――例えば。
散々何事かと言われてきた悠だが、これでも彼自身まともな部類に入ると思っている。
才能、素質の面は抜きにしても彼の性根は特別おかしなものではない。
せいぜいが突き抜けているだけで、ありふれた方向性なのは確かだ。
反抗心、敵対心というのは得てして誰にでも灯るものだし。
なによりこんな時代において立ち向かう意思を持つのはおかしくないことだろう。
「――――――」
結論として、流崎悠という少年を真っ当に評価すればたしかにまとも寄りだった。
色々特筆するべき部分はあるだろうが、それにしたってそうそう理解の範疇は出ない。
――だからこそ、彼から見てもそれは余計に。
部屋中に散らばった紙と絵の具。
ベッドから壁まで無数の色に埋め尽くされた光景。
その中央で、キャンバスに向かって筆を走らせる姿がある。
「……ったくよぉ」
「? その声は、なるほど。悠だ」
「なぁにがなるほどだ。画家気取りめ」
「ベレー帽でもかぶったほうがいいかな。今度取り寄せてもらおう」
「もらってもかぶるよか書く方に集中するだろどうせ、おまえは」
「それもそうだ」
くすりと笑って顔をこちらに向ける青年。
歳の程は悠の二つか三つほど上。
大人しめの雰囲気と、それに拍車をかける線の細さ。
前髪は目が隠れるほどに伸びている。
その隙間から見える分厚い眼鏡がさらに陰鬱さを強調していた。
「いいもんできたか、佑麻?」
「どうだろう。あまり気にしなかったから分からない」
「へぇ、そうかい」
「趣味だからね。楽しくなくっちゃ意味がないだろう?」
「そりゃまあそうだが」
果たして一日の大半を費やしているコトを趣味と呼んでもいいものか、と悠は首を傾げる。
朝起きてから夜寝るまで描いているのは当たり前。
目を離せば一食二食抜いていることだってザラというのがこの男だ。
担当の職員が必死に食べさせようとあたふたしているのを何度か見たコトもある。
……もっとも、それでもまだマシな方なのだが。
紙とペンがもらえないと思っていた頃は、それこそ自分の指を切って壁紙に血で描くなんて狂った事をしていた奴である。
「調子は……って、おまえは聞く意味ねえか」
「そうかな。なんだかちょっと残念だ。少しは心配してくれてもいいと思う」
「言っとけよ。基本的に純エーテル関係なくボロボロなくせしやがって」
「いいや、わりと最近はいいんだ。こう、筆が乗りやすいから。たぶん健康じゃないかな」
「………………、」
「そんな〝嘘をつけ〟みたいな目で見られても」
少なくとも健康と胸を張っていえる人間は隈などつくらない。
その中でも青白い顔をしている奴は論外だということを此処に記しておく。
「まあいいや。メシは食ったのかよ。昼過ぎてるが」
「ああ、まだだ。忘れてた。また怒られるところだったよ」
「なんだ、ついに怒られるようになったのか、おまえ」
「そうなんだ。この前なんて悠が脱走しててんやわんやだったから二日とちょっとご飯を食べるの忘れてた。流石に意識が朦朧として」
「なにやってんだてめえ!?」
「集中しちゃって、つい」
つい、でやるようなコトじゃない、と悠はため息と共に肩を下ろした。
彼の場合何日かご飯を食べていないということはその間の睡眠も取っていないということだ。
男とはいえ適性が少しでもあれば純エーテルによってできる無茶である。
普通の人間なら即座にぶっ倒れるところを治癒の応用で耐えられてしまっているからだろう。
「しっかりしろよ。他のヤツらもおまえの姿見てねえって言うし」
「ああ、みんなには挨拶してきたのか。それで僕にもなんて、真面目だ。でもって律儀だね。悠は」
「うるせえ。美沙に言われたから成り行きでだ。なんだどいつもこいつも。いきなりここを出ていったの怒ってんのか」
「まあ、話しもせずに脱走したのはちょっと傷付いた。悠との秘密なら僕らは喜んで隠し通すし協力だってしたのに」
