純潔の星   作:4kibou

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8/『脅威は過ぎて②』

 

 

 

 

 それは呼応するように、長い眠りから覚めた。

 

 目を開けたのはいつ以来だろう。

 暗い闇の中で身じろぎする。

 

 大地を削る衣擦れの音。

 やがてそれが息苦しい地中なのだと気付いて、迅速に掘り進める。

 

 かつては誰か。

 いまは何か。

 

 それは熱。

 それは炎。

 それは燃える青い雌鳥

 

 火星の大地を突き破って、異形の焔が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 ふと、目が覚めた。

 

 ガタンガタンと揺れる空間。

 手足の先に伝わる感覚がぼんやりとしている。

 

 どうにも上手く身体を動かせない。

 それは疲労によるものというより、なにかを失った代償じみていた。

 

 なんだろう、としばし考えてみる。

 

 …………結局、答えは出ないので後回し。

 

 瞼を持ち上げてみる。

 視界に映ったのは、寝ぼけた頭でも分かる――知らない光景。

 

「流崎?」

「…………ひ、より……?」

「その、大丈夫か。怪我とか、痛いところとか……ないか?」

「……ああ、平気だな……」

「そ、そうか」

 

 よかった、と安堵する妃和を尻目にあたりを見回す。

 

 全体的に暗い色、ガラスと鉄と合成樹脂と、何人かのヒトの気配。

 背中から伝わる振動は仄かに強い。

 

 妃和の顔が見えたのは彼の体勢故だ。

 俗に言う膝枕、というやつである。

 

「ここ、は……」

「護送車の中だ。総司令が連絡して用意してくれた。いまは流崎が逃げてきた収容所に向かっているところらしい」

「……そうか、あそこに……」

 

 戻るのか、とだけ呟いて視界を落とす。

 

 体力が全快していないのか、それとも別の要因があるのか。

 不思議なコトに気力が一切湧いてこない。

 

 あれだけ必死に帰るまいとしていた施設への帰還。

 本来なら全力で抵抗するところだが、いまはそんな気持ちすら浮かばなかった。

 

「……意外、だな」

「なにがだよ」

「暴れられるかと。……心変わりでもしたのか?」

「さあ……なにも変わってねえハズなんだが、どうにもな……」

 

 自嘲気味に笑う悠。

 妃和から見てもその姿には驚くほど覇気がない。

 羽虫を倒したときも、天使を切り裂いたときもあったはずの力強さが欠けている。

 

 似合わない、と彼女は思った。

 同時に、珍しい彼の姿はちょっとだけ新鮮でもあったけれど。

 

「体調が優れないのか?」

「どうかな、分かんねえ。自分が自分じゃないみたいだ。頭ん中ぐちゃぐちゃで」

「それは……まあ、無理もないだろう。なにせあの枝葉の怪物を倒したのだから」

「――――たお、した……?」

 

 誰が、と続きそうな表情だった。

 なにも知らない、なにも分からない。

 

 本当に本気で引っ掛かる部分がなにもない、と言わんばかりの見事な驚き。

 

「覚えていないのか……?」

「覚えてるも、なにも……俺は、あの天使相手に――――」

 

 

 

 ――――ずきん。

 

 

 

「――――あ、れ……?」

 

 なんだか、

 

 記憶が、

 

 うま――/繋ら、/……ない

 

「俺……は」

「……流崎が、あの怪物を倒したんだ。兆角醒まで使って」

「俺が……? そんな、こと」

「総司令も、甘根隊長も、私も見ていた。あともうひとり、おまえを助けた聖剣使いも」

「…………だめだ、やっぱり。さっぱり。……思い出せねえ」

 

 ずきずきと頭蓋の奥に鈍痛が走る。

 考えれば考えるほどドツボにはまっていくような感覚。

 

 たしかに天使と相対した記憶はあるのに、その後が水で滲んだように不鮮明だ。

 意識もぼんやりしていれば、直近のコトでさえぼやけている。

 

「まだ整理がついてないのかもしれない。時間もそう経っていないからな」

「そう、かね」

「だろう。……ほら、少し休め。あれだけ頑張ったんだ。記憶が混乱するのは、仕方のないことだと思うし」

「…………、」

 

 混乱とはまた違うと彼自身思うのだが、もはや抵抗の意思は薄い。

 返答するのも忘れてただ妃和に髪を梳かれる。

 

 手足は痺れたように動いてくれない。

 辛うじて身体の大事な部分はなにも問題なかったようだ。

 

「……なあ、()()

「ん、どうした」

「名前、呼んでくれよ」

「……流崎?」

 

 ゆるりと彼は首を横に振った。

 違う、といった鋭い視線が彼女に突き刺さる。

 

「悠って呼んでくれ」

「い、いきなりだな。どういう心境の変化だ……?」

「さあ。なんでかな……妃和に、呼んでもらいたくなりやがってよ」

「……おまえは……もう……」

 

 彼の言葉にはそれまでと違う響きがある。

 微妙な差異だ。

 

 妃和の名前を口に出すときの声色。

 

 以前よりずっと大人しく、カッチリとはまるような音。

 思わずはじめて名前を呼んでもらったのでは、と錯覚するほどのものだった。

 

「…………は、悠?」

「もう一回だ」

「悠っ」

「もう一回」

「悠ッ」

「はははっ。――ああ、なんか、いいな」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑う。

 

 分からない。

 理由も現状も全然理解できてはいない。

 

 けれど、それは心のどこかで残していたモノだったのだろう。

 誰でもない今の彼女に〝ハルカ〟と呼んでもらう。

 そんな些細なものを、噛み締めるように笑みを浮かべた。

 

「――なんなのだ。一体……」

「なんでもねえよ。……でも、そうだな……」

 

 話しているうちに眠気が襲ってきた。

 

 どうやらまだまだ休み足りない様子。

 微睡みのなかで留まることすらできない。

 

 落ちるように意識が霞んでいく。

 

「安心、したんだ。ちょっと」

「……?」

「妃和が、悠って言ってくれて。嬉しいのかな。分かんねえ。でもさ、いいや。これ」

「流ざ――……、……悠……」

「ふ、はは、あははは。はははッ――――なんだかなぁ……わりと、好きなんだ……」

 

 その真意は一体なんだったのか。

 回らない頭で考えてもしっくり来る答えは一切でなかった。

 

 瞼を閉じる。

 もう限界だ。

 すでに半分夢の中。

 

 今度はいい夢が見られるよう願いながら意識を手放す。

 

 

 

 だから、きっと彼は知らない。

 自分がなにをしたのかも、己自身がどういう状況なのかも。

 

 ――――ましてや、彼女がその言葉にどんな表情を浮かべたのかも。

 

 ぜんぶ、知らないまま眠りにつく。

 

「…………おやすみ、悠」

 

 頭を撫でる柔らかい手のひらの感触。

 らしくもないことに、その暖かさがずっと続けばいいと彼は思った。

 

 いつまでも、どこまでも。

 

 

 


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