「……、ここ……であってるだろうな……?」
地図を片手に正面の建物を睨む。
生活圏とは少し離れた場所にある巨大施設。
周囲には分厚い壁と、水をたっぷり入れられた水槽。
一箇所だけ無理やり直した形跡があるが、あれは悠が脱走時に開けた坑だろう。
聞いていたとおりでなんという無茶か、と呆れながら歩を進める。
外の門から入り口までの長い水中通路を進めば、そのままロビーに出た。
「あら、貴女……」
「? ああ、すいません。ええっと……面会したい相手が」
「悠くんよね!」
「えッ、あ、はい!」
「ちょっと待ってて! すぐ段取りするから! ――引き渡しのときに一緒に居た子よね!? 大事そうに悠くん抱えてきてくれた!」
だだっと走り去っていく受付の職員。
覚えられていたのは幸か不幸か。
個人的にその印象で知られているのはちょっと恥ずかしいな、なんて思う妃和である。
とくに悠を大事に、というあたりが。
「ねえねえ司令室ー! 悠くんのフィアンセ来てるー!」
「ちょッ!?」
「しかも隊服じゃないからプライベートよプライベート! はやく繋いで待たせちゃうから! ほらほらっ! あ、所長は黙っててください!」
「いや待ってください! 本当に! あの、私と
「悠ですって! きゃーーー!!」
「どういう反応でしょうか!?」
たしかに私服で来ているがこれにはワケがあってのコトだし。
そもそも名前で呼んでくれというのは彼の要望であるのだし。
何故にこうテンションが跳ね上がっているのだろう、と妃和は困惑するばかり。
……なお、司令室がそれ以上の混沌に満ちているのは誰かさんの名誉のため秘匿とする。
婚約者とか許嫁とかちょっと彼女的に認めがたい代物なのだ。
多分、きっと、めいびー。
◇◆◇
「――悠。お客さんだ。いいか」
「…………客ゥ?」
ごそごそとベッドから起き上がりつつ、悠は扉越しにかけられた美沙の声に首を傾げた。
彼が収容所に帰ってきて二日目。
色々と見て回った翌日のコトである。
ここを訪れる人間は極めて少ない。
中でも男に会おうなんてのは
一体何事だろう、と考えながら適当に「おう」とだけ返事をしておく。
「……入れていいのか?」
「? いや、来てんだろ。入れなくてどうすんだよ」
「本当にいいのか? おまえ、もしかしたら襲われ――」
「そんなコトしませんがッ!?」
「…………あぁん?」
と、そこで聞き覚えのある声が耳朶を震わせた。
時間があいたとはいえまだまだ記憶には新しい。
勘違いでもなければその音は彼の知る中でひとりだけである。
「客って、なんだ。妃和か」
「……ほう、妃和……」
「な、なんですか」
「随分と親しいようだが。……ああそうだ。この前もすぐ傍でうちの悠を支えていたな。一体どういう関係だ、巴嬢」
「か、勘繰らないでください。彼とは、別に……なにも」
「いいから入って来いよ。妃和に警戒するコトなんかねえし。心配要らねえ、大丈夫だ。妃和は俺のお墨付きやってもいい」
からから笑う少年は事の重大さ……もといふたりの間に飛び散る火花が見えていない。
もっとも部屋の中からでは見えるハズもないのだが。
なんなら真ん前にいても実際飛び散っているワケではないのだが。
「……私はここで待っていよう。部屋の中にはカメラもある。おかしな事をすればすぐに分かるぞ。貴重な男だ。気をつけて接するように」
「……わりと長い間、一緒に居たのですが」
「なにか言ったか?」
「いえ、なにも。……その、入るぞ。悠」
「おう。入れ入れ。なんもねえけどな!」
ガチャリ、と扉が開いていく。
室内を照らす薄明るい電灯。
地上の何倍も純エーテルがない空気。
待ち構えていた彼はすこし驚いて、
足を踏み入れた彼女は相手を見つけてほっと一安心しながら。
逃亡生活を共に過ごしたふたりは、示し合わせたように頬を緩めた。
……ばたん、と背後の扉がゆっくり閉められる。
「……久しぶりだな。どうだ、その、調子は」
「ピンピンしてるよ。ここだと尚更な。そっちはどうだ。具合は」
「身体はとくに問題ない。傷は残っているが、体調は悪くないんだ」
「そうかい。そりゃあなにより」
「私もだ。……ああ、うん。元気で良かった」
たしかめるように呟いて、妃和はひとつ息を吐いた。
気を失った彼を運んだのは彼女である。
一度起きたものの、その後はずっと泥のように眠っていたコトが心配だったのだろう。
