「――いや、マズいな」
上空百メートルを超えた高みから地上を見下ろしつつ、葵はぽつりとそうこぼした。
撃墜した樹木の天使。
雲の隙間から引き摺り下ろしたその怪物は未だに生きている。
その証拠に眼下の景色は写真をすり替えたように変わり果てた。
見晴らしのいい草原には、そこが己の玉座とでも言わんばかりに佇む天使の姿。
「なるほど、種。ただの弾丸ではなかったのか。……これはしてやられたなッ!」
二度に渡る枝葉の弾丸。
その本質が単なる攻撃だとどうして思えたのか。
樹木の翼から放たれたそれは土に埋まり、急速に成長し、天使の落下と共に
何十、何百なんていうものではない。
夥しい数の羽虫たちが、女王を守る兵士の如く生えてくる。
「いいぞ、そのすべて焼き払ってくれる――!」
背中のバーナーを噴射して葵は直ぐさま降下した。
狙われているのは彼女ではなく三人のほうだ。
戦力外の妃和、手負いの真樹、辛うじて戦える悠。
それでも羽虫一体だけならなんとかできる人員である。
平均的な一部隊と比べてもなんら劣るコトのない戦力だ。
――しかし、ああまでも数で責められればどうすることもできない。
「――――ふせろッ!! 全員ッ!!」
「あぁ!?」
「流崎! いいからしゃがめ! 早く!」
「言う通りにしたほうがいい流崎悠! 無駄に火傷をするぞ!」
「ッ――ああ分かったよちくしょうッ!!」
「……聞き分けの悪い男子め」
くすりと笑いながら、刃に炎を走らせる。
数えるのも馬鹿らしいほどの物量はたしかに脅威だ。
場所と状況によっては三桁近い被害者が出てもおかしくない。
――もっとも、それはすべて彼女がいなければ、という話。
この場に於いて前提条件は覆されている。
「それでは尚更妃和はやれんなァ――――!!」
斬撃は弧を描いて全方位へ。
水面を伝う波紋のように広がる灼炎の刃が青草を燃やし尽くす。
そのついでと言わんばかりに羽虫の群れも火に炙られていく。
燃焼する枯れ木色の身体に花は咲かない。
虫けらは虫けらのままにその些末な命を終わらせた。
「――――ッ、とんでもねぇなァ……!
「何を言う、流崎。総司令だぞ。むしろ適わなかったら逆にヤバいんだ」
「巴隊員、私たちが数ヶ月前にどんな状態で帰ってきたか忘れたか?」
「あ」
「……それぞれ元気そうでなによりだ」
その敗北については思うところがあるらしく、はあ、なんて深いため息をついて葵が視線を切った。
彼女は文字通り現存する人類でトップクラスの実力者だが、その才能はせいぜいが優秀程度に落ち着く。
いくら戦闘部隊の総司令でも一分とかからず大怪我を治すようなコトはできない。
失った肉体を保管したのは創り出した鉄潔角装によるものだ。
生き延びたというより無理やり生きながらえているというほうが正しい処置。
だからこそ、というべきか。
「……流崎少年」
「あん?」
「君はその再生能力が兆角醒か?」
「違えだろ。フツーに純エーテル回してりゃこんぐらい治る」
「――なるほど。そうかそうか」
妃和を守ってズタボロになった少年の身体はすでに傷ひとつない。
遠目に見ても無事とは言えないような惨状だったのは彼女も分かっている。
普通に立っていられるだけ頑丈なものだと感心していたが、そう――思えば殴り合っていた時から彼の状態はおかしかった。
「流崎少年、ひとつレクチャーしよう」
「はぁ? なんだよいきなりてめえ、こんなときに」
「いいから聞きなさい。体の中の純エーテルを空に届く勢いで爆発させる。できるか?」
「できるが」
「……なるほどなるほど」
「……なにが言いたい?」
「なにも言えない。賞賛しよう。君は正しく純エーテルの申し子だよ」
呆れたとでも言わんばかりに首を振る葵。
悠にその真意はちっとも分からない。
分かるのは、ただ彼女の言ったコトが彼にとって至極簡単な手順だという事ぐらいだ。
「娘の意見は聞き逃すものじゃないな」
「……?」
「君の存在価値だ。磨けば光る原石どころの話じゃない。その適正値はなんだ、男子」
「知るかよそんなん。どうでもいい。つうか、立ってるぞ、
「知っているとも」