「馬鹿言えよ。たかだか野郎ひとり死にに行ったようなもんなのに」
「じゃあなんで帰って来たんだ?」
「連れ戻された。ボロボロになったところをな」
「納得いった。そこまで粘るのはやっぱり悠ぐらいなものだろうな」
彼の中で悠がどういう評価をされているのかちょっぴり気になる口ぶりだったが、そこはあえて気にしないでおくコトにした。
まあ粘ったかそうでないかで言えば彼なりに粘ったのは事実だし。
結局は悠の認識でいうと
「でも、僕の心配より自分を大事にしなよ。悠はわりと、周りで君を大事に思ってる人のコトを忘れるときがあるから」
「肝に銘じとく。ありがとさん、っと」
「……あれ、なんだ、もう行くのかい」
「顔見に来ただけだ。元気そうならそれでいい。職員呼んでくらあ、メシ食ってねえことは告げ口しといてやるぜ」
「うん。じゃあね。また」
ひらひらと手を振って見送る佑麻。
その手にはなにも持っていない。
先ほどまで握られていた筆はどこかへ消えたようだった。
思えばいつから持っていて、いつから持っていなかったのか。
ちょっと疑問に思いつつも、まあいいか、と悠は扉を出る。
外で待っていた美沙を伴って、ふたりは次の目的地へと向かうことにした。
◇◆◇
最後に訪れたのは収容所の地下最奥。
何重もの扉を抜けた先にある病室だった。
いくら濃度が薄いとはいえ適正値のほどは人それぞれ。
中には男で適性も低いという死亡まで一直線な人間だっている。
そんな彼らを保護しているのがアンダー十階。
地上とは比べものにならないほど純エーテルが混ざらない世界だ。
「……悠。おまえ、逃げたんじゃなかったのか……」
「色々あって出戻りだ。本当は帰るつもりなかったんだけどな」
「そこまでにしとけよー……所長が怖い顔してるわ。はは……あー頭痛い……」
「大丈夫かよ。無理せずにな」
「いやいや、流崎がいると、ちょっとは気分がいいんだ。おまえ、少し前だろ。帰ってきたの。その頃から喋れる程度には元気も出てきた」
「マジか。俺って凄えのな。空気清浄機みたいじゃねえか」
「ははは。なんとなく言えてる」
果たしてそれが彼の適正値によるものなのか、多大な恩恵によるものなのかは分からないが。
「なんだったら手でも握ってやるぜ」
「おお、マジか。たすかるー。握れ握れ。ほれ」
「いや効くのかよ」
「効く効く。スゲー効く。絵面は地獄だけどなあ」
「絵面よか命だな。おら手ぇ出せ野郎ども。シェークハンドだ」
「さんきゅー……、……おお、なんだか頭がスッキ――あ、待てこれ痛い。待て待て痛いぞ流崎っ、おまえっ、ちょっ握る力強ッ!?」
「ひひひ」
「この悪ガキィ……! 嘗めてると
すまねえ、と謝りながら力を緩めた悠がぶんぶんと手を振る。
それで本当に辛さが薄れるのだろう。
先ほどまで眉間にシワを寄せていた彼らの表情が、少しだけ柔らかいものに変わった。
悠自身によってもたらされるもの。
その恩恵を身近で見てきた美沙からすれば、彼をどこかに送り出すなど言語道断だ。
やはり戦闘部隊のバカ共にやるわけにはいかない、なんて。
「なんならここで寝泊まりしてくれよ。つかずっと添い寝してくれ」
「そりゃ御免だ。あいにく動きを制限されるのは好きじゃない。なんならここからも飛び出してえワケだ。すまねえよ、許してくれ」
「おのれ自己中……いや、じゃねえと流崎らしくねえけどよ?」
「はははっ、そういうこったなァ」
「まあ、俺らもおまえの人生潰したいわけじゃないし、好き勝手やればいいさ。ていうかまともに人生送れるのがおまえだけだから、半分望み託してるみたいなとこあるし」
「んじゃ期待に応えて二回目の大脱走計画立てねえとなァ!」
「流崎、後ろで所長が睨んでるぞ」
「………………、」
……その前に、彼自身をここに留められるよう色々しなくていけないようだが。