっていた。
彼の素質が成せる業だろう。
その力に頭打ちはない。
かき集めた神秘の粒子もその操作も神がかり的な巧さ。
ああ、今。
黄昏色の空が。
赤銅色の雲が。
歪んだ頭上の景色が瞬間、原初の色に戻っていって、
「おぉぉおぉおおおおおぉおおおお――――――ッ!!!!」
「…………っ!!」
――雲の中の、なにかに当たった。
『は?』
腕が動かない。
刀が振り下ろせない。
臨界状態の純エーテルが空回っている。
「……? 流崎……?」
「――――――」
冷や汗が頬を伝う。
尋常じゃない寒気が全身を包んだ。
現状、悠の持てる全てを注ぎ込んだと言っても良い一撃。
この前までとは比べ物にならない出力の純エーテルは羽虫の外皮すら削れるぐらい。
なのに、それが完全に阻まれているというコトは。
「……流崎少年? なんだ、どうした」
「――――ま、じい」
「なに?」
「コイツ――――」
頭蓋が、震えた。
『E、Aっ……Soの』
「――――して」
「……ろして」
「ころして」
「殺して」
「殺して、殺して、殺して」
「殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して」
殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。
「――――――――――――ッ!?」
純エーテルが砕ける。
空色の光を通して鉄潔角装すら粉々にされた。
悠の手元にはすでになにもない。
いや、それより、先ほどの声は、映像は――アレは、一体なんだ――?
「っ!」
不意に空を見た。
黄昏色の空を背景に赤銅の雲が割れている。
――その隙間に。
「……なんだ、ありゃあ」
なんだか途轍もなく嫌悪感を抱く。
枯木の、天使を見た。
本番はこれから。
人類を追い詰めた異形の怪物。
その本当の力がいま、彼らに振り下ろされようと――
「やっと、会えた」
枯木の君は、どこか笑顔を浮かべたように見えた。