くるりと振り向きながら葵は剣を構える。
何とはなしに訊いた質問への即答は彼女のなかで悠の評価を二段階ほど引き上げた。
迷いも戸惑いもなくやれると言い切れた事実。
ぼんやりとしていた輪郭がそれで定まった。
彼に研磨するような才能があるワケではない。
努力しても身に付くようなものは所詮付け焼き刃程度でしかないだろう。
なにせ彼は、最初から必要な
「……とんでもないのが生まれたものだな、このご時世に」
だとするなら後はやり方さえ学べばいい。
視るか、聞くか、人伝に説明を受けるか。
どれにせよその方法を知った時点で彼はその才能を発揮できる。
純エーテルの扱いも、鉄潔角装の創造も。
言わずもがな、兆覚醒の発動も。
「――――ふッ」
いま一度翼を広げようとする天使に炎刃を放つ。
念のため出力は少しだけ上げた状態。
先ほど身体を砕いた斬撃よりもっと高い焔の一撃。
相手に防ぐ手段はない。
逃げようにもソレが飛ぶより彼女の刃のほうが一足先に届く。
――衝撃は快音を添えて。
『 』
ぐらりと傾いていく天使の身体。
焼き切れた草原は半分が黒色の絨毯みたいだ。
そこに寝転がるのなら、まだ幸せな死に方だろう。
樹木の翼は力無く揺れて、
――ふらついた肢体に、炎が吸収されていく。
「っ!」
葵がその異変に気付くのと、天使が右手をあげるのは同時だった。
切り落としたはずの身体が再生している。
さらには削ったはずの外皮も綺麗さっぱりの元通り。
敵が傷ひとつない状態に戻っていた。
……羽虫たちに自己修復機能はない。
開花して姿形を変えるコトはあっても失った部分を治す事は不可能だ。
世の中を探せばそんな異能もどこかにあるかもしれないが、怪物たちにそれはできない。
「――――まさか」
嫌な予感がして、試しにもう一度火炎の斬撃を放った。
威力、出力ともに先ほどのものと同じ。
普通なら防げないハズの攻撃。
それを、
『 』
アレは、吸っている。
「……吸収。ああ、つまりなんだ。おまえ――」
森が忽然と姿を消したのは塗り潰されたのではなく。
木々が枯れて草原に変わったのは書き換えたのでもなく。
そのすべてをエネルギーとして蓄えて、力の余波が溢れただけなのか。
「それは、厄介だぞ……!」
思わず笑う。
笑ってしまう。
笑う他ない。
天使の足はすでに地面と結合していた。
膝から足首かけた血管のように浮き出た筋が見える。
いや、血管というよりそれは草木の根みたいだ。
……植物が根を張るのはなんらおかしいコトではない。
それを使って栄養を蓄えるのも当然の道理だろう。
だからこそ、その規模がおかしすぎて笑えてくる。
まさか地上にあるひとつの自然そのものを。
森自体を栄養としてその体に吸い上げるなんて。
「遠距離は――――ダメみたいだなッ!!」
鉄潔角装を構えて葵は駆け出す。
炎の斬撃は通じない。
独自の形態変化を挟んだのか、地上に降りたのが原因か。
なにもかも吸い込んでエネルギーにしようとするアレに火炎は悪手だ。
なにしろ餌を与えているようなものである。
どうにかするなら、直接叩く他ない――――!
『!!』
けれど。
その手が容易く通じるなら、人類の天敵などとは呼ばれない。
草原から
手足にぐるぐると巻き付けられる自然の拘束具。
解くのは簡単だ、自身をそのまま太陽に変換できる彼女なら強引に枝葉を焼いてしまえる。
だがそれで時間は費やされた。
一瞬。
まばたきの間にも満たないわずかな間。
葵の進行が停止する。
「――――――なに?」
どががががががっ、と隆起する眼前の大地。
地鳴りのような響きは数秒間続けられた。
……塔が見える。
鉄骨も煉瓦も使っていない枝葉で編まれた木製の塔。
遠目から見れば巨大な幹のようだ。
高さは六百メートル以上。
その頂に天使が立っている。
依然変わらず、足から根を生やしたまま。
〝あなたじゃない〟
〝あなたじゃない〟
〝あなたじゃない〟
〝違うの。
〝奪いたいワケじゃない、そんなコトは思ってない〟
〝やめたいの。もういらないの〟
〝だから、早く〟
〝――――早く殺して、ハルカくん〟