かつて、少女は幸せになりたくないと語った。
その言葉を悠はずっと覚えている。
抑えきれずに溢れた本音。
真意のほどはともかく、声に乗せられた気持ちに偽りはない。
今だってそうだ。
本気で首を傾げて、
本当に困ったように眉尻を下げて、
妃和は傍から見ても下手くそな笑みを浮かべている。
「…………、」
全くもって馬鹿らしい。
まともじゃないのは、ズレているのはどちらなのか。
最早見過ごすことのできない彼女の歪み。
きっとそれは一朝一夕でできたものでもない。
長い時間をかけてつくりあげられた欠陥は、きっともう心に溶けこんでしまっている。
「……つまり、なんだ。痛いのが好きなのか、妃和は」
「そんなワケないだろう。痛いのも、苦しいのも、好きになんてなれない」
「じゃあ傷付くのが好きなのか」
「同じだ。傷をつくって喜べるのはそれこそ甘根隊長とか、そのあたりの人たちだけだ。私はそこまで螺子が外れているつもりでもない」
「じゃあなにが」
「好きなんじゃなくて、辛いんだよ」
目を見開く。
ちょっと、あまりにも衝撃だった。
彼女の顔はなんとも弱々しくて。
なんだか、迷子になった子供を思わせた。
「辛くないのは、辛いんだ」
だから苦しむほうが良いんだよ、なんて。
そんな馬鹿げたことを言いながら。
「…………おまえ」
「いい、分かってる。変だろう、こんなのは。……でも、しょうがない」
「なにがしょうがないんだ」
「本当に心が締めつけられてしまうんだから、しょうがないだろう」
「――――――――」
どこか諦めまじりの微笑。
助けてほしいとさえ彼女は願わなかった。
ただそうであるというコト。
自分自身がそんな生き物であるという告白。
……まったく、おかしいのはどちらだというのか。
「ずっとずっと、そうだった。私の中では大事な思い出があって、消えない記憶があって。何度も夢に見る。何度も、何度も。瞼の裏に、焼き付くぐらいに」
「……そいつは良い夢か、悪い夢か」
「良い夢だよ。少なくとも私にとっては」
「妃和にとって
「そうとも。だって、忘れていないコトを自覚できる。まだ心に残ってるコトを確信できる。大事なものが、消えて薄れていないんだって、安心できる」
燃える集落。
融けていく村の人たち。
空にはふわふわと浮かぶ影があって、
たったひとり残った自分だけが炎の中で生きていた。
悲鳴と、慟哭と、助けを求めて重なる声。
きっと一生忘れない。
忘れるコトなんてできない。
したくもない。
それが根底にある、彼女の歪んだ願いの源。
「けど、もうダメだ。ああそうだ、全部が分かってる。命は大事だ。無駄にできない。でもただ生きていくなんて無理だ。何もせず生き長らえるなんて耐えられない」
「……矛盾の塊だな、妃和」
「だから、よく分からないと言っただろう。私にはもう、さっぱりだ」
「…………、」
思考回路のブレ、歪み、震え、ノイズ。
自分の意思によるものと、それを否定するような別の衝動。
それは彼にだって存在する頭のエラーだ。
まったく同じではないだろうが、その気持ち悪さを悠は知っている。
相反する思考が中でぐちゃぐちゃになっていく感覚。
脳髄をミキサーにかけれられてもあんな風にはならないだろう。
「……けどなァ。そう難しい話でもねえ気がするぜ、俺ぁ」
「え……?」
でも、それは彼特有のものだ。
くり返すように妃和とは違う。
彼には彼の抱える欠陥があって、
彼女には彼女の抱える欠陥がある。
生まれ育った環境もなにも違うのだから、そこが同じであるハズがない。
「要するに、おまえ。妃和、幸せになっちまえよ」
くつくつと笑いながら。
悠はなんでもない回答を返すかのように、そう告げた。
