喉が焼かれる。
手足が爛れる。
ただただ息苦しいだけの蒼い世界。
這いずるように伸ばした腕が、ずるりと力無く落ちた。
「――――――」
死にかけながらも意識を保っているのは妃和だ。
彼女の肉体は蒼い炎に燃えている。
純エーテルの恩恵を受けて当然の性別。
女性であるならば体内にそのエネルギーが〝ない〟なんてことはない。
燃え盛る勢いは悠より弱いが、それでも心を殺すのに十二分な苦痛だった。
「――――、――――」
ガリガリと瓦礫をかく指。
血反吐交じりの吐息。
片腕の少女はすでにその傷を広げている。
顔が、胸が、腹が、脚が。
全身が蒼色の熱にうなされる悪夢のような現実。
「――――――――、――――――――」
普通なら耐えられない。
とっくに悲鳴をあげている。
いくら戦闘部隊とはいえ、妃和だってひとりの少女だ。
我慢できないコト、堪えられないモノはあって然るべき。
ただ今回は、そのどちらをも越える強い感情が塗り潰した。
「ま、だ」
爪が割れる。
傷が増える。
痛みは絶えない。
意識は落ちる寸前で不確かに揺れていた。
明滅する視界、途切れる思考、記憶の欠落。
瀕死の重傷は確実に彼女の命を蝕んでいく。
このままいけば死んでしまえる。
「まだ、私、は」
ボロボロの肢体を引き摺って手を伸ばす。
目の前の光景は霞の如くぼやけてしまった。
鮮明な景色なんてもう瞳には映らない。
だけども必死に息をする。
なにもかも、彼女にとっては覚えのあるコト。
肺を焦がす熱の痛みも、
皮膚を燃やす炎の鬱陶しさも、
誰かが周りで死んでいくのも、
己の無力を自覚して嘆くのも。
すべてがすべて、あの日に経験したコトの繰り返しだ。
「なにも――」
命を手放さなかったのは奇跡だろう。
本来、妃和に怪物の攻撃を耐えられるスペックはない。
蒼い火に巻かれた時点で彼女の運命は終わっていた。
それを繋ぎ止めたのは単なる幸運か。
それとも、深く強く願い続けた怨念やら執念の類いか。
「できて――ない――……ッ」
やり直したいワケではない。
過ぎた時間は戻らない。
きっともう二度と、選んだコトも進んだ道も変えられない。
けれど後悔があった。
心残りがあった。
引かれる思いがあった。
目を逸らしてはならない罪過。
あの日、逃げ延びた彼女が見捨てた命を、彼女だけが知っている。
だから。
今度こそは。
もう誰も、なにも、諦めるコトなんてできない。
見捨てるコトなんて、できない。
〝――助け、ないと〟
どうして?
〝助け、ないと〟
誰のために?
〝助けないと〟
なんのために?
〝助けないと――〟
決まっている。
この命を正しく使い潰すために。
『いやはや愉快だ、そうやって辿り着く道もあるのか。歪んでいるが、真っ直ぐでいて余分がない。良いぞ、ハルカが世話になっている礼だ。応えてやろう、小娘』
そんな思いが引き金だった。
発露した神秘の欠片が辺りに広がる。
蒼い火を呑みこむように浮かびはじめる赤い炎。
土も木も瓦礫もアスファルトも関係ない。
それは神秘の塊である蒼炎さえ食い散らかして。
万物一切焼け消えろ、と原初の災害を巻き起こす。
彼女には分からない。
自覚もしていない。
ただ、傍から見ている分には明確な変化があった。
ゆらりと片腕をぶら下げて、二足で立つ少女。
彼女はただ命を救うため。
自分以外の誰かを助けるため、足を動かしていく。
◇◆◇
異様に波打つ心臓の音で、不意に悠は目を覚ました。
同時、全身から激痛が返ってくる。
……傷の度合いは酷い。
今までの治癒を含めた尺度とは違う。
本気でどうして生きているのか、と疑問になるほどの大怪我だ。
「ッ――――――……く、そ……ッ」
頭が痛い。
まともな思考ができるまであと二秒はかかる。
漠然とした意識のなかで見上げる空。
ヒトガタの燃える鳥はいまだ飛び続けていた。
大きく動き回ることはないものの、アレはただそこに在るだけで絶望的だ。
「とんでも、ねえ……ッ、力を、出しやがる……!」
まともにやり合ってはおそらく勝ち目がない。
実体があるかどうかすら分からない以上、現時点での討伐はほぼ不可能。
となると逃走以外に取れる選択肢はないのだが――それも許してくれないだろう。
怪物が人類の天敵たる所以は、その力を以てして明確に人を狙う点だ。
「だが――ああ、ちくしょうッ……なんだか、なァ。悪い夢でも見たようでッ……」
見えない感覚を研ぎ澄ます。
掴むのは空色の粒子、神秘の奔流だ。
慣れ親しんだ純エーテルの操作。
「蛇口が、バグってらァ……!」
ガチン、と撃鉄の落ちる音。
それが自分の中の大切なナニカだと分かった瞬間、
「 」
自我が、千切れるかと思った。
「――――お、ご、ぁああぁあがあぁぁああああああ」
意思を無視して悲鳴が口からこぼれる。
痛みを凌駕した刺激が身体中を包んだ。
どんな拷問もどんな陵辱もコレには勝てない。
気分は限界を超えて空気を入れられた風船だ。
全身から溢れる純エーテル。
それを補う周囲からの供給。
どちらも馬鹿げたレベルにまで引き上げられている。
桁違いだ、ありえない。
今までストローで吸って吐いていたのを、急に水道管に変えたぐらいなもの。
「――ッ、あぁあ、う、ぁあッ、ぐぅ、ぃいぃいいあああぁぁあぁ」
べちゃべちゃと地面に垂れる吐瀉物。
気分の悪さは過去最低レベル。
つまりは純エーテルの回りの良さも過去最高レベル。
適正値の高さがここに来てようやく、正しい形で発揮されたらしい。
蠢く肉片と、波打つ傷口。
燃えている部位を吹き飛ばすコトによって強引に蒼い火を消す。
傷はその直後、一秒と経たずに治っていった。
「ぁあぁあははははッ……ふざけて、やがるなァ」
頭上を睨みつける悠。
その視線の先にいる相手はひとつしかない。
炎上する無形の怪物。
蒼い火の雌鳥。
――――戦意が。
――――殺意が。
両者の意識が、交錯した。
「なぁオイッ!!」
『――――――――』
爆発する純エーテルの羽搏き。
神秘の噴射は軽く音を越え空を翔る。
――――ならば。
迎え撃つその閃光はどれほどのものか。
姿形はかき消えていた。
残ったのはただの線。
光の通った後だけが遅れて流星みたいに輝いた。
『ッ!! コイツ――――!!』
咄嗟に鉄潔角装を生み出して振るう。
炎は瞬く間に純エーテルを溶かしていく。
だが遅い。
胴体に触れた。
接触したならあとは簡単。
エネルギーの暴力だ。
そのまま、この馬鹿げた神秘でぶん殴れば――
「ッ!!」
空に線が走る。
目で追えない。
音を拾えない。
この宇宙の物理法則を無視した軌道。
速さは光を優に超えていた。
認識できるワケがない。
残った線を目でなぞれば、そこに。
「がッ――――!!」
己の胸を貫く、蒼い影が。
「――――あぁあッ、てめえ! くそがッ、てめえええええ!!」
――嗚呼、最早どうとでもなればいい。
傷など気にしてはいては駄目だ。
拳を握る。
痛みを堪えて力を溜める。
鉄潔角装は放り投げた。
邪魔だ、要らない。
とにかくこの場合に於いて後のコト全てはどうでもいい。
専心するのはただひとつ。
「ふざけんなァ――――――ッ!!!!」
その顔面を、ぶち抜く。
『――――――』
「まだだァッ!! もう一発! 二発ッ! 三発ゥ!! 終わんねえぞクソ鳥ィ!!」
『――――、――――』
「どいつこいつも怪物どもがァッ、調子くれてんじゃねえっつってんだろうがァ――!!」
渾身の拳撃が突き刺さる。
めしゃりと凹んだ炎がそのまま揺らぐ。
形あるのなら問題ない。
皮膚が焼けようが肉が融けようが彼にとっては構うものか。
「死ねェ――――――――ッ!!」
再三に渡って殴打は続いた。
ぐるりと燃える翼が彼の腕を掴み取る。
「邪魔だァッ!!」
しかしそんな拘束も無駄なこと。
純エーテルの爆発で難なく逃れる。
力を使うたびに蒼い火が回ってくるが――それも気にしていては仕方がない。
それになんだかいい加減、飛び続けるのにも飽きてきた。
「ぶっ飛べッ、落ちろボケェ――――!!」
振り抜いた拳は影の頬を貫いて真っ逆さまに。
勢いもそのまま、今度は怪物が地上へ墜落した。