混濁していく意識。
自我の融解、己という存在の摩耗。
有り余る純エーテルの恩恵と害を同時に受けながら悠は笑う。
擦り切れていくのは記憶か神経か。
バチバチと眼球の奥で散る火花が導火線についた火のように心を焚きつける。
「はははははははははははは――――!!!!」
無限に上昇する神秘の火力。
いまの彼にとって目前の天使は脅威たり得ない。
いくら手足を吹き飛ばそうと、いくら内臓を潰そうと所詮は一時のもの。
次の瞬間に再生している傷は決定打にならないだろう。
『ふ、はは、ふはははははッ、ははははははははは――――!!』
脳髄に
空の果てに手をかけた――向こう側に近付いた影響だ。
彼女からの祝福は否応に増していた。
その意識がぬるりと頭に滑り込んでくる。
『ハルカ、ハルカッ、ああハルカッ!!』
この世界を決定的なものにした超常の存在が笑った。
ひとりの少女を化け物にした元凶が昂ぶっている。
『やはりおまえは最高だ!! こんなにも輝かしい! こんなにも鮮烈とは! そっちではもったいない! 早く来てくれ耐えられない! 私はこんなにもッ! 嗚呼こんなにも!』
今更なにを、と笑い飛ばす。
ぐちゃぐちゃに融けた意識が原初の形に凝固した。
数々の痛み、数々の苦しみ。
それらが人格を削るナイフとなって余分なモノを取り除く。
彼の祝福はふたつあった。
ひとつはこの時代の神秘を司る彼女からのもの。
純エーテルに高い適性を持ち、それを高水準で扱い、己のものとする才能。
その代償として彼は生前の彼女の感覚に引っ張られている。
かつて純潔を至高と信じた獣性。
故にこそ悠は純潔の乙女しかまともに生きられない世界で性欲など持てない。
己がその至高を汚すコトを無意識のうちに拒んでいるからだ。
『愚かだと笑ってくれ! 遅いと叱ってくれ! それでも、ああッ! おまえに言いたい! いま言わなくては敵わない!』
――もうひとつは、心の奥底に根付いていた生まれつきの反逆衝動。
かくあれかしと望まれるコトが許せない。
そうであれと願われるコトが耐えられない。
それはこの星に生まれたが故に持たされた祝福だ。
理由のない感情はすべて星の意思によるもの。
声なき声は、末世に陥った
『――おまえに恋をした。どうか、私と一緒になってくれ、ハルカ――』
そのすべてが、剥がれ落ちる。
「ははははははッ」
余計な装飾、後付けだった部分。
身体中を走る激痛に思考が飛んだ。
頭が随分とスッキリしている。
自分が誰なのか、なにがなんなのかハッキリと分かった。
明確な意識の切り替わり。
いまの彼は正真正銘飾らない彼そのもの。
「――――ホント、遅いな。それは」
眼孔から噴き出た
生来から埋め込まれた呪いが思想の自由を縛っていたらしい。
他によって歪められ、介入された思考のまま生きていた少年。
それがこの瞬間だけは、正気に戻った。
「もう遅いよ。こんなもの。――こんなコトをしたのなら、もう遅い」
百年の想い、常軌を逸した積年の情。
先に好きになったのは間違いなく彼のほうだ。
だからこそもう遅い。
彼女はもう彼の知っている人間ではなくなった。
ならば一体どうして、それでもなお間に合うと思ったのか。
「遅すぎたんだ、全部が全部」
幸せの在り方なんていっぱいあっただろうに。
生きていく方法なんて無数にあっただろうに。
こんな手段を取ってしまった時点で、彼の恋心は跡形もなく冷めた。
「――だから、決着をつけよう」
さあ、いざ讃えよ。
見るがいい。
あれなるは剥げ落ちた彼の正体。
流崎悠なんて
誰かによって介入され、
誰かによって歪められた仮初めの
〝ハルカくん――――!!〟
樹木の枝葉が襲い来る。
翼の全て、存在の悉くをかき集めたような一斉掃射。
それが、
〝――――――――、〟
大地を震わせる破壊音と共に、成長を止めた。
「――あっはっは! やってやったよ奔星ちゃん! 見事あーしら
足元の根が断ち切れる。
ボロボロと崩れていく枝葉の幹。
供給源はない。
彼女の持つエネルギーは正真正銘彼女だけのものとなった。
残された分を贅沢に使うことはできない。
攻撃に傾けている以上、回復にまわす余分はなくなっている。
――――討伐の条件は、此処に。
「――――――」
残された枝葉に刃を通した。
膨れ上がった樹木が大破する。
手応えはない。
だからそれが決定的な確信に繋がった。
「ああ――」
焼けるように巡り出す熱量。
爆発的な連鎖増殖をくり返していく純エーテルは彼以外に――いや、彼自身でも耐えられない劇毒だ。
それでもなお正気は融け落ちない。
決まっている。
身体中を病に侵されようと生きていた彼の精神は尋常ではない堅牢さ。
たかだか火に炙られるような痛みだけでは、到底悲鳴をあげさせられない――
「ああ――――」
痛みが飾りを取り払う。
熱が
残ったのは純真無垢な彼の本質。
流崎悠となる前の――――ただのヒトに過ぎなかった、唯一無二の男の子。
「――――――――」
枝葉を粉々に砕いて突き進む。
進撃は止まらない。
止められない。
彼の目はたったひとつ正面の彼女のみを見据えている。
焼かれた脳細胞はすでに超常の声も音も拾わなかった。
ちょうどいい。
耳障りなノイズがないのならこれ以上ないほど思考はクリアだ。
――その名前に込められた本当の意味。
ひとつの時代において正しく選ばれていた命の在処。
運命は彼を射止めた。
故にこその真なる響き。
彼女の幼馴染みだった
――空を流れ、闇を裂き、遙かに輝く
その銘を以てして、空色の光が唸りをあげる。
「――――いくよ、枯木」
強さで言えばもはや圧倒。
規模で言えばすでに同等。
格の違いと、それに伴う脅威の度合い。
その点を考えれば天秤は傾ききっている。
空色の瞳と、紺碧の瞳がぶつかった。
「もう辛いだろう。疲れたろう。よく頑張ったよ、十分だ」
〝遙、くん――――〟
ひとときの夢幻。
儚いまでの淡い光景。
天使の顔に理性が戻る。
色のない表情に少女の面影が見えた。
「だから」
別の可能性、違う世界線なら彼らが結ばれる未来もあっただろう。
事実そうなってしまう記録を
相性が悪かったワケではない。
出会い方が違えばなんて、些細なボタンのかけ違いでもない。
ただこの歴史において、
そしてたまたまその少女に、彼が心底惹かれてしまったというだけ。
「オレが君に、引導を渡してやる――」
それも消え去ったいま、もはや存在は薄れていく一方だろう。
だから彼自身、二度目はないと悟っていた。
そのためにもこの瞬間は貴重に扱おう。
たった一度、たったひとり。
知り合いを助けるためなら、最後に力を振り絞るのも悪くない。
――なにより。
そう、なにより。
泣いている女の子を、男の子が見過ごすワケにはいかないのだから。