「辛くないのが辛いなら、じゃあどうやっても辛いじゃねえか。なにを複雑に考えてやがる? それならおまえ、ただ生きてるだけでもう十分だろ」
「そ、れは……」
「普通に過ごしてりゃ辛くて苦しくてそのままお陀仏だ。悲しいもんだね。救いもなけりゃ残るものもねえ。どう足掻いてもな」
「……たしかに、そうかもな」
なるほど、なんて素直に頷く妃和。
疑う余地などない。
彼女はいまの助言を本気で受け取ったのだろう。
悠からしてみれば、めちゃくちゃ腹立たしいことに。
「ありがとう。ちょっとだけ、分かった気がする。そうか、難しく考えすぎてたな。私、生きてるだけでもう十分なんだな。……ああ、それは、とても良いことだ」
「――――――――」
一体、なにが良いことなのだろう。
「妃和」
「なん――」
ふと。
急に、身体を引かれた。
前にもこんなことがあった気がする。
……あれはいつだったろう。
考えるよりも先に彼女は悠の腕におさまって。
「なんつうか、でもな」
吐息が重なるほどの至近距離。
すぐ傍から彼の心音が聞こえてくる。
ならたぶん、妃和のそれも向こうには伝わっているハズだ。
「おまえがそうなるのは、とんでもなく嫌だな。俺の勝手な意見だけどよ」
「――――――…………、」
「てめえの心情だし、てめえの悩みだし、てめえの持った性だ。好きにしろ、良いようにやれって感じなんだけどなぁ……どうにも」
渇いた笑い声は自嘲を含んでのものだろうか。
顔が見えないので、イマイチ妃和には分からなかったが。
「あるもんだなあ、
背筋を走る痺れるような感覚は、間違いなく心をかき乱す原因だった。
「は、るか」
「なんでこうなっちまったかね。俺自身、ワケ分かんねえけど」
「はッ、え、や、なに、が――」
「俺、おまえのこと好き過ぎじゃねえか?」
「い、いきなり言われても知らないが!?」
「知っといてくれ。頼むぜマジで。ほんと。口に出すのもどうかって思うけどなぁ……」
「じゃあ言うな……まったく……」
「ところで妃和は」
「なんだ」
「いや、どうかなと」
「…………、」
視線を感じる。
こう、なんだか圧力的な何かの込められたものが。
俺は言ったんだから、というコトだろうか。
「……おまえと、話してると」
「おう」
「心底、辛い」
「なるほど。妃和」
「…………、」
「ちょうど良いからふたりで旅にでも出ようぜ」
「急だな!?」
よいしょ、と立ち上がる悠と、その腕に抱かれる妃和。
もはや慣れたものであるお姫さま抱っこに取り乱す様子はない。
というかちょっと堂に入っている。
彼の腕にあまり負担がいかないよう位置をズラしているあたりとか特に。
「待て待て待て! ちょっと待て! 落ち着け! ――あああなんか扉からすごいノック音が!」
「悠!! 悠ァ!! ああ嫌な予感がしたワケだ聞こえたぞお前ェ!!」
「だっはっは! 思い立ったがなんとやら! 行くぜ妃和ィ!!」
「すとっぷ!? すとーーーっぷ!! 頼む! 悠! まずい! これはまずい! そもそも私頷いてもないのに!?」
「嫌なのかァ!!」
「嫌ではないんだが、ないんだがな? うん。時と場所が」
「言ってられっかそんなことォ!!」
「わーーー!! わーわー!! ああ頼む! 頼む悠! 待ってくれダメだやめてくれ本気でまずいから!」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなるアンダー五階。
結局のところ妃和による必死の説得で脱走計画は中止となったが、彼を縛っていた拘束具に関してはどうなったか言うまでもない。
全身から鉄潔角装を生えさせるのは何度かやった得意技。
手首足首の枷を外すことなんて悠には造作もないこと、とだけ。