動いている姿を見てようやく、といった心持ち。
「にしても急だな。制服も着込んでねえし。休暇でも貰ったのか?」
「いや、クビになった」
「へえ、クビ。…………クビ? 辞めさせられたのかよ?」
「この傷だからな。戦闘部隊の人員として不適格として総司令直々の決定だ。戦えない人間を参加させても無駄死にさせるだけだと」
「けッ、よく言うぜ。人手欲しさに俺をどうこうって言ってるヤツらがなにをって話だ」
「それは悠が戦力として求められてるからだろう?」
それはまあそうなのだが。
イマイチ納得いかない、と不機嫌そうに顔をしかめる悠である。
たしかに片腕がないのは痛いだろうが、それでも一応現役の隊員であった妃和だ。
リハビリをすればなんとか出来ないコトもないだろうに、と。
「もともと私の鉄潔角装は二振りだ。そのうち一本しか出せなくなった。質も大幅に下がっている。いまの私の武器は木より脆い」
「……そいつも怪我の影響か?」
「おそらくは。……だから、仕方ないと言えばそうなんだ。こんな私じゃ、怪物相手になにもできないだろうから」
「………………、」
彼が斃した天使はおろか、羽虫ですら粘れるかどうか分からない。
万全の状態で部隊を壊滅させれらた記憶がふたりの間に蘇る。
結局のところ窮地を乗り切れたのは誰の力によるものか。
怪物にトドメをさしたのは一体どこの誰だったのか。
考えなくても理解できる。
必要なのはどちらかと言えば――
「……それで、そんな格好でウチに来たわけか」
「まあな。……その、なんだ。変、だろうか」
きょろきょろと視線を泳がせる妃和。
先ほど悠も一瞬気を取られたように、本日の彼女は制服ではなかった。
大人しめの色でまとまった比較的暖かそうな服装。
コートとマフラー、ブーツというのは脱走中の悠の格好にも少し似ている。
違うのは色合いと着こなし方ぐらいだろうか。
黒とは違う、ベージュっぽい色味はいまの彼女の雰囲気によく似合っていた。
「変ではねえよ。安心しな可愛いぜ。こうして見ると美少女ってのがよく分らあ」
「び、美少女って……言い過ぎだろう、それは。流石に」
「言い過ぎなワケあるか。良いだろ、褒められて損するコトなんざねえんだし。素直に受け取ってくれよな。わりと本気だ、俺は」
「……そういうコトをさらっと言うな……ばか……」
「あっはっは。照れんな照れんな。顔が赤いぜ美少女」
「悠ッ!」
「あっはっはっは」
新鮮だからというのもあるだろうが、実際可愛く見えるのは本心からだ。
制服で見慣れていた彼女のプライベートな姿である。
その時は薄れていた年頃の少女らしさというものが溢れていてなんともらしい。
個人的に悠としてはこっちのほうが良いな、なんて素直に思ってしまったほどだ。
「――けど、そうか。戦う必要がなくなったワケだな。これからどうすんだよ」
「……それを悩んでいてな。家にいても仕方ないから、おまえと話ができればと思って来たんだ。色々とアクシデントはあったが……」
「アクシデント?」
「まあ、なんだ。ここの職員と所長は、おまえのことが大好きなんだな……」
「……あー……うちのアホウどもが揃って悪ぃ。こういうところで生活してるからテンションおかしいんだ。許してくれ」
「そこまで気にしているワケではないよ。むしろ少し良かった。おまえにとってたしかにここは良い場所だったんだな」
「……そうだな」
頷きつつ、わずかに悠が笑顔を浮かべる。
彼の心情は妃和も理解していないワケではない。
胸に浮かんだ反逆衝動の話も聞いていた。
だからこそなのだろう。
その気持ちが、なんとなくいまは読み取れた。
「……おまえとは、また違う話だけど。私も幸せなところから逃げたい気持ちっていうのが、ちょっとあって」
「……へえ」
「なんだろうな。生きているのは、やっぱり辛いだろう。だから、そういう思いをしてないと、どうしても息苦しくなって」
「それで戦闘部隊に入ってたってところか」
「まあ、そうだな。多分、そうなんだろう。……結局、死ぬまで苦しんでいたいんだ。そのために、戦うことは、ちょうど良かったんだろうな……」
例え、その思想が間違いだらけの歪なものだとしても。
「本当、私はどうしたら良いんだろうな。そのあたり、なんだかよく分からなくなった」
彼女の心を支えてきたものであったのは、間違いないのだから。