純潔の星   作:4kibou

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5/『樹木の天使 前半』②

 

 

 

 

 

 雲を越え、空を越え、浮かぶ天使を越えた更に先。

 彼女(それ)は遙か彼方から、地球(ほし)の様子を眺めていた。

 

「憐れよなぁ、枯木」

 

 嘲笑が虚空に木霊する。

 視界に映った塵同然の影。

 自身の長い髪に指を通しながら、彼女は三日月のように口の形を歪めた。

 

「よもや私のハルカに手を出すとは。愚かにも程がある。……そうまでして求めたかったのか? 卑しい女だ。だからオマエら(・)は嫌いなんだ。どいつもこいつも。喩え別(・)の(・)世(・)界(・)線(・)であろうとも私の夫を奪い取るなど万死に値する」

 

 彼女の額には長い突起が生えている。

 イッカクのような螺旋を描く鋭い角。

 

 白と黄褐色と茶色が混ざった奇妙な髪の毛。

 瞳の色は深い緋色で、容姿は文句なしに良い。

 

 きっと世界の誰も、彼女の存在を汚すことが出来ないと思うぐらいに。

 

「しかしだ――ふふっ、傷付いたハルカも魅力的だな。アレはちょっといかん、ダメだ。うむ、エッチだ。エッチだな。流石は我が伴侶。地上に咲く色気の塊だ」

 

 だがしかし、残念ながらその評価もいまは見当違いだ。

 

 彼女はすでに汚れている。

 いつかは額の角が割れるぐらいに狂っていた。

 それは姿形ではなく彼女自身の魂からなるもの故に。

 

 ……あの日受けた屈辱を一生忘れはしない。

 

 けれど、

 

「ああ我慢できない。早く来いハルカ。そんな塵に構うな、地上の雌蟻どもに合わせてやるな。おまえは至高だ。ようやく再会できた私の恋人だ。もう二度と離してなるものか」

 

 同時に、あの日見た少年の輝きを死んでも忘れはしないだろう。

 

「条件は満たされている。私の贈り物は役に立つだろう? 祝福はすべてお前のためだ。ああそうとも。病に身を侵されようと必死で取り繕っていたその原動力は伊達じゃない」

 

 肉体が削がれるのも、骨が折れるのもくだらない刺激だ。

 彼にとっては造作もない。

 

 なにせ彼女は知っている。

 あの少年が、ただひとつの純粋なモノを持って自(・)身(・)の(・)傍(・)に居続けたコトを。

 

「思えば、気付くのが遅すぎたな。だが今度は見誤らない。さあハルカ。早く来てくれ。準備はできている。今度こそ元気なお前に、はっきりと言いたい。愛していると、そう」

 

 愚かな人生、愚かな獣生。

 本能的な美しさのみを追い求めていた醜い過去。

 

 それらの彼女が培っていた価値観を壊したのは誰でもない彼だ。

 

 ただ一度の穢れもなき乙女の純潔。

 そんなものを至高と断じていた半生に反吐が出る。

 

 そうだ、彼女は知ってしまった。

 それ以上に美しく儚い、見事なモノがあるのだと知ってしまったから。

 

「式を挙げよう――誰もいない此処で。私たちだけの婚姻の儀を。そしてふたりで星を眺めるんだ。ロマンティックで良いだろう? きっとおまえも私も、互いがいるだけで幸せなんだ。だって、そうだろう?」

 

 空の向こうで女が笑う。

 楽しそうに、嬉しそうに。

 地上に生きる彼以外のすべてを見下して。

 

「ハルカ。私の初恋。私の唯一の幼馴染み。私の愛した――――男の子……」

 

 噛みしめるように、そう告げた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――――――うッ」

「流崎……? どうした……?」

「なん、か……急に、気持ち悪さというか、寒気が……ッ」

「だ、大丈夫か!?」

「無理もない。総司令殿がアレだ。体調も悪くなるだろう」

 

 真樹の言につられて悠が顔を上げる。

 森を灼き尽くした火炎は蜷局を巻くように葵へと集束した。

 

 周囲の景色が歪むほどの膨大な熱量。

 見間違えでなければ彼女の肌は燃えている。

 

 焼かれているのではない。

 人体が燃えるとき特有の嫌な感じは一切ない。

 そう、それは真実存在そのものが燃焼されているような錯覚で――

 

「一先ず、お返しといこうか」

 

 腰に提げられた刀が一本引き抜かれる。

 鉄潔角装は壊れずに摂氏七千度を超える彼女の手に包まれた。

 

「――――ふッ」

 

 紅炎が天へと昇る。

 大気を焦がして焔が走る。

 

 振り抜かれた刃は速く、鋭く。

 一秒とかからずに天使の体に着弾した。

 

「……む」

 

 損傷は、なし。

 

「怪我の影響は深刻だな……どうにも力が落ちている」

 

 いまので挨拶代わりにもならないとは、と吐き捨てる葵。

 

 当然、羽虫を燃やした炎より何倍も威力のある代物だった。

 小さな町のひとつ、この森の半分程度なら一瞬で消し去れるようなものである。

 

 ――――と。

 

「……ああ、またか」

 

 遙か上空で持ち上げられる右手と、音をたてて開かれる翼。

 一度目は無知故に葵自身が防ぐので限界だった。

 

 が――それがどういう攻撃か分かった上でなら幾らでもやりようがある。

 

「それはつまらないな」

 

 射出された枝葉の弾丸を、すべてこちらに引き寄せていく。

 

「妃和を危険に晒すという一点でとてもつまらない。……先ほど守り切ったのは良かったな、流崎少年のほうは。うん、ちょっとは認めてやってもいいかも」

「なんだァ!! なにか言ったかァ!?」

「――危険だからそこを動かない方がいい。妃和を守っていろ。さもなくば殴る」

「言われなくてもそうしてやらァ!!」

「いい返事だ」

 

 向かってきた枝葉をすべて燃やしながら笑いかける。

 弾丸は彼女のほうを目指しても身体に届かない。

 例え届いたとしても表面の熱量に耐えきれず燃えて尽きていく。

 

 それは人智の及ばぬ天体を無理やり人の器に落とし込んだが故の権能。

 すなわち、彼女の兆角醒は、

 

「私も気合いを入れて相手するとしよう」

 

 自身の肉体を換えて太陽そのものとするコト。

 

「なに、ツ(・)マ(・)ミ(・)を弄るのは得意だからな」

 

 その性質上、彼女は常に全力を出すことができない。

 出力の調整、能力の取捨選択、方向性の指定は必須項目である。

 

 たとえ地上の怪物を一層できるとしても、地球の表層に人間サイズの疑似太陽を創り出せば星が耐えきれない。

 彼女の一呼吸で生物が死滅し、一挙手一投足で自然が崩壊する悪夢など誰が見たいものか。

 

「さて――このぐらいなら、どうだろうか」

 

 いま一度鉄潔角装を構える葵。

 

 天使の表情は変わらない。

 彼女は弾丸をすべて受け止めた相手を無感情に見つめている。

 

 ――逆巻く灼炎は勢いを増して。

 掬い上げるように放たれた斬撃は、そのまま焔の刃となって天使へ飛来した。

 

 

 

 

『     』

 

 

 

 

 バキバキと石膏みたいに砕けていく皮膚。

 右の肩から左の脇腹にかけて裂傷じみたモノが走る。

 

 悠の最大威力で傷ひとつ付かなかった硬い外皮。

 それをいとも容易く突破しながら、葵はトンと地面を蹴った。

 

「――――――」

 

 そのまま重力を無視して突き進む。

 空を翔るひとつの影。

 

 後押しの推進剤は悠がしていたのと同じ要領だ。

 彼は臨界状態の純エーテルを、彼女は自身の火炎を燃料とするだけの違い。

 

 比べても速度は劣るどころか優に超えている。

 地上から天使の眼前まで行くのにコンマ三秒。

 

 ――彼女は一瞬で、その腕を切り飛ばした。

 

「なにも飛べるのはおまえだけではないというコトだ。ヒトを嘗めるなよ」

『     』

 

 視線がぶつかる。

 刃が走っていく。

 

 追撃の手は緩まない。

 肩から腹へ、腹から足へ、足から腕へ、腕から胴体へ、胴体から頭へ。

 

 繰り出される剣閃は瞬く間に天使の皮膚を裂いた。

 

『        』

 

 反撃をさせる暇すら与えてもらえない一方的な蹂躙。

 

 天使の身体はすでに四割が砕けて粉状に崩れている。

 マトモに稼働できるような部分は残っていない。

 

「息絶えろ。おまえに明日は来ない」

『――――――――』

 

 何事かと天使が口を動かす。

 葵には関係ない。

 そのまま情け容赦もなく、首を目掛けて刃を振るった。

 

 だから、届いた声はたったひとりの脳内に。

 

〝あなたじゃない〟

 

「――――あ?」

 

 その奇妙な呟きを、悠はたしかに聞き取って。

 天使が森に落ちてくるのを、呆然と眺める。

 

 ボロボロになった肢体と巨大な樹木の翼。

 飛行でも浮遊でもなく、それは間違いなく落下の挙動だ。

 怪物は葵の連撃に為す術もなく破れた。

 

 ……土煙が高くあがる。

 

「ッ!! やりやがったぜ、あの野郎……!!」

「にしては圧倒的すぎないだろうか! いくらなんでも! いや凄いのだけれど!」

「いいや十分だ。総司令殿を相手にアレはよく――――」

 

 と、そこで誰しもの思考が途切れた。

 

 急激で劇的な変化。

 まるで景色にそのまま絵の具をぶちまけたように色彩が変貌する。

 

 木々は葉を散らして痩せ細り、そのまま枯れて朽ちた。

 足元の草花が無惨にも散っていく。

 

 真冬なみの寒さだった気温は小春日和もかくやといったところ。

 それにつられて広がっていくのは無くしたはずの緑色だ。

 

 ――森の名残はすべてない。

 あるのはただ、地平線まで広がる青い草原。

 

 そこから、

 

「ッ!!」

「な――こいつ、ら……流崎……!」

「ああッ! 分かってる……!! マキ! いけるかよォ!!」

「できるとも。無理でもやってやるとも。それが私の信条だよ、流崎悠ッ」

 

 がさがさと。

 顔を出すように、大量の羽虫が這い出てくる。

 

 ……兆覚醒の真似事では決してない。

 

 真樹のように世界は閉じてもいなければテクスチャを張り替えたのでもない。

 アレは真実大地と繋がることで、現実の環境を強引に変えたのだ。

 

 一秒足らずで森を枯らし、草花を成長させ、歪な自然を繁栄させた。

 

 

 

 樹木の天使は、まだ生きている。

 

 

